東海道一匹狼
翌日、蜂須賀小六郎が中村惣郷の木下家に一人の浪人を連れてやってきた。
「藤吉郎はいるか? 約束通り、一人連れて来てやったぞ!!」
小六郎の大声を聴いて、藤吉郎ら家族みんなが出てくると、小六郎と小六郎より小さい五尺余りの青年が横に立っていた。
その青年は、物静かな佇まいで藤吉郎を見つめていて、若輩ながら戦の経験豊富な感じに思われた。
「よお、藤吉郎。 昨日言ってた者だがこいつは柳生新次郎と言って、さる事情で故郷の大和国から、あちこちを流浪し、どおやら仕官先を求めていたらしい。」
小六郎が大雑把に言うと、新次郎は頭を下げてから自己紹介を始めた。
「初めまして、拙者大和の国の出で、柳生美作守家厳の一子新次郎宗厳でござる。 拙者の一族は大和の筒井氏に居城を攻められて、父家厳は降伏したが拙者は筒井氏に降る事を望まず、出奔した次第でござる。 もし藤吉郎殿が拙者を家臣として雇ってくださるならば、命を尽くして御仕えしましょう。」
「初めまして、柳生新次郎殿。 拙者は信州高遠家家臣木下藤吉郎でござる。 新次郎殿のような猛者は是非家臣にしたいが生憎拙者の知行は三十貫しかないので、高禄は出せないのだが、それでも宜しいでござるか?」
「知行は拙者が武勲上げた時に加増して下さるならば、最初は僅かでも構わないでござる。」
「しかし何故、拙者の様な小童に仕えようと考えたのですか?」
「拙者の一族は代々兵法を研鑽を行っていましたが、伊勢で陰流の愛州元香斎殿に師事を受けた時、関東には多くの兵法家がいるので、東国に下向したらより一層高みに上るだろうと言われていたのでござる。 そこに先月知り合ったばかりの蜂須賀殿から、昨日木下殿が配下を求めていると言う話を聞いたので、それに乗ろうかとおもったのでござる。」
「なあ、藤吉郎。 新次郎ならば、お前が求めてる戦働きの出来る奴だろ? もし藤吉郎が出世して知行が加増されたなら、また探してやるぞ。 何なら藤吉郎が城持ちになったなら、俺らを家臣にしてくれよ。」
小六郎が自らも売り込んできたので、藤吉郎も笑顔で答えた。
「拙者が高遠家で出世するならば、四郎様を精一杯支えないといかんな。 四郎様ならば、きっと天下に名を轟かせる名将となるから、その時は小六郎殿も四郎様に仕官してくれよ。」
「もし武田家が美濃や尾張に影響与えるになったならば、馳せ参じてよ。」
「では、お互いその時まで、壮健で在れ。」
「ああ、藤吉郎らも皆元気でいろよ。」
そう告げると柳生新次郎を残して、蜂須賀小六郎達は帰ってので、残された柳生新次郎に藤吉郎は信州に行く準備の事を聞いた。
「柳生殿、数日後には東海道を通って信州に向かうのだが、柳生殿は家族や移住の準備はどの位で完了かな?」
「拙者は自分一人で旅をしてたので、今の状態ですぐに旅立てます。 それと藤吉郎様は、もう拙者の主君で、主君らしい呼び方で構いませぬ。」
「承知した、新次郎。」
翌日、行商から杉原助左衛門達が帰って来たと伯母お静から連絡があり、返って来た杉原助左衛門達は藤吉郎の配下になるとの返事があったので、杉原家の準備が整い次第出発する事にした。
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木下藤吉郎一家に加藤五郎助清忠一家、福島市兵衛正信一家、杉原助左衛門一家に柳生新次郎を加えた一行は、尾張から三河、遠江を通って、信州高遠へ向かう行程で行く事になった。
途中、四郎から頼まれている海たわしの確保も海岸の漁村で行い、他にも四郎が欲しがりそうな物を見つけたら手に入れていく事に決めてた。
そんな中、出発しようと思ってた矢先に三河安祥城合戦が発生、織田方が大勝したとの噂が尾張国内に流れ為、尾張から三河に向かう道が大変危険ってるんじゃないかと言う意見が、母の仲や伯母達などから意見が出て来た。
藤吉郎も無理強いして東海道を通る訳にも行かなくなった為、どうしようかと悩んでるとここで柳生新次郎が、自分一人東海道を通るは自衛出来るので、東海道を通って藤吉郎が求めてる海たわしを探してくると言い出した。
藤吉郎も熱田湊から船で遠江に向かうと言う手段も考えたが、敗戦側の今川方が尾張から来る船に対して、警戒してるかもしれないと言う不安もあって、結局柳生新次郎の意見を採用する事になった。
そうと決まると身軽で独り身の柳生新次郎が先に出発事となり、とりあえず木下家の身分を証明物は無いので、藤吉郎達と合流するまでは素浪人と言う事にして進む事になった。
藤吉郎達が五月一日に美濃周りで出発した頃、柳生新次郎は早くも尾三国境に辿り着き、最近大きな戦があった為か、織田家の将兵達による三河方面への関が作られており、通過する者全てが取り調べを受けていた。
「ここを通過いならば、まず自分の身分を名乗り銅銭五文を差し出せ。 銭の無い物は尾張に戻って銭を作ってこい。 その後、そこの番屋禁制の物を持ってないか身体検査を行う。」
織田家の関の番人が柳生新次郎にそう話して、まずは手持ちの銅銭五文を取り上げた後、番屋に案内
そこでに身体検査を行うと言って、着ている物全てを脱げと言われた。
「番人さんよ、皆に着物を脱がしているが、こんな事を織田家はやらせてるのか?」
「そうだ、今は今川家と戦の最中である。 今川家が送った細作がここを通過して織田家へ仇なす行為に繋がる事を防ぐ為、殿がここに関を置くようにとこの前から御通達が来たのだ。」
「織田三州様がお決めになられたのであれば仕方無い。」
もし理不尽な理由で番人がここにいるのならば、場合によっては切り捨てて三河方面に行く事も考えたが、防諜上の理由で取り調べをされてるので、柳生新次郎は諦めて取り調べを受けた。
「異常なしだ、この先行っていいぞ。 しかしお前は立派な身体をしているが織田家で戦働きする気があるならば、織田三郎五郎様に推薦してやってもいいぞ。」
「いや拙者は東国の兵法家の元に行って、自らの武芸を向上たいのでござる。 戦働きは御遠慮て、いただきたい。」
「それは残念。 ここから先にある矢作川を越える岡崎の地があるので、川の向こうに渡ったら今川領に入るので、気をつけて行くのだそ。 向こうは最近我々に負けたかりで取り調べは大変厳しいとの話だから、それが嫌ならばすぐにこちらへ戻るんだぞ。」
「御忠告、感謝致す。」
そう言うと柳生新次郎は東へ進んで行った。
柳生新次郎宗厳 享禄二年生まれ(1529年) 柳生家は代々大和の国人衆であったが、天文十三年に筒井栄舜坊順昭に本拠地柳生城を攻撃されて、父家厳は降伏する事になった。
柳生新次郎は家名の存続を図った父の手筈により降伏前に柳生の里から脱出して、以後武芸の腕を磨く為各地を放浪し、畿内の兵法者に挑み続けている。




