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景虎の紐帯対速攻の栗原

 猫有光江(みょううこうこう)は、結局栗原左衛門佐昌清の軍勢に加わる事によって、長尾左衛門督景孝の出陣を許す事になった。


 出陣を許された長尾左衛門督は、側近の斉藤弥助朝信や玉虫式部少輔貞茂・次郎左衛門景茂親子を伴い兵五百を率いて栗原勢に合流し武田・長尾連合軍は兵二千三百まで増やした。


 合流後、すぐにでも村上周防守義清を追う積もりだったが、赤川砦を牽制しながら突破してきた中条弾正左衛門尉藤資の軍勢兵二千が村上防州が率いてた兵と合流して、上杉勢も兵二千五百余りまで膨らんでいた。


 高安彦右衛門一益等五十人の傭兵達は、こんだけの規模の野戦だと戦局に左右する働きが出来ない事を知ってた為、土橋砦の守備に残されていた。


 先発している斥候から上杉方の大将は、山一文字の旗を用いた中条弾正左衛門尉だと聞いた栗原左衛門佐は、長尾左衛門督を呼んで上杉勢の山一文字の旗はどの様な武将か聞いてみた。



「栗原左衛門佐殿、あの山一文字の旗は七手組大将の一人、中条弾正左衛門尉藤資であります。奴は父晴景から離れて、上杉越後守定実に叔母平三景虎を養子に迎える策を講じた、元凶の一人で有ります。」


「して武人としての力量はどの様なものであるか?」


「藤資は、今年七十近い老将ですが我が家に仕えてた時は、北越後の揚北衆を抑えて武功を重ねてきましたが上杉越後守定実の後継者問題の際、我が家を離反して上杉方に付きました。 戦の采配は長年第一線に常にいられます。」


「なるほど、流石は三人の主君に仕えるだけありますな。 さて此度(こたび)の戦は兄栗原豆州から、もし赤坂砦が上杉方に落ちてるのなら、そこまで新劇して取り戻すようにと指示を受けているが、相手が老練な中条弾正左衛門尉殿となると、少々骨が折れる戦いとなりそうだ。」


「左衛門佐殿、戦場となる場所は南北に細長い渓谷のような地であります。そこでは軍勢を広げて(いくさ)を行うのは困難でしょう。」


「ならば厚みを持たせた陣形を取らせて、上杉勢の進軍を止めるしかなかろう。 おそらく中条弾正左衛門尉も武田勢を突破出来ないと理解した時には、即引き上げると思われる故、各将上杉勢の攻勢に耐え凌いで、追い払う事を此度(こたび)の目的とせよ。」



 歴戦の猛者であり、一筋縄ではいかない中条弾正左衛門尉の軍勢を想定した栗原左衛門佐は、もうすぐ狭隘な谷間を通ってくる事に小細工仕込む時間などなかったので、最低限軍勢を保持して、あわよくば中条勢が崩れた所に追撃を行う時しか分の本領が発揮出来る機会は無いと考えてた。




 ____________________________________________________________




 杵淵(きねぶち)左京亮国季は、高安彦右衛門一益達の猛射撃によって多数の足軽達が犠牲ったが、村上周防守義清の方に凄腕の射手が狙いを定めた御蔭、運良く空堀の中に転がりこんで種子島や弓の射撃を(かわ)して、様子を伺っていた。


 するとあの正確な射撃する者達が村上防州を撃ち抜いた為、慌てて救出に走ると滝沢仙兵衛盛政が村上防州を抱え込んで逃げようといた。



「仙兵衛、殿を連れて撤退しろ!! (それがし)殿(しんがり)を行う!!」


「御意!!」



 武田勢に撃たれて重傷の村上防州を抱えて逃げた滝沢仙兵衛を確認から、生き残ってた上杉勢六百余りを土橋砦の射程外まで軍勢を下げた後、再編成を行ってる途中に野尻湖方面から武田勢が接近くるのを発見為、中条勢と合流して防戦するのに越後方面に軍勢を下げた。


 すると越後方面から中条勢がやってきたので合流を行った所で、武田勢に捕捉されてしまい(たちま)ち戦闘になってしまった。



杵淵(きねぶち)殿、御無事でござったかっ!!」


「中条殿、心配てしまって済みませぬ。 長尾方残党が越後の領民を勾引(かどわ)かしたので、救出に向かった所、不覚を取ってしまった次第す。」


「その様な事ありましたか。 しかし今はまず武田勢を払いのけて、越後まで下がりましょうぞ。」


「承知しましたでござる。」



 その間にも武田勢の足軽達は統制された動きで長柄槍を突き出して、上杉勢の足軽達と打ち合いを行い始めてた。


 お互いの足軽達は、ボコボコになりながらも槍同士のぶつかり合いを行ってたが武田勢が装備いる長柄槍の方が四尺程長い為、上杉勢の足軽達の被害が目立ち始めた。


 この光景を見てた中条弾正左衛門尉は、味方の将兵を鼓舞をした。



「皆の者、ここは頑張り時ぞ!! もう少ししたら本隊がやってくるぞ!!」



 中条家に長年仕えてた古参の将兵は中条弾正左衛門尉の声を聴いて、武田の足軽との装備の差なぞ気に事なく力強く長槍を振り回して、激しく動いて短い攻撃範囲を補っていた。


 村上防州と中条弾正左衛門尉が連れて来た救出隊の兵力合わしても栗原左衛門左が率いてる兵千八百に劣るが、越後兵の力量が戦力差を補っていたので、冷静に戦況を見ていた栗原左衛門佐は前線で戦ってる足軽達を定期的に交代ながら、武田勢の損失を減らす事に専念してた。


 その中、長尾左衛門督景孝率いる長尾勢三百も疲れた武田勢と交代して前線に立つ事もあった。



「皆の者、栗原殿の兵に負けるな!! ここに長尾の兵がいると越後の領民に示すのだ!!」



 同じ越後の者同士の打ち合いを行ってたが、兵の交代が出来ずに武田勢と戦って内に、疲労も相まって徐々に押されてしまい足軽達が崩れつつあった。


 このままでは不味いと思ってた矢先、後方から中条勢の頭上を越えて武田勢目掛けて、上杉勢本隊が矢の雨を降らせてきた。



「ウギャッ!!」 「グハッッ!!」 「ウオッ!!」



 この時前衛になってた長尾勢に矢が降り注ぎ、長尾左衛門督にも降り注いでた為、斉藤弥彦朝信が身を挺して主君を矢から守ったが片目を射られしまった。



「弥彦、大丈夫かっ!!」


「左衛門督様、これ位の矢など平気でござる。この矢傷こそ、武功の誉れでございます!!」



 弥彦はそう言うと、片目に刺さった矢を抜かずに景孝を守り続けた。しかしこの援護射撃により中条勢は本隊に合流し、桃井弥次郎兼保が殿(しんがり)となって村上防州を救出する目的を果たした為、越後へ撤退いった。


 この一連の戦いで武田方は赤川砦の兵も合わせて、兵二千三百余りが参戦し死傷者が四百の被害、一方杉勢は兵四千余りが参戦し死傷者が七百余りの被害が発生した。


 この合戦の結果、昨年の上杉勢との戦の仕返しを行う事に成功した武田家はこれを機に出仕を躊躇(ためら)ってた旧村上家家臣や旧小笠原家家臣の出仕が多く出てきて、信州支配の強化に繋がる事になる小さいが重要な合戦になった。


 また村上防州は重症ながらも命に別状なくて、年末には政務に復帰し影ながら武田家と上杉家を争わせる謀略を行うになった。

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