危険な奴等
上杉弾正少弼景虎の様態が回復して、普通の活動が出来るようになったのは七月に入ってからだった。
その間、春日山城から逃亡した長尾左衛門督景孝に対して追手を出すはずだったのが、景虎への暗殺未遂が起きたせいで春日山城内を先に全て制圧する事に将兵を取られて、結局千人以上が逃亡し二千人余りが降伏してきた。
降伏した武将の中には景虎の実姉の夫長尾越前守政景もいて、これらの者達は景虎を主君と認める事によって出仕する事を赦された。
ようやく景虎からの命が下る様になって、最初に指示を受けた事は春日山城より南にある箕冠城を確保する事だった。
箕冠城は上杉方についている大熊備前守朝秀の居城であったが、上杉方に付いた時に長尾方に囲まれて孤立した地だったので、景虎の居城であった栃尾城へ一族を連れて出奔し、此度再び箕冠城に戻す事になっていた。
さらに山一つ越えると鳥坂城があり、これも上杉方の中条弾正左衛門尉藤資の居城であったがこの城も長尾勢に攻略されていたた為、鳥坂城も中条弾正左衛門尉に返還される事になった。
箕冠城や鳥坂城は、信濃国から春日山城に通じる飯山街道を抑える要衝の城であり、この城を武田方に抑えられるのは良しとしない為、景虎が倒れてる間も宇佐美四郎左衛門定満は春日山城に今回の上杉勢に大熊備州と中条弾正左衛門尉が入ってない為、桃井左京進兼道と堀江駿河守宗親が兵三千の軍勢を連れて接収に入った。
その後、桃井左京進を鳥坂城に置いた後、さらに信越国境に近い無人の鮫ヶ尾城まで堀江駿州は進み、景虎が復帰するまで鮫ヶ尾城の修繕に入った。
こうしてお互いの情勢は信越国境を固める事に走った為、暫しの間落ち着いたかに見えたが、長尾方の残党発智源三郎長芳、玉虫式部少輔貞茂・次郎左衛門景茂が七月過ぎてから信越国境近辺で遊撃戦を行い始めて、松原館や奥山荘城館などを襲撃して信越国境に揺さぶりをかけていた。
この事を知った景虎は、残りの長尾方の国人衆を攻めるよりも先に信越国境で騒動を起こしてる長尾方残党を討伐するのに、中条弾正左衛門尉を大将に副将に村上周防守義清を任命し兵四千をもって、国境を安定させるべく七月四日には春日山城を出発した。
一方武田方は、六月下旬に春日山城が景虎の手に落ちた事を知り、当初の予定を破棄し急遽姻戚の高梨家に援軍を送る事になった。
援軍の総大将は吉田典厩信繁を任じて、上杉方の動員兵力を鑑みて甲州から六千、南信・中信から五千を動員し北信からは三千の兵を集めて、上杉方の迎撃に決めた。
晴信は出征前に弟信繁を呼んで、此度の上杉弾正少弼景虎はかなりの強敵だと教えてやり、四郎が以前教えてくれてた野戦の天才だと言う事を伝えた。
そして無理に上杉方を撃破に走らず、勝敗は六分の勝ちが最善だと言って、此度はまだ決戦に有らず将兵の消耗を抑える働きに専念して、長尾方の将兵を回収せよと戦略目標を伝えた。
そして今回の戦に初めて金堀衆、城塞や道路の普請方をやってた黒鍬衆を加えて、野尻城周辺を強化するように指示した。
これらの者達を加える様になったのは、四郎から野戦築城陣地と言う戦術が今後重要になると父晴信に伝えていた事を今回実施する事を信繁は教えられたので、今回武田勢に参加してない国人衆達には大量の木材と人夫を用意させた。
大軍の動員は武田家にとって不本意だが、春日山城陥落の報は小笠原家・村上家旧臣達の蠢動を招く恐れがある為、ここははっきりと上杉方が信州に侵入出来ないと言う認識を見せつける事が目的になってた。
さて此度の戦に関して、飛び道具である種子島や弓を領内から集めまくって武田勢に持たせる事も行っていた。
その為、晴信は甲府へ残り商人や国人衆に沢山の龍朱印状を発行して、物資の調達や人員の配置、それに領民達への協力に対しての感状を送り、甲信両国の動揺を抑える方針にしてた。
また信濃守の官位を朝廷から賜ってる喜信は叔父典厩信繁の補佐に廻り、急遽甲府から葛尾城へ入城して、叔父典厩信繁が信越国境に出陣した後、葛尾城にて北信の治安や政務の代理を行ってた為、以前から不安定な越中方面の国境にも時折巡察して睨みを効かせており、以前の様に一向宗崩れの山賊共も信州に入り込む事を防いだ。
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七月五日、長尾方残党五百余りを率いてる発智源三郎と中条弾正左衛門尉を大将とする兵四千の上杉勢が、妙高高原の地で補足され長尾方大将発智源三郎は打ち取られて、残りの長尾方残党は玉虫式部少輔を中心に野尻方面に逃亡し、中条弾正左衛門尉はここで進軍を止めたにも関わらず、村上防州は信越国境を越えて追撃を行った。
それに対して信州側の動向は、信越国境にある最前線の赤川砦では高梨家の武将赤川道貫斎清元以下兵ニ百余りが籠っていて、上杉方に敗れた長尾方残党約四百が逃亡してくるのを発見し、慌てて野尻城や土橋砦に伝令を送る一方、長尾方残党を後方の野尻城や土橋砦に逃し、赤川道貫斎は赤川砦にて足止めする積りだった。
大声で、逃げてくる長尾方残党の玉虫式部少輔に後方に逃げろと叫んだ後、配下の将兵二百余りに迎撃の準備を行わさせた。
「長尾家の者達よ!! ここの砦は小さいので、半里(約2km)先の土橋砦に逃げ込むが良い!!」
赤川道貫斎の声に玉虫式部少輔が感謝の声を上げた。
「忝い。もし戦が終わってお互い生きていたら、其方に酒を奢ろうぞ!!」む
「それは有難い!!これで絶対に死ねなくなったぞ!!」
後方に長尾方残党を逃した後、半刻もしないうちに村上防州が率いる約千人余りの上杉勢がやってきた。
それを見た赤川道貫斎は、皆に迎撃準備を命じた。
「皆の者、上杉勢がやってきた!! 先鋒はあの村上防州だ!!」
村上防州の方も長尾方の敗残兵達が、関川と池尻川に挟まれた二股にある50m程の高さの小山(赤川砦)の麓の谷底にある飯山街道を通って逃げて行った為、村上防州はこの赤川砦の下を通過して敗残兵を追いかけるしかなかった。
「殿、この谷間にある飯山街道を通過するにも、あの小山の上にある砦から攻撃を受けますが、どうしますか? 見た所迂回路はありませんぞ。」
「去年、上杉弾正少弼殿に助けてもらった時は、ここの街道を使わず越後に入ったので、この様な砦があるとは知らんかったわ!!」
村上防州と杵渕左京亮国季は、赤川砦を強行突破して抜けて行くか、それとも赤川砦を攻略してから進むかを選択を考えないといけなかった。
「殿、もし中条様が我等に追いついた時、このまま進む事を選ぶでしょうか?」
「おそらくこのように防備を固められた砦を攻めるのは、躊躇するかもしれないな。ただその様な理性を上杉家で働いてしまうと、我等の信州復帰などは天秤にかけられて良くて後回し、悪ければ見捨てられるだろう。」
「殿、そうすると我々は上杉家を武田家との戦に巻き込む事こそ、信州帰還の悲願が達成出来るのですな・・・・」
「そういう事だ。ただこのままなし崩し的な戦を広げても意味はない為、何か中条弾正左衛門尉を巻き込む策はあるか?」
「そうですな。 人の道に訴えて、長尾家残党が越後の民を勾引かした為、残党を追って信州へ突入したのはどうでしょうか?」
「ならば奥の野尻城を襲撃する振りして、上杉勢と武田勢を戦わせて、我々は損耗を抑えつつ戦を煽らないといけない。」
「殿、我々は中条殿の軍勢から見えるような距離から赤川砦を突破して、中条殿の上杉勢も続かざる得ない状況を作り上げて進むのはどうでしょうか? もし我々を見捨てたらば、上杉方は越後国内でも味方を見捨てる非道な輩と広まると意識させてしまうのです。」
「そうだな。 武田家は去年一度上杉勢に謀られておる故、ここで対立の火をつけてやれば、双方が脅威と感じて勝手に相手の領土に侵攻するようになるだろう。」
村上防州と杵渕左京亮は、二人で中条左衛門尉を謀って戦に巻き込む為に赤川砦を抜けて、野尻城まで進む事に決めた。




