龍の涙
下平修理亮吉長は、主君長尾左衛門尉晴景を介錯し、主君晴景の遺言を果たす為に屈辱を抑えて、上杉方の柿崎弥次郎景家に降伏した。
その後、柿崎弥次郎は下平修理亮の事を警戒しながらも、早期に春日山城を占拠出来た立役者として、上野中務大輔家成と共に上杉弾正少弼景虎に紹介する積もりであったが、上野中務大輔は広大な春日山城の制圧する為、上杉方の将兵に道案内を行ってる途中であった為、本丸に辿り着いた景虎の傍にはいなかった。
景虎は、叔父長尾十郎景信、幕僚の宇佐美四郎左衛門定満、本庄新左衛門尉実乃、大熊備前守朝秀、直江与兵衛尉政綱、山吉善四郎行盛、北条丹後守高広、安田越中守景元、中条正左衛門尉藤資を引き連れて柿崎弥次郎と下平修理亮吉長が待つ本丸に着くと、目の前には今まで争っていた兄長尾左衛門尉晴景の頸が置かれていた。
早速、頸実検を行い景虎は、長尾左衛門尉の頸と確認すると滂沱の涙を流し始めた。
「あっ、あに・・・うえっ・・・・ わっ、私は兄上と争いたくなかった・・・ 兄上や家族の為に力ほ尽くそうと、騒乱の越後を鎮めようと思ってた・・・ しかし兄上から嫌われてたが、私は兄上を嫌いではなかった・・・ 何故にこの様な再会を・・・ ううっ・・・」
「・・・私は、越後から争いが無くなったら出家して、寺に入りたい・・・」
その様な事を口走り始めたので、宇佐美四郎左衛門や本庄新左衛門尉などが、慌てて景虎を慰めに入った。
「御実城様、越後が一つに纏まってもそれで平和が訪れる訳ではありませぬ。幕府が混乱してる今、幕府を立て直し正道に戻す事こそ、越後に真の平和が訪れるのであります。」
「御実城様、某は幼き頃から御実城様の見守っております。御実城様が尼となって、父為景様や兄晴景様の御冥福を御祈りしたい気持ちは分かりますが、御実城様の力を慕ってた皆が号令を御待ちになっております。越後の者達は、御実城様の下知が無くなれば、再び争いが沢山起こりますぞ。」
宇佐美四郎左衛門や本庄新左衛門尉からの励ましにより、少し気持ちが落ち着いた後に論功行賞を行う事にしたので、景虎は半刻程部屋に下がり、その間にも春日山城内を制圧してた者達も続々と戻り始めた。
その間、城内で長尾左衛門尉方で守ってた安田治部少輔長秀や和納伊豆守利兼などが、降伏して本丸まで連れられてこられた。
そして此度の論功行賞を始めて、最初に本丸に辿り着き長尾左衛門尉を追い詰めた柿崎弥次郎が景虎に呼ばれた。
「柿崎弥次郎景家よ。其方は敵城に先頭切って入場し、調略によって味方にした上野中務大輔家成と共に春日山城落城の切っ掛けを作った事を大変な武功なり。ここに上杉弾正少弼景虎が柿崎弥次郎景家を越後七郡随一の勇者と認め、その武功を賞賛致す。」
景虎がそういうと、感状と孫六兼元の大業物の太刀を柿崎弥次郎に褒美として渡した。
「こっ、この様な大業物の太刀を下さるとは!! 某御実城様の剣として如何なる敵も全て斬り倒しますぞ!!」
美濃の名刀工2代目孫六兼元が打った一振の太刀を賜った柿崎弥次郎は大喜びして、他の家臣から羨む視線を感じたが全く気にならない位嬉しかった。
続いて呼ばれたのが、三の丸にいて本庄新左衛門尉と元々親しくて、調略に応じた上野中務大輔が呼ばれたのではなく、長尾左衛門尉の頸を持ってきた下平修理亮が呼ばれた。
「下平修理亮吉長よ。其方は何故ここにいる・・・・」
自分が呼ばれるかと思っていたら、元主君の頸を持ってきた下平修理亮が呼ばれて、褒美を授かろうとしてるのを見て、面白くなさそうにしていたら、下平修理亮の所作が何やらおかしいと上野中務大輔が気がついて咄嗟に叫んだ。
「御実城様!! そ奴、御実城様の御命を奪う気ですぞ!!」
廻りの近習や家臣達は慌てて太刀を抜こうとしたら、殺意がバレた下平修理亮は傍にいる武士をけり倒し、景虎を毒針を持つ拳で殴り掛かってきた。
「上杉弾正少弼景虎よ!! 主君長尾左衛門尉晴景の仇を取らせてもらう。 覚悟っ!!」
殴り掛かられた景虎は、咄嗟に身体を捻り下平修理亮の拳を躱して、腰の太刀を抜き下平修理亮が連続動作でやってくる拳や蹴りに対し、直感で※拍子を合わせて一刀の元に下平修理亮の片足を切り落としてしまった。
「グハッ!!」
景虎が瞬時に足を切り落としてしまった為、下平修理亮は態勢を崩しながらも拳の中に握ってた毒針を景虎に向って放った為、再びそれを避けようとしたが避け切れず、僅かに左肩を掠った為、微量の毒を受けてしまった。
下平修理亮の方は、孫六兼元の太刀を賜ったばかりの柿崎弥次郎に首元を一撃で突き刺されて絶命した。
「おっ・・・ 御実城さっ・・ま・・・ かげと・・・ら・・ を・・・ブッハッ!!」
吐血して絶命した下平修理亮を柿崎弥次郎は、蹴り転がしてどかした後、その場に景虎を横倒して、大声を上げて、安静な状態にしてやった。
「おっ、御実城様!! しっかりなさいませ!! 傷は浅いですぞ!!」
慌てて本庄新左衛門尉が駈け寄り、景虎の身体を起こしてすぐに侍医を連れてきて、手当てに入った。
「しっ、新左衛門尉よ・・・ これ・・も・・・兄ころ・・・し・・・の・・・ てんば・・・・つ・・・・かも・・・ しれ・・・・ん・・・・」
景虎が涙を流しながら、そう呟くと意識を失ってしまったので、慌てて侍医を呼びつけて、解毒の処置を行った。
運よく体内に入った毒は僅かだったので、一晩高熱を出して後、侍医から一週間余り横になってるだけで済んだが、この事は景虎の身辺警護を務めれる者を配置する事になり、妙高高原出身の大力勇壮な豪傑が地侍にいると評判を聞いて、景虎の為に直江与兵衛が自ら出向いて口説き落とし出仕させた。
直江与兵衛が連れてきた地侍は小島弥太郎貞興と言い、景虎はまだ毒の影響が抜けきってない時に面会して一目見て気に入り、以後昼夜景虎の傍に控えるようになった。
※拍子 リズムを合わす。




