海たわしと鉛筆
四郎は、木下日吉丸を元服させてやると言い出したので、日吉丸は突然の事で頭の中が真っ白になって、自分になにが起きてるのかよく理解出来なかった。
「しっ、四郎様。おいらを元服させると言う事は、正式に四郎様の家臣として、御認めなられる事でしょうか?」
「そうだ。 其方は俺の家臣として、今では無くてはならぬ者だ。 そうだな・・・其方の働きぶりを見て俺の木綿の様な存在になってる。 そのような日吉丸を他家に渡したくないなので正式に高遠家家臣に加える事に決めた。」
「四郎様、他の家臣の考えを御聞きして決められたのでしょうか? おいらは百姓上がりの卑賤の身ですので、この様な過大な評価を御受けする事に不安があります。」
日吉丸は、四郎の前で自分の立場を鑑みて、家臣団の中で出過ぎた存在になりたくない一心で、四郎に再考を促してみたが、四郎はそれを却下した。
「日吉丸よ、其方の能力は高遠家家臣団が総意で認めておる。 其方の柔軟に対応して、物事を簡潔化する力。 それに相手との駆け引きにおいて、お互いの立場を尊重して、話の落とし所を探って交渉成功に導く能力。 さらに現状の問題点を自らの考えで、改良点を探し出す工夫の力などは宿老保科弾正忠などは手放しに褒めていたぞ。」
「俺の家臣になると言う事は、ただ戦に強い猪武者だけでは城持ちにはさせれぬ。 日吉丸は城持ちになる将来の道を切り開ける稀有な才能持ちなのだ。 これを評価しなくては、俺自身が愚鈍なうつけと評価されても仕方がない。」
その話を聞いてた源与斎も隣で頷いてた。
「日吉丸よ、四郎様が言う事は最もだと私は感じ入りました。 日吉丸には民を豊かにする才能が御在りだと言ってるのですよ。 この武田家と言うのは、つい数年前まで信虎様に統治されていた頃は毎年飢饉が発生して、少なくない餓死者が出ておりました。しかし御屋形様の治政と四郎様の御誕生により、領民達は生活に明るい兆しが出てきてます。 その四郎様の御眼に叶う者として、日吉丸貴方が選ばれたのですから、遠慮しないで宜しいのですよ。」
四郎と源与斎からの言葉を聞いた日吉丸は、感涙して感謝を言葉に表した。
「しっ、四郎様!! おいらはいや拙者は四郎様に一生御仕えします!!」
「元服の儀式は、四月吉日に行う。そして日吉丸は、四月吉日に元服を行うので、吉日のから一文字取って、藤吉郎と名乗るがよい。」
日吉丸は、四郎が名付けた藤吉郎と言う名を嚙締める様に何度も呟いた。
「・・・・とうきちろう、藤吉郎、藤吉郎・・・・・」
「日吉丸よ、藤吉郎では気に要らぬか?」
四郎は、からかう様に笑いながら、日吉丸へ新しい名の事を聞いてみると、日吉丸は慌てて、四郎から言われたのを否定した。
「いっ、いえ!! 拙者の元服名が藤吉郎になる事を嬉しすぎて、藤吉郎の名を嚙締めていたのであります!!」
「木下藤吉郎よ。今はまだ元服の儀式を行ってないが、藤吉郎が出世して再び俺に名付け親になれるように高遠家に忠誠を尽くして励むが良い。」
「ははっ!! 御意でござりまする!!」
日吉丸が元服する事が内定したのを傍で見ていた原蹴煤夫妻は、まだ大人とは見えない日吉丸が、四郎に認められて元服の儀を行う事を決まった時、日吉丸の事を祝ってくれた。
「ヒヨシマルサン、シロウドノカライチニンマエニナッタトミトメラレテ、オメデトウゴザイマス。アナタハキョウカラリッパナナイトニナルコトヲミトメラレタノデ、コレカラハトウキチロウサマトヨバセテイタダキマス。」
「夫は、日吉丸さんが四郎様から一人前になられたと認められた事を祝福しております。日吉丸さんは今日から立派な騎士になる事を認められたので、これからは藤吉郎様と呼ばせていただきますと言っております。」
日吉丸は原蹴煤に藤吉郎様と言われた事に顔を真っ赤にして恥ずかしがり、まだ元服の儀を行ってないので、藤吉郎と呼ぶのは早過ぎると言った。
「原蹴煤殿、拙者はまだ元服を迎えておりませぬので、藤吉郎様と呼ばれるのは早すぎまする。」
その様な話が皆の間に続いた後、四郎は日吉丸に元服後の防毒面製作の為の材料集めに、駿河へ再び派遣する事を伝えた。
「日吉丸よ、元服後に駿河へ再び行ってもらう。駿河へ行く理由は海の中にいる綿の様な物、便宜上海たわしと呼ぶことにする。その海たわしを現地の商人を通じて、海女達を使って海から出来るだけ沢山手に入れてきて貰いたい。これは現地の商人には入浴時の垢すりに使うと伝えれば良いが、本当は原蹴煤が求めてる王水とかの毒の空気を防ぐ防毒面を作る材料として必ず必要なので、集めてきてほしい。」
「シロウサマ、ワタシスポンジミタコトアリマス。キットドノヨウナモノカトウキチロウサマハ、シラナイトオモイマスノデ、エヲカイテアゲマス。」
「四郎様、夫はスポンジと呼んでるこの海たわしを見た事あるそうです。皆はどの様な物なのか知らないと思うので、今絵を書いて藤吉郎様に渡すそうです。」
四郎が日吉丸に話してると、原蹴煤がその物をどうやら知ってるらしく、皆の目の前に絵を羊皮紙を出して、鉛筆で海たわしの絵をスラスラと書いてくれた。
これを見た日吉丸と源与斎、それに林姑娘は、得体のしれない物を書いた原蹴煤に何だこれはと言わんばかりに怪訝そうな表情をして、原蹴煤の絵を見てた。
「シロウサマ、トウキチロウサマ、コレガスポンジデス。コレハミズをシメラセテツカイ、クスリヤセンザイ、ケショウヒントシテヨクツカワレテマシタ。」
「四郎様、藤吉郎様、この絵に描かれてるのがスポンジと言う海たわしだそうです。欧羅巴では、これを薬を染み込ませたり、身体の洗浄用や化粧品を肌に塗るのに使っているそうです。」
この絵を見た日吉丸は何か理解しがたい物を見たので、思わず四郎に聞いてみた。
「四郎様は驚いていませんが、こんなのでいいのでしょうか?」
「ああ、その様な物で当たってる。それを日吉丸に駿河で集めてきてほしい。」
「承知しました、四郎様。してどのくらいあればいいんですか?」
「荷馬車一杯は欲しい。数がたくさんあるほど、今後の作業効率が上がるので、海たわしの価値が知られるまで、一杯集めてきて欲しい。」
「承知しました。」
「おそらく一人で行うのは荷が重かろう。元服後、其方には知行三十貫を与えるので、その中から家臣を雇うが良い。三十貫程度では、沢山人を雇うのは苦しいはずなので、一度尾張に戻って親戚や知り合いに声をかけるが良い。」
ここで話を終え解散した後、宴になると思ったら、四郎はまた別の事を原蹴煤に興味を持ち始めた。
「原蹴煤殿、その鉛筆はどこで手に入れられたのか?」
「ナントシロウサマハ、コノエンピツノコトヲシッテテ、トテモオドロキマシタ。コノエンピツは、サイショイングランドノヒツジカイガコクエンヲミツケタノガ、キッカケデヨーロッパニヒロガリマシタ。ワタシハ、スイスノバーゼルダイガクキョウジュジダイニガクセイトトモニツクッタノデスガ、インクガイラナクテミズニモツヨイノデ、ワタシハキニイッテツカッテオリマス。」
「夫は、四郎様が鉛筆の存在を知っておる事にとても驚いております。この鉛筆は、最初イングランドの羊使いが黒鉛を見つけたのがきっかけで、欧羅巴に広まったそうです。夫はスイスバーセル大学教授時代に学生と共に作ったらしく、墨が要らなくて水にも滲まないので、夫は気に入って使ってます。」
「なるほど、そうですか。原蹴煤殿、その鉛筆はここの地では作れませんか?」
「エンピツヲツクルニハ、コクエンガヒツヨウデス。コクエンハイングランドガオモナサンチナノデ、ヒノモトニコクエンノコウミャクガミツカラナイト、ムズカシイデショウ。」
「鉛筆ヲ作るには、黒鉛が必要です。 黒鉛はイングランドが主な産地なので、日ノ本に黒鉛の鉱脈が見つからないと難しいでしょう。」
すると四郎は少し考えた後、黒鉛のある場所が、日ノ本国内にある事を記録の中から見つけ出した。
「原蹴煤殿、どおやら日ノ本国内に黒鉛が取れる場所があるみたいだ。 越中国千野谷にあるみたいだな。またそれとは別に石炭コークスを使って人工黒鉛も作れるやり方もあるな・・・・」
まるで独り言の様に呟いた四郎の人口黒鉛と言う言葉に、知識欲が触発された原蹴煤は、再び興奮して喋りまくった。
「ホントシロウサマハ、ワタシヨリナニゼンバイモチシキをモッテオラッシャル!!ワタシハアナタカラマナビタイコトハ、タクサンデキタ!!ワタシハ、コノタカトウニトワノスミカニスルコトニキメタ!!」
「あっ、貴方!! そんなに興奮して喋らないで!! 四郎様が困り果ててしまいますよ!!」
すると隣部屋から、すぐに近習達の声が飛んできた。
「四郎様!! 御身は丈夫ですか!!」
「伴野宮内、俺は大丈夫だ。 原蹴煤殿が話が盛り上ってきたので、歓声が大きくなっただけなので、そのまま其処に待機せよ。」
「四郎様、御意でございます。」
四郎がすぐに伴野宮内に声をかけて何とか事なき終えたのだが、原蹴煤は反省しきりだった。
「シロウサマ、スミマセンデシタ。サワイデシマッテ、オユルシクダサイ・・・・」
我に返った原蹴煤は、すぐに気が付いて低身平頭して四郎達に謝った為、隣部屋から近習が飛び込まなかったが、危うく先程の再現になる所だった。
それでも四郎が知ってる知識に興味深々となり、信州高遠に原蹴煤の研究所を開設する事に決めて、四郎に会う度に色々な事を質問したりお願いしたりした。
四郎もまた実践経験は全くない頭でっかちな知識なので、欧羅巴で大学教授をやっていた原蹴煤が経験している技術を武田領内の職人に教えこむ師弟制度を作り上げて、武田家の発展に活用することにした。
そして四月吉日に日吉丸は元服の儀を行ってやり、四郎は烏帽子親を何度も一緒に仕事した春日大和守重房を指名して務め上げた後、高遠領の中で知行地三十貫を木下藤吉郎に認めると書かれた朱印状を渡してくれた。
本来ならば烏帽子親の一文字を藤吉郎に与えられるのだが、その前に四郎が藤吉郎と決めてしまったので、そのまま通す事になり、烏帽子親になって春日大和もそれを承知した。




