藤堂源助虎高
前日大通寺に宿を借りて過ごし、翌日早朝には三井源助虎高が婿養子に入った藤堂家の領地に猫有光江一行は向かった。隣の犬上郡と言う事なので、一刻ほど歩いたら藤堂村に辿り着いた。
藤堂村に着いたら村の中から十数人の地侍達が出てきた為、護衛の高安彦右衛門らは一瞬身構えてしまったが、昨日のうちに藤堂村を訪ねてくると国友村から連絡が来ていたので、藤堂村の代表らしい大男から声をかけてきた。
「其方の方々は、甲州武田家に異国の者達を引き連れて行く猫有光江様一行ですかね?」
すると彦右衛門は、光江の代わりに返答してやった。
「如何にも。こちらには我等の雇い主猫有光江殿がおられる。然らば、其方には元武田家家臣三井源助殿は、おらっしゃるか?」
「拙者が元武田家家臣三井源助もとい、今は藤堂源助虎高と名乗っておる。甲州を離れた後、江州の親戚鯰江家を頼り移り住んで、浅井備前守勝政殿に仕えておる。」
藤堂源助が簡単な自己紹介をしてきたので、光江も頭を下げた後、簡単に自己紹介を行った。
「藤堂様、初めまして。私は甲州武田家にお仕えします白拍子の猫有光江と申します。私は武田家当主大膳大夫晴信様の四男高遠四郎様に直属の命を受けて、異国人たる原蹴煤殿一行を信州高遠までお連れするのが任務でございます。それと御屋形様と高遠四郎様から、藤堂源助様宛の文を預かっておりますので、これを受け取りください。」
光江は、そう言うと文を二通出して藤堂源助に渡してきたので、それを受け取るとすぐには読まず、まず光江一行の疲れを癒すために藤堂家の屋敷に案内していった。
「猫有殿、立ち話もなんですから、今日は藤堂村に一泊して明日美濃に入られると良かろう。」
藤堂源助はそういうと村の中心にある藤堂家の屋敷に光江一行を連れて行ってくれた。村に入ると藤堂源助と同じく娘婿で藤堂家家臣の村瀬伊豆守尚吉と草野儀右衛門永忠が光江一行に挨拶をして、今夜の宿泊の手配をしてくれた。
その間、藤堂村の様子を眺め見た光江一行は、最近まで六角家と浅井家が争っており、この藤堂村も戦に巻き込まれたので、領内は荒れてて藤堂家の屋敷はあちこちが痛んでいる為、江州に移住した藤堂源助の暮らしも決して楽な生活を送ってる感じには見えなかった。
それでも藤堂家の者達は、甲州武田家からの来客をもてなそうと、故藤堂越後守忠高の娘達が忙しなく動いていた。(二年前に戦死した藤堂越州には男子は一人もいなく、女子は八人もいた。)
護衛であり同行者の彦右衛門達は、宴の前に手足を盥で洗って寛いでいる間に、藤堂源助は御屋形様と四郎からの二通の文を読んだ。
『 久しぶりに源助への文を書いて送るが、其方は武田家を致仕した後、市兵衛からは江州の鯰江家を頼って行ったと聞いた。
儂は其方程の武士ならば、どこの家に行っても大手柄を上げて、新たな家を興す器量を持ってる事は知っておるぞ。
出来れば再び武田家へ帰参して欲しいが、其方が新たな家にて出世しておるのならば、其方の成功を兄市兵衛と共に祝おうぞ。
そしてもし其方が困る事があるならば、武田家が其方ら一族を保護する故、安心して武田家を頼ってもらいたい。
そしてもしその日が訪れるならば、儂は其方に兄市兵衛とは別に新たな家を興す事を認めようぞ。
武田大膳大夫晴信 』
晴信からの文を読み終えた藤堂源助は涙をボロボロと流し、東の方角に向いて平伏し晴信への謝罪の言葉を始めた。
「晴信様、拙者が無断で出奔したのにも関わらず一切責める事せず、それどころかもし我が藤堂家が躓く事あれば、拙者の元主君が頼れと申しておる。この様に気にかけてもらえるとは、藤堂源助は武田家に対して、大き過ぎる御恩を一生返す事になるだろう。」
源助は、そう言いながら大声上げて泣いてた為、家臣の村瀬豆州と草野儀右衛門に慰められた。
「殿。武田殿は殿に送った文によれば、殿の事を大変大事に想われてる御様子。昨今我が家が忠義を務めていた京極家や浅井家などは、この様な心をこもった文など殿に送る事もせず、両家とも六角家に屈服しております。今後、藤堂家も浅井家ばかりに忠義を貫く事は叶わない事でしょう。何れ六角、朝倉、斎藤等の各家がこの地を巡り争うはずですので、武田殿の御好意を繋ぎ止めておくべきでしょう。」
「殿は、この主を失った藤堂家を支えておられる大黒柱でございます。もし殿がこのまま浅井備州に尽くしましても、藤堂家はこのままでは難しい舵取りが必要です。それならば殿の兄上三井市兵衛殿を通じて、武田家や殿の実家三井家との誼は絶やさない方が宜しいでしょう。そして、もし藤堂家に危機が来た時には、六角弾正少弼殿を頼るのです。六角家と若狭武田家は姻戚関係にありますので、甲州武田家当主の口利きあれば、藤堂家も災難をやり過ごせるでしょう。」
村瀬豆州と草野儀右衛門は最近の江州での難しい情勢の中、武田大膳大夫からの文を奇貨として捉えるべきと進言してきた為、藤堂源助は気持ちに落ち着きが出て、もう一通の高遠四郎からの文にめを通した。
『 初めまして三井源助虎高殿。 俺は武田大膳大夫晴信の四男、高遠四郎と申します。
其方に今伺っている白拍子の猫有光江は俺の家臣であり、父晴信と俺の文を源助殿にお届けしたく、其方に尋ねる様に命じました次第でございます。
一昨年朝廷から、兄太郎喜信が信濃守を承り、朝廷から信州の乱れを鎮めよとの御沙汰書を下賜された事を受けて、昨年武田家は信州を制圧し、朝廷や寺社仏閣の荘園を返還しました。
この事により武田家が信州統治の大義を得て、武田家の治世が行われる事になりました。
しかし元々甲斐や信濃は、飢饉や凶作が頻繁に発生して領民を苦しめてきた土地柄である為、今後は内政に力を注ぐ必要があります。
そこで源助殿にお願いがありまして、生活様式が進んでいる畿内において、武田家が不足してる物資や人材、それに新たな技術などを甲斐や信濃で求められてる物の情報集めに協力してもらいたいのです。
具体的には、武田家から派遣する者達への世話や情報の共有、さらに畿内での政治の動きなどを教えてもらいたいのです。
もし宜しければ、堺に拠点を置いてる甲武屋の赤口関左衛門を通じて、源助殿には謝礼を送りますので、どうか色好い返事を猫有光江に持たせてくれませんか?
無論、もし源助殿が俺が提案した話を拒否する事を選んだとしても、それは源助殿を決してお恨みする事はありませんので、どうか源助殿の最善の選択をお選びください。
高遠四郎 』
武田家から届けられた二通の文を読んでから、光江の元に訪れて、源助は高遠四郎と言う御方はどの様な人物なのか問うた。
「四郎様は御屋形様の四男で、今年四歳なる若君でございます。四郎様は御生まれの時から諏訪大明神の加護を得て、誕生してすぐに御言葉を発したと聞いております。諏訪大明神の御子で在らせられる四郎様は、近年の武田家を豊かな治世を御導きになられており、今では武田領各地で人手が足りず、流民や河原者、それに山家者などに仕事を与えて、武田の国では昨年は初めて餓死者を一人も出さなかったと御聞きしました。」
「では市兵衛兄上も近年の武田の新しき治世で、恩恵を受けて生活が楽に成られておるのだな?」
「然りでございます。四郎様は新式農具を導入したり、新しき農法を領民に分け隔てなく教えて、今では戦って土地を広げるよりも甲斐信濃を整備する事により、領民達は戦わずに飢えから逃れる手段を知りつつあります。」
「なるほどな、拙者が数年離れいてる間にも武田は戦に頼らずに国を豊かにする方法を会得し始めてるのか。しかしに武田家のみが、それだけ豊かになりつつあると周囲の大名が涎を垂らして狙い始めるだろうな。」
「勿論それはあるでしょう。その為に御屋形様は武田家をもっと強くするつもりであるし、最新の武具にも関心を寄せられております。恐らく種子島の事も武田家として導入したいでしょうが、種子島の産地から遠いので、四郎様は独自に種子島を生産する用意を諏訪や高遠で行っております。」
光江から四郎に関して熱い語り口の内容を聞いて、源助が甲斐から出奔している間に凄い若君が武田家に誕生した事を知って、自然と笑みが零れてしまってた。
その表情を見た光江は、源助が武田家に今後も協力的になってくれるのを確信めいた感じに受け取っていた。
浅井備前守勝政 藤堂源助虎高が京極長門守高吉の次に仕えたと言われる武将。浅井家の家系図には見えないので、架空の人物とも言われてる。




