98 由依は夜の学園を彷徨う
由依はただ闇の中を走っている。枝葉の揺れる音が響いている。それはひどく詫びしい音だ。由依の周囲には、赤っぽい窓明かりがぼんやりと浮かんでいるだけで、足元を照らすものは何もなかった。暗闇の中、自分の足音が響いているのだった。
由依は未練がましく何度も振り返った。キリスト教の教会みたいな、のっぽな三角屋根の食堂が、由依の背後でどんどん小さくなっていった。しかし、それも暗闇の中では、真っ黒な空とまばらな灰色の雲を背景にして、不気味な三角形のシルエットが浮かび上がっているだけで、はっきりとした全体像は見えなかった。由依は、そこから逃げたかった。みんなのいる食堂からできる限り離れようとした。それでも由依は、何度か振り返った。
由依には行く当てもなかった。唯一、思い浮かんだのは女子寮の自分の部屋だったが、ルームメイトの八重と喧嘩したばかりで、しばらく戻ることはできなかった。由依は、もう何も考えることはできず、建ち並んだ校舎の間を駆け抜けながら、とにかく、道なりに突き進み、女子寮の前の小道を下って行った。坂道は地の底に吸い込まれそうにカーブを描きながら下ってゆく。その先には漆黒の湖が待っている。きっと冷たい湖だ、と由依は知りながらも、その湖のある方へとひたすら下ってゆくのだった。
由依は、心の中で叫んだ。私、なんであんな馬鹿なことをしてしまったのだろう、と。
八重は、あんなに怒ってしまった。でも、私にはなんて言葉をかけてよいか分からなかった。だから、走って逃げた。でも、今では、そのことを後悔していた。逃げたりしないで、ちゃんと謝れば良かった。確かに、八重の気持ちを考えれば、私がしたのは出過ぎた真似だったし、嫌なことだったのかもしれないと思う。それに八重は、私のこと、本気で心配してくれていたんだ。それなのに私は、八重の気持ちを蔑ろにしてしまった。やはり私は、部屋には戻れない……。
由依の胸中はもはや、氷を押し当てたように冷たくなっていた。実際、体に吹きつける風も冷たかった。黒い坂道を降りてゆくとさらに空気は冷え込んでいった。しかし、目頭だけは熱かった。未練がましい涙が頬を伝った。由依は、どうしようもなく坂道を下った。
由依はそのまま、湖岸に出た。広々とした湖には月が浮かんでいて、おぼろな光が揺らめいている。しかし、そこにはやはり暗闇がはびこっていた。由依は、じっとその暗闇を見つめた。静かだった。ふと左手を見ると、照明が並んでいて、桟橋のような歩道に虚しい明かりを投げかけている。由依は、何の考えもなく、とぼとぼとその道を進むことにした。道はどこまでも続いていた。丘の上に建っている女子寮の窓明かりが視界に入る度、由依の心は激しく揺さぶられた。
(このまま、どこまでも行ってしまえばいいんだ……)
由依は、そう思った……。




