97 全力口論
……しかし、由依はスルメイカの匂いが重要な意味を持つなどとは夢にも思わなかった。
そこで由依は、もう尋ねることもないだろうと思って、宮沢史奈から文芸部の冊子を一冊借りると、それを手に持ったまま、廊下に出た。
日が暮れた女子寮の廊下を歩きながら、由依は、なんだか、お腹減ったな、てか、夕飯食べてないじゃん、今なら、まだ八重と百合菜、食堂にいるかな、と思った。
由依が食堂に入ると、八重と百合菜が二人でテーブル席に座って、うつむいていた。なんだか葬式ムードに包まれている。由依は、妙な気持ちになって、二人の死角にまわりこんで様子を窺った。
「由依、一体、どうしたんだろう……」
「大丈夫ですかね……」
「急にいなくなって……今頃、犯人に切り刻まれてないかな……」
「……」
なんか、二人とも私のこと心配しているな、と由依は思ったが、二人に心配されているのは少し幸福な気分だったし、別に大したことだとは思わなかった。
(よしっ、喜びしてやるか……)
由依が、にっこりして、テーブルの上に荷物をひょいと置くと、二人は驚いて、由依を見上げた。
「由依! どうしてたの、今まで!」
八重が弾かれたように立ち上がって叫んだ。
「ああ、私、宮沢先輩のところに行ったんだよ」
「宮沢先輩のところへ?」
「うん」
八重は、意味がわからないらしく、ぼんやりと由依を見つめていたが、また我に返ったらしく、
「一体何してたの、こっちは由依のこと、すごく心配してたんだよ!」
と言った。
「そうなの? なあんだ。でも、大丈夫だよ、私は無敵だからさ。それより宮沢先輩、柏崎先輩と何もないってさ」
「えっ……」
八重は呆気にとられて、由依の顔をまじまじと見ていた。どうも、おかしな空気になっていた。由依は、喜んでくれるはずの八重が眉をしかめているので変だなと思った。
「どうしたの? 嬉しくないの」
「どうして、そんなこと……宮沢先輩に聞いたの?」
「うん。どうしてって……。私は、八重が知りたいだろうと思って……」
八重は、たまらなく不機嫌になった様子で、顔を背けるように、うつむいた。そして、きっと由依の方を見ると、
「どうして、勝手にそんなこと……、それって私のことじゃん!」
「別に、勝手にってことはないじゃん。私だって、八重のこと、ずっと応援してたわけじゃん」
百合菜は、少しおろおろしながら、二人を落ち着かせようと立ち上がった。
「まあまあ、由依ちゃんは八重ちゃんのこと、心配してやってくれたみたいだから。ここはね、二人とも仲直りしましょ」
すると、八重は、我慢ならないといった様子で、
「私、そんなこと頼んでないし……。勝手なことしないでよ! それに、昨日、事件が起こったばかりなのに一人で何も言わずに出歩くなんて、みんなに心配かけて、由依は勝手だよ!」
「ど、どうしたの? どうして、八重、怒ってるの?」
由依は思わぬ展開に慌てた。何か悪いことしただろうか、しかし、どう考えてもそれほど大したこととは思えない。由依も必死に八重の気持ちを想像した。しかし、もう一歩のところで、理解ができない。たまらなくなって、由依は言い返してやりたくなった。
「わ、私だって、八重のこと想って聞きに行ったんだよ!」
「絶対違うよ。由依は私のことなんて心配してないよ!」
そこに根来が大慌てで走り込んでくる。
「ふ、二人とも、大声で事件の話するのは、やめような?」
「今、話しかけないでよっ!」
八重は振り向きざま、根来を思いきりビンタした。根来はけたたましいうめき声を上げながら、テーブルの間に崩れ落ちた。そして、一言、
「なんで、また、俺が……」
と呟いた。
後ろのテーブル席に座っていた男子生徒たちが一斉に立ち上がり、声を揃えて叫んだ。
「オニのネゴロウを一発で倒した!」
由依は、大事になってしまって、さすがに柏崎先輩のことを勝手に聞いたのはまずかったと思った。しかし、もう、なんと謝ってよいものか分からなかった。もう声が出なかった。ほとんど絶望的な気分だった。とにかく、八重に会わせる顔がないから、この場から離れようと思った。
「ごめん!」
由依は、そう叫ぶと、荷物も持たずに食堂から飛び出した。
「また、勝手なことを……」
根来が頬を抑えながら立ち上がり、由依を追いかけたが、バレーボール部の由依の足は尋常ではなく速かった。花壇を飛び越えて、もう外の暗がりの中に消えてしまった。
八重は、由依がいなくなったのを見て、いけない、言い過ぎた、と思ったけど、その時にはもう手遅れだった……。




