94 由依の尾行
ホテーワなどという言葉はすっかり由依の頭から消えてしまった。その後、由依は八重の恋の行方について考えだした。その間、授業は聞いていなかった。
由依は、羽黒祐介の二回目のホームルームが終わるや否や、八重と百合菜の元から一旦離れることにした。実はひとつ、確かめたいことがあったのである。八重は、柏崎先輩と宮沢史奈が一緒にご飯を食べているのを見てからというもの、すっかり気落ちしてしまい、机に突っ伏したまま、憐れなゾンビのようになってしまっていた。そのため、由依は八重にかわって、柏崎先輩と宮沢史奈の関係がどんなものか探ってあげたいと思ったのである。
しかし、由依は「私が確かめてきてあげようか?」などというと、八重はきっと首を横に振るだろうからと、勝手に調べることにした。
「由依、どこに行くの?」
「ああ、ちょっと、野暮用があってさ……」
と由依は、答えになっていない答えを呟くと、二人ににこっと笑顔を送って、さっさと教室から出て行ってしまった。
由依はふらふらと廊下を歩いて行った。見知らぬ生徒たちがその廊下に群がって、絶えず行き来している。由依は、そうした生徒たちを交わしながら、どんどん奥へと突き進み、突き当たりの階段を登って、二年生の教室があるところまで、あっという間に来てしまった。由依はそこで、はっと立ち止まった。
柏崎先輩と宮沢史奈が並んで廊下を歩いている後ろ姿を見たのだ。はたから見ても、それと分かるほど、二人は肩を並べて歩いていた。しかし、それでも恋人かどうかは、実際には本人たちに聞いてみないと分からないものだ、と由依は思い直した。
(ふたりをつけてみよう……)
由依は、さっと廊下の柱の影に隠れた。そして、二人の後ろ姿が遠のくのを確認してから、ふたりの背後をつけていった。
日が暮れるのは、日本列島のありとあらゆる地域の宿命である。今日の紫雲学園の校舎もご多分に漏れず、刻々と日が傾き、夕焼けの赤い色合いに染まってゆく空の中で、黒いシルエットと化して闇夜に溶け込んでゆくのだった。
しばらくして、由依は、照明の下、二人が中庭のベンチに並んで座って、熱心に話し込んでいるのを、花壇の裏にしゃがんで見ていた。しかし、会話の内容はよく聞こえなかった。つまり、小声で喋っていたのである。二人には、恋人のように笑いあったり、抱き合ったり、キスをしたりというような素振りはまったく見受けられなかった。しかし、日が暮れても、照明の下で、こうして二人きりで話し合っている姿を見ていると、ふたりに何もないわけはないようも思える。
しばらくして、二人は別れた。柏崎先輩が立ち上がって、校舎に入っていったのである。それから、宮沢史奈も立ち上がり、中庭を突っ切るように歩いてきた。そして、その先には由依がしゃがんでいた。由依は焦った。このままでは、二人の後をつけていたのがばれてしまう。
(どうしよう……)
由依は、思いきって、立ち上がると宮沢史奈の方へ歩いていった。
「あっ、あなたは……」
宮沢史奈は、暗がりから現れた由依を見て、驚きの声をあげた。
「あ、いえ、どうもぉ!」
由依は、何事もなかったような笑顔をつくると、頭を掻き、にこにこ微笑みながら、宮沢史奈に近寄っていった。
「文芸部に入部したがってる子だっけ?」
「あ、ああ、そうですね。そうなんすよ。あはは。うーん……」
そういう設定だったことを、由依は今になって思い出した。どうしよう。その嘘はきついな。
「あの……こんなところで何をしているの?」
「いえ、ずっと宮沢先輩を探してたんですよぉ。文芸部の活動について知りたかったもんで」
「そう。昨日は、あんなことが起こって、みんな、すっかり嫌になってしまったものかと思ったけど……」
「いえ、そんなこと、気にしてません。大丈夫ですよぉ、先輩」
由依は、笑顔でそう言うと、文芸部に入部を志願している振りを続けた。
「そう。じゃあ、今から寮に戻るから、田所さんも一緒に戻ろうか……?」
「はいっ」
「私の部屋においでよ」
「行っていいんすか。先輩!」
「いいよ。本も沢山あるし、文芸部の発行している書籍もあるから……」
「へ、へぇ、そりゃ、あれですね。最高ですね!」
「まあ、大したものじゃないけど……よかったらどうぞ……」
と、訳のわからない展開に、由依は苦しみを感じながらも、二人で校舎に入り、廊下を歩いていった。
「田所さんは……どんな本を読んでいるの?」
「えっ、本ですか、本かぁ、なんでも……なんでも読みますよ?」
「例えば……」
「主に漫画ですね」
「えっ?」
「い、いやぁ、違うんですよ。ちょっと、ど忘れしちゃって、あれは何て本だったかなぁ……」
「どんな内容なの?」
「ええと、老夫婦がいて……」
「うん」
「川から木の実が流れてきて……」
「うん」
「仲間と一緒に、魔王を倒す……」
「それ、桃太郎じゃない?」
「ぐっふぉぐっほぉっ!」
「ど、どうしたの?」
「すみません。ちょっと、ど忘れしてるみたいなんで、申し訳ありませんが、この話題はやめて、文芸部の話を聞かせてくださいよ……」
そうこうしているうちに、二人は校舎から出て、照明の下を歩き、女子寮へと向かった。すっかり暗がりになってしまった中に、窓明りが並んでいたのが見えてきた。よし、もうこうなったら、この宮沢史奈から柏崎先輩のこと徹底的に聞き出してやるぞ、と由依は思った。




