56 りんごジュースの青酸カリ
根来と粉河は、パトカーの車内で揺られて、長月の山道を登っていった。深い森の中に潜り込んだような感覚にとらわれながら、曲がりくねった道を車で進むと、あの長い塀が続いているところに出た。
正門から車のまま中へ入り、事件の起こった二号館の前まで来て停車する。まわりに生徒の姿はない。野次馬もそんなにいなかった。おそらく、教師陣の対応によって、生徒は学生寮の方に集められているのだろう。
無理もない、と根来は思った。殺人事件が起こった今、呑気に球など転がしている場合ではない。
根来は、邪魔な所轄の警察官などを片手で押しのけて、階段を駆け上がった。そして、事件現場である図書室横の会議室に虎のように飛び込むと、部屋の真ん中には口から唾液を垂らした女子生徒の遺体が冷たく横たわっていた。
「畜生っ!」
根来はそう力強く憤ると、また鑑識の一人に肩をぶつけながら、遺体の近くに歩み寄った。
「またも人が殺されたってことか……嫌な世の中だぜ」
さっきまで世界は平和だとか言っていた根来だったが、こう遺体を前にすると、世も末だと考えなくてはならなかった。
「根来さん。もう少し、静かに行動してください」
と粉河の声が背後からした。
「ああ。悪かったな。それより、事件の話を聞かせてくれ」
と言うと、そこに長月署の川野辺という初老の刑事が歩いてきた。
「根来さん。お久しぶりです」
「おお、川野辺さん、久しぶりだな……」
「今回もひとつよろしくお願いします」
「いいよ、そんな挨拶は。こんな時に……」
川野辺はにやにやしながら挨拶を済ませると、メモ帳を取り出して長々と解説を始めようとした。こほんとひとつ咳をすると、二、三回余計に咳が出た。それを抑えて、すうっと息を吸ってから話し始めようとして、思わずくしゃみが出る。
「おいおい、汚ねえよ……」
「すんません。風邪引いちまって。この女子生徒は淀川多恵といって、紫雲学園の高校二年生です。まだ十六歳という年齢で、不幸にも亡くなってしまったわけなんです。それで、淀川多恵はこんなところで何をしてたかってゆうと文芸部のミーティングの最中だったらしいのですな。彼女、文芸部員で、今回も詩の発表をしようとしてそのミーティングに四時から参加していたのですが、ちょうど四時半頃、椅子に座っていた彼女が苦しみだした。そして、床にばたりと倒れた。慌てて部長の夏目さんが先生を呼びに行った。救急車も呼ばれた。しかし、当の被害者はあっという間に死んでいたってゆうわけです……」
「なんだ、すると毒殺か……?」
と根来の声は鋭く響いた。
「ええ。青酸カリです。恐ろしい殺し方ですよ。まさか高校で青酸カリを使うとはねぇ。今後、給食とかどうするんでしょう」
「そういう心配は今しなくていいよ。それで、何に青酸カリが入っていたんだ?」
「テーブルの上をご覧ください」
根来が言われてテーブルの上を見ると、紙コップが並んでいた。
「実は、すぐに被害者が飲んでいた紙コップを確認したのですが、アーモンド臭がしましてね、中の液体から青酸カリの反応が出たんですよ」
「何を飲んでいたんだ?」
「りんごジュースです」
「りんごジュースだと……?」
根来は驚いて、テーブルを上を睨んだ。そこには半分ほど中身が残っている1.8リットルのペットボトルがあった。どうやら、中身はりんごジュースのようである。
「あれって、他の生徒も飲めるやつだろ? まさか無差別殺人か……?」
「それが、そうとも言えねえんです。つまりあのりんごジュースはもう半分ほど飲まれている。あの中に青酸カリが入っていたのなら、他の生徒もとうに死んでいたはずなんで……」
「ってぇことはなんだ? 紙コップに注がれた後に青酸カリは入れられたのか」
「そうかもしれないと思うんです。ですから。あの女子生徒の隣に座っていた生徒じゃないと、紙コップに青酸カリは入れられないと踏んだんですが……」
という具合に事件の説明が続いてゆく。




