54 文芸部の殺人
夏目部長は青白い顔色のままだったが、それでもどうにか鞄から詩を印刷した紙を取り出して、部員に配っていた。どういうわけか、八重には時間がやけに長く感じられた。
八重は紙が自分にまわってくるのを待ちながら、右隣の由依の顔を見た。由依は紙コップを片手に。りんごジュースをぐびぐび飲みながら、手元に集まった詩の一つ一つを眺めている。
「よく分からん」
と由依は不満げに八重に耳打ちした。八重は言い返すのでもなく頷いた。二人ともこの状況がよく飲み込めていなかったのである。
そうしているうち、まわってきたコピー用紙に記された夏目部長の詩は次のようなものだった。
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春のうららかな日差しの中に咲いていた桜の花も無残に散ってしまい、それに代わって新緑の若々しい枝葉が一杯に空に広がって眼の覚めるような五月のある昼下がり、ブラウンの色のベンチに座り、フレッシュなトマトのサンドイッチを食べている私に、一人の高貴な紳士がお声をかけてきました、私はちょっと楽しい気分になりました、なんだか素敵な出会いのように思えてなりません、ところが彼が口に出したのは別の女の子の名前、寂しく思いました、その紳士は校長先生に誘われてその場を去りましたが、私の瞼の裏にはその人の美しい姿がありありと映り込んでしまったものらしく、それからというもの真夜中に夢を見る度にその人と出会い、そして涙ながらに別れるのでした。
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「なんだか、物語みたいな詩ですね」
と誰かが言った。八重は詩を読みながら、なるほど、夏目部長はあまり詩が得意じゃないらしい、小説向きだな、おまけに現実の出来事を良い好き勝手に脚色しているな、とおかしく思った。なんだかこれまでの緊張感が一気に抜けて、自然な笑いがこみ上げてきた。
「ふふっ……」
ところが、八重がその詩を読み終えるか、読み終えないかというその時だった。彼女の遥か左手から「うっ」という濁った声が聞こえてきた。すぐ後にガタッという椅子の揺れ動く音が響いてきた。
八重は、はっと驚いて左手を見た。
そこには、八重がまだ一度も話したことのない女子生徒が座っていた。黒髪のショートカットがふんわりとした可愛らしい女子生徒だった。ひどく大人しい子なんじゃないか、とちょっと前から思っていた子だった。
その女子生徒が今、紙コップをテーブルの上に転がして、苦しげにもがいていた。
彼女は、水中で溺れているように両手を宙でかき回している。
「ううう……!」
彼女は苦しげな声を漏らしながら、白い喉元を必死に掻きむしっている。
「あっ……!」
彼女は、立ち上がろうとした。足にぶつかった椅子が倒れて大きな音が鳴った。彼女は苦しみから逃れようとするのようにテーブルを離れた。しかし、ぐらりと体が傾き、弾き飛ばされるように、そのまま床に倒れ込んでしまった。
その席上の人間は、それまでどうして良いか分からず、凍りついたようだった。しかし彼女が倒れてしまうと空気が一変した。
「大丈夫か……!」
柏崎先輩はそう叫んで、慌てて席から立ち上がり、その女子生徒の元に駆け寄った。
「どうした、まさか……」
柏崎先輩は、女子生徒を抱き起こしながら、問いかけたが、女子生徒は答えることができず、冷たい眼を宙に向けているだけで、静かだった。
「意識がない……」
柏崎先輩のその一言で、場は騒然となった。
「淀川さん!」
震えた声で叫んだのは夏目部長だった。
生徒が、その女子生徒のまわりに集まってくる。この会議室にいるのは十人。だから今、九人の生徒が淀川さんと呼ばれた女子生徒の周りを取り囲んでいた。
「駄目だ。先生を呼んでくれ……」
と柏崎先輩は、夏目部長の方に振り返って言った。夏目部長は頷くと、何も言わずに会議室を飛び出して廊下を物凄い速さで走っていった。
「どこに行ったんだ、部長は。教室に行ったのか、図書室の司書さんでも良かったんだけど……」
と柏崎先輩は焦ったように言ってから、再びその淀川という女子生徒の呼吸を確認した。
「……ない」
「えっ」
「息してない」
息してない……?
……八重は、はっとしてテーブルの上を見た。白い紙コップが倒れていた。




