31 城崎先生の問題
その時、例の口髭を生やした店主が、珈琲の注がれた白いカップを両手に持って、微笑みを浮かべながら、三人に向かって歩いてきたのだった。
「お待たせしました……」
店主は、そう言って、カップをテーブルの上に置くと、また、キッチンの奥へそそくさと消えて行った。
「面白い店主ですね」
と、百合菜は簡潔な感想を述べた。そして、
「でも、私はこの喫茶店に訪れたことがあるんです。数年前、兄と二人でした……」
と付け足した。
「そうなのですね」
と祐介が相槌を打つと、
「だけど、店主は私のこと、覚えていないようですからね……」
と、百合菜は少し悲しげな顔をした。
「そうかな……」
と八重は、首を傾げた。店主は、記憶の片隅におぼろげな百合菜の面影を残していたのではないかな、だから、さっき店主はちょっと百合菜のことを懐かしそうな目で見たのだろう、と八重は思った。
百合菜は、白いカップを手に取った。百合菜は瞼を静かに閉じて、柔らかな唇をカップの縁に当てた。すると、たちまち夢のような香りを放つ珈琲が、彼女の口内に流れ落ちて、柔らかな舌を包み込んだ。
「美味しい……」
と百合菜は、満足げに呟いた。
その時、祐介が本筋に引き戻すようにこう切り出した。
「調査について、なのですが、お兄さんの死の真相を探るとしても、校内は関係者以外立ち入り禁止ですからね。いわば、陸の孤島と化しているわけです。どうやって、僕が内部に侵入するかという最大の問題が依然としてありますね」
「それについては、私にはどうしようもありません。一介の女子生徒なんだもの」
と百合菜は投げやりなことを言った。そこで、祐介も考える。
「思い切って、学園の関係者に事情を話してみては? 教頭先生とか……」
祐介としては、学園の関係者の諒解を得た上で、公然と調査をしたかった。
「それは絶対に駄目です。どこに黒幕がいるのか分かりませんから……」
と、百合菜は、頑なに拒んだ。
「でも、そんなことを言っていては、一向に調査ができませんよ」
「まあ、それは確かに、そうなんですけど……」
「誰か信用できる先生はいないんですか?」
百合菜は、祐介にそう言われて、黙ったまま考え出したらしかった。しかし、彼女もこの学園に転校して間がないので、まだ先生を一人一人正確に把握していなかった。
八重はその様子を見ていて、何か助言をしてあげなくては、と思った。一月だけだけど、自分の方が学園生活が長いのだから、先生については詳しいはずなのだ。
「百合菜。城崎先生ならきっと大丈夫だよ。うちのクラスに猿みたいな担任いるじゃん。あの人、今年度から赴任した先生だから、四年前の事件とは無関係だよ。顔はただの猿だけど、良い人だから、あの人をこっちの味方にしようよ……」
八重は、そんな思いつきを口に出してぺらぺら喋ってみると、我ながら、なかなか筋の通った理屈だと思った。
「確かに、城崎先生は良いかもしれませんね。私から直接、城崎先生に、羽黒さんに会って頂けるか聞いてみます。それで城崎先生にだけは事情を話します。それでもし良ければ、羽黒さんを城崎先生の知り合いということにしてもらって、自由に学園に入れるようにしてもらえば良いわけです」
と、百合菜はまるで自分が思いついたことのように長々と述べた。
「上手くいくかな。それ……」
と、今度は、祐介が困ったように首を傾げていた。城崎という新任教師一人の諒解を得たところで、公然と調査ができるわけではないし、かえって話が拗れてしまいそうな気もする。が、他に良い案も出ない。どちらにしても学園の調査なんてものは、誰か、内部の人間の協力がないことには実現しようもないのだった。
「わかった、それでいこう……」
と、祐介は頷いた。
「それじゃ、城崎先生には私から話します」
と百合菜はきっぱりと告げた。




