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28 長月駅前

 長月という街は、田舎らしい山並みの中にある小さなジオラマのようなところだった。決して都会ではない小さな区画に、お洒落な喫茶店とか、便利なスーパーとか、古びたレコード店があり、洋服や食事処がまとまって入ったショッピングモールまであるという充実ぶりだった。

 もちろん、その店が密集している場所から一歩でも外に出ると、そこはやはり昔ながらの日本家屋がまばらに点在し、山に囲まれ、清らかな川の流れる自然ばかりの世界なのだった。

 紫雲学園から長月駅前に向かうということは、その自然からジオラマの中に入っていくような感覚だった。


 八重は、バスの中で、隣の百合菜の横顔をふと見つめて、

(でも、そのマトリョーシカという喫茶店は行ったことがないな……)

 と思った。

「どうかされましたか?」

 と百合菜は、尋ねた。

「ううん、マトリョーシカってところ、どんなところかなって思ってさ」

「ロシア風の内装の喫茶店です。でも、内装に似合わず、ジャズなんか流しているんですよ……」

 それから百合菜は、ふっと笑って、

「そうだ。和泉さんのこと、これから、八重ちゃんと呼んでもいいですか?」

 と今までにないどこか親しみのこもった口調で言った。

「えっ、いいよ。でも、ちゃん付けじゃなくても呼び捨てでもいいし……」

 八重は、そんなことをごにょごにょと呟いたが、どうも百合菜はお嬢様らしく、呼び捨ては嫌なのか、微笑んでいるばかりだった。

 さてはこの子、反対に自分のことを百合菜ちゃんと呼ばせようとしているな、と八重は百合菜の腹のうちを疑って、それが少し癪にさわったもので、こんなことを尋ねた。

「じゃあ私は、夕紀さんのこと、百合菜って呼んでいい?」

「いいですよ」

 と言って、にっこりと笑う百合菜の顔はやはり綺麗であった。

(うーん、これが美少女か……)

 何か、八重は勉強になった気がした。


 しかし、八重は、この百合菜の天真爛漫で不動なところを真似しようという気も起きなかった。彼女は美少女の星の下に生まれ、自分はこういう地味な人間として生まれてきた以上は、無理に美少女になろうとなどせずに、自然体であることがもっとも美しい、と八重は従来の美的真理に反駁(はんばく)した。

 ただ、そうは思いつつも、八重の内心は非常に面白くなかった。胸の底でくすぶっている、柏崎先輩が今いったような美意識の持ち主なのか、確信がまるでなかったからである。

 しかし、それもよく考えると、変な嫉妬だった。そもそも百合菜は、文芸部の柏崎先輩に会ったこともないのではないか?


「何を考えてるの? 八重ちゃん……」

 と、百合菜はちょっと心配そうな顔をして尋ねてきた。

「ううん、別に……、あっ、もう着くんじゃない?」


 八重は窓の外を眺めた。いつの間にか、バスは綺麗に舗装された道路を走っていて、その両側には美しいショーウィンドウが並んでいた。正面には、小さな長月駅があり、バスは駅前広場に入るやぐるりと回って、小さなバス停の前に停車した。

 百合菜は、バスから降りると、囲んでいる山を眺めて、空気をいっぱい吸ってから、古めかしさとモダンな建物の雰囲気が混在する商店街の方へと歩き出した。それは狭い横道だったが、賑やかだった。その商店街の先には、三階建てのショッピングモールの箱のような建物が見えていた。

 八重は、バスから降りると、百合菜の後を追ったが、新鮮な気持ちだった。実のところ、八重は紫雲学園の生活に一杯一杯だったので、この一月は、ほとんど長月駅前に訪れなかった。

(でも、なんで、百合菜は、この長月駅前を知り尽くしているように歩いているんだろう……)


 八重にはそれが疑問だった。百合菜は一昨日、はじめてクラスに姿を現した転校生だ。その百合菜が、今、先頭を切って、長月駅前の商店街を歩いていた。

 喫茶マトリョーシカのことも気になる。百合菜は、この長月駅前の地元の人間なのだろうか。そう思っているうちに路地裏に入った。なおさら、道を熟知している感があった。

 百合菜のたどりついた先には、赤茶のレンガの壁に、青緑色の三角屋根の二階建ての洋館があった。そこにロシア語で何か書かれている。なんて書いてあるのは分からない。そこが、喫茶「マトリョーシカ」であることだけは八重にも分かった。

「さあ、入りましょう……」

 そう呟いた百合菜の瞳は、いつもと何かが違っていた。俯き加減の顔が暗い代わりに、真剣な眼差しは明るかった。

 ……ドアを開けた。

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