29 喫茶マトリョーシカ
薄暗い店内には、ランプ型の照明がいくつも吊るされ、黄色っぽい灯りをともしている。その下には、木製の小さなテーブルが並んでいるのが見えた。
両側の壁には、橙色の壁紙が貼られていて、腰から下の高さまでは、赤茶の煉瓦造りのようになっている。そこにある木棚には、ロシアの酒瓶とうす汚れたレコードのジャケットが並べられ、目の高さのところに、店のマスコットなのか、女の子のマトリョーシカが可憐に微笑んでいた。
店の奥には、大きなスピーカーが二つ並んでいて、古めかしく濁ったようなレコードの音色を高らかに奏でている。そこから飛び出してくるのは、柔らかいバイオリンの音色で、軽快で自由に奏でられている演奏法からして、どうもジャズらしいのだが、八重にはそれ以上のことは分からなかった。
その時、キッチンの暖簾が開かれて、黒々とした口髭を生やした四角い顔の中年の男が白いエプロン姿で現れた。髪はわずかにパーマがかかっていて、その顔は堀りが深めで、少しインド人やネパール人を彷彿とさせた。
「お嬢さん方、好きなところに座っていいよ。煙草は?」
その男は、片手に灰皿を持っていた。
「吸いません」
「そりゃそうだ」
その男は、片頰で微笑んで頷いた。灰皿をその辺りのテーブルに置くと、水を取りに、また暖簾の向こうに消えて行った。
八重は、とんでもないところに来た気がした。女子高生が二人で入るような店ではないと思った。
ロシア風の内装の喫茶店なのに流されているのはジャズだし、店主らしき男はエルキュール・ポアロをネパール人にしたような感じだし……。
八重が帰りたくなって、はっとして百合菜を見ると、彼女はある方向を見つめていて、何か考えがあるように歩き出した。
「どこへ行くの?」
彼女は、角の一際薄暗いテーブル席に向かっているようだった。そこには、珈琲の入った白いカップが置かれていて、新聞を読んでいる男性の姿があった。顔は見えない。灰皿はなかった。
「お待たせしました……」
百合菜が一言、そう言うと、男性は新聞を閉じて、にこやかに笑い、
「ああ、夕紀さん。お早いですね……」
と言った。
途端、八重は驚いて、その男性の顔を見つめた。ところが、男性もまた八重の顔を見るや、驚きのあまり、持っていた新聞を床に落とした。
「ゆ、祐介さん!」
八重は叫んだ。
「八重ちゃん! どうして、ここに?」
「それはこっちの台詞だよ。なんで、祐介さんがここにいるの?」
男性は困ったように笑うと、
「なんでって、僕は探偵だからね。依頼さえあれば、どこへでも」
と言った。なんと爽やかな微笑みの美男子だろう。
……そこにいたのは、和泉八重の従兄妹であり、名探偵の羽黒祐介その人だったのである。




