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信秀の葬儀

「それでは...」

「ああ。俺も直に参る。....よろしく頼む」

「ハッ!」




 父が輿に乗せられて寺へと向かうのを信行は見届けた。


 ―――もう歩いて寺へと行くことは出来ぬのか。


 死者となった人間は歩くことなどできない。そんな当たり前のことを信行は許せなかった。


 信行は父、信秀の薄らぼんやりとした人物像しか持たない。

 武士である自分と武士である父なのだ。当たり前の親子関係だろう。

 庶民の身の上では不憫と取られるかもしれないが、信行にとってはそう思わなかった。


 父は言葉よりも多くものを語った。

 それは戦であったり、連句であったり、自分への命令であったりしたが、その内容の濃さはこの日の本に住む男子(だんじ)の中でも随一のものだと信行は信じている。


 尾張大和守に仕える庶流として生を受けながら、今では従五位下の三河守。

 朝廷では主家の尾張大和守家より、その主君の斯波氏家より身分が上なのだ。なんとも痛快な話ではないか。

 斯波氏家は尾張守護職と弾正忠家から見ると天の上の存在。

 それを越す身分にまでその知勇で上ったのだ。

 信行にとってはそれはまさに英雄の所業。


 その英雄の所業を息子というもっとも近いところから拝見できたのだ。これで何も学ばねば罪というものだ。


 そんな英雄である父が、ぐったりと死装束で籠に横たわっていると考えるとこみ上げてくるものが隠せなかった。


「父上....」


 敬愛する父が去る姿をしばらく眺めて胸に収めると、目をぐっと閉じて(きびす)を返すと城へと帰った。


 この後は信長を喪主としての葬儀がある。

 父の最後の舞台だ。滞りなく成功させねばならない。


 ◆


 万松寺。

 この寺は織田信秀が天文9年(1540年)に建立した織田家の菩提寺だ。

 ご本尊は十一面観世音菩薩。『救わで止まんじ』。阿修羅道の衆生を救い導く功徳を持つ。

 武士の生が阿修羅道を行くものであることを鑑みれば、まさに武士の最後を導く存在と言っても良いだろう。


 御身一切が阿修羅道なれどその魂の一切は救われねばならない。

 人の身で阿修羅道を行くのはあまりに酷だ。


 その寺に三百の僧と、主家大和守信友などの織田一族、そして信秀家臣の中でも重臣が軒を並ぶ厳粛な雰囲気を漂わせていた。


 僧侶を除く人間は信秀の死によりその立場を問われる立場にあるためどこかそわそわとした様子だ。

 信秀の家臣であった者は、今後主家信友を擁立するか跡目を継いだ信長に仕えるかを選択しなければならない。

 多数は信長に仕えることになるだろうが。


 その中でひときわ気を揉んでいたのは信長の第一家老である平手政秀だった。

 この葬儀の喪主である信長に命じられてその一切を仕切っていた彼であるが、コケた頬は痛々しくさり気なく腹に当てられた手も同情を誘う。

 彼の心中は一つにつきる。


(信長様はまだ来ないのか)


 そう、喪主である信長が未だ現れないことに気を揉んでいたのだ。

 信長の世話役を任されてからはや十数年。

 いつも度肝を抜かされる信長の行動だが、今回はなおたち(・・)が悪い。

 ただでさえその風評でもって損をしている立場でありながら葬儀に遅刻。

 ここまで耐えてみせた政秀の胃も破れる寸前だった。


(後生ですからこれ以上じいを困らせるのはやめてくだされ.....)


 昔はもっと....

 あまり変わらないか。


(まったく....対して信行様は実にご立派だ)


 視線を上座の一席へと向ける。

 そこには見事な造りの肩衣を着た信行の姿があった。

 肩衣と袴も折り目がきっちりと見えるビシッとした非常に凛々しい姿で、持ち前の美男子ぶりも合わさって大変に立派な姿だ。


(実に達者な役者であられるな)


 おそらく信行はこの葬式の本質を理解しているのだろう。

 主君と仰ぐ人間を変えることは本来ありえないことで、だから最初が肝心だ。『主君を見定める』ということが。

 それを成した武士はもう二度と主君を裏切らぬであろう。

 それが彼らの誇りで、彼らの法だった。


 それをこの機会に成そうとする人間がいる、そう信行は理解しているのだ。

 だからこれだけ見事な格好であれだけ見事な立ち振る舞いを見せている。


 そう確信したからこそ政秀は関心していたのだ。

 ....自分の主と比較して。


 政秀の場合は特殊で、彼は絶対の忠誠を信秀に捧げていた。

 そして政秀にとって織田家は信秀の象徴だ。共に築き上げてきたという自負もある。

 信秀の遺言で信長に家督を、と言われたのならばそれは主命。絶対に違えてはならない命令だ。

 信秀の命が絶対だという考えには、信秀の命は絶対に間違いではない(・・・・・・・・・・)という考えがあってのものだった。

 たとえ間違いであったとしてもそれは間違いではないのだ。

 古い人間とも言える平手政秀の価値観では主が黒と言えば黒だ、と躊躇わずに言える家臣こそ理想の武士である。

 そして黒でないのならば黒にするのが完璧な武士である。


 だから今の政秀はけして信長を見限らぬであろう。


 まあもっとも、幼少から信長を世話をしてきた政秀にはその大器が見えていたから、という理由もあるのだが。


 しかし、さりとてそんな政秀でも見事な立ち振る舞いを見せる信行を見れば焦りもするし、信長を叱責したくもある。

 だからこんなにも胃が痛いのだ。


「次期織田弾正忠はまだ見えんのか!!」


 厳かな葬儀の空気を切り裂くようにして怒声があがる。

 織田信友。

 織田弾正忠信長の主君にあたる人物で、家臣である自分を故信秀を憎んでやまない愚物でもある。


 ただし、今の彼の怒りは至極真っ当なものである。

 織田親戚筋が顔を並べる中で喪主が遅参するなど言語道断の所業だ。

 現に、信友の顔に濃く浮かぶのは嘲笑などの卑俗なものではなく純然たる怒り。

 政秀も内心で酷く納得しつつ、冷静に対応した。


「しばしお待ちを」

「先程からそればかりでないかッ!」


 顔を真っ赤にしながらツバを飛ばす。


 実を言うとこれが初めての対応ではないのだ。

 何度か別の分家筋、家老仲間、そして織田信友が嘲弄混じりに信長の遅参の件について指摘してきたが、なんとか同じ言葉で返答してきた。

 が、さすがに嘲る気持ちより常識を物ともしないような信長の行動に怒りの念の方が勝ったのだろう。


 つまりはしびれを切らしたのだ。


「すでに半刻は待っているッ!政秀!貴様は私を愚弄しているのかぁッ!?」

「けしてそのようなことは....」


 政秀とてどこに信長がいるのか知らないのだ。

 責られてもどうすることも出来ない。

 しかし責められることが今の政秀の職務。どうすることもできなかった。


 周りを眺めれば信秀の家臣であった者達、つまりは現在信長の家臣である者達が座りの悪そうな表情をしている。

 勝家など顔を地獄の炎のように染め上げている。

 もとよりこの者は矜持が高い。昔から争う信友に散々に言われる原因になっている信長への不満もひとしおなのだろう。


「もうしばし....お待ちを.....」

「貴様ッ!」


 がたっ!と腰を上げた信友の姿に緊張が高まる。


 その瞬間であった。


 バッ!とふすまが開く音が室内に響いた。


(信長様っ!)


 主人の登場に表情が歓喜に崩れる政秀。


 が、すぐに部屋の空気と共に氷ついた。


「.....」


 詫びも何も見せぬことはこの才どうでも良いとして、信長の服にこそ部屋を氷つかせた原因があった。

 頭のてっぺんから髪が突き出したよう結う、世間の傾奇者連中に流行っている茶筅髷(ちゃせんまげ)に袴は荒縄を帯にしている。

 そしてあろうことか長束の太刀と小太刀を葬儀の場であるのにもかかわらず下げていた。


 このときの場の雰囲気を一言で言うのであれば、唖然。


 誰も彼もが驚きに満ちた顔をしていた。

 失望やら何やらはすべて置いてきてしまったかのような様子である。


(信長様ああああああああ!!!!!!)


 心の中で絶叫を上げ、胃の痛みがキリリと激しくなる政秀を除いて。


「皆。大儀である」


 そう一言言ったあと、ズカズカと焼香の場へと向かうと一掴み抹香を掴むとそれをジッと見つめた後、バシッ!

 位牌に叩きつけたのであった。


「な、な、な、な.....!!」


 ブルブルと信友は立ち上がったまま震えていた。


 しかし信行は、静かに信長の姿を見つめていた。

 信行には抹香を叩きつける時の信長の口が動くのが見えたのだ。


「許せ.....父よ」


 と。

 深謀遠慮。

 静かな透明な眼差しで信長の真意を図る信行。


 位牌に抹香を叩きつけたあとすぐに身を翻した信長と信行の視線が絡む。

 わずか一秒ほども見つめ合わなかったが、たしかにこの時互いの視線は絡んだ。


 にやりと小さく口元に笑みを浮かべた信長は唇を動かす。


「.....であるか」


 その意味を信行が理解する間もなくそのままズカズカと歩を進めて開いたままのふすまから外に出ると、馬に跨り早駆けで去っていった。


(兄上は我らと争うつもりだ)


 不思議とそう確信した信行は信長への罵倒が渦を巻き、やがては寺の僧侶ですら悪口を言うほどになるまで静かに考えを巡らせ続けた。

傾奇者にブームだった茶筅髷。バサラとして名高い前田慶次もやっていたとか。

ファッションですな。

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