荒れる城内
織田信秀の死は即座に城内を駆け巡り、まるで心臓から血液が送られるかのようにすみやかに城下、領内と続いて流れていった。
信秀がその手腕でまとめ上げた弾正忠織田家は、その成り上がりという性質上本家筋とつながりのある武士には酷く嫌われている。
なのでその情報を聞いたそれらの人間は飛ぶように喜んでいた。
逆に成り上がりを成し遂げた信秀を慕う人間も多く、その死を悼む者も多くいたのが救いか。
「信長様が織田家の家督を継ぐと!?それは真か!」
「信秀様のご遺言だ。勝家、弁えよ」
「ぬうっ...」
信秀の居城であったここ末森城では、その遺体の処理や葬儀の準備に追われて誰もが慌ただしく動き回っていたが信秀が建立した万末寺にて遺体の収容が済んだのを最後に評定が開かれた。
木っ端武士を除いた名うての武士が集まる中、信秀の遺言が告げられたのだ。
家督は信長へ。
その一言が告げられると共ににわかに騒がしくなる。
その中でも特に気色ばんでいる人間は、林秀貞と柴田勝家の二人。共に信秀の元でそれぞれ文と武に秀でた対象的な二人であったが、不思議と気が合うようであった。
平手政秀に叱責された勝家は口を閉じて唸りを上げるのみであったが、秀貞が静かに声を上げる。
「殿のご判断とはいえ、うつけ殿に仕えることは私には出来かねまする。私は信秀様たから仕えたのだ。その殿がいなくなったのならば私の仕えるべき主は私で選ぶ。それが道理であろう?政秀殿」
「殿のお名前を一字賜ったおぬしが殿のご期待を裏切ると?そう仰られるか秀貞」
「元より私は殉死する所存であった。だが我が故郷尾張をこのまま捨て置くことは出来ぬ。うつけ殿に故郷を壊されるくらいならば私は信行様を立てよう」
「それは....!秀貞!おぬしはお家を二つに分かつつもりか!」
「元より当家、尾張守護殿、大和守(守護代)殿に分かたれているであろう。今ではそれに加えて蝮殿や三河今川にまで狙われているのだ。政秀殿、お忘れでないか?我らは今追い詰められた虎であったのだぞ?虎であれば食い破れたかもしれぬが阿呆ではただ蹂躙されるのみよ」
信長をうつけ殿と呼び終いには阿呆呼ばわりした秀貞に政秀は言葉を失う。
この態度がすでに心を決めていることを示唆しているのを感じ取っていたからだ。
政秀は秀貞に発言の機会を与えたことを後悔していた。
秀貞はとかく弁が立つ。今の問答で家臣団の何人かが同意の色を見せていた。おそらく事が起これば信行へと付くであろう。
それを元より秀貞は狙っていたのだ。
ただでさえうつけと名高い信長に不信の念を持っていたのは少数ではない。このあとの政秀の立ち回り如何では信行が家督を継ぐことになってしまうこともありうる。
集団の意見とは恐ろしいものだ。
それを交渉事の巧者である政秀は誰よりも理解していた。
―――これは斎藤道三の力を借りることも必要になるな。
心のうちで出来ることならば打ちたくなかった一手を算段する。
「おおそうだ!秀貞よく言った!拙者も信秀様だからこそ家臣となったのだ!うつけめに頭を垂れてたまるか!」
水を得た魚のように勝家も声を大にして秀貞に賛同する。
この男は有知高才とは言えないが槍に長けた豪傑で、家臣への面倒見が良いため足軽連中に良く好かれている。
敵に回ると大変に厄介な男だった。
しかも根っからの頑固者であるため、こうと決めたら容易くは意見を変えない。
すでに信行派から引き剥がすことは不可能だろう。
政秀は頭を抱えてしまいたい欲求を固い意志で押し退けると、評定を進めた。
が、やはり空気はすでに信長にあらず、信行を立てるべきとの意見を懸命に押さえつける場に変わってしまい、なんとか評定を終えたのは胃の痛みが顔色に出るまでになってからだった。
―――信秀様、厄介な問題を残して行きましたな....
亡き主君に軽く毒づいて腹をさすった。
◆
政秀が胃の痛みに耐えていた時、渦中の人間である信行は伴を連れずに城から出ると、水場になっている池へと足を進めた。
末森城は山中にある城で、池まで行くのに山の木々を抜ける必要がある。
あまり運動が得意ではない信行は、しかしこの山中を容易く歩くことができる。
この城の城主は信行。もはや末森城は庭も同じだからだ。
この城の池を信行はことさら好いていた。
見回りの兵に会釈されながら木々をヒョイヒョイと縫って歩く。
やがて池に到着するとぼんやりと水を眺める人物が目についた。
織田信長だ。
早馬の知らせを聞き、葬儀に参列するためにやってきたのだろう。
「....兄上」
「む?....おお、勘十郎。どうした?」
「どうしたではありません。...父上が死にました」
兄も知っているだろうことをあえて口にする。なぜだかは信行にも分からなかった。
あるいはこの兄の動揺する姿が見たかったという心算があったのかもしれない。
「尾張が荒れるな」
事も無さげにそう信長は答える。
事実である。事実であるがその答えは信行の癇に障った。
「....父上は兄上を好いておりました。なのにそれだけですか?」
「お前も話はそれだけか?」
ひどく冷たい目を向けられる。
信行は思わず怯んでしまい、目をそらす。
「よいか、勘十郎。世は混迷を極めている。父の死などその中のほんの一部。些事にすぎん」
「....」
「お前にもやるべきことが多々あろう?」
信行はまざまざと思う兄はいつもこうだ。
何を考えているのかは読めないが、その一端だけでも信行程度の器を圧倒する。
学び強くあろうとする自分を何もしていない兄は容易く超えていくのだ。
俯いて唇を噛んだ。
これは嫉妬か?
違う。憧れだ。
才気煥発と周りから言われるほどに才を持つ自分を持ってしてもすべてを推し量れない兄の器への憧れだ。
だからひどく悔しかった。
「勘十郎」
「...なんでしょうか兄上」
「...いや、な」
不意に兄がはにかんだ。
...なんだろうか。兄がこのような表情をみせたのは初めてだ。常に自信のある顔をするのが兄だ。
「ああ...うむ。まあ良い。お前も励め」
結局何も言うことはなく、モゴモゴと呟いた後すっと立ち上がると何も言わずに立ち去ってしまった。
それを見た信行は頭を捻りつつ、しばらく池を眺めた後に二の丸へと葬儀の算段を話し合いするために向かった。
その足取りは行きより大分軽いものだった。
次回への繋ぎ回。文字数少なくなってしまった....
次回は例の信秀葬儀です。
※勝家一人称変更。




