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平和の遣い

「鳴海が....」

「ああ。山口め、織田への恩義を忘れたらしい」


 平手政秀が去った後、私室に目下信行の最大の戦力となる家臣柴田勝家を呼び出した。

 変に話を伏せて信用していないとでも思われると厄介なので重臣である勝家には相談しておこうという算段があったのだ。

 単純に自分一人で抱えきれる話ではないと見切りをつけた、ということもある。


「山口は土豪にございます。ただ一人決めた主を失ったのならお家に忠義を尽くす気はないのでしょう」


 信行はいつになく客観的に物事を見られている勝家に内心仰天した。

 気質は荒々しく、短慮が目立つ男だと思っていたがなかなかどうして見る目がある。


「む...そう、だな。権六、何か変なものでも食べたか?」

「失礼な。殿は拙者をなんだと思っているのですか」


 バカ。

 そう思ったが信行は懸命にも口に出さない。

 こういった配慮は信行の得意とするところだ。


 だが考えは口に出ずども顔に出ていたようで、ちらりと信行の瞳を見た勝家はなんとも言えない悲しげな表情を見せ、口を尖らせた。


「たしかに、たしかに拙者は考え足らずなところが多々ありますが....」

「いや、すまん....まあなんだ。俺はお前のそういった気質が嫌いではないぞ?」


 分かりやすくて。


 飛び出そうになる次の言葉を口の中で咀嚼してモゴモゴと口を動かす。


「いえ、慰めは不要。そもそも拙者が土豪の事情に詳しいのは拙者も出自が土豪だからなので、ある意味当たり前のことなので」


 信行は驚いたが、同時に納得もした。

 柴田家など聞いたこともないし、勝家の所作もまた格式ある武家産まれとは思えない。

 荒々しい印象を受ける勝家の雰囲気は信行の持つ土豪のイメージにピッタリだったのだ。


「そうか。土豪とはどんなものなのだ?」

「はい。国人衆ですとか地頭の系譜の小さな権力者ですな。山賊ですとか海賊なんかをやっている奴らもいますが尾張ではあまり見ませんね」

「兄上から尾張の海には海賊がいると聞いたことがあるが」


 信長は昔から海が好きでたまに信行と会うと、その大きさやらその向こうのことやらを言葉が尽きるまで語ってきたものだ。

 その話に度々海賊も出てきた。


「クキ....だったか?」

「尾張の海の海賊はシマだかそんな名前だったと思いますが....拙者もそこらへんは分かりかねますな。柴田は地侍でしたので」

「地侍?」

「農民でもあり武士でもある....まあ下級武士ですね」


 土地の所有者が武力の方面にも力を増した結果のような身分で、足利幕府の全国の管理不足と朝廷の権威の不足の結果、この室町時代には多く見られていた。

 こういう土豪との関わりによる内乱もあったから信行もさすがに知っていたが、その立場的に出世を果たすと隠す傾向にあり、そうと分かる人間と会話するのはこれが初めてだった。

 だから思わず聞き返したのかもしれない。


「苦労も多かったのか?」

「信秀様はあまりそういったことを気になさるお方でありませんでしたので....」


 格式の高い家だと取り立てられることなどないとも言う。

 だから家老にまでなれた勝家は幸運すぎるほど幸運だったし、城主となった山口教継も己の幸運とそれを成させてくれた織田に忠義を払うべきだったのだ。

 しかし、


「信長が跡継ぎともなれば致し方ないか....」

「ん?」

「少々織田家を憂いておりました」


 顔色もかえずシャアシャアと勝家はそう言った。

 それを信行に、織田家の血筋にあるものに言うことにやや呆れを感じながらも、ついさっきそんな性格が嫌いではないと言ってしまった手前何も言えず、


「ああ、うんそうだな」


 そう適当なことしか言えなかった。


「信長の....信長様の奇行はあまりに目に余ります。あれが我らの主君だと思うと腹が立ってくるのです!」


 出来ることならその話は断ち切って欲しいと願う信行に気づかずにそう忌々しげに言う勝家。

 そんな様子に目眩を覚えつつ、信行は精一杯に信長をフォローした。


「いや、兄上には兄上の考えがあるんだよ。きっと」

「たとえそうでも!うつけの臣下だと馬鹿にされるのはたまらんのです!」


 まあそうだ。

 勝家ほどの猛将に堂々と正面から馬鹿にする命知らずはいないだろうが、遠くで囁かれる噂はいかんともしがたい。

 ましてや勝家は普通以上に仲間思いだ。

 信行や、その他の者たちも一緒くたに【うつけの織田】と馬鹿にされるのがほとほと応えるのだろう。

 額に青筋を立てる勝家の顔色がどんどん赤く染まるのを見て、信行は話の切り時を感じた。


「そもそも」

「まあ待て権六。な?ここは俺の顔を立ててくれ。城内で陰口を叩くような男にはなりたくないんだ」

「これは....!失礼いたしました!」


 何か触れるところがあったのか、髭もじゃの顔が少し涙目になることに信行はやりづらさを感じた。


(正直すぎるのだろうなぁ)


 自分より多く年を食っているのに自分より純粋な勝家と話すと本当にやりづらい。


「ほら、兄上には俺からもそれとなく注意しておくからな。それで勘弁してくれ」

「信行様が気に病むことはありません!」

「....まあなんにせよ目下の問題だ。けして鳴海の件は口外はせず、密かに支度を整えておいてくれ」

「数はいくつ必要になりますか?」

「この城を空にするわけにもいかないから五分の一。.....五百程度だ」

「ハッ!直ちに!」


 膝をバシン!と叩いて深々と頭を下げると、ズンズンと退室した。


(....なんだかすこぶる不安だ.....)


 戦経験が一度しかない信行に比べるのもおこがましいほどの戦経験を持つ勝家に不安を覚えるのもおかしな話だが、どうにも身中穏やかではない信行だった。


 しかし、ひとまずは信長が出兵するまで静観する他ない以上、できることと言えば戦の支度を整えるくらいだろう。

 ここで信行の存在をアピールすれば、信長も信行の扱い方を考え直してくれるかもしれない。

 なにせ実弟だ。

 率先して殺そうなどと考えてはいないと信行は信じたかった。


(戦働きで兄上の薬となることを示さねばな。決して毒に見られぬよ

う)


 信行は言うなれば穏健派だ。

 率先して下克上を目指したり、天下を目指す大望はない。

 そこのところを兄に分かって貰いたい、と信行は思った。

 単純に兄弟と争うのは気が引けるのだ。


 そうしてしばらくした思索に耽っていると、外が騒がしいことに気がついた。

 キャーキャーと黄色い声、というやつだ。

 信行の住まう本所は城内でも本城に近い立地にある屋敷で、だからこういう女の声は奈緒か使用人と決まっている。

 案の定声の内一つは聞き覚えのある声で、妻の声だと信行は思ったがもう片方はいまいち聞き覚えがない子供のものだった。

 興味をそそられた信行は思考を中断すると腰を上げ、声の方へと歩いていく。

 発信点は中庭だ。そう遠くない。


 廊下を通るとすれ違う家臣連中が頭を下げる。

 それどれもがどことなく穏やかな表情で、聞き用によっては不快とも取れる幼子と女の騒ぐ声を快く思っているようだ。

 なんとも不思議な境地でいると、幼子と妻の騒ぐ声に混じった野太い声が聞こえた。


 ついさっき別れたばかりの柴田勝家の声だ。


(....奈緒と一緒にいるのか)


 そのあまりにも楽しそうな声に信行は足早になる。

 そうして少し早めに中庭に辿り着いた信行を待っていたのは暖かな笑顔だった。

 朗らかに笑っている奈緒と、これまた笑っている幼女と勝家。

 勝家は幼女を肩に背負う、いわゆる肩車の姿勢にある。

 家族団らんを見たような心持ちになり、ほっこりすると共になんだか拗ねたような気持ちが交じる。

 だからか思わず少しだけキツイ物言いになってしまった。


「何をしている」

「これは信行様」


 勝家と幼女はビクリっ!と驚き、対して奈緒は冷静に笑顔で言葉を返した。

 勝家があわあわと幼女を肩から下ろそうとするのをスッと上げた片手で制し、奈緒は信行に声をかけた。


「ふふふ。信行様も遊びます?」

「いや、そもしもこの状況は何なんだ....そのものは?」


 そう問いかけて指を幼女に向けた。

 少し怯えた表情は端正で、将来はきっと美女になるだろうことが予想された。

 一言で言えば不埒なロリな魂をもったお兄さん方が大好きな顔立ちとでも表そうか。

 くりくりとした大きな目を信行に向けるその幼女は首を一つ傾げる。

 信行も思わず首を傾げた。

 なんだかどこかで見たことのある子供だったのだ。


 その間に挟まれた勝家は結果的には信行と向かい合う形になり、幼女と主君に挟まれて居心地が悪そうだ。

 直ちに任務に向かうと言っておきながら道草を食っている自分の身を思い返して少し顔が青い。

 奈緒はコロコロと笑いながら一言。


「ご存知でありませんか?」


 むむむ、と考え合う幼女と信行。

 やがて幼女は、ぱあっ!と顔に喜色を一杯に見せた。


「にいさまっ!」

「ぐっ!」


 叫ぶと勝家の肩を踏み台にして信行に飛びかかった。

 その一言で思い出した信行は、飛びかかる幼女を受け止めながらこちらもまた笑顔を見せた。


「お前、市か!大きくなったなあ!」

「にいさま!にいさま!」


 グリグリと頭を肩に押し付ける愛しい妹に信行の顔は一層崩れた。

 市。

 信行とは十歳年の離れた妹で、信長含めた同母三兄妹の末妹だ。


「今は五つだったか?本当に大きくなった」

「にいさま!市がわからなかったのですか!ひどいです!」

「ははっ!すまんすまん。お前も俺がわからなかったのだろう?」


 何せ最後に会ったのは市がまだ二歳かそこらのときだ。

 むしろ市が信行を覚えていたのに驚いていた。


「ふふふ。でもわたしがさきに気づきました!にいさまはやはりにいさまです」

「いや、俺もだいぶ成長したぞ?」

「おやさしいにいさまは何もかわりません」

「嬉しいことを。こいつめ」


 頭をくしゃくしゃと撫でると市は嬉しそうに微笑む。

 その表情になんだか信行も幸せな気持ちになった。


「それにしてもなぜ末森へ?お前は本城にいたはずだろう?」


 市や犬といった姫は婚姻まで本城から出ないもので、今は信長のいる本城、つまりは那古野にいるはずだった。


「あにうえに頼んでじい様に連れてきて貰いました」

「あにうえ....殿にか。相変わらず兄上は市に甘いなあ」

「いじわるばかりです」

「あれも兄上の愛の形なんだよ、分かれ」


 唇を突出して信長への不満を漏らす幼い妹の姿に、信行は苦笑しながら今度は優しく頭を撫でた。

 うにゅー、と心地良さそうな声を漏らす市を見ながら微笑む奈緒。


「政秀様は明日まで滞在いたしますので市様もそれまでここに留まります。なのでこうして遊んでいたのです」

「そうか。面倒をかけたな」

「いえ、大変に可愛らしいので面倒などではありません。私も勝家様も楽しく遊んでいました。ねえ勝家様?」

「....っ!はっ!遊んでもらっていました!」


 ひどくテンパった返事を勝家は返す。


「お前が遊んでもらっていたのか....」

「あ、いえ、その」

「いや、いい。許す。ご苦労だったな」

「ハッ!」


 信行は優しく笑う。

 勝家は命令を結果的にはサボっていた手前落ち着かない様子だ。


「市よ。それじゃあ今日は共に夕餉を食べような」

「はい!お風呂もごいっしょしましょう?にいさま!」

「はは!いいとも!」


 ここ最近は忙しく、荒んでいた心が癒やされるのを信行は感じていた。


(こういうのもたまにはいいかもな)


 穏やかに笑う奈緒を見てそう思った。


「さて、権六よ」

「はっ!」

「そう気負うな、叱ろうしているのではない。....市の笑顔に捕まれば逃げられんだろう?」

「....ハッ!」

「まあこれも縁だ。もうしばし共に過ごそう、お前も一緒にな」

「いえ!ご兄弟水入らずを邪魔するわけには行きませぬ」

「権六、もうしばし市に付き合ってくれ」


 こうして市と気兼ねなく遊ぶことは信行にあと何度あるのか分からない。

 だから出来るだけ市を楽しませてやりたかった。


「ひげ!あそぼ?」

「....ひげ」


(どうやら市は権六を気に入っているようだしな)


「うむ。鳴海の件は急ぐわけでもなし。こうして遊ぶ時間もあろう?」

「....主命なれば」

「ああ。命令だ」


 にっ!と笑った信行の歳相応な表情を見て勝家は観念したようで、おまかせを、と一言言うとこれまた歯を見せて笑った。

 その表情はこれまで信行に見せた中で最も素に近い表情だった。

幼女には誰も勝てないのさ


※ブクマ、感想ありがとうございます。

※誤字修正

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