【ケイ】フローティング3
橙色の照明が安っぽさを助長する。店内には、サラリーマンが多く、笑い声や、仕事の話が充満している。その姿と、自分達の就職活動が上手く結びつかないのは何故だろう。
「セクシーK。それって何、あだ名」
ほとんど坊主に見える頭を触りながら、阿部が言う。
「まあ、あだ名というか、バンドネームみたいなもんなんだろ。何にせよヒャンルがヘビメタだから、雰囲気合わないしな」
腕を頭の後ろに組み、壁にもたれかかろうとして、後方に壁がないことに気付く。すぐに手をついて、後ろに反った体を支える。
「どんなバンドがやりたいの?」
柔らかく、耳障りのいい声で、明日香は聞く。やや下がった目じりからは母性が溢れているように見える。
「やるなら、ポップなのがいいな。軽いのは性に合わないけど、メロディを重視した音楽をやりたい。ミスチルとかスキマスイッチとかが近いけど、世界観はイエモンって感じかな。わかんないか」
「おお、わからないなwww。俺は、ハモリ中心のボーカルグループを作りたいんだが」
「似合わないな。お前、珍念さんに似てるぞ、顔が」
「珍念さん…」
明日香は、阿部の方を見て、笑いを堪える。阿部がそれに気付き、
「待て、珍念さんてどんな顔だ、イマイチわからないが、なんか嫌だな」
堪えきれず、明日香もケイも笑う。彼女は、笑うと、急に子供っぽくなる。肩がわずかに揺れ、その丸みが目に入り、触れたい衝動に駆られる。
ケイは「概ねそんな印象だよ、俺も」と言い、また笑った。
「では、宴もたけなわということで、一本締めでしめさせていただきたいと思います」
アルコールのせいで、すっかり視界が狭くなっている。今日はずっと明日香の方を見ていた気がする。そして、隣でちらちらと睨む、江美の姿も必然的に視界に入る。わずかに、だが。
阿部の掛け声と、慣れなくい一本締めで宴は終わった。それぞれ鞄とコートを、牛が草を食べるときのようにのろのろと拾い上げ、店を出る。阿部とケイは残って、忘れ物がないかを確認する。空になった煙草の箱、使われたお絞り、食べ残した刺身。それらをざっと見て、がさつな泥棒が入ったリビングが頭に浮かぶ。
江美が座っていた場所に、緑とピンク、白の3色が複雑に混じったデザインのマフラーが、無造作に落ちている。
「こっちは何もないよ」
阿部がコートのボタンを止めながら言う。ケイは、マフラーを阿部に見せ、「さっきの口の悪い女の忘れ物」と言い、腕にかけると店を出た。
二人が店を出ると、学生達はまちまちに話しをしながらも、二人を待っていた。
「あんた、マフラー」
そう言ってケイはマフラーを江美に差し出す。阿部が皆を駅の方へ誘導する。明日香もその最後尾に着く。
「あ、ありがとう」
江美はそう言って、素直にそれを受け取り、首に巻き、
「明日香は、ダメだからね」
そう言って、ケイの胸を人差し指で強く押した。
「あ、そ」
少し早足に、二人は集団の方に近づく。
「明日香は優しいから、いつも男に傷付けられる。だから私が守るの。それに今は彼だっているし、ちょっと優柔不断な人だけど」
空に星は無い。無理もないか、都心部の明かりはいつもまぶし過ぎる。滲むネオンサインと、金融機関のビルボードがやたらと目立つ。
ケイは先ほどの店でこっそり聞いた、明日香の連絡先をメモした紙をポケットの中で探し、強く握った。
江美は明日香の腕に自分の腕をからませる。可愛らしい女の子のシルエットが林檎を想起させる。吐く息が白く、真っ暗な夜空に向かって登っていく。
「ダメなのはお互い様だよな、俺も彼女がいるんだし」
阿部が振り向いて、追いついて来い、というジェスチャーをする。僕らはそんなに急いで、どこに向かっているんだろう。