第78話 足りない冒険者
翌朝、冒険者ギルドの扉を開けると、いつもとは少し違う光景が目に飛び込んできた。
受付の前には数人の男たちが集まり、職員と何やら話し込んでいる。奥の机では別の職員が書類を整理しており、普段なら冒険者たちの笑い声が聞こえてくるはずの広間には、落ち着かない空気が漂っていた。
人が多いわけではない。むしろ、冒険者の姿は以前より少なくなっている。それなのに、受付だけが妙に忙しそうだった。
「……何かあったのかな?」
私が呟くと、隣を歩いていたタクマも受付の方へ視線を向けた。
「昨日の件じゃないか? 魔獣が増えてるって話、もう広まってるのかもしれないな」
確かに、その可能性は高かった。私たちが昨日確認しただけでも、迷宮周辺の森には相当な数の魔獣がいた。しかも、森の外側へ向かっていると思われる足跡まで見つかっている。
もし街道や集落の近くで魔獣が目撃されているなら、ギルドへ報告が集まっていても不思議ではない。
私たちは受付へ近づき、書類を抱えて歩いていたエリナに声を掛けた。
「おはよう、エリナ。ずいぶん忙しそうだね」
「あっ、リカ! タクマも、おはよう!」
エリナは私たちに気づくと、いつもの明るい笑顔を見せてくれた。ただ、その目元には少し疲れが見える。抱えている書類も、普段よりずいぶん多かった。
「実はさ、昨日から魔獣に関する報告が増えてるんだよね。今朝だけでも、もう何件も届いてて……」
「やっぱり、迷宮の周辺?」
「それが、そうとも限らないんだよ」
エリナは近くの机へ私たちを案内し、そこに広げられていた地図を見せてくれた。
地図には赤い印がいくつも付けられている。迷宮の周辺だけではなく、森の外縁部や街道沿いにも印があり、中には近隣の集落に近い場所もあった。
「こっちが昨日から今朝にかけて寄せられた目撃情報。森の近くで家畜が襲われたって報告や、採集に出た人が魔獣に追われて引き返したって話もあるんだ」
「けが人は出てるの?」
「今のところ、大きな被害は報告されてないよ。でも、街道を横切る魔獣の群れを見たって話もあるし、普段は魔獣が出ない場所での目撃も増えてる」
私は地図に目を落とした。
昨日、森の中で見つけた足跡と、目の前の地図に記された目撃地点が、頭の中でつながっていく。母巣獣の影響で増えた魔獣たちが、餌や縄張りを求めて森の外側へ移動しているのだとしたら、こうした報告が増えるのも納得できた。
「……これ、森から外へ出てきてるんじゃないか?」
タクマが地図を指差した。
「ほら、この辺り。昨日、俺たちが足跡を見つけた方向と、目撃情報のある場所がだいたい重なってる」
「うん。私もそう思う」
私は頷いた。
もちろん、すべての魔獣が同じ理由で移動しているとは限らない。もともと森の外側で活動していた個体もいるだろうし、目撃情報の中には別の原因によるものも混じっているかもしれない。
それでも、短期間にこれだけ多くの報告が集まっている以上、偶然として片づけることはできなかった。
「エリナ、この地図って、バルザックにも見せた?」
「うん。今朝、報告書と一緒に渡してあるよ。ギルド長も、かなり気にしてたみたい」
エリナがそう答えたところで、奥の廊下から聞き慣れた声が響いた。
「リカ、タクマ。ちょうどよかった」
振り返ると、バルザックがこちらへ歩いてくるところだった。
「二人とも、少し付き合ってもらえるか?」
「うん。どうしたの?」
「これから行政庁へ行く。昨日の調査結果を、街の連中にも直接説明しておきたいんだ」
私はタクマと顔を見合わせた。
バルザックは昨日、行政と衛兵隊に話を通すと言っていた。どうやら、さっそく動き始めたらしい。
「もちろん、いいよ」
「俺も同行していいんですか?」
「ああ。お前も現地を見てきた一人だからな。地図を使って説明する時に、手伝ってもらえると助かる」
「分かりました。俺でよければ」
タクマが頷き、私たちはバルザックと一緒に行政庁へ向かうことになった。
◇ ◇ ◇
ノヴァグラードの行政庁は、街の中心部にある大きな石造りの建物だった。
私は以前にも何度か近くを通ったことがあるけれど、中へ入る機会はほとんどなかった。冒険者として生活していると、依頼の手続きや報酬の受け取りは基本的にギルドで済んでしまうからだ。
建物の中では職員たちが忙しそうに行き交い、書類を抱えた人や、窓口で相談している住民の姿が見えた。普段から街のさまざまな仕事を扱っているのだろうけれど、今日はどことなく慌ただしい雰囲気があった。
バルザックに案内されて会議室へ入ると、既に二人の男性が待っていた。
一人は落ち着いた雰囲気の中年男性で、行政の責任者らしい。もう一人は頑丈そうな体格をした男性で、身につけている装備から衛兵隊の幹部だと分かった。
「バルザック殿、お待ちしておりました」
行政官が立ち上がり、私たちを迎えた。
「急な話で申し訳ないな。だが、少し厄介なことになっている」
「報告は受けています。魔獣の目撃が増えている件ですね」
「ああ。ただ、それだけじゃない」
バルザックは机に地図を広げ、私たちが確認した母巣獣の位置を示した。
「迷宮周辺の森で、母巣獣が複数確認された。昨日、一体は討伐したが、別の場所にもまだいる。しかも、魔獣の数は既にかなり増えているようだ」
行政官と衛兵隊長の表情が険しくなった。
「母巣獣ですか……。以前、迷宮で発見されたという、あの魔獣でしょうか?」
「そうだ。周囲の魔獣の増殖を促す厄介なやつだ」
バルザックはそう答えると、私に視線を向けた。
「リカ、現地の様子を説明してやってくれ」
「うん」
私は地図を指差しながら、昨日までの調査結果を説明した。
迷宮の北側で母巣獣を発見し、翌日に討伐したこと。東側の森でも別の個体を確認し、さらに遠くから似た魔力反応を感じたこと。そして、母巣獣を一体倒しても、既に増えた魔獣はそのまま森の中に残っていること。
行政官は途中で何度か質問を挟みながら、熱心に話を聞いていた。
「つまり、母巣獣をすべて討伐できたとしても、すぐに魔獣の数が減るわけではないのですね」
「はい。少なくとも、昨日討伐した個体の周辺ではそうでした。増殖を促す影響はなくなったと思いますけど、既に増えた魔獣は残っています」
「なるほど……」
行政官は地図に目を落とした。
「こちらにも、森の外側で魔獣を目撃したという報告が届いています。まだ大きな被害は出ていませんが、このまま増え続ければ、街道や集落にも影響が出るでしょう」
「既に一部の街道では、巡回中の衛兵が魔獣を確認しています」
今度は衛兵隊長が口を開いた。
「今のところ少数ですが、普段より目撃が多いのは確かです。こちらでも巡回の回数を増やす準備を進めています」
私は少しだけ安心した。
行政も衛兵隊も、既に異変を把握しているらしい。私たちの報告を聞いて初めて動き始めるわけではなく、それぞれの立場で対策を考えていたのだ。
「実は、軍の駐屯部隊にも昨夜のうちに連絡を入れています」
行政官が続けた。
「魔獣の目撃が増えていることを伝え、必要になった場合に兵を派遣してもらえないか、相談を始めたところです」
「こちらからも、巡回や街道警戒への協力を打診しています」
衛兵隊長が補足した。
「ただ、駐屯部隊も自由に動かせる兵が多いわけではありません。西方への物資輸送や、その警備に人員を割いているそうです」
「返事はまだなのか?」
バルザックが尋ねた。
「正式な回答はまだです。協力する意思は示してくれていますが、具体的に何人を、いつから派遣できるかについては、上級司令部との調整が必要とのことでした」
行政官はそう答えると、地図へ視線を戻した。
「軍からの支援も期待したいところですが、当面は我々だけで対応できる体制を考えておく必要があります」
その言葉に、バルザックも頷いた。
軍への協力要請は既に始まっている。それでも、すぐに兵が派遣されるとは限らない。大公国の西方ではマリアベル王国の情勢が不安定になっており、軍もそちらへの備えを進めているのだろう。
ノヴァグラード周辺の魔獣が増えているからといって、他の任務をすべて中断できるわけではない。
「街道を全面的に封鎖することも難しいでしょう」
行政官が地図を見ながら言った。
「ノヴァグラードは周辺地域との交易で成り立っている街です。主要な街道を止めれば、食料や日用品の流通にも影響が出ます。もちろん住民の安全が第一ですが、何日も物流を止めるわけにはいきません」
「衛兵隊としても、すべての街道へ常時兵を配置するのは難しいですね」
衛兵隊長も頷いた。
「街の門や城壁の警備を維持しなければなりませんし、通常の治安維持もあります。街道へ兵を派遣するなら、どこを優先するか決める必要があります」
私は二人の話を聞きながら、改めて地図を見つめた。
ノヴァグラードには複数の街道が接続している。その先には大小さまざまな集落があり、森の近くには農村も点在していた。
すべての場所を守ろうとすれば、それだけ多くの人員が必要になる。けれど、街の中にも守らなければならない場所はある。衛兵隊の全員を外へ派遣するわけにはいかないし、冒険者だけで広い範囲を警戒することも難しいだろう。
「……まずは、役割を分ける必要があるな」
バルザックが口を開いた。
「魔獣の調査と討伐は、できる限りギルドで引き受ける。街道の警戒や住民の避難が必要になった場合は、衛兵隊にも協力してもらいたい」
「それについては異論ありません」
衛兵隊長が答えた。
「行政としても、周辺集落への連絡や、必要な物資の確保を進めましょう。ただし、危険な地域については、通行制限も検討する必要がありますね」
三人は地図を囲みながら、それぞれの役割を確認していった。
私はその様子を見て、少し不思議な気持ちになった。
冒険者として依頼を受けている時は、目の前の魔獣を倒したり、護衛対象を守ったりすることが仕事になる。けれど、街全体を守るとなれば、それだけでは足りない。
誰がどこを守るのか。どの道を使い、どこへ物資を運ぶのか。危険が迫った時、住民へどう知らせるのか。
そうしたことを一つずつ決めていかなければ、いくら強い冒険者がいても、街を守ることはできないのだろう。
◇ ◇ ◇
会議が進むにつれて、守らなければならない場所の多さが明らかになっていった。
街の北側には迷宮へ続く道があり、その周辺には木材の伐採や採集に使われる森が広がっている。東側にはいくつかの集落へ向かう道があり、南側の街道は商隊の往来が多い。
さらに、主要な街道から分かれる細い道もいくつもあった。
行政官はそれぞれの道について説明し、衛兵隊長が巡回に必要な人数を確認していく。バルザックも、冒険者を派遣できそうな場所を地図に書き込んでいった。
けれど、すべての道に警戒要員を配置しようとすると、どうしても人数が足りなくなる。
「……全部の道を同じように守るのは無理ですよね」
それまで黙って話を聞いていたタクマが口を開いた。
行政官が顔を上げる。
「何か考えがありますか?」
「はい。例えば、商隊が通る道をある程度絞ることはできないでしょうか?」
タクマは地図の上に指を置いた。
「それぞれの商隊に別々の護衛を付けるんじゃなくて、出発する時間を合わせて、何組かまとめて移動してもらうんです。そうすれば、護衛の人数を少し減らせるんじゃないかと思って」
私はなるほどと思った。
確かに、商隊が一組ずつ街道を通るなら、そのたびに護衛が必要になる。けれど、複数の商隊がまとまって移動するなら、一つの護衛隊で対応できる可能性がある。
もちろん、商隊の規模が大きくなれば、それに応じた人数も必要になるだろう。それでも、別々に護衛を付けるより効率的な場合はありそうだった。
「……なるほど。集団で通行させるわけですか」
行政官が考え込む。
「確かに、主要な街道なら実施できるかもしれません。ただ、商人ごとに出発地点や目的地が違いますし、荷物によっては急いで運ぶ必要もあります」
「そうですよね。全部をまとめるのは難しいと思います。でも、同じ方向へ向かう商隊だけでも、時間を合わせられれば……」
「検討する価値はありますね」
行政官は頷いた。
「商人組合と相談してみましょう。通行時間をある程度決めて、その時間帯に護衛を集中させる方法なら、現実的かもしれません」
バルザックも地図を見ながら頷いた。
「悪くない案だ。ギルドとしても、護衛依頼をまとめられるなら助かる」
「ありがとうございます。以前、商隊の護衛をした時に、少し考えたことがあったんです」
タクマはそう答えると、少し照れたように笑った。
「別々に動くより、ある程度まとまっていた方が守りやすいんじゃないかって」
私は隣にいるタクマを見た。
彼はもともと日本で営業の仕事をしていた人だ。こちらの世界へ来てからも、商隊の護衛やさまざまな依頼を経験している。
そうした経験が、今回のような場面でも役に立っているのだろう。
剣を使って魔獣を倒すだけが、冒険者の仕事ではない。タクマの提案を聞いて、私は改めてそう感じた。
◇ ◇ ◇
しかし、具体的な対策を決めていくうちに、避けて通れない問題が浮かび上がってきた。
必要な人数に対して、動かせる冒険者があまりにも少ないのだ。
「……今、ギルドから派遣できる冒険者は、どの程度いるのですか?」
行政官が尋ねた。
バルザックは難しい顔をした。
「正直に言えば、かなり厳しい」
彼は持参した書類を広げ、現在の冒険者の状況を説明し始めた。
大公国軍からの依頼が増えたことで、C級からB級の中堅冒険者が大幅に減っている。補給路の護衛や物資輸送、後方の集積地警備など、長期間の契約を結んでいる者も多く、すぐに戻ってこられるわけではない。
さらに、残っている冒険者にも通常の依頼がある。
街道を行き来する商人の護衛や、近隣の集落から寄せられる討伐依頼をすべて後回しにすることはできなかった。
「新人を動員することはできないのですか?」
衛兵隊長が尋ねた。
「仕事によるな」
バルザックは答えた。
「街の中での連絡や物資の運搬なら任せられる。だが、魔獣が増えている森へF級やE級の連中を送り込むわけにはいかん。あいつらを危険な場所へ出したところで、かえって救助が必要になるだけだ」
「それは確かに……」
「D級の連中も、数が多い場所では単独行動を避けさせたい。普段なら問題なく倒せる魔獣でも、十体、二十体と集まってくれば話が違うからな」
私はバルザックの言葉に頷いた。
昨日までの調査でも、個々の魔獣はそれほど強くなかった。けれど、問題はその数だった。
私たち五人なら対応できる相手でも、経験の浅い冒険者にとっては危険な状況になる。魔獣の群れに囲まれれば、逃げることさえ難しくなるかもしれない。
「軍の依頼に出ている冒険者を、一部だけでも呼び戻すことはできないのでしょうか?」
行政官が尋ねた。
バルザックは首を振った。
「難しいだろうな。既に契約を結んで、軍の補給路や集積地の警備を担当している連中だ。ギルドの都合だけで途中離脱させるわけにはいかん」
「大公国軍も、西方情勢の悪化で人員を必要としていると聞いています」
衛兵隊長が補足した。
「こちらから協力を要請することはできますが、すぐに応じてもらえるかどうかは分かりません」
行政官はしばらく考え込んだ後、頷いた。
「分かりました。軍への協力要請については、今朝の連絡に追加して、現在の調査結果も送っておきましょう。母巣獣が複数確認されたことを伝えれば、危険性をより正確に理解してもらえるはずです」
「こちらからも、駐屯部隊へ直接説明しておきます」
衛兵隊長が続けた。
「ただし、当面は現在の人員で対応することを前提に考える必要がありますね」
私は机に広げられた地図を見つめた。
森の調査、母巣獣の討伐、街道の警戒、集落の防衛。
どれも必要な仕事だった。けれど、そのすべてを同時に進めるだけの人数がいない。
以前は賑やかだったギルドの広間も、最近はずいぶん静かになっている。軍の依頼へ向かう冒険者たちを見送った時は、仕事が増えて大変そうだと思った程度だったけれど、今になって、その影響の大きさを実感していた。
冒険者が少ないということは、単にギルドが寂しくなるという話ではない。
街を守るための余力が、それだけ失われているということなのだ。
◇ ◇ ◇
昼を過ぎる頃には、当面の対策がまとまり始めていた。
まず、迷宮周辺の森への一般人の立ち入りを制限する。採集や伐採などの仕事で森へ入る必要がある場合も、当面は危険度の低い場所に限定し、必要に応じて護衛を付けることになった。
主要な街道については、衛兵隊が巡回を増やす。ただし、すべての道へ常時兵を配置することはできないため、魔獣の目撃情報が多い場所を優先する方針だ。
また、タクマが提案した商隊の集団護衛についても、商人組合と調整を進めることになった。
周辺集落には魔獣が増えていることを知らせ、森へ近づかないよう注意を促す。さらに、近隣のギルド支部へ応援を要請し、必要であれば追加の討伐隊を編成することも検討する。
軍に対しても、既に始めていた協力要請を正式なものとし、魔獣の調査結果を添えて支援を求めることになった。
どれも、今の状況では必要な対策だった。
ただし、すぐに実施できるものばかりではない。
商人組合との調整には時間がかかるし、近隣のギルドから応援が来るとしても、移動には何日か必要になる。軍への協力要請についても、返答がいつ届くのか分からなかった。
「……全部を一度に片づけるのは無理だ」
バルザックが地図を見ながら言った。
「だが、何もしない理由にはならん。できるところから手を打つぞ」
その言葉に、行政官と衛兵隊長も頷いた。
「こちらも、すぐに周辺集落へ連絡を出します。商人組合との協議も、本日中に始めましょう」
「衛兵隊は巡回経路を見直します。街の警備に支障が出ない範囲で、できるだけ街道へ人員を回します」
三人はそれぞれの担当を確認し、会議を終えた。
私は椅子から立ち上がりながら、改めてバルザックの顔を見た。
彼は普段、ギルドの広間で冒険者たちと話したり、依頼の調整をしたりしている。けれど、こうして街の行政や衛兵隊と協力し、全体の状況を考えながら対策を決めている姿を見ると、ギルド長という仕事の大変さがよく分かった。
私たち冒険者は、依頼を受ければ現場へ向かい、目の前の問題に対処する。
けれど、バルザックは違う。
どの依頼を優先し、誰をどこへ派遣するのか。冒険者たちの安全を守りながら、街全体の状況にも目を配らなければならない。
その判断を間違えれば、困るのはギルドだけではないのだろう。
「……バルザックって、やっぱり大変なんだね」
行政庁を出たところで、私は思わずそう呟いた。
「何だ、急に」
バルザックが振り返る。
「いや、いつもギルドで仕事してるのは知ってたけど、こういうことまで考えなきゃいけないんだなって」
「当たり前だろうが。ギルド長ってのは、椅子に座って偉そうにしてりゃいい仕事じゃねえんだぞ」
バルザックは呆れたように言った。
その言い方が少しおかしくて、私は笑ってしまった。
「うん。ちゃんと分かったよ」
「まったく……」
そう言いながらも、バルザックは少しだけ表情を緩めていた。
◇ ◇ ◇
午後になってギルドへ戻ると、受付周辺は朝以上に慌ただしくなっていた。
エリナたち受付職員が新しい依頼書を作成し、別の職員が依頼掲示板へ次々と貼り出している。広間では何人かの冒険者が職員から説明を受けており、普段とは違う緊張感が漂っていた。
私は掲示板へ近づき、新しく追加された依頼を確認した。
迷宮周辺の魔獣討伐、街道の警戒、周辺集落への連絡、商隊の集団護衛。
どれも、今日の会議で決まった対策に関係するものだった。
ただし、掲示板の前に集まっている冒険者の数は少ない。
以前なら、依頼書が貼り出されるとすぐに何人もの冒険者が集まり、報酬や内容を確認していた。けれど、今は依頼書の方が多く、引き受ける冒険者がなかなか見つからないようだった。
「……やっぱり、人が足りないね」
私が呟くと、背後から聞き慣れた声がした。
「ったく、仕事だけ増えて人がいねえんじゃ、どうしようもねえな」
振り返ると、フリーダとクルシュが立っていた。
「フリーダ、クルシュ。二人とも来てたんだ」
「ああ。何か手伝えることがねえかと思ってな」
「私たちにも、できることがあればと思いまして」
クルシュはそう言いながら、掲示板に並んだ依頼書を眺めた。
「しかし、かなりの数ですね。これをすべて引き受けるとなると、相当な人数が必要になりそうです」
「うん。行政や衛兵隊も協力してくれることになったんだけど、それでも足りないみたい」
私は今日の会議で決まった内容を二人に説明した。
森への立ち入り制限や街道の巡回強化、商隊の集団護衛など、さまざまな対策が動き始めていること。それでも、魔獣の調査や討伐を担当する冒険者が不足していること。
フリーダは腕を組み、難しい顔をした。
「軍の依頼に出てる連中が戻ってくりゃ、少しは楽になるんだろうけどな」
「そうですね。ただ、向こうにも仕事がありますから、簡単には戻ってこられないでしょう」
「分かってる。だから厄介なんだよ」
その時、受付からエリナが近づいてきた。
「あっ、みんな。ちょうどよかった!」
「どうしたの?」
「新しい依頼のことで、ちょっと相談があるんだ」
エリナは手に持っていた書類を見せてくれた。
「今、魔獣の討伐や街道警戒の依頼を優先して募集してるんだけど、受けてくれる冒険者がなかなか見つからなくて……」
「やっぱり、そうなんだ」
「うん。普段ならすぐに引き受け手が見つかるような依頼も、今日はまだ残ってるんだよね」
エリナは少し困ったように笑った。
けれど、ギルド側も何もしていないわけではなかった。
危険な地域での討伐や警戒は経験のある冒険者に任せ、比較的安全な場所での連絡や物資運搬は、F級やE級の冒険者でも引き受けられるように依頼を分けているらしい。
さらに、複数の依頼をまとめて処理できるよう、受付職員たちが内容を調整しているという。
「新人の子たちにも、できるだけ安全な仕事をお願いするつもり。危険な場所へ無理に行ってもらうわけにはいかないからね」
「うん。それがいいと思う」
私は頷いた。
冒険者が不足しているからといって、経験の浅い人たちを危険な場所へ送り込むわけにはいかない。
魔獣の数が増えている今、普段なら安全な依頼でも、思わぬ危険に遭遇する可能性がある。無理に人数を増やそうとして犠牲者を出してしまえば、状況はさらに悪くなるだろう。
「……まあ、あたしらが動けるところは動くしかねえな」
フリーダが言った。
「そうですね。私たちで対応できる依頼があれば、引き受けましょう」
クルシュも頷いた。
私は二人の言葉を聞きながら、改めて掲示板を見つめた。
依頼書は、まだたくさん残っていた。
◇ ◇ ◇
夕方になっても、ギルドの慌ただしさは収まらなかった。
受付職員たちは新しい報告を整理し、冒険者たちへ依頼の説明を続けている。依頼掲示板から何枚かの依頼書が外される一方で、別の依頼が追加されることもあった。
私はしばらく、その様子を眺めていた。
掲示板に並んでいる依頼は、どれも必要な仕事だった。
街道を警戒する人がいなければ、商人たちは安心して荷物を運べない。周辺集落へ連絡する人がいなければ、住民たちは魔獣が増えていることを知らないまま森へ入ってしまうかもしれない。
そして、魔獣の討伐を進めなければ、森の中で増えた魔獣たちは、そのまま周辺へ広がっていく可能性がある。
どれか一つだけを優先すればいいという話ではなかった。
「……今日だけでも、いろいろ決まったな」
隣に立ったタクマが言った。
「うん。バルザックも行政の人たちも、ちゃんと動いてくれてる」
「だったら、少しは安心できるか?」
私は少し考えてから答えた。
「……まだ分からない。でも、何もしないよりはずっといいと思う」
実際、対策は始まっている。
森への立ち入り制限も、街道の警戒も、応援要請も、必要なことだ。商隊の集団護衛が実現すれば、限られた冒険者を少しでも効率よく使えるようになるかもしれない。
それに、行政や衛兵隊も協力してくれることになった。軍への応援要請も既に始まっている。
私たちだけで何とかしなければならないわけではないのだ。
けれど、魔獣の増加は今も続いているかもしれない。
昨日確認した東側の母巣獣は、まだ討伐できていない。さらに遠くにも、別の個体がいる可能性がある。
その間にも森の中では魔獣が増え、餌や縄張りを求めて移動しているかもしれなかった。
「……明日も、調査に行くことになるかな」
私が呟くと、タクマは頷いた。
「たぶんな。でも、今日はもう休もう。明日も動くなら、ちゃんと体力を戻しておかないと」
「うん。そうだね」
私はもう一度、依頼掲示板を見つめた。
新しく貼り出された依頼書の中には、まだ引き受け手が決まっていないものがいくつも残っている。
今日、街を守るための対策は確かに動き始めた。
それぞれの立場で、できることを考え、必要な準備を進めている。誰も問題を軽く見ているわけではないし、何もせずに待っているわけでもない。
それでも、すべての仕事を同時に進めるだけの人員が足りていなかった。
明日になれば、今日より状況が改善しているかもしれない。あるいは、さらに多くの報告が届くのかもしれない。
そのどちらになるのか、今の私には分からなかった。
ただ、掲示板に残された依頼書を眺めていると、森の中で起きている異変が、少しずつ私たちの日常へ近づいてきているように感じられた。
そして、その変化を止めるために必要な人たちは、今もノヴァグラードの外にいるのだった。




