第74話 帰らなかった冒険者
冒険者ギルドの受付に積まれた書類は、日に日に増えているようだった。
以前なら朝のうちに受注されていた依頼が、今では翌日になっても掲示板に残っている。魔獣討伐や街道の護衛、素材採取といった普段の仕事に加え、大公国軍からの物資調達や輸送に関する依頼も増えており、ギルドの職員たちはその対応に追われていた。
軍務依頼を受けて街を離れた冒険者たちが、すぐに戻ってくる気配はない。むしろ、長期契約を希望する者が増えたことで、普段の依頼を引き受ける中堅冒険者はさらに少なくなっていた。
もっとも、依頼が増えること自体は、冒険者にとって悪い話ではない。仕事の選択肢が増えれば、自分の実力や希望する報酬に合わせて依頼を選べるようになるし、普段より条件のいい仕事を受けられる機会も増える。
けれど、依頼を出す側にとっては、必ずしも喜ばしい状況ではなかった。
どれほど報酬を積んでも、引き受けてくれる冒険者がいなければ仕事は進まない。ギルドは依頼人と冒険者を結びつける場所だけれど、その肝心の冒険者が不足しているのだから、職員たちが苦労するのも当然だった。
そんなある日の朝、私とタクマがギルドへ入ると、受付にいたエリナがすぐにこちらへ顔を向けた。
「あっ、リカ! タクマ! ちょうどよかった!」
いつもなら笑顔で迎えてくれる彼女だけれど、今日はどこか落ち着かない様子だった。手元には何枚もの依頼書が重ねられており、私たちが近づくと、その中から二枚を抜き出した。
「二人にお願いしたい仕事があるんだけど、ちょっといい?」
「うん。どうしたの?」
「悪いんだけど、今日は別々に動いてもらえないかな?」
思いがけない言葉に、私はタクマと顔を見合わせた。
「別々に?」
「そう。タクマには街道沿いの魔獣討伐、リカには森での魔獣討伐と魔石の回収をお願いしたいの。どっちも一人で対応できる難易度だと思うんだけど」
エリナが差し出した依頼書に目を通すと、確かにどちらも私たちなら単独で対応できる内容だった。タクマに割り振られた依頼は街道付近に出没する魔獣の討伐で、対象の数も多くない。私の方も森の外縁部での討伐依頼であり、危険度はそれほど高くなかった。
けれど、私たちは普段から二人で行動している。依頼の内容によっては別行動を取ることもあるけれど、ギルド側から積極的に別々の仕事を勧められることは、これまであまりなかった。
「二人で一つの依頼を受けてもらうより、それぞれ一件ずつ片づけてもらった方が助かるのよ。今は本当に人手が足りなくてさ」
「なるほど。そういうことか」
タクマは納得したように頷いた。
確かに、今の状況なら、私たちが一緒に一件の依頼をこなすより、別々に動いて二件処理した方がギルドとしては助かるだろう。どちらも単独で十分に対応できる難易度なら、無理に二人で行動する必要はない。
ただ、エリナの話はそれだけでは終わらなかった。
「それでね、できれば午前中にその依頼を終わらせてもらって、午後からもう一件ずつお願いしたいんだ」
「……午後からも?」
「うん。移動時間を考えて、街からあまり遠くない依頼を選んであるの。無理な移動をお願いするつもりはないんだけど……」
エリナは申し訳なさそうに笑った。
つまり、私とタクマが午前と午後にそれぞれ一件ずつ、合計四件の依頼を処理するということだ。
もちろん、私たちの実力なら不可能な話ではない。けれど、これまでは一日に一件の依頼を受け、時間が余れば別の用事を済ませたり、訓練や研究に充てたりすることが多かった。
依頼の内容によっては一日がかりになることもあるし、移動に時間を取られることもある。だからこそ、最初から一日に二件ずつ予定を組み込むようなことは、あまりしてこなかったのだ。
それをギルド側から頼まれるというのだから、状況は相当に厳しいのだろう。
「えっ、そこまで仕事が溜まってるの?」
私が尋ねると、エリナは小さく頷いた。
「……うん。ちょっと、かなり厳しくなってきてる」
彼女はそう言って、背後の棚へ視線を向けた。
そこには未処理の依頼書が何束も積まれていた。依頼人からの問い合わせや、受注されない依頼の調整も増えているらしく、受付の職員たちは朝から忙しそうに働いている。
普段なら依頼を受ける冒険者が自然と集まり、それぞれの実力に合った仕事を選んでいく。けれど、今はその流れがうまく機能していないのだろう。
だからこそ、エリナたちが個別に冒険者へ声を掛け、依頼を割り振る必要が出てきているのだ。
「分かった。私は大丈夫だよ」
「俺も問題ない。内容を確認して、無理がなければ引き受けるよ」
「ありがとう! 本当に助かる!」
エリナは心から安堵したように笑った。
けれど、その表情はすぐに曇った。
「……それとね、リカ。もう一つお願いがあるんだけど」
「なに?」
エリナは少しためらうように言葉を選んでいた。
普段の彼女なら、頼み事があれば遠慮なく話してくれる。そんなエリナが言い出しにくそうにしているのを見て、私は少し不思議に思った。
「週に二回、マルタさんの治療院に通ってるでしょ?」
「うん。回復魔法の研究をしてるからね」
「……しばらく、そっちをお休みしてもらえないかな」
私は思わず目を瞬いた。
「えっ?」
「本当にごめん。リカが大事な研究をしてるのは知ってるし、こんなことお願いするのもおかしいんだけど……」
エリナはそこで言葉を切った。
「もう、依頼を受けてくれる人が全然足りないの。リカが半日空けてくれるだけでも、かなり助かるんだ」
その言葉に、私はすぐには返事ができなかった。
マルタの治療院へ通うようになったのは、回復魔法の限界について考えるようになったからだ。
魔法で傷を塞ぐことはできても、それですべての問題が解決するわけではない。タクマが負傷した時も、傷そのものは治せたのに、翌日になって高熱を出してしまった。
それ以来、私は治療院で実際の患者を診ながら、回復魔法でできることと、できないことを調べている。
魔法学院で学んだ知識だけでは分からなかったことも、実際の治療現場に立つことで少しずつ見えてきた。傷が塞がった後の経過や、病気と怪我の違い、回復魔法を使うべき場面と、別の治療が必要になる場面。
まだ研究は始まったばかりで、分からないことも多い。けれど、いつか誰かの命を救うために役立つかもしれないと思って続けてきた、大切な取り組みだった。
「エリナ、それはさすがに……」
タクマが少し困ったように口を開いた。
「分かってる。冒険者に私生活まで変えてほしいなんて、本当は言っちゃいけないことだと思う」
エリナはすぐに頷いた。
「でも、今は本当に余裕がなくて……。リカにしか頼めない仕事も増えてるし、ほかの冒険者もみんな手いっぱいなの」
彼女は私たちを困らせたいわけではない。
そんなことは、言われなくても分かっていた。
エリナはいつも冒険者たちの事情を考えてくれるし、無理な依頼を押しつけるようなこともしない。だからこそ、ここまで踏み込んだお願いをしてくること自体が、今のギルドの状況を物語っていた。
それに、治療院での研究は、今すぐに結果が出るものではない。
これから何か月、あるいは何年もかけて少しずつ知識を積み重ねていく必要があるだろう。けれど、ギルドに持ち込まれている依頼の中には、今日や明日にでも対応しなければ困る人たちがいる。
長い時間をかけて人を救うための研究と、今まさに助けを必要としている人たちへの対応。
どちらも大切なことだからこそ、簡単には決められなかった。
私はしばらく考えた後、ゆっくりと頷いた。
「……分かった。マルタさんには私から相談してみる」
「リカ……」
「でも、研究をやめるわけじゃないからね。落ち着いたら、ちゃんと再開したい」
「うん。もちろん! ありがとう、本当に助かる!」
エリナはほっとしたように息を吐いた。
私は手元の依頼書へ視線を落とした。
回復魔法の研究は、これからも続けたいと思っている。けれど、今まさに助けを必要としている人たちがいるのも事実だった。
どちらか一方だけが大切というわけではない。
だからこそ、今は目の前の仕事を優先しようと思った。
◇ ◇ ◇
それから、私たちの一日は以前よりも忙しくなった。
朝、ギルドで依頼を受けると、私とタクマはそれぞれ別の場所へ向かう。午前中に一件の仕事を終え、昼頃にギルドへ戻って報告を済ませると、今度は午後の依頼を受けて再び街を出る。
依頼の内容は、魔獣討伐や素材採取、街道の安全確認などが中心だった。私たちなら一人でも十分に対応できる仕事ばかりだったけれど、移動時間も含めれば一日に二件をこなすのはそれなりに忙しい。
しかも、依頼の内容によっては予定より時間がかかることもある。魔獣が指定された場所にいなければ周辺を探さなければならないし、採取対象の素材が見つからなければ別の場所へ移動する必要もあった。
そうした小さな予定のずれが重なると、午後の仕事を終える頃には日が傾いていることも珍しくなかった。
夕方になってギルドへ戻る頃には、タクマも私も少し疲れていることが増えた。
それでも、エリナから依頼が片づいたと感謝されると、やっぱり引き受けてよかったと思ってしまう。
フリーダとクルシュも、同じように忙しくしていた。
二人は新人冒険者の育成を続けながら、通常依頼の対応にも協力している。以前なら食堂でゆっくり話す時間もあったけれど、最近はギルドで顔を合わせても、挨拶だけで別れることが増えていた。
「おう、リカ! 今日も仕事か?」
「うん。フリーダたちも?」
「ああ。新人どもを連れて森まで行ってくる。まったく、休む暇もねえぜ!」
そんなやり取りを交わして、互いに別の仕事へ向かう。
以前なら当たり前だった、みんなで食事をしたり、依頼の帰りに買い物をしたりする時間が、少しずつ減っていった。
ギルドの中にいる時間そのものが短くなったこともあるのだろう。以前なら依頼を終えた後、食堂で顔見知りの冒険者たちと話すこともあったけれど、最近は報告を済ませるとすぐに次の仕事の準備をすることが多かった。
それでも、仕事が片づいているという実感はあまりなかった。
私たちが一日に何件も依頼をこなしても、掲示板には新しい依頼書が貼り出される。朝には空いていた場所が、夕方にはまた埋まっていることもあった。
どうやら、私たちが頑張ればすぐに解決するような状況ではなくなっているらしい。
私はマルタの治療院にも足を運び、しばらく定期的な研究を休ませてほしいと伝えた。
事情を聞いたマルタは、残念そうな顔をしながらも頷いてくれた。
「まあ、今のギルドの状況じゃ仕方ないね。あんたたちが忙しくなるのも分かるよ」
「ごめんね、マルタさん。せっかく色々教えてもらってたのに」
「謝ることじゃないさ。研究は逃げやしないんだから、落ち着いたらまた来ればいい」
そう言ってくれた後、マルタは少し真面目な表情になった。
「でも、あんたまで倒れたら意味がないからね。無茶だけはするんじゃないよ」
「うん。気をつける」
私は笑って頷いた。
治療院での研究を休むことには、やはり少し心残りがあった。回復魔法についてはまだ分からないことが多く、実際の治療を見ながら学べる機会は貴重だったからだ。
それでも、マルタが言う通り、研究そのものがなくなるわけではない。今は一時的に休むだけで、落ち着いたらまた再開すればいい。
そう自分に言い聞かせながら、私は冒険者としての仕事に集中することにした。
ところが、ギルドの状況は、私が思っていた以上に深刻になっていた。
依頼を受ける冒険者が不足しているだけではない。
依頼から戻ってこない新人冒険者が、少しずつ増え始めていたのだ。
最初は、帰還予定日を過ぎても戻らないという報告が数件あっただけだった。
天候が悪くなったり、街道で足止めされたりして、予定より帰還が遅れることは珍しくない。実際、翌日になって無事に戻ってきた冒険者もいた。
けれど、中には何日経っても帰ってこない者もいた。
そうした場合、ギルドは捜索依頼を出すことになる。
しかし、その捜索を引き受けられる冒険者も不足していた。
経験の浅いE級やD級の冒険者を、未帰還者の捜索に向かわせるわけにはいかない。何らかの事故が起きている可能性がある以上、十分な経験を持つ冒険者が必要になる。
けれど、そうした中堅冒険者の多くは、今も軍務依頼で街を離れている。
ギルドでは新人の受注できる依頼を慎重に確認し、帰還予定日の管理も以前より厳しくしていた。それでも、すべての事故を防ぐことはできない。
冒険者は、自分の判断で依頼を受け、自分の責任で仕事を遂行する。その仕組み自体は、今までと何も変わっていない。
けれど、経験の浅い者ほど、自分の実力や危険を正しく判断するのは難しい。報酬が高ければ少し無理をしてみたくなることもあるだろうし、採取対象が見つからなければ、予定より奥へ進んでしまうこともあるかもしれない。
本来なら、そうした新人を経験豊富な冒険者が支え、危険な依頼を避けるよう助言することもできる。
しかし、今はその役割を担う人たちが足りなくなっているのだ。
私はその話を聞くたびに、胸の奥が落ち着かなくなった。
冒険者の仕事には、もともと危険が伴う。けれど、今はその危険に対応するための人手まで不足している。
仕事が増えることと、安全に仕事をこなせることは、決して同じではないのだと思い知らされた。
◇ ◇ ◇
その日、私は午前中の討伐依頼を終え、昼過ぎにギルドへ戻ってきた。
いつものように受付へ向かうと、エリナが私の姿を見つけて顔を上げた。
「リカ……!」
その表情を見て、私は何かあったのだと察した。
「どうしたの?」
「悪いんだけど、午後の依頼を変更してもいい?」
「うん。何か急ぎの仕事?」
エリナは頷き、一枚の依頼書を差し出した。
そこには、未帰還冒険者の捜索と書かれていた。
「E級の冒険者が二人、帰ってきてないの」
依頼書によれば、二人は数日前に森の外縁部での採取依頼を受けて出発したらしい。帰還予定日を過ぎても戻ってこないため、ギルドが捜索を行うことになったという。
「二人とも、まだ新人なの?」
「うん。最近冒険者になったばかりの子たち。これまでにも何件か依頼をこなしてたんだけど……」
エリナは言葉を詰まらせた。
「本当はもっと早く探しに行きたかったんだけど、ほかにも未帰還の人がいて……。捜索に出せる人が、どうしても足りなくてさ」
私は依頼書へ目を落とした。
二人が向かったのは、ノヴァグラード近郊の森だった。
普段ならE級冒険者でも十分に活動できる場所だけれど、少し奥へ入れば魔獣が出現することもある。採取の途中で何らかの事故に巻き込まれた可能性は、十分に考えられた。
ただ、二人がどこで足止めされているのかは分からない。道に迷っただけかもしれないし、怪我をして動けなくなっている可能性もある。
もしそうなら、捜索が早ければ早いほど助かる見込みも大きくなるはずだった。
「お願い、リカ。探してきてくれない?」
エリナの声には、普段とは違う切実さがあった。
私は迷わず頷いた。
「分かった。すぐ行くよ」
「ありがとう……!」
タクマは午前中から別の依頼へ向かっており、まだ戻ってきていなかった。
合流を待てば、それだけ時間がかかる。捜索対象が生きている可能性がある以上、一刻も早く向かった方がいいだろう。
私はエリナから二人の特徴や装備、最後に確認された場所を詳しく聞いた。
男性は短い茶髪で、革鎧を身につけた剣士。女性は栗色の髪を後ろで結び、弓を使う冒険者だった。
二人は同じ頃にギルドへ登録したらしく、いつも一緒に依頼を受けていたという。
「男の子の方は慎重な性格でね。依頼の内容も、いつもちゃんと確認してたんだ」
エリナは二人の登録記録を見ながら話した。
「女の子の方は明るくて、受付でもよく話しかけてくれたの。二人とも、少しずつ仕事に慣れてきたところだったんだけど……」
私は黙って頷いた。
年齢も経験も、ミレイユとユリウスに近いのだろう。
つい先日まで私たちが教えていた二人と、何も変わらない若い冒険者たちだった。
「大丈夫。できるだけ早く見つけてくるから」
そう言って、私はギルドを後にした。
◇ ◇ ◇
ノヴァグラードの街を出た私は、森へ向かって急いだ。
指定された採取場所までは、それほど遠くない。
街道から分かれた細い道を進むと、やがて木々が生い茂る森が見えてきた。入口付近には冒険者たちが普段から利用している踏み跡があり、採取に適した場所もいくつか知られている。
私は依頼書に記された場所を確認しながら、周囲を注意深く観察した。
森の外縁部は比較的見通しがよく、危険な魔獣もそれほど多くない。けれど、少し奥へ進むと木々の間隔が狭くなり、地面にも起伏が増えてくる。
採取に夢中になって道を外れれば、帰り道が分からなくなることもあるだろう。
まずは二人が向かったと思われる採取場所を確認した。
地面には何人もの冒険者が通った跡が残っているけれど、数日前の足跡を見分けるのは簡単ではない。私は周囲の草木や地面の状態を確かめながら、少しずつ捜索範囲を広げていった。
採取対象の薬草が生えていそうな場所を一つずつ確認し、二人が通った可能性のある道を探していく。
森の中では、同じような景色が続く。少し離れただけで方向が分からなくなることもあるし、木々の間から差し込む日差しも、場所によって大きく変わっていた。
私は時折立ち止まり、周囲に魔獣の気配がないか確認しながら進んだ。
もし二人が怪我をして動けなくなっているのなら、声を掛ければ返事があるかもしれない。
そう考えて何度か呼びかけてみたけれど、返ってくるのは木々の間を抜ける風の音だけだった。
しばらく進んだところで、道の脇に不自然に折れた枝を見つけた。
近づいて確認すると、周囲の草が踏み倒されている。
誰かが慌てて通ったようにも見えるけれど、それだけでは二人の痕跡とは限らない。
私はさらに奥へ進んだ。
やがて、倒木の近くに小さな布袋が落ちているのを見つけた。
「……これは」
拾い上げて中を確認すると、採取された薬草が入っていた。
袋の口は開いたままで、いくつかの薬草が地面に散らばっている。どうやら、何かの拍子に落としてしまったらしい。
私は周囲を見回した。
少し離れた場所には、地面が大きく踏み荒らされた跡があった。木の根元には何かがぶつかったような痕跡があり、近くの草には乾いた血が付着している。
胸の奥に、嫌な予感が広がった。
私は周囲に魔獣がいないことを確認しながら、慎重に痕跡を追った。
倒れた枝を避け、低い茂みを抜けたところで、人影が見えた。
倒木の陰に、誰かが横たわっている。
私は急いで近づいた。
「……大丈夫!?」
返事はなかった。
そこに倒れていたのは、若い男性の冒険者だった。
短い茶髪に革鎧。腰には剣を下げている。
エリナから聞いていた特徴と一致していた。
私はすぐに膝をつき、彼の状態を確認した。
けれど、触れた体は既に冷たく、呼吸も感じられなかった。
傷の様子から見ても、亡くなってからかなりの時間が経っているようだった。
私は反射的に手を伸ばし、回復魔法を使おうとした。
けれど、その手を途中で止めた。
……もう、間に合わない。
回復魔法は、傷ついた体を治すためのものだ。
血を失い、呼吸が止まり、既に命を失った人間を生き返らせることはできない。
それは、魔法学院で学んだ頃から知っていることだった。
どれほど強力な回復魔法を使えたとしても、死者を蘇らせることはできない。魔法には、どうしても越えられない限界がある。
それでも、実際に目の前で命を失った人を見つけると、どうしても何かできることはないかと考えてしまう。
もし、もう少し早く見つけられていたら。
もし、怪我をした直後に治療できていたら。
そんな考えが頭をよぎるけれど、今となっては確かめようもなかった。
私はしばらく、その場に膝をついたまま動けなかった。
けれど、まだもう一人いる。
私は気持ちを切り替え、周囲の捜索を続けた。
男性が倒れていた場所から少し離れたところにも、草が踏み荒らされた跡が残っていた。私はその痕跡を追い、木々の間を進んでいく。
そして、少し先の斜面で、もう一人の冒険者を見つけた。
栗色の髪を後ろで結んだ、若い女性だった。
近くには弓が落ちており、背負っていた矢筒から何本かの矢がこぼれている。
私は急いで駆け寄った。
けれど、彼女も既に息を引き取っていた。
体には魔獣に襲われたと思われる傷が残っていたけれど、正確に何が起きたのかは分からない。
二人がどのように襲われ、どちらが先に倒れたのかも分からなかった。
ただ、二人ともここで命を落としたという事実だけが、目の前にあった。
私は静かに息を吐いた。
少し前まで、二人はきっと普通に依頼を受けていたのだろう。
薬草を採取して、ギルドへ戻り、報酬を受け取る。
そして、次はどんな仕事を受けようかと相談していたのかもしれない。
ミレイユとユリウスがそうしているように、二人にもこれから経験を積み、冒険者として成長していく時間があったはずだった。
けれど、その時間はここで終わってしまった。
私は二人の装備を確認し、身元を確認できるものを確保した。
それから、遺体を丁寧に扱いながら、ノヴァグラードへ連れ帰る準備を始めた。
魔法を使えば、二人を運ぶこと自体は難しくない。
けれど、どれほど簡単に運べたとしても、もう二人が自分の足で街へ戻ることはないのだ。
そのことが、ひどく重く感じられた。
◇ ◇ ◇
ギルドへ戻った頃には、既に夕方になっていた。
入口を通ると、受付にいたエリナがすぐにこちらへ駆け寄ってきた。
「リカ! 二人は見つかったの?」
私は小さく頷いた。
「……うん。でも、間に合わなかった」
エリナは一瞬、言葉を失った。
その後、私の後ろに運ばれてきた二人の遺体へ視線を向け、ゆっくりと息を吐いた。
「……そっか」
彼女はそれ以上何も言わず、近くにいた職員へ声を掛けた。
ギルドの職員たちが遺体の確認と引き取りの準備を始める。エリナも登録記録を取り出し、二人の身元を確認していた。
普段なら手際よく仕事を進める彼女だけれど、今日は時折手が止まっていた。
私はその様子を見ながら、何も言えずにいた。
エリナが悪いわけではない。
バルザックも、ギルドの職員たちも、限られた人員の中でできる限りの対応をしている。
捜索が遅れたのも、誰かが仕事を怠けていたからではない。単純に、依頼を引き受けられる冒険者が足りなかったのだ。
それでも、もっと早く誰かが探しに行けていたら、という考えが頭をよぎった。
もちろん、それで結果が変わったかどうかは分からない。
二人がいつ亡くなったのかも、まだ確認できていない。捜索が一日早かったとしても、同じ結果になっていた可能性はある。
それでも、そう考えずにはいられなかった。
「……ごめんね、リカ」
エリナが小さく呟いた。
「何でエリナが謝るの?」
「だって、私が頼んだから……」
「違うよ。エリナが頼んでくれたから、二人を見つけられたんだよ」
私はそう言って、彼女に笑いかけようとした。
けれど、うまく笑えなかった。
エリナも何か言いかけたけれど、結局そのまま黙ってしまった。
しばらくして、別の依頼を終えたタクマが戻ってきた。
彼は私の様子を見て何かあったのだと察したらしく、静かに声を掛けてくれた。
「リカ、どうした?」
私は今日の捜索について話した。
帰ってこなかった二人のこと。
森で見つけた時には、既に亡くなっていたこと。
そして、回復魔法を使うことさえできなかったこと。
タクマは最後まで黙って聞いていた。
「……そうか。残念だったな」
「うん。二人とも、まだ若かったんだ」
私は小さく頷いた。
ミレイユとユリウスのことを思い出す。
今日亡くなった二人も、きっと冒険者としてこれから経験を積み、少しずつ成長していくはずだった。
仕事を終えてギルドへ戻り、報酬を受け取り、次の依頼を選ぶ。
そんな当たり前の日々が、突然終わってしまったのだ。
私は改めて、冒険者という仕事の危険さを思い知らされた。
魔獣と戦う以上、命を落とす危険はいつだってある。どれほど慎重に行動していても、予想外の事態に遭遇することはあるだろう。
それでも、今のギルドでは、その危険を減らすための仕組みまで十分に機能しなくなり始めていた。
経験豊富な冒険者が不足し、新人たちが依頼を受ける機会が増える。
そして、何か事故が起きても、すぐに捜索へ向かえる人がいない。
その結果が、今日の二人の死につながったのかどうかは分からない。
けれど、少なくとも今の状況が続けば、同じようなことが繰り返されるかもしれなかった。
私はタクマと並んで、依頼掲示板へ視線を向けた。
そこには、まだ多くの依頼書が残っている。
受け手のいない仕事も、帰ってこない冒険者も、少しずつ増えていた。
戦争は、遠く離れたマリアベルで起きている。
ノヴァグラードの街には、今も普段と変わらない暮らしが続いているように見える。
けれど、その日常を支えていた冒険者たちは次々と街を離れ、残された者たちは増え続ける仕事に追われている。
そして、その陰で、誰にも知られないまま命を落とす者たちがいた。
私は今日見つけた二人の姿を思い出し、静かに目を伏せた。
戦争が奪っているのは、戦場にいる兵士たちの命だけではなかった。




