第50話 七年ぶりの再会
七年ぶりに足を踏み入れた王都マリアベルクは、私の記憶にある姿と、それほど変わっていなかった。
城門から続く大通りには多くの人々が行き交い、道の両側には商店や露店が軒を連ねている。商品を売り込む商人たちの声に、馬車の車輪が石畳を踏む音が重なり、街全体が活気に満ちていた。建物の外壁が塗り直されていたり、以前はなかった店ができていたりと、小さな変化はいくつも見つかったけれど、街の雰囲気そのものは昔のままだった。
「……すごいな。城壁の中に入っても、まだずっと街が続いてるのか」
隣を進むタクマが、感心したように周囲を見回していた。
「ふふっ。マリアベルクは王国で一番大きな街だもの。王宮までは、ここからでも結構距離があるのよ」
「ノヴァグラードも大きな街だと思ってたけど、こっちはまた違うな。建物も立派だし、道も広い」
「王都だからね。外国からのお客様も多いし、昔から街並みには気を遣っているの」
そう説明しながら、私は通りの向こうに見える時計塔へ目を向けた。子供の頃、王宮の馬車に乗って街へ出かけると、いつもあの時計塔を目印にしていたものだ。塔の下にある菓子店で焼き菓子を買ってもらうのが楽しみだったけれど、今も同じ店があるのだろうか。
「おや。あちらの仕立屋は、まだ営業しているようですな」
前を進んでいたボーマンが、懐かしそうに声を上げた。
「知ってるお店なの?」
「ええ。昔、殿下の礼服を仕立てていただいたこともございます。先代の店主には、随分とお世話になりました」
「……礼服」
私は思わず顔をしかめた。
「殿下は、昔から礼服がお嫌いでございましたからな」
「だって、動きにくいんだもの。あんなに裾の長い服を着せられたら、歩くのだって大変だったのよ?」
「ほほほ。式典の最中に走り回ろうとなさらなければ、問題はなかったかと存じますが」
「……もう。昔の話でしょ」
隣でタクマが笑っているのに気づき、私は少し不満そうに彼を見た。
「なんだか、想像できるな」
「ちょっと、タクマまで!」
「いや、悪い悪い。でも、今のリカを見てると、昔からそうだったんだろうなって」
私は抗議するように睨んだけれど、タクマはまったく気にした様子がなかった。シエラまで口元を緩めているのだから、どうやら味方は一人もいないらしい。
もっとも、こうして昔の話を笑いながらできることは、思っていた以上に嬉しかった。七年前、王宮を飛び出した時には、もう二度とこの街を歩くことはないと思っていた。それが今では、タクマたちと一緒に懐かしい景色を眺め、ボーマンと思い出話をしながら大通りを進んでいる。あの頃の私が今の姿を見たら、きっと信じられないだろう。
ただ、街を見渡すうちに、一つだけ気になることがあった。
王太子の死を悼む様子が、どこにも見当たらないのだ。
商店は普段どおり営業しているし、人々の服装もいつもと変わらない。王宮から正式な布告が出されていれば、少なくとも街の雰囲気には何らかの変化があるはずだった。国境へ向かう途中でも同じ疑問を抱いていたけれど、王都に入ってなお変化が見られないとなれば、ヴィルヘルム兄上の死はまだ公表されていないと考えるしかない。
私は遠くに見える王宮の尖塔へ目を向けた。あの場所で今、何が起きているのだろう。兄上の死が伏せられている理由も、父がどのような状況に置かれているのかも、ここからでは知ることができなかった。
「……殿下。まずは宿を取りましょう。王宮への連絡については、落ち着いてから相談するのがよろしいかと」
ボーマンに声をかけられ、私は王宮から視線を戻した。
「……ええ。そうね」
私は頷き、王宮へ続く大通りから脇道へと馬を進めた。今はまだ、急ぐ必要はない。まずは旅の疲れを癒やし、それから王宮へ連絡を取ればいいのだと思っていた。
*
私たちが宿を取ったのは、王宮から少し離れた地区にある、落ち着いた雰囲気の宿屋だった。
石造りの三階建てで、中庭には馬を預けるための厩舎も備えられている。旅商人や裕福な旅行者が利用することが多いらしく、建物の中は清潔に保たれており、従業員の対応も丁寧だった。ボーマンが以前利用したことのある宿らしく、受付で名前を告げると、年配の主人が驚いた顔をした。
「これはこれは、ボーマン様! 随分とお久しぶりでございます」
「ほほほ。ご無沙汰しておりますな。四人でしばらくお世話になりたいのですが、部屋は空いておりますかな?」
「もちろんでございます。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
どうやら、ボーマンには王都のあちこちに知り合いがいるらしい。王宮に長く仕えていたのだから当然なのかもしれないけれど、行く先々で声をかけられる姿を見ていると、改めて彼がこの国で過ごしてきた年月の長さを感じる。
私たちは部屋を確保すると、荷物を運び込み、馬を厩舎へ預けた。長旅の間ずっと馬に乗っていたので、ようやく落ち着いて休めることに少しほっとする。その後、宿の小さな談話室に集まり、今後について話し合うことになった。
「さて。王都へは無事に到着いたしましたが、問題はこれからでございますな」
ボーマンは椅子に腰を下ろすと、少し真面目な表情になった。
「王宮へ連絡を入れなければなりません。ただ、現在の王宮がどのような状況にあるのか、わたくしにも分からない部分がございます」
「……兄上のことね」
「はい。王太子殿下の訃報がまだ公表されていない以上、慎重に動いた方がよろしいでしょう」
私は頷いた。王宮へ戻ること自体に、抵抗がないわけではない。七年前、あれほど嫌になって飛び出した場所なのだから、今でも少し複雑な気持ちはある。それでも、今回は逃げるために来たわけではなかったし、父と会うことも最初から覚悟していた。
「私は、お父様に会うつもりよ。兄上のことも、ちゃんと聞きたいし」
「……承知しております」
「でも、王宮へ戻って暮らすつもりはないわ。兄上を見送ったら、ノヴァグラードへ帰る。それだけは変わらないから」
ボーマンは私の言葉を聞くと、静かに頷いた。
「殿下のお考えは、十分に理解しているつもりでございます」
「ありがとう、ボーマン」
私は少し安心して微笑んだ。七年前のボーマンなら、きっと王宮へ戻るよう説得しただろう。もちろん、今でもそう思っている部分はあるのかもしれない。それでも、今の彼は私の意思を尊重してくれているし、王都までの旅でも、昔のように王女としての振る舞いを求めることはなかった。
「連絡は、明日の朝にいたしましょう。王宮には、わたくしが直接話を通せる者もおりますのでな」
「そうね。それがいいと思う」
「今日はゆっくり休んだ方がいいな」
タクマも頷いた。
「ここまで結構な距離を移動してきたし、王宮に行くなら、それなりに準備も必要だろ?」
「……準備?」
私が首を傾げると、タクマは自分の服を見下ろした。
「いや、服装とか、そういうのもあるんじゃないかと思って」
「ふふっ。別に、タクマが王族の礼服を着る必要なんてないわよ」
「そりゃ助かる。正直、そういう服は着慣れてないからな」
「私だって、今さら着たいとは思わないもの」
そう答えると、ボーマンが小さく咳払いをした。
「……殿下。さすがに、陛下へのご挨拶には、それなりのお召し物をご用意いただきたいところでございますが」
「ええ? この格好じゃ駄目なの?」
「少なくとも、長旅の埃を落としていただく必要はございましょうな」
「……それはそうね」
私が素直に頷くと、タクマが笑った。シエラも小さく頷き、話し合いはひとまず終わった。
明日、王宮へ連絡する。その後のことは、相手の返事を待って考えればいい。そう決めて、それぞれ部屋へ戻ろうとした時、談話室の扉が控えめに叩かれた。
「失礼いたします。お客様に、お会いしたいという方がいらしております」
顔を出したのは宿の従業員だった。ボーマンが不思議そうに顔を上げる。
「どなたでしょうかな?」
「王宮からお越しの、魔法騎士団の方だそうです」
私は思わずタクマと顔を見合わせた。まだこちらからは何も連絡していないはずなのに、王宮から人が訪ねてきたということは、やはり城門での出来事が関係しているのだろう。
「……どうやら、先を越されてしまったようですな」
ボーマンが困ったように笑った。
「もしかして、城門で会った近衛兵の人かしら?」
「おそらくは。あの立場では、報告せずに済ませるわけにもいかなかったのでございましょう」
「……そうよね」
私は小さく息を吐いた。別に、王宮に知られること自体が困るわけではない。ただ、もう少し自分たちの都合で動けると思っていたので、少し驚いただけだった。
「それで、どなたがいらしたの?」
従業員に尋ねると、彼は少し考えてから答えた。
「確か、シュタイナー様と仰っておりました」
「……シュタイナー?」
私は思わず聞き返した。その名前には覚えがあったし、王宮の魔法騎士団に所属するシュタイナーといえば、私の知る限り一人しかいない。
「……まさか」
私は椅子から立ち上がった。
「会うわ。すぐに案内してちょうだい!」
*
宿の応接室へ入ると、一人の女性が窓際に立っていた。
濃紺の騎士服に身を包み、長い髪を後ろでまとめた凛々しい女性。背筋を伸ばした立ち姿は七年前と変わらず、腰には装飾の少ない実用的な剣を下げている。私たちが入ってきたことに気づくと、女性はゆっくりと振り返った。
記憶にある姿よりも少し落ち着いた雰囲気になっていたけれど、その顔を見間違えるはずがなかった。
「……ユリアナ?」
私が名前を呼ぶと、女性は柔らかく微笑んだ。
「お久しぶりでございます、リカルティール殿下」
「ユリアナ!」
私は思わず駆け寄っていた。
ユリアナ・シュタイナー。かつて魔法騎士団の副団長として王宮に勤め、私の護衛も担当していた女性だ。王女だからといって特別扱いすることなく、私の魔法をきちんと評価し、実戦で役立つ助言をしてくれた、数少ない大人の一人だった。
「本当にユリアナなのね! 久しぶり!」
「はい。七年ぶりでございますね」
「全然変わってないじゃない!」
「ふふっ。さすがに、それは少々無理があるかと存じますが」
ユリアナは笑いながら、私の顔をじっと見つめた。昔から、彼女は私の話を聞く時、必ず目を見てくれた。魔法について質問した時も、何か失敗をして叱られた時も、その姿勢は変わらなかった。
「殿下こそ、随分と大人になられましたね。最後にお会いした時は、まだ十五歳でいらっしゃいましたのに」
「もう二十二歳だもの。七年も経てば、それなりに成長するわよ」
「ええ。本当に」
彼女の声には、懐かしさと安堵が入り混じっていた。
私も嬉しかった。王宮を飛び出した時、ユリアナには何も告げなかった。彼女なら私の考えを理解してくれるかもしれないと思ったことはあったけれど、相談すれば止められるかもしれないという不安もあったからだ。あの頃の私は、自由になりたいという気持ちばかりが先走っていて、誰かに自分の考えを説明する余裕すらなかった。
「そういえば、ユリアナ。私、今はA級冒険者なのよ!」
「存じております。ノヴァグラードで活躍されているというお話は、こちらにも届いておりますから」
「本当?」
「ええ。十五歳の頃から魔法の腕前は見事でございましたが、実戦経験も随分と積まれたのでしょうね」
「ふふっ。もちろんよ!」
私は少し得意になって胸を張った。ユリアナはそんな私を見て、懐かしそうに笑う。
「そのご様子は、昔とあまり変わっておられませんね」
「……どういう意味?」
「お褒めすると、すぐに嬉しそうなお顔をなさるところです」
「もう! そんなことないわよ!」
「ふふっ。失礼いたしました」
私は少し頬を膨らませたけれど、ユリアナの笑顔を見ていると、いつまでも怒ったふりをしていられなかった。
そうだ。この人は、昔からこうだった。
私の魔法を褒めてくれる一方で、調子に乗ればすぐに注意してくれる。王女だからと遠慮することもなく、必要な時には厳しいことも言ってくれる。魔法騎士団の副団長という立場にありながら、私が訓練場へ顔を出すと、忙しい合間を縫って稽古に付き合ってくれたこともあった。
そんなユリアナのことが、私は大好きだった。
「そういえば、ユリアナは今も魔法騎士団にいるのよね?」
「はい。現在も副団長を務めております」
「……え?」
私は思わず首を傾げた。
「副団長?」
「はい」
「ええ? 七年も経ったのに、まだ副団長のままなの?」
その瞬間、ユリアナの笑顔が少しだけ変わった。とても穏やかで、何の問題もなさそうな笑顔だったけれど、私はその表情に見覚えがあった。昔、何か余計なことをして叱られる直前にも、彼女はよくこんな顔をしていたのだ。
「……殿下」
「は、はい?」
「それどころか、どこぞの王女殿下が突然出奔されたせいで、当時の護衛責任を問われ、一時期は降格処分まで受けましたが?」
「…………え?」
私は固まった。
ユリアナは笑顔のまま続ける。
「王女殿下の護衛を担当していた副団長が、その王女殿下を逃がしてしまったのです。当然、責任を問われますよね?」
「……それは」
「しかも、何の相談もなく、突然姿を消されたものですから。王宮は大騒ぎでございました」
「…………」
「私も随分と捜索に駆り出されましたし、報告書も山ほど書かされました。ようやく副団長に復帰できた時には、もう二度とあのような経験はしたくないと思ったものです」
私はゆっくりと頭を下げた。
「……それは本当にごめんなさい」
ユリアナが小さく吹き出した。
「ふふっ。冗談ですよ、殿下。いえ、降格されたのは本当でございますが」
「冗談になってないじゃない!」
「ですが、こうして無事なお姿を拝見できたのですから、今となっては笑い話でございます」
私は顔を上げた。ユリアナは先ほどまでとは少し違う、穏やかな表情で私を見ていた。
「……本当に、心配いたしました」
「……ユリアナ」
「殿下が王宮での生活を窮屈に感じておられたことは、私も存じておりました。ですが、まさか本当にお一人で国を出てしまわれるとは思いませんでしたから」
私は何も言えなかった。
あの頃の私は、とにかく自由になりたかった。王宮で決められた生活を送り、王女としての役割を果たすことを求められ続ける毎日から、逃げ出したかった。そのために魔法を使い、警備の目を潜り抜け、国境まで越えたのだから、今になって考えても随分と無茶なことをしたと思う。
けれど、自分がいなくなった後のことまで、十分に考えていたわけではなかった。王宮が騒ぎになることは想像していたけれど、誰が責任を問われ、どれほど苦労することになるのかまでは、考えが及んでいなかったのだ。
「……ごめんなさい。ユリアナにも、随分と迷惑をかけちゃったのね」
「ええ。それはもう」
「……そこは否定してくれてもいいんじゃない?」
「事実でございますから」
ユリアナが涼しい顔で答えるので、私は思わず笑ってしまった。彼女も笑い、いつの間にか重くなりかけていた空気が和らいでいく。
七年間という時間は長い。その間、私は冒険者として様々な経験を積み、たくさんの人と出会ってきた。けれど、王宮に残った人たちにも、それぞれの七年間があったのだ。私がいなくなった後も王宮での生活は続き、仕事も責任もなくなるわけではない。ユリアナは降格処分を受けながらも職務を続け、再び副団長へと戻ってきた。
私にとっては自由を手に入れるための選択だったけれど、その選択によって、誰かの人生が少し変わってしまった。自分の行動が間違っていたとは思わないし、今の生活を後悔しているわけでもない。それでも、あの時の私には見えていなかったものが、確かにあったのだと思う。
「でも、ユリアナ」
「はい?」
「また会えて、本当に嬉しいわ」
私がそう言うと、ユリアナは少しだけ目を細めた。
「……私もでございます、殿下」
その声は、昔と変わらず優しかった。
*
ひとしきり再会を喜んだところで、ユリアナは改めて姿勢を正した。
「さて、殿下。本日は陛下のご命令により参りました」
私は少し驚いた。
「……お父様が?」
「はい。殿下が王都へお戻りになられたとの報告を受け、ぜひお会いしたいと仰せです」
やはり、城門から報告が届いていたらしい。ボーマンが小さく苦笑すると、ユリアナも事情を察したように彼へ目を向けた。
「やはり、連絡が入っておりましたか」
「はい。近衛兵団から、ボーマン様と殿下と思われる女性が王都へ入られたとの報告がございました」
「ほほほ。少々、目立ってしまいましたかな」
「ボーマン様がお戻りになられたのですから、近衛兵団としても報告せずにはいられなかったのでしょう」
「それもそうでございますな」
ユリアナは私へ視線を戻した。
「陛下は、殿下のご帰還を大変お喜びでございました」
「……お父様が」
「はい。七年間、ずっと案じておられましたから」
私は少しだけ目を伏せた。
父のことを考えると、今でも複雑な気持ちになる。私を大切に育ててくれたことは分かっているし、幼い頃には一緒に過ごした楽しい思い出もある。けれど、成長するにつれて王女としての役割を求められることが増え、私自身の希望が後回しにされることも多くなっていった。
七年前、王宮を飛び出した時には、父がどう思うかなど考えたくもなかった。きっと怒るだろうし、見つかれば連れ戻されるだろうと思っていたから、何も告げずに逃げ出したのだ。
それでも、今は違う。
ヴィルヘルム兄上が亡くなった。父にとっては、大切な息子を失ったことになる。私が父をどう思っているかとは別に、その悲しみがどれほど大きいものなのかは、想像することができた。
「……お父様は、元気なの?」
私が尋ねると、ユリアナは少しだけ表情を曇らせた。
「……このところ、随分とお疲れでいらっしゃいます」
それ以上の説明はなかったけれど、理由は分かっているつもりだった。ヴィルヘルム兄上の死がまだ公表されていない以上、王宮の中で何が起きているのかは分からない。それでも、父が悲しんでいることだけは確かなのだろう。
「……そうよね」
私は小さく頷いた。
「ユリアナ。私、お父様には会うつもりよ」
「ありがとうございます、殿下」
「でも、その前に一つだけ伝えておきたいことがあるの」
ユリアナは静かに私を見つめた。
「何でございましょう?」
「私、王宮に戻るために帰ってきたわけじゃないの」
「……はい」
「兄上を見送りに来たの。それが済んだら、ノヴァグラードへ帰るつもりよ」
私は彼女の目を見て、はっきりと告げた。
七年前の私なら、こんなことを正面から伝える勇気はなかったかもしれない。自分の考えを否定されるのが怖くて、誰にも相談せずに逃げ出したのだから。けれど、今は違う。私は自分の意思でここへ戻ってきたし、これからどう生きていくのかも、自分で決めている。
ユリアナはしばらく私を見つめていたが、やがて静かに頷いた。
「承知いたしました。殿下のお考えは、私からも陛下へお伝えいたします」
「……ありがとう」
「ただ、陛下にも、殿下へ直接お伝えしたいことがあるのだと思います」
「……ええ。分かってるわ」
私は頷いた。父が何を話したいのかは分からないし、七年間のことを聞かれるかもしれない。王宮へ戻るよう説得される可能性もあるだろう。それでも、今度は逃げるつもりはなかった。
自分の考えを伝え、父の話も聞こうと思っていた。
「ところで、殿下」
ユリアナが少し表情を和らげた。
「そちらの方々をご紹介いただけますでしょうか?」
「あ、そうだったわね!」
私は慌てて振り返った。再会が嬉しくて、すっかり紹介を忘れていた。
「ボーマンのことは、もちろん知ってるわよね?」
「ええ。お久しぶりでございます、ボーマン様」
「ほほほ。ユリアナ殿も、お元気そうで何よりでございます」
「ボーマン様こそ。お変わりないようで安心いたしました」
二人は穏やかに挨拶を交わした。王宮で長く顔を合わせていた者同士だからだろうか、言葉遣いこそ丁寧だったけれど、そのやり取りには親しみが感じられた。
「こちらはシエラ。ノヴァグラードで知り合った、大切な友達よ」
「……シエラです。よろしくお願いします」
シエラが短く頭を下げると、ユリアナも丁寧に応じた。
「ユリアナ・シュタイナーと申します。殿下がお世話になっております」
「……こちらこそ」
シエラは相変わらず口数が少なかったけれど、特に緊張している様子もなかった。ユリアナもそれ以上詳しいことは尋ねず、穏やかな表情で挨拶を終えた。
そして、最後にタクマを紹介することになった。
「それから、こちらがタクマ。私の……恋人なの」
そう紹介した瞬間、ユリアナが少しだけ目を見開いた。
「……恋人、ですか?」
「ええ」
私は頷いた。少し恥ずかしかったけれど、隠すつもりはなかった。タクマは私にとって大切な人だし、今の生活を語るうえで、彼の存在を抜きにすることなどできないのだから。
タクマも一歩前へ出て、落ち着いた様子で頭を下げた。
「タクマといいます。ノヴァグラードで冒険者をしています。よろしくお願いします」
「ユリアナ・シュタイナーです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ユリアナは丁寧に挨拶を返すと、私へ視線を戻した。
「……なるほど。殿下にも、そのような方ができたのですね」
「ふふっ。そうなの」
「七年前は、あれほど自由になりたいと仰っていた殿下が……」
「……何よ?」
「いえ。自由な生活を十分に満喫されているようで、何よりでございます」
「ちょっと! 絶対からかってるでしょ!」
「ふふっ。そんなことはございませんよ」
ユリアナは涼しい顔で微笑んでいる。昔から、こういう時に彼女と言い合っても勝てた試しがない。私がむきになればなるほど、ユリアナは楽しそうにするのだから、どうにも困ったものだった。
タクマは隣で苦笑していた。
「……なんだか、リカの昔の様子がよく分かるな」
「タクマまで何を言ってるのよ!」
「いや、ユリアナさんと話してると、いつもより楽しそうだなって」
「……それは」
私は少し言葉に詰まった。
確かに、楽しかった。七年前まで当たり前のように会っていた人と、またこうして話せる。王宮での生活そのものに戻りたいとは思わないけれど、そこで出会った人たちまで嫌いになったわけではない。むしろ、離れてみて初めて、どれほど大切に思っていたのか気づくこともあるのだろう。
ユリアナはそんな私たちを見て、穏やかに微笑んでいた。
「……殿下が、お幸せそうで安心いたしました」
その言葉には、からかうような響きはなかった。
「……ありがとう、ユリアナ」
私は少し照れながらも、素直に頷いた。
*
その後、翌日の王宮訪問について話し合うことになった。
「陛下には、明日お会いいただけるよう手配いたします。長旅でお疲れでしょうから、本日はゆっくりお休みください」
「ありがとう。でも、ユリアナ。一つお願いがあるの」
「何でございましょう?」
「王宮へ行く時、タクマたちにも一緒に来てほしいの」
ユリアナは少し考えてから答えた。
「……同行そのものは問題ございません。ただし、陛下との面会に全員が同席できるかどうかは、警備上の事情もございますので、この場ではお約束できません」
「それは分かってるわ。でも、できれば一緒に行きたいの」
私はタクマたちを見た。
ここまで、四人で旅をしてきた。兄上の死を知ってから、王都へ向かうことを決めた時も、皆が一緒にいてくれた。タクマはもちろん、シエラもボーマンも、私の気持ちを尊重してくれている。だから、王宮へ向かう時も、できれば一人では行きたくなかった。
「承知いたしました。控室の手配も含め、こちらで調整いたしましょう」
「本当? ありがとう!」
「いいえ。これも私の務めでございますから」
ユリアナは微笑んだ後、少しだけ声を落とした。
「もっとも、今度こそ殿下を見失わないようにしなければなりませんが」
「……もう! 七年前のことは謝ったでしょ!」
「ふふっ。そうでしたね」
「本当に、昔からそういうところは変わらないんだから!」
「殿下も、あまり変わっておられないようで安心いたしました」
「……絶対、褒めてないわよね?」
「さて、どうでしょう」
ユリアナは楽しそうに笑い、私もつられて笑ってしまった。
七年も経ったのに、こうして話していると、まるで昨日まで王宮で一緒に過ごしていたような気分になる。けれど、彼女が副団長へ復帰するまでに苦労したことも、私が冒険者として過ごしてきた時間も、決してなかったことにはならない。
それぞれ違う場所で七年間を過ごし、違う経験を積んできた。それでも、こうして再び顔を合わせ、昔と変わらず笑い合うことができる。そのことが、何より嬉しかった。
やがて、ユリアナは立ち上がった。
「それでは、私はこれで失礼いたします。明日の迎えについては、改めてご連絡いたします」
「ええ。よろしくお願いするわ」
私たちは彼女を宿の入口まで見送った。外では魔法騎士団の騎士が二人、馬とともに待機しており、ユリアナが近づくと姿勢を正して敬礼した。
彼女は部下たちへ短く指示を出すと、もう一度こちらへ振り返った。
「……殿下」
「何?」
ユリアナは少しだけ表情を和らげた。
「お戻りになられて、本当によかった」
その言葉を聞いて、私は胸の奥が温かくなるのを感じた。七年前、何も告げずに王宮を飛び出した私を、彼女はずっと心配してくれていたのだ。降格処分を受けても、捜索に駆り出されても、それでも無事を願ってくれていた。
「……ありがとう、ユリアナ。私も、また会えて嬉しいわ」
私が微笑むと、ユリアナは深く頭を下げ、馬に乗って王宮へ向かっていった。
その後ろ姿を見送りながら、私はしばらく宿の入口に立っていた。七年前、王宮を出た時には、彼女とこんなふうに再会できる日が来るとは思っていなかった。自分の選んだ道を歩き続けた先で、昔の大切な人と再び出会えたことが、何だか不思議に感じられた。
*
夕食を終えた後、私はタクマと一緒に宿の中庭へ出ていた。
昼間の賑わいが嘘のように辺りは静かで、中庭に設けられた小さな噴水からは、絶えず水の流れる音が聞こえていた。空を見上げると、建物の屋根の向こうに星がいくつか見える。王都の夜はノヴァグラードの森ほど静かではないけれど、それでも街の喧騒から離れたこの場所では、落ち着いて話ができそうだった。
「……ユリアナさん、いい人だったな」
隣に立つタクマが言った。
「ふふっ。そうでしょ?」
「ああ。リカが昔から信頼してたっていうのも、何となく分かる気がする」
「私が王宮にいた頃、魔法のことをちゃんと話せる大人って、意外と少なかったのよ」
私は昔を思い出しながら答えた。
「王女だからって褒めてくれる人はたくさんいたけど、ユリアナは違ったの。私の魔法のどこが優れていて、どこを直した方がいいのか、ちゃんと教えてくれたわ」
「なるほど。リカにとっては、いい先生だったんだな」
「ええ。もちろん、魔法のことだけじゃないけどね」
私は少し笑った。ユリアナは魔法の腕前だけでなく、私自身の考えにも耳を傾けてくれる人だった。王宮での生活に不満を漏らした時も、頭ごなしに叱るのではなく、どうしてそう思うのかを聞いてくれたことがある。もちろん、だからといって何でも許してくれるわけではなかったけれど、少なくとも私の気持ちを理解しようとしてくれていた。
「……まさか、私のせいで降格されてたなんて思わなかったけど」
「それは、さすがに予想できないよな」
「でも、考えてみれば当然なのよね。王女が突然いなくなったんだから、護衛の責任者が何も言われないはずないもの」
私は小さく息を吐いた。
七年前の私は、自分のことしか考えていなかった。自由になりたくて、王宮から逃げ出した。その選択を後悔しているわけではないし、あの時に王宮へ残っていたら、今の私はいなかったと思う。冒険者としての生活も、タクマとの出会いも、すべてはあの時の決断から始まったのだから。
けれど、自分の選択によって誰かに迷惑をかけたことも事実だった。あの頃は、王宮から逃げ出せばそれですべてが終わると思っていたけれど、残された人たちには、その後も生活が続いていた。ユリアナの話を聞いて、私は初めてそのことを具体的に考えるようになったのかもしれない。
「……明日、お父様に会うのよね」
私は噴水へ目を向けながら、話題を変えた。
「ああ」
「七年ぶりなのに、何を話せばいいのか分からないわ。王宮を飛び出したことを怒られるかもしれないし、また戻ってこいって言われるかもしれない。それに……兄上のことも」
言葉が途切れた。
ヴィルヘルム兄上は、いつも真面目で、私のことを心配してくれていた。王宮で暮らしていた頃には、私が無茶をするたびに注意されることもあったけれど、困った時には必ず力になってくれる優しい兄だった。
七年前、何も告げずに王宮を飛び出した時には、きっと随分と心配をかけただろう。それでも、いつかまた会えると思っていた。私が冒険者として十分に成長し、自分の力で生きていけることを証明できたら、胸を張って会いに行こうと考えていたのだ。
けれど、その機会はもう訪れない。
「……兄上には、もう会えないのよね」
私が小さく呟くと、タクマは何も言わず、ただ隣で話を聞いてくれていた。
「……変なの。頭では分かってるのに、まだ実感がないの。王宮に行ったら、いつものように兄上がいて、また小言を言われるんじゃないかって、そんな気がするのよ」
「……そっか」
タクマは静かに答えた。何か気の利いた言葉をかけようとするわけでもなく、無理に励まそうとすることもない。ただ、私が話し終えるのを待ってくれている。
私は彼の手を握った。
タクマも、そっと握り返してくれた。その温かさを感じていると、少しだけ気持ちが落ち着いてくる。兄上が亡くなったという事実は変わらないし、明日になれば父と向き合わなければならない。それでも、こうして隣にいてくれる人がいることは、今の私にとって大きな支えになっていた。
「……でも、会わなきゃね」
「ああ」
「お父様に会って、兄上のことをちゃんと聞きたい。それに、私が今どうしているのかも、ちゃんと話したいわ」
「うん。それでいいと思う」
私は頷いた。
七年前、私は誰にも相談せずに王宮を飛び出した。自分の意思を伝えることも、相手の話を聞くこともせず、ただ逃げることを選んだ。あの時は、それ以外の方法が思いつかなかったし、そうしなければ自由になれないと信じていた。
けれど、今度は違う。私は自分の意思で王都へ戻ってきたのだし、父が何を言うのか分からなくても、きちんと向き合おうと思っている。王宮で何が起きているのかも、兄上の死がなぜ公表されていないのかも、まだ何も分からない。それでも、今の私には自分の考えを伝える言葉があるし、帰る場所もある。
私はタクマの手を握ったまま、夜空を見上げた。
明日、七年ぶりに父と会うことになる。緊張しないと言えば嘘になるし、どんな話をすることになるのかも想像がつかない。けれど、私は兄上を見送るためにここへ帰ってきたのだから、まずは父と会い、今の王宮で何が起きているのかを確かめたいと思っていた。
七年前は、誰にも告げずに去ってしまった。
だから今度は、きちんと自分の言葉で話そう。




