第38話 剣と魔法の、その先へ
翌朝、訓練場へ向かうタクマの足取りは、いつもより少し軽かった。
昨日、魔核の出力が以前より高くなっていることが分かり、さらに中級火魔法の術式まで習得したのだから、無理もない。これまで魔力の出力不足を理由に諦めていた魔法が、もしかすると使えるようになっているかもしれないのだ。昨日の帰り道から何度も新しい術式の話をしていたことを思えば、今朝の上機嫌も当然なのだろう。
もっとも、私としては期待ばかりしているわけにもいかなかった。
魔核の出力が変化している理由は、まだ分かっていない。異世界から来たタクマの魔核が、この世界の魔力環境に適応し始めているのではないかという仮説は立ててみたものの、それを裏付ける証拠があるわけでもない。そもそも、魔法の存在しない世界から来た人間の魔核がどうなるのかなど、私が学んできた魔法理論の中には答えがなかった。
だからこそ、今日の訓練では慎重に確認する必要がある。中級魔法を発動できるかどうかだけでなく、どの程度の魔力を流せば、どれほどの効果が生まれるのか。そこを把握しなければ、実戦で使える魔法にはならない。
「リカ、今日こそ中級魔法を使えるんだよな?」
「うん。でも、何度も言ってるけど、最初は最低出力だからね。いきなり大きな炎を出そうとしちゃ駄目だよ」
「分かってるって。俺だって、いきなり訓練場を燃やしたくないし」
「そういう問題じゃないんだけど……」
私が苦笑すると、タクマは楽しそうに笑った。
本人はあまり心配していないらしい。新しい魔法を使えるようになることが純粋に嬉しいのだろうし、その気持ちは私にもよく分かる。魔法学院にいた頃、新しい術式を習得するたびに、早く試してみたくて仕方がなかったことを思い出した。
ただ、あの頃の私と今のタクマでは、事情が少し違う。彼の場合は魔核そのものに未知の変化が起きているのだから、いつも以上に慎重にならなければならない。
訓練場では、既にボーマンが待っていた。
「おはようございます、殿下。タクマ殿。本日は魔法の確認から始めると伺っております」
「うん。昨日覚えた中級火魔法を試してみようと思うんだけど、念のため広い場所を使わせてもらっていい?」
「もちろんでございます。既に周囲の確認も済ませておりますので、こちらへどうぞ」
案内されたのは、普段剣術の訓練に使っている場所から少し離れた、開けた一角だった。周囲には燃えやすいものもなく、人が近づかないように配慮されている。ボーマンは剣術の指導だけでなく、こうした準備にも抜かりがない。
私はタクマを中央へ立たせ、自分とボーマンは少し距離を取った。念のため、万が一炎が広がった場合にはすぐに対処できるよう、私自身も魔法を使う準備を整えておく。
「じゃあ、始めようか。昨日覚えた術式、ちゃんと分かる?」
「うん。なんとなく感覚はある」
「よし。じゃあ、最初はほんの少しだけ魔力を流してみて。炎が出たら、それ以上は出力を上げなくていいから」
「了解」
タクマは右手を前へ伸ばし、意識を集中させた。
私はその様子を見守りながら、魔力の流れに注意を向ける。術式への魔力供給は安定しており、少なくとも発動前の段階では異常は感じられなかった。昨日確認したとおり、魔力を扱う技術そのものは随分と上達しているようだ。
やがて、タクマの手の先に小さな炎が生まれる。
「うん、そのまま……」
そう声をかけた、次の瞬間だった。
小さな炎が一気に膨れ上がり、轟音とともに巨大な火柱となって噴き上がった。
「ちょっ、タクマ!?」
「うわっ!? 何だこれ!?」
「止めて! すぐ止めて!」
タクマが慌てて魔法を解除すると、炎は勢いを失って消えた。
けれど、周囲には熱気が残り、地面の一部が黒く焦げている。炎が噴き上がった場所からは薄い煙が立ち上り、熱せられた空気が景色をわずかに揺らしていた。
私はしばらく呆然とその光景を見つめ、それからタクマへ顔を向けた。
「……タクマ」
「……はい」
「私、最低出力って言ったよね?」
「……最低にしたつもりなんだけど」
「これで!?」
思わず声が大きくなった。
タクマも相当驚いたらしく、伸ばしていた右手を見つめたまま固まっている。自分が発動させた魔法とは思えないのか、何度も焦げた地面と自分の手を見比べていた。
「殿下。まずは周囲の安全を確認いたしましょう」
ボーマンの落ち着いた声に、私は我に返った。
「そ、そうだね!」
私はすぐに周囲を確認し、地面に残っていた小さな火種を水魔法で消した。幸い、炎は上空へ向かって噴き上がったため、周囲への被害はほとんどなかった。地面が少し焦げただけで、怪我人もいない。
それでも、あの規模の炎が横方向へ広がっていたらと思うと、背筋が冷たくなった。ボーマンが広い場所を用意してくれていなければ、もっと大きな騒ぎになっていたかもしれない。
「……タクマ。体は大丈夫? どこか痛くない?」
「うん。特に何ともないけど……いや、びっくりした」
「私の方がびっくりしたよ!」
私は大きく息を吐き、もう一度焦げた地面を見た。
中級火魔法なら、あれくらいの炎を生み出すこと自体は不可能ではない。ただし、それなりの魔核出力が必要になるし、当然ながら相応の魔力も消費する。少なくとも、初めて中級魔法を扱う人間が、ほとんど負担を感じずに発動できるような規模ではなかった。
ところが、タクマはほとんど疲れていないようだった。
「……ねえ、タクマ。本当に最低出力のつもりだった?」
「うん。昨日の小さい火を出すくらいの感覚でやったんだけど……」
「そう……」
私は少し考え込んだ。
初級魔法と中級魔法では、同じように魔力を流したとしても、術式の働き方が違う。必要な魔力の量も、発動したときの効果も異なるため、単純に同じ感覚で扱えるものではない。
それに加えて、今のタクマは魔核の出力そのものが変化している。
以前なら、どれほど魔力を流そうとしても、魔核の出力不足によって術式が十分に働かなかった。ところが今は、その制約が大きく緩んでいる。本人は少しだけ魔力を流したつもりでも、術式が必要とする出力を容易に満たしてしまい、結果として想定以上の効果が生まれた可能性があった。
つまり、魔法そのものが暴走したというより、タクマの感覚と実際の出力が一致していないのだろう。
「……とりあえず、火魔法は一旦おしまい」
「えっ、もう?」
「当たり前でしょ! 今のまま何度も試してたら、訓練場がどうなるか分からないよ」
「……確かに」
タクマは焦げた地面を見て、ようやく納得したように頷いた。
◇
しばらく休憩を挟み、私たちは訓練場の端に腰を下ろしていた。
タクマは先ほどの炎について、何度も自分の手を見ながら考えている。どうやら、本人にも何が起きたのかよく分かっていないらしい。
「でも、すごかったな……。あんな火、俺にも出せるんだ」
「すごいのは確かだけど、あれじゃ危なくて実戦では使えないよ」
「だよなあ……」
「魔法は威力が高ければいいってものじゃないからね。仲間が近くにいたら巻き込んじゃうし、狙った場所に当てられなかったら意味がないでしょ?」
タクマは真面目な顔で頷いた。
剣術でも同じことが言えるのだろう。どれほど強い一撃を放てても、相手に当たらなければ意味がないし、周囲の状況を考えずに振り回せば、味方を傷つけてしまう可能性もある。
「……じゃあ、やっぱり制御の練習が必要か」
「うん。でも、それだけじゃないかな」
「他にも何かあるの?」
「魔核の出力がどこまで上がってるのか、まだ分からないんだよね。昨日の検証では、以前より強くなってることは確認できたけど、今の限界までは調べてないから」
そう説明すると、タクマは少し考え込んだ。
「……つまり、まだ伸びるかもしれないってこと?」
「可能性はあるけど、そこを喜ぶ前に制御を覚えてほしいなあ」
「……はい」
素直に頷くタクマを見て、私は思わず笑ってしまった。
そのとき、黙って話を聞いていたボーマンが口を開いた。
「殿下。一つ、よろしいでしょうか」
「うん。どうしたの?」
「タクマ殿の魔核がこれほど変化しているのであれば、攻撃魔法だけでなく、剣術への応用も考えられるのではございませんか?」
「剣術への応用?」
「はい。昨日の立ち合いでは、身体強化を必要な瞬間にだけ使うことで、魔力の消耗を抑えておられました。しかし、今の出力であれば、もう少し違った使い方ができるかもしれません」
私はその言葉に、思わず顔を上げた。
確かに、これまでのタクマは魔核の出力不足が最大の制約だった。身体強化を長く使い続けることが難しかったため、必要な瞬間にだけ強化を行い、できるだけ魔力を節約する方法を教えてきた。
けれど、今のタクマなら事情が違うかもしれない。
「……そっか。身体強化も、もう一回確認した方がいいかもしれないね」
「と申しますと?」
「今までは魔力の消耗が大きいから、短時間しか使わせてなかったでしょ? でも、今なら弱い身体強化を長く維持できるかもしれない」
魔核の出力が上がったからといって、使える魔力の総量まで増えたとは限らない。けれど、以前より安定して魔力を供給できるようになったうえ、制御技術も上達しているのなら、必要以上の魔力を消費せずに身体強化を維持できる可能性はある。
今までは短時間の強化でも余裕がなかったため、そもそも低出力で長く維持するという方法を十分に試せていなかったのだ。
「それって、ずっと身体強化したまま戦えるってこと?」
「可能性はあるよ。もちろん、実際にどれくらい維持できるかは試してみないと分からないけどね」
私は立ち上がり、タクマへ手招きした。
「じゃあ、ちょっとやってみようか」
◇
まずは、弱い身体強化を維持するところから始めた。
タクマには、全身へ均等に魔力を流すよう指示する。これまでの訓練では、腕や脚など必要な部分だけを強化する方法を中心に練習していたけれど、今回はあえて全身を弱く強化させることにした。
「最初は本当に弱くていいからね。普通に歩くのが少し楽になるくらいで十分」
「分かった」
タクマが身体強化を発動させると、私は魔力の流れを確かめた。
全身へ広がる魔力は安定しており、特に大きな乱れもない。以前なら、この状態を維持するだけでも少しずつ消耗していたはずだけれど、今はそれほど負担がかかっていないようだった。
「じゃあ、そのまま歩いてみて」
「うん。普通に動けるな」
「少し走ってみようか」
タクマは訓練場の端まで軽く走り、戻ってきた。
「どう?」
「全然平気」
「じゃあ、もう少し続けてみて」
私はしばらくタクマに身体強化を維持させ、その間の魔力の流れを観察した。
時間が経っても、魔力の供給は安定している。もちろん、まったく消耗していないわけではないけれど、以前と比べれば随分と余裕があるようだった。
魔核の出力が上がったことで、必要な魔力を無理なく供給できるようになり、さらに制御の上達によって余計な消耗も抑えられている。今の状態を見る限り、その二つがうまく噛み合っているように思えた。
「……これ、結構長く維持できそうだね」
「本当?」
「うん。少なくとも、戦闘中ずっと弱い身体強化を使うくらいなら、十分可能性があると思う」
タクマは嬉しそうに笑った。
「それ、かなり大きいんじゃないか?」
「大きいよ。今までは必要な瞬間だけ強化してたけど、これからは常に少し強化した状態で戦えるかもしれないから」
私は改めて、身体強化の使い方について説明した。
低出力の身体強化を維持できれば、足さばきや反応速度、剣を振る力などを常に底上げできる。さらに、踏み込みや斬撃の瞬間だけ出力を高めれば、これまで以上に素早い動きも可能になるだろう。
ただし、強化した体を正確に動かす技術がなければ、かえって動作が乱れる可能性もある。普段より速く動けるということは、それだけ自分の動きを制御する余裕が減るということでもあるのだ。
「だから、今までの訓練が無駄になるわけじゃないよ。むしろ、昨日やってた瞬間的な強化が、もっと重要になると思う」
「なるほど。常に少し強化しておいて、必要なときだけ一気に上げるわけか」
「そういうこと」
タクマは納得したように頷き、試しに何度か踏み込みを繰り返した。
昨日までとは違い、身体強化を維持したまま動けることが嬉しいらしい。何度も足の運びを確かめながら、自分の感覚と実際の動きを合わせようとしていた。
その様子を見ていたボーマンが、ゆっくりと頷いた。
「これは、剣術の訓練にも大きな変化をもたらしそうですな」
「うん。私もそう思う」
私はタクマの動きを見ながら、もう一つの可能性について考えていた。
身体強化だけでも、これほど変わるのだ。もし、他の魔法も剣術に組み込めるようになったら、タクマの戦い方はさらに大きく変わるかもしれない。
「……ねえ、タクマ」
「ん?」
「せっかくだし、他の中級魔法も覚えてみる?」
タクマが目を輝かせた。
「いいの!?」
「覚えるだけなら問題ないしね。ただし、実際に使うときは慎重に確認するから」
「よし! じゃあ、色々覚えてみたい!」
「ちょっと、そんなに一気に覚えるつもり!?」
「だって、せっかくだし」
「……まあ、私も気になるけど」
思わずそう答えると、タクマは嬉しそうに笑った。
ボーマンはそんな私たちを見て、少し呆れたような、それでいて楽しそうな表情を浮かべていた。
◇
私は再び訓練場の地面にしゃがみ込み、魔法陣を描き始めた。
昨日は魔法学院以来の術式転写だったので少し不安もあったけれど、一度やってみれば感覚はすぐに戻ってきた。魔法陣の構造を思い浮かべながら魔力を流すと、地面に淡い光の線が伸びていく。
「……うん。やっぱり、一回思い出すと簡単だね」
「簡単なんだ……」
「中級くらいならね」
「……リカ、絶対それ普通じゃないよな?」
「え? そう?」
私が首を傾げると、タクマは何とも言えない顔をした。
魔法陣による術式転写は、確かに誰でもできる技術ではない。術式の構造を理解し、魔力の流れを正確に組み立てる必要があるため、一般的には上級以上の魔法使いでなければ扱えないとされている。
けれど、私にとっては魔法学院で習った技術の一つに過ぎなかったし、今回扱うのも中級魔法だ。そこまで難しいことをしているつもりはなかった。
最初に選んだのは、風魔法だった。
風を生み出し、その向きや強さをある程度制御する術式で、攻撃にも補助にも応用できる。特に、剣を振る動作へ風を重ねることができれば、剣撃の速度を高められるかもしれない。
魔法陣を完成させ、タクマへ術式を転写する。
続いて、雷魔法の術式も覚えさせることにした。
雷魔法は扱いが難しく、出力を誤れば使用者自身にも危険が及ぶ。だからこそ、今回は術式の習得だけに留め、実際の発動は後日改めて確認することにした。
「……なんか、急に色々覚えたな」
転写を終えたタクマが、自分の手を見つめながら呟いた。
「うん。でも、覚えたからってすぐに使えるわけじゃないからね。特に雷魔法は、ちゃんと制御できるようになるまで勝手に使っちゃ駄目だよ」
「分かってるって」
「本当に?」
「信用ないなあ……」
タクマは苦笑したが、さすがに先ほどの業炎を思い出したのか、それ以上は何も言わなかった。
私は立ち上がり、ボーマンへ顔を向けた。
「じゃあ、風魔法だけ少し試してみようか。剣術への応用ができるか、確認してみたいんだけど」
「承知いたしました。私も興味がございます」
ボーマンは訓練場の端に置いてあった両手用の木剣を取り、タクマへ手渡した。
「タクマ殿。まずは、いつもどおりに構えてみてください」
◇
タクマが木剣を両手で握り、構えを取った。
昨日の訓練で見せた、彼の故郷の剣術に近い構えだ。最初に短剣を持たせたときとは違い、両手で剣を握る姿には自然な落ち着きがあった。
「まずは、普通に振ってみましょう」
「はい」
ボーマンの指示に従い、タクマは木剣を振り下ろした。
剣先が空気を切り、乾いた音が響く。
昨日も感じたことだけれど、タクマの剣術には独特の鋭さがある。こちらの世界で一般的な剣術とは異なる部分も多いものの、長年の鍛錬によって身についた動作は、簡単に真似できるものではない。
「では、次は同じ動作に風魔法を合わせてみましょう。ただし、最初はごく弱い風で構いません」
「分かりました」
タクマは再び構えを取り、今度は風魔法を発動させた。
木剣の周囲に小さな風が生まれ、空気がわずかに揺らぐ。
「……うん。いい感じ。そのまま、剣を振る方向に風を流してみて」
「こうか?」
タクマが木剣を振り下ろした。
その瞬間、風が剣の動きに重なり、剣先がいつもより速く走った。
けれど、風の向きがわずかにずれたことで、振り終わりの姿勢が崩れてしまう。
「うわっ、危な!」
タクマは慌てて足を踏み直し、何とか転ばずに済んだ。
「大丈夫!?」
「うん、大丈夫。でも、思ったより引っ張られたな……」
「今のは風を当てる方向が悪かったね。剣の動きと風の向きがずれると、逆に姿勢が崩れちゃうんだ」
私はタクマの魔力の流れを確認しながら、今の動作を振り返った。
風魔法そのものは正常に発動していたし、出力もそれほど大きくなかった。問題は、剣を振る動作と魔法を発動させるタイミングが合っていなかったことだ。
剣を振る動作は、腕だけで行うものではない。踏み込みから腰の回転、肩や腕の動きへと力が伝わり、最後に剣先が走る。そこへ外から風の力を加えるのなら、単純に剣を押せばよいというわけではないのだろう。
「でも、剣の速度は確かに上がってたよね?」
タクマがそう尋ねると、ボーマンは静かに頷いた。
「ええ。ほんのわずかではございますが、確かに速くなっておりました。ただし、今のままでは実戦で使うことは難しいでしょうな」
「やっぱり、そうですよね」
「速さを得るために姿勢を崩してしまっては、次の動作へつなげることができません。剣術において重要なのは、ただ速く振ることではなく、相手を捉え、必要なところへ正確に剣を届けることでございます」
ボーマンはそう言いながら、自分の木剣を手に取った。
「タクマ殿。もう一度、魔法を使わずに振ってみてください」
タクマが頷き、木剣を振り下ろす。
ボーマンはその動きを横から観察し、足の位置や肩の動きについていくつか指摘した。
「今の動作であれば、剣を振り始める瞬間よりも、振り下ろしの途中で風を加えた方がよろしいかもしれませんな」
「途中で、ですか?」
「ええ。最初から強い風を当てれば、剣の軌道が乱れやすくなります。ですが、剣が既に動いている方向へ風を重ねるのであれば、余計な力を加えずに速度を高められる可能性がございます」
私はその説明を聞きながら、思わず頷いた。
確かに、魔法の出力だけを考えていたのでは気づきにくい部分だ。剣の動きに合わせて風を発生させるなら、必要な瞬間に必要な方向へ魔力を流す技術が重要になる。
それは、昨日まで練習していた身体強化の制御ともよく似ていた。
「……なるほど。じゃあ、風魔法も瞬間的に使う方がいいのかもしれないね」
「そのように思われます。もっとも、実際に使いこなすには、相当な訓練が必要となりましょう」
タクマは木剣を見つめながら、少し考え込んだ。
「……でも、できるようになったら、かなり速く振れそうですね」
「ええ。その可能性は十分にございます」
ボーマンの言葉に、タクマは嬉しそうに笑った。
◇
その後も、私たちは風魔法と剣術の組み合わせについて、いくつかの方法を試してみた。
ただし、魔法の出力を高めることはせず、あくまで剣の動きに風を合わせる練習に留めた。タクマは何度かタイミングを変えながら木剣を振り、私はその都度、魔力の流れを確認していく。
最初は剣を振り始める前から風を発生させていたけれど、それでは剣の軌道が乱れやすかった。そこで、ボーマンの助言に従い、剣が動き始めてから風を重ねる方法へ切り替えると、少しずつ動きが安定してきた。
もちろん、すぐにうまくいくわけではない。
風を加えるタイミングが早すぎれば剣が流され、遅すぎれば十分な加速が得られない。さらに、振り下ろす方向へ風を流せたとしても、その力を受け止めるためには足腰の動きも合わせる必要があった。
それでも、何度か繰り返すうちに、タクマは少しずつ感覚をつかみ始めたようだった。
「……今の、どうでした?」
「さっきよりは良かったよ。風の向きも合ってたし、魔力の流れも安定してた」
「私から見ても、剣の軌道は随分と整ってまいりました。ただし、まだ振り終わりに余計な力が入っておりますな」
「なるほど……」
タクマは頷きながら、もう一度構えを取ろうとした。
けれど、その前にボーマンが片手を上げた。
「……よし。今日はこのくらいにしておきましょう」
「もう終わりですか?」
「ええ。新しい技術を身につける際は、疲労によって動作が乱れる前に切り上げることも大切でございます。特に今回は、剣術と魔法を同時に扱う訓練ですからな」
タクマは少し名残惜しそうだったが、素直に頷いて木剣を下ろした。
私はその様子を見ながら、今日の訓練を振り返っていた。
中級火魔法の想定外の威力に驚かされたかと思えば、身体強化の維持が可能になり、さらに風魔法による剣撃の加速まで試すことになった。昨日までとは、明らかに状況が変わっている。
そして、その変化は単にタクマが使える魔法の種類が増えたというだけではなかった。
今までの彼は、剣術と魔法を別々の技術として学んでいた。剣術はボーマンから、魔法は私から教わり、それぞれを少しずつ上達させてきたのだ。
けれど、今日の訓練で、その二つを組み合わせる可能性が見えてきた。
「殿下。少々、お話ししてもよろしいでしょうか」
ボーマンが私へ声をかけた。
「うん。どうしたの?」
「今後のタクマ殿の訓練についてでございます」
私は姿勢を正し、ボーマンの話に耳を傾けた。
「私は当初、タクマ殿にこちらの世界の剣術を一から身につけていただくつもりでございました。しかし、昨日の立ち合いで、その考えを改める必要があると感じました」
ボーマンはタクマへ視線を向けた。
「タクマ殿。あなたには、既に長年の鍛錬によって培われた剣術がございます。それを捨てて別の剣術を一から学ぶよりも、今ある技術を生かしながら、実戦に必要な部分を補っていく方がよろしいでしょう」
「……はい」
「そして本日、魔法によってその剣術をさらに発展させられる可能性が見えてまいりました」
ボーマンは少し間を置いてから、言葉を続けた。
「これからは、剣術と魔法を別々に鍛えるのではなく、一つの技術として磨いていきましょう」
その言葉に、タクマが顔を上げた。
「一つの技術……ですか?」
「ええ。身体強化によって動作の基礎を底上げし、必要な瞬間に出力を高める。そして、風魔法によって剣撃を加速させる。さらに将来的には、炎や雷といった魔法を剣にまとわせることも考えられましょう」
「炎や雷を、剣に?」
タクマが驚いたように尋ねた。
「はい。魔法剣と呼ばれる技術の一つでございます。ただし、これは単に剣へ魔法を流せばよいというものではありません。剣そのものの材質や魔力の伝わり方、使用者への影響など、考慮すべきことが数多くございます」
私はその説明に頷いた。
「そうだね。今使ってる木剣じゃ、炎をまとわせたら燃えちゃうし、雷魔法だって危ないからね」
「……確かに」
タクマは木剣を見て、苦笑した。
「そのあたりは、今後の課題でございますな」
ボーマンはそう言うと、少しだけ笑った。
「しかし、タクマ殿。あなたの剣術と魔法の適性を考えれば、非常に興味深い戦い方になると思います」
タクマはしばらく黙っていたが、やがて嬉しそうに笑った。
「……なんか、すごく楽しみになってきました」
「私もでございます」
ボーマンの返事は穏やかだったけれど、その表情には確かな期待が浮かんでいた。
私も同じ気持ちだった。
タクマが日本で身につけた剣術と、この世界の魔法。その二つを組み合わせることで、今までにない戦い方が生まれるかもしれない。
それは、タクマだけでなく、私たちにとっても新しい挑戦になるのだろう。
◇
その日の帰り道、タクマは何度も右手を動かしながら、剣を振る感覚を確かめていた。
もちろん、実際に剣を持っているわけではない。それでも、踏み込みと同時に腕を動かしたり、途中で動きを止めたりしながら、何かを考えている様子だった。
「……そんなに気になる?」
私が尋ねると、タクマは少し照れたように笑った。
「いや、今日の感覚を忘れないようにしておこうと思って」
「ふふっ。真面目だね」
「だって、今までできなかったことが、急に色々できそうになってきたからさ」
そう言って、タクマは自分の手を見つめた。
「剣道をやってた頃も、こういう感じだったな。新しい技が少しできるようになると、早く次の練習がしたくなるんだよ」
「そうなんだ」
「うん。まあ、今は魔法まで使うことになるとは思ってなかったけど」
タクマは楽しそうに笑った。
その横顔を見ながら、私は今日の出来事を思い返していた。
最初は、昨日覚えた中級魔法を試すだけのつもりだった。それが想定外の業炎を生み出し、身体強化の使い方を見直すきっかけになり、最後には剣術の訓練方針まで変わってしまった。
たった一日で、タクマの修行の方向性が大きく変わったのだ。
もちろん、今の彼がすぐに強力な魔法剣士になれるわけではない。今日だって炎をうまく制御できなかったし、風魔法を使った剣撃も、何度か姿勢を崩していた。
それでも、昨日まで見えなかった道が、今日は確かに見えていた。
身体強化によって動きを底上げし、風魔法で剣撃を加速させる。さらに、炎や雷を剣にまとわせる技術まで身につけられたなら、タクマはこれまでの剣士とも魔法使いとも違う戦い方を手に入れることになるだろう。
私はその可能性を考えながら、ふと一つのことを思い出した。
「……そういえば、タクマ」
「ん?」
「そろそろ、ちゃんとした両手剣も考えないとね」
「両手剣?」
「うん。今の木剣じゃ、魔法を使った訓練にも限界があるでしょ? 実際に魔法を通せる剣があれば、もっと色々試せると思うんだ」
タクマは少し考え込んでから、頷いた。
「確かに。今のショートソードじゃ、両手で使うには短いしな」
「そうそう。だから、今度ノヴァグラードに行ったときにでも、武具屋を覗いてみようか」
「いいの?」
「もちろん。タクマに合う剣が見つかるかもしれないしね」
タクマは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、楽しみにしてる」
「うん。私も楽しみ」
そう答えながら、私は頭の中でいくつかの剣を思い浮かべていた。
魔力を通しやすい素材で作られた剣なら、炎や雷といった魔法をまとわせることもできるかもしれない。もちろん、そうした武器は普通の剣より高価だけれど、今後のタクマの成長を考えれば、十分に価値のあるものだろう。
そして、もし彼がその剣を使いこなせるようになったら。
きっと、今よりずっと速く、ずっと鋭い剣を振るうことになる。
そんな未来を想像すると、私まで少し胸が弾んだ。
「……よし。明日は訓練をお休みにしようか」
「えっ?」
「たまには休まないとね。それに、ノヴァグラードで買い物もしたいし」
タクマは一瞬きょとんとした後、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、明日は街に行くのか」
「うん。久しぶりにゆっくりしようよ」
そう言って私はタクマの手を取った。
今日までの訓練で、彼は確かに強くなっている。けれど、それ以上に大切なのは、これからどんな剣士になっていくのかということだ。
魔法を使い、両手剣を振るい、誰よりも速く戦場を駆ける。
そんな未来が本当に訪れるのかは、まだ分からない。
それでも、彼がその道を進もうとするのなら、私はできる限りのことをしてあげたいと思う。
隣を歩くタクマの手を少し強く握ると、彼もまた、優しく握り返してくれた。
明日は、どんな剣に出会えるだろう。
そんなことを考えながら、私たちは夕暮れの道を並んで歩いた。




