第3話 リカという冒険者
朝食を終えた私たちは、ノヴァグラードへ向かう準備を始めた。
今日の目的は、タクマの身分をどうにかすることだ。昨日、森で拾ったばかりの彼には、この世界で通用する身分証がない。お金もなければ、文字も読めず、土地勘だってまるでない。そんな状態では仕事を探すどころか、街に入るだけでも苦労するだろう。
幸い、冒険者ギルドには身元のはっきりしない人間を受け入れる仕組みがある。遠くの国から流れてきた旅人や、戦争で故郷を失った人、事情があって身分を証明できない人など、冒険者になる理由はさまざまだ。もちろん、誰でも無条件に登録できるわけではないけれど、少なくとも相談する余地はある。
そもそも冒険者ギルドは、単に魔物退治の仕事を紹介する場所ではない。商人の護衛や荷物の運搬、薬草の採集、村の困りごとの解決など、個人では対応しきれない仕事を引き受ける人間と、仕事を頼みたい人間を結びつける組織なのだ。
依頼人から預かった荷物を持ち逃げされても困るし、護衛を頼んだ冒険者が途中で逃げ出しても困る。だからギルドは、冒険者の仕事を仲介するだけでなく、依頼の履行状況や報酬の支払い、登録者の信用についても管理している。
そういう意味では、昨日会ったばかりの男を連れていく私にも、それなりの責任がある。
もっとも、本人はその辺りをちゃんと理解しているらしい。
「リカ、昨日借りた部屋なんだけど、寝具はあのままでよかったか?」
「うん。あとで洗うから、そのままでいいよ」
「分かった。窓は閉めておいた」
「ありがとう。助かる」
タクマはそう言って、客間から出てきた。
昨日の夜は随分疲れていたようだけれど、今朝は顔色も悪くない。朝食の支度も手伝ってくれたし、食べ終わった食器も自分から片づけていた。まだこの家に来て一日も経っていないのに、何もしないで世話になるのが落ち着かないらしい。
昨日まで仕事をしていたという話だから、そういう習慣が身についているのかもしれない。私としては、家事を手伝ってもらえるのはありがたいし、何より遠慮なく頼みごとができる相手というのは案外貴重だった。
「あ、そうだ。タクマ、出かける前にひとつ話しておきたいことがあるんだけど」
「何だ?」
「昨日の、異世界から来たって話」
タクマは手を止めた。
「それがどうかしたのか?」
「街では、あんまり人に話さない方がいいと思うんだよね」
「……ああ、なるほど。信じてもらえない可能性が高いってことか」
「それもあるけど、変な噂になるのが嫌なの。知らない世界から来た人間なんて、私だって初めて会ったもの。面白がる人もいるだろうし、何か特別な力があるんじゃないかって考える人もいるかもしれない」
「昨日の俺を見れば、特別な力なんてなさそうだけどな」
「それはまだ分からないでしょ。魔法の適性だって調べてないんだから」
「……あまり期待しないでくれよ」
タクマは苦笑した。
私は彼が話を理解してくれたことに安心しながら、考えていた説明を伝えることにした。
「それでね、出身を聞かれたら、魔族の領域よりもっともっと東にいたって説明しようと思うの」
「魔族の領域って、昨日の地図で見た東側の?」
「そう。あの辺りは人間の国との行き来が少ないし、その向こうがどうなっているかも、ほとんど分かっていないんだよ。だから、遠くから来たって話自体はおかしくないと思う」
「なるほど。それで、森に突然現れた理由は?」
「転移魔法の事故に巻き込まれたみたい、ってことにしようかな」
タクマは少し目を見開いた。
「そんな事故があるのか?」
「あるよ。滅多にないけどね。転移魔法って便利だけど、行き先を間違えたり、術式が壊れたりすると危ないんだ。普通は決まった転移陣を使うか、きちんと行き先を指定できる術者が扱うものなの。知らない場所へ適当に飛ぶなんて、まともな魔法使いなら絶対にやらないよ」
「……それは怖いな」
「だから、事故で変な場所に飛ばされたって説明なら、少なくとも話としては通ると思う。ただ、私も本当に事故だったかどうかは分からないから、そこは断定しないけどね」
「分かった。じゃあ、聞かれたらその説明で」
「ううん。私がうまいこと説明するから、タクマは無理に話を合わせなくていいよ。知らないことを聞かれて、変に答えちゃう方が困るし」
「……頼りになるな」
「七年も冒険者やってるからね。こういうのは任せて」
私は胸を張った。
もちろん、嘘をつくことが好きなわけではない。でも、相手に何もかも話す必要があるかといえば、それも違う。自分の事情をどこまで明かすかは、本人が決めればいいことだ。
私自身、他人に話していないことなんて山ほどある。
「それじゃ、行こうか」
「ああ。よろしく頼む」
「だから、そんなにかしこまらなくていいって」
「いや、世話になりっぱなしだからさ」
「じゃあ、いつか何かで返してくれればいいよ」
タクマは真面目な顔でうなずいた。
「分かった。そうする」
この人、本当に律儀だなあ。
私は少しおかしくなりながら、玄関の扉を開けた。
*
森の朝は、いつもどおり静かだった。
木々の間から差し込む陽の光が、朝露に濡れた草を照らしている。少し冷たい空気を吸い込むと、昨夜まで家の中にこもっていた身体が、ようやく目を覚ましたような気がした。
私は先に外へ出て、タクマがついてきたことを確かめた。
「そういえば、リカ」
「何?」
「昨日言ってた結界って、今も動いてるんだよな?」
「もちろん。留守にするときこそ必要だからね」
「俺が外に出ても大丈夫なのか?」
「私と一緒なら大丈夫。結界を通るときに、私が一時的な許可を出してるから」
「なるほど。入退室管理みたいなものか」
「にゅうたいしつ?」
「会社の建物とかでさ。社員証を持ってる人だけ入れる部屋があるんだよ」
「へえ。魔法を使わずに?」
「ああ。電気で動く仕組みだな」
「面白いねえ。魔法がなくても、考えることは似てるんだ」
私は感心した。
昨日からタクマの世界についていろいろ聞いているけれど、向こうの人間は魔法が使えない代わりに、随分と変わった道具を作っているらしい。遠くの人と話せる道具も、空を飛ぶ乗り物も、私にはまだうまく想像できない。
でも、建物の出入りを管理する仕組みなら、少し分かる気がする。
「ちなみに、うちの結界は家を隠すだけじゃないんだよ。許可のない人が近づこうとすると、自然に別の方向へ進むようになってるの」
「昨日も聞いたな。迷わせるんだったか」
「そうそう。強引に突破しようとすると防御術式も働くけど、普通はそこまでいかないかな。森の中を歩いてる人が、わざわざ見えない家に向かって突っ込んでくることなんてないからね」
「それ、俺が一人で帰ってきたらどうなるんだ?」
「家を見つけられないと思う」
「……だよな」
「だから、帰りもちゃんと私についてきてね」
「了解」
タクマは神妙にうなずいた。
家の周囲には、私が七年かけて少しずつ手を加えてきた結界がある。最初は簡単な隠蔽術式だけだったけれど、冒険者として稼いだお金で魔石を買い、術式を増やし、今ではかなり立派なものになった。
自分の家を自分の好きなように改良できるのは、なかなか楽しい。
ただ、術式の細かい仕組みまで説明し始めると長くなるので、今日はやめておくことにした。街へ行くのが目的だった。
森を抜けるまでは、少し歩きにくい道が続く。私は慣れているけれど、タクマは木の根や石を避けながら慎重についてきた。昨日、魔物に追いかけられたばかりなのだから、無理もない。
「この辺りって、昨日みたいな魔物が普通に出るのか?」
「牙獣のこと? うん、いるよ。でも、あんなふうに人を追いかけ回すことは、そんなに多くないかな」
「そうなのか?」
「基本的には縄張りに入らなければ大丈夫なことが多いんだけどね。昨日の二頭は随分興奮してたから、何かに驚いたのかもしれないし、単に運が悪かったのかもしれない」
「……できれば、もう会いたくないな」
「大丈夫。今は私がいるから」
「それは心強い」
素直にそう言われると、少し嬉しい。
もっとも、私がいなければ危ない場所に住んでいるのも事実だ。タクマがこの家で暮らすなら、森の歩き方や魔物の習性についても、少しずつ教えておいた方がいいだろう。
そんなことを考えているうちに、木々の間から広い道が見えてきた。
「ここからは街道だよ。あとは道なりに進めば街に着くから」
「おお、ちゃんとした道だな」
「ちゃんとした道って何?」
「いや、さっきまでと比べると、随分歩きやすいなと思って」
タクマは足元を見ながら答えた。
街道は土を踏み固めたもので、ところどころに石が敷かれている。雨が降ればぬかるむ場所もあるけれど、森の中を歩くよりはずっと楽だ。
しばらく進むと、前方から荷馬車がやってきた。
二頭の馬が引く荷台には木箱や布袋が積まれ、御者台には日に焼けた男が座っている。荷台の横を歩く若い男もいて、腰には短い剣を下げていた。
行商人だろう。
すれ違いざまに軽く挨拶すると、御者の男も手を上げて応じた。その直後、隣を歩いていたタクマが自分の服を見下ろした。
「……なあ、リカ」
「どうしたの?」
「俺の格好って、やっぱり目立つよな?」
「うん。結構目立つね」
「やっぱりか……」
タクマは困ったように笑った。
彼が着ているのは、昨日森で出会ったときと同じ服だ。白いシャツに、細長い布を首から下げ、その上に黒っぽい上着を着ている。ズボンも同じような色で、全体的にきちんとした印象がある。
ただ、こちらではあまり見かけない形だった。
「その服、ニホンでは普通なの?」
「仕事をするときの服だな。スーツっていうんだ」
「すーつ?」
「ああ。会社に行くときとか、お客さんと会うときに着るんだよ」
「へえ。確かに商人っぽい感じはするね。でも、こっちの商人とは随分違うかな」
「だよなあ……」
タクマは先ほどの行商人が歩いていった方向を振り返った。
「さっきの人たち、俺と全然違う服だったし。街に入ったら、余計に目立ちそうだな」
「そうだね。あの格好で冒険者ギルドに入ったら、結構見られると思うよ」
「それは避けたいな」
「じゃあ、先に服を買おうか。街には古着を扱ってる店もあるし」
「助かる。ただ、金がないんだよな……」
「最初は私が払ってあげるよ。仕事が見つかったら返してくれればいいし」
「……悪いな」
「いいって。それに、服がないと仕事もできないでしょ?」
タクマは少し考え、それからうなずいた。
「そうだな。まずは身なりを整えないと」
私は笑った。
異世界に来た翌日に、服装の心配をしている人間というのも、なかなか珍しい気がする。でも、考えてみれば当然かもしれない。タクマは昨日まで、普通に仕事をしていた人間なのだ。知らない土地へ来たからといって、それまでの習慣が急になくなるわけではないのだろう。
*
ノヴァグラードの城壁が見えてきたのは、それからしばらく歩いた頃だった。
街の周囲には高い石壁が築かれ、街道の先には大きな門が開いている。門の手前には商人の荷馬車や旅人たちが並び、衛兵が荷物や身分証を確認していた。
「……思ってたより大きいな」
タクマが感心したように言った。
「ノヴァグラードは、この辺りじゃ大きな街だからね。商人も冒険者も多いし、周辺の村から買い物に来る人もいるよ」
「城壁まであるんだな」
「もちろん。魔物がいるからね。街の外側には畑や牧場もあるけど、危険なときには門を閉めることもあるの」
「なるほど。防衛施設でもあるわけか」
「そういうこと」
私は門へ向かう列の最後尾に並んだ。
タクマは周囲を興味深そうに眺めている。荷馬車に積まれた木箱や、商人たちの服装、衛兵の持つ槍。どれも彼にとっては珍しいものなのだろう。
もっとも、私にとっても、昨日聞いた日本の街並みは想像もつかないものだった。高い建物が並び、夜でも明るく、馬を使わずに人や荷物を運ぶ。そんな街が本当にあるなら、一度くらい見てみたい。
順番が来ると、門番の一人がこちらへ顔を向けた。
「おや、リカさん。おはようございます」
「おはよう。今日も忙しそうだね」
「朝はいつもこんなものですよ。昨日の依頼は終わりましたか?」
「うん。報告に来たところ」
「それは何よりです。……ところで、そちらの方は?」
衛兵の視線がタクマへ移った。
「昨日、森で会った人だよ。ちょっと事情があって、一緒にギルドへ行くところなの」
「身分証はお持ちですか?」
タクマは一瞬、私を見た。
「今は持っていないんだって。ずっと東の方から来たみたいで、転移魔法の事故に巻き込まれた可能性があるの」
「転移事故ですか?」
「うん。本人も何が起きたのか、よく分かってないみたい。だから、まずはギルドで相談しようと思って」
「なるほど……」
衛兵は少し考え、私の冒険者証を確認した。
「リカさんが同行されているなら、ひとまず通行は認めます。ただし、身元の確認はギルドでお願いしますね」
「うん。ありがとう」
「そちらの方も、街の中では問題を起こさないようにお願いします」
「分かりました。ありがとうございます」
タクマは丁寧に頭を下げた。
門を通り抜けると、彼は小さく息を吐いた。
「……助かった」
「緊張した?」
「そりゃするよ。身分証もないし、知らない国から来たなんて言っても信じてもらえるか分からないからな」
「まあ、そうだよね」
「それにしても、リカは顔が広いんだな」
「そう?」
「門番の人、普通に名前を覚えてたじゃないか」
「何度も通ってるからね。冒険者って、街の外へ出ることが多いし」
私はそう答えたけれど、タクマはまだ少し感心しているようだった。別に珍しいことではないと思う。毎日のように同じ門を通っていれば、顔くらい覚えてもらえるものだ。
街の中へ入ると、通りは朝から賑わっていた。
パンを焼く香ばしい匂いが漂い、露店の商人が大きな声で客を呼んでいる。荷物を積んだ手押し車が行き交い、通りの向こうでは鍛冶屋が金属を打つ音を響かせていた。
タクマは目を忙しそうに動かしていた。
「……すごいな」
「何が?」
「いや、もっと小さな街を想像してた。ちゃんと商店街みたいになってるんだな」
「しょうてんがい?」
「店が集まってる通りのこと。日本にもあるんだ」
「ああ、それなら似てるかもね」
私は歩きながら、目についた店を説明した。
食料品を扱う店、道具屋、鍛冶屋、薬屋、宿屋。冒険者向けの装備を売る店もあるし、商人が遠くの国から運んできた珍しい品を扱う店もある。
タクマはそのたびに質問してきた。店の営業時間は決まっているのか。商品の値段は交渉するものなのか。税金はどうやって納めるのか。
昨日も思ったけれど、本当に仕事の話が好きな人だ。
「タクマって、買い物に来ても仕事のこと考えてそうだね」
「……否定できないな」
「ふふ。まあ、いいけど」
私は通りの先にある衣料品店を指さした。
「ほら、あそこ。古着も扱ってるから、ちょうどいいと思うよ」
*
店の中には、色とりどりの布や衣服が並んでいた。
壁際には丈夫そうな上着やズボンが吊るされ、棚にはシャツや靴下、革のベルトなどが積まれている。奥には靴も並んでいて、旅人や職人が普段使うような品が中心だった。
「いらっしゃい。おや、リカちゃんじゃないか」
店主のおばさんが、奥から顔を出した。
「こんにちは。今日はこの人の服を見に来たんだ」
「へえ。珍しいねえ。男物なら、そっちの棚だよ」
「ありがとう」
タクマは軽く会釈し、棚へ向かった。私はその隣で、冒険者として使いやすそうな服を選んでいく。
「まずは丈夫なズボンかな。森を歩くなら、薄い布より少し厚手の方がいいよ」
「なるほど」
「上着は動きやすいものがいいね。あと、靴も替えた方がいいと思う」
「靴もか」
「うん。その靴、歩きにくそうだし」
タクマが履いている黒い革靴は、昨日の森で随分傷んでいた。表面には泥がつき、つま先には細かな擦り傷がある。それでも、汚れていない部分には不思議な光沢が残っていた。
「その靴、変わってるねえ」
店主のおばさんが、タクマの足元を見て言った。
「革なのに、随分綺麗に光るじゃないか」
「ああ、表面を加工してあるんです」
「へえ。こんなの初めて見たよ。貴族様が履く靴みたいだね」
「日本じゃ、仕事用としては普通なんですけど」
「ニホン?」
「遠い国なんだって」
私が横から説明すると、おばさんは興味深そうにうなずいた。
タクマは靴を脱ぎ、店に並んでいる丈夫な革靴を試してみた。最初は少し違和感があるようだったけれど、何度か歩いて確かめると、納得したようにうなずいた。
「これなら歩きやすそうだな」
「うん。森でも使えると思うよ」
服も何着か選び、試着を済ませる。
タクマが着替えて出てくると、私は思わず笑ってしまった。
「おお、ちゃんとこっちの人みたいになったね」
「そんなに違うか?」
「全然違うよ。さっきまでは、どこかの偉い商人さんみたいだったもん」
「……それ、褒めてるのか?」
「もちろん」
タクマは少し疑わしそうな顔をした。
でも、服装が変わるだけで印象は随分違う。今の彼なら、街を歩いていてもそれほど目立たないだろう。
問題は代金だった。
「全部で銀貨三枚と銅貨八枚だね」
店主がそう言うと、タクマは私へ顔を向けた。
「……高いのか?」
「まあ、こんなものかな。新品ばっかり買うよりは安いよ」
「なるほど」
私は財布を取り出そうとした。
そのとき、タクマが何か思いついたように口を開いた。
「そういえば、すみません」
「何だい?」
「この服って、買い取ってもらえたりしますか?」
そう言って、タクマは脱いだスーツを差し出した。
おばさんは目を丸くした。
「何だい、これ。さっき着てた服かい?」
「はい。もう着る機会もなさそうなので、もし売れるならと思って」
「ちょっと見せておくれ」
おばさんは上着を受け取り、生地を指でつまんだ。それから縫い目を確かめ、裏地をめくり、何度か感心したような声を上げた。
「へえ……随分細かい織り方だね。縫い目も綺麗だし、形も面白い」
「そんなに珍しいんですか?」
「珍しいねえ。少なくとも、あたしは見たことがないよ」
おばさんはズボンにも目を向けた。
タクマが腰の辺りについている小さな金具を動かすと、布の合わせ目がするすると開いた。
「……何だい、それ?」
「ファスナーです。こうやって開け閉めするんですよ」
「へえ!」
おばさんは身を乗り出した。
「ちょっと、もう一回やってみておくれ」
タクマが金具を動かすと、おばさんは何度も感心したようにうなずいた。
「面白い仕掛けだねえ。ボタンより早いじゃないか」
「そうですね。日本じゃ普通なんですけど」
「ニホンってのは、随分変わった国なんだね」
私は二人のやり取りを眺めながら、少し笑ってしまった。昨日はタクマが魔法に驚いていたのに、今日はおばさんが彼の服に驚いている。世界が違えば、当たり前のものも違うのだろう。
おばさんはしばらく考え、スーツと革靴をまとめて買い取る金額を提示した。新品の服が何着も買えるような大金ではないけれど、少なくとも今日の買い物には十分な額だった。
「どうする?」
私が尋ねると、タクマは脱いだ上着を見つめた。
少しの間、何も言わなかった。
「……そうだな」
彼は上着の襟元を軽く整えた。
「売ります。お願いします」
「本当にいいの?」
「ああ。帰れたら、また買えばいいし」
タクマはそう言って笑った。
ただ、その笑顔は少しだけ寂しそうに見えた。
昨日まで、この服を着て仕事をしていたのだろう。彼にとっては、ただの衣服ではないのかもしれない。それでも、今必要なものを優先することにしたらしい。
私はそれ以上何も言わなかった。
店主がお金を数えている間、タクマは首から下げていた細長い布を畳み、ポケットへしまった。
「それは売らないの?」
「ネクタイは取っておこうかな」
「ねくたい?」
「ああ。まあ、記念みたいなものだよ」
「ふうん」
私は少し不思議に思ったけれど、本人がそうしたいなら、それでいい。
やがて店主からお金を受け取ると、タクマはその中から服の代金を支払った。残った硬貨を手のひらに並べ、何度か数える。
「……これが、こっちの金か」
「そうだよ。使い方は少しずつ覚えればいいから」
「ああ。ありがとう」
タクマは硬貨を財布へしまい、改めて店主へ頭を下げた。
「助かりました」
「こちらこそ。面白いものを見せてもらったよ」
おばさんは上機嫌だった。
店を出ると、タクマは自分の服装をもう一度確かめた。
「どうだ?」
「うん。もう普通の旅人にしか見えないよ」
「それならよかった」
彼は少し安心したように笑った。
私はそんなタクマを見ながら、これでひとつ問題が片付いたと思った。
少なくとも、服装については。
*
冒険者ギルドは、街の中心部から少し外れた場所にある。
大きな石造りの建物で、入口には剣と盾を組み合わせた紋章が掲げられていた。中には受付や依頼掲示板のほか、冒険者が食事をしたり情報交換をしたりするための広間もある。
「ここがギルド?」
「そう。冒険者ギルドのノヴァグラード支部だよ」
「思ったより立派な建物だな」
「人の出入りが多いからね。依頼人も来るし、冒険者も集まるし、職員もたくさんいるから」
私は扉を開けた。
中はいつもどおり賑やかだった。依頼掲示板の前には数人の冒険者が集まり、受付では報告書を提出している者もいる。奥の食堂からは食事の匂いが漂い、酒を飲んでいるらしい男たちの笑い声も聞こえてきた。
タクマは少し驚いたように周囲を見回した。
「……役所と職業紹介所と食堂が一緒になった感じだな」
「やくしょ?」
「いや、こっちの話」
「また今度教えてね」
「ああ」
私は受付へ向かった。
ちょうど顔なじみのエリナが書類を整理しているところだった。
「エリナ、おはよう!」
声をかけると、彼女は顔を上げた。
「あ、リカ! おはよ。昨日の依頼、どうだった?」
「問題なし。報告書も持ってきたよ」
「珍しいね、ちゃんと持ってきてる」
「私、いつもちゃんとしてるでしょ!」
「はいはい。そういうことにしとく」
エリナは笑いながら書類を受け取った。
彼女とは、冒険者になって間もない頃からの付き合いだ。最初は普通の受付嬢と冒険者という関係だったけれど、何度も顔を合わせているうちに、いつの間にか仕事以外の話もするようになっていた。
今では、街で一緒に食事をすることもあるし、休みの日に買い物へ出かけることもある。仕事中はきちんとしているけれど、私に対してだけは遠慮がない。ときどき余計なことまで言ってくるのが困りものだ。
「……リカ、討伐数が予定より多いんだけど」
「ああ、途中でもう二頭見つけたから」
「追加討伐分の証明は?」
「ちゃんとあるよ」
「なら大丈夫。あとで確認しとくね」
エリナは書類を重ね、それから私の隣へ視線を向けた。
「……で、そちらの男の人は?」
「ああ。昨日、森で拾ったの」
「拾った?」
「うん」
「犬猫じゃないんだからさあ」
エリナは呆れたように言った。
タクマは隣で困ったように笑っている。
「初めまして。タクマ・イザワといいます」
「あ、どうも。冒険者ギルド受付のエリナです」
エリナはすぐに仕事用の笑顔に戻った。
「それで、どういったご用件でしょうか?」
「実は、身分証がなくて困っているんです。こちらで生活するために、仕事を探したいと思っているんですが」
「身分証がないんですか?」
「はい。今は持っていません」
「出身地を証明できる書類なども?」
「ありません」
「そうですか……」
エリナは少し考え込んだ。
私は横から説明を加えた。
「タクマはね、魔族の領域よりもっともっと東の方から来たらしいんだ」
「魔族の領域より東?」
「そう。本人の話を聞く限り、転移魔法の事故に巻き込まれた可能性があるみたいで」
「転移事故……」
エリナは眉を寄せた。
「それは、随分大変でしたね」
「うん。気づいたら森の中にいたらしくて、魔物に追いかけられてたところを私が見つけたの」
「なるほど。それでリカが連れてきたわけね」
「そういうこと」
エリナはタクマへ向き直った。
「タクマさん、こちらの言葉は問題なく話せるんですね」
「はい。なぜか、会話はできるようです。ただ、文字は読めません」
「文字が読めない……。それは少し不便ですね」
「はい。少しずつ覚えたいと思っています」
エリナはうなずいた。
「分かりました。ただ、身元が確認できない方の登録については、私だけでは判断できません。ギルドマスターに相談してもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。お願いします」
タクマは丁寧に答えた。
エリナは私へ顔を向けた。
「リカも一緒に来てくれる?」
「もちろん」
「じゃあ、ちょっと待ってて。バルザックさんに話してくるから」
エリナは奥の部屋へ向かった。
私はその背中を見送りながら、タクマへ声をかけた。
「まあ、大丈夫だと思うよ」
「そうなのか?」
「うん。バルザックなら話くらいは聞いてくれるはず」
「バルザック?」
「ここのギルドマスター。ちょっと怖い顔してるけど、悪い人じゃないから」
「……ちょっと怖い顔、ね」
タクマは苦笑した。
*
しばらくすると、エリナが戻ってきた。
「お待たせ。ギルドマスターが会ってくれるって」
「ありがとう」
私たちはエリナに案内され、奥の部屋へ向かった。
ギルドマスターの執務室は、広いというほどではないけれど、書類棚や地図が並ぶ落ち着いた部屋だった。大きな机の向こうには、がっしりした体格の男が座っている。
バルザックだ。
年齢は五十歳を少し過ぎたくらいだろうか。短く刈った髪には白いものが混じり、顔には古い傷がいくつか残っている。昔は冒険者としてかなり名を知られていたらしいけれど、今ではすっかりギルドの管理職だ。
本人は、そのことをあまり嬉しそうには話さない。
「リカ。今度は何を拾ってきた?」
私たちを見るなり、バルザックはそう言った。
「人間だよ」
「見れば分かる」
「みんな同じこと言うね」
「お前の説明が悪いんだ」
私は少し笑った。
バルザックはため息をつき、タクマへ視線を向けた。
「それで、お前さんがタクマ・イザワか」
「はい。よろしくお願いします」
「まあ、座れ。話はエリナから少し聞いてる」
私たちは向かいの椅子に腰を下ろした。
バルザックはしばらくタクマを観察していた。
「随分遠くから来たそうだな」
「はい」
「魔族の領域より東、か。あの辺りのことは、俺も詳しく知らん」
「私もだよ。だから、詳しい場所までは分からないんだけどね」
「ふむ……」
バルザックは腕を組んだ。
「それで、転移事故に巻き込まれた可能性があるというわけか」
「うん。話を聞く限り、そういうことも考えられるかなって」
「随分と都合のいい説明だな」
「そう言われると思った」
私は肩をすくめた。
「でも、実際に森で魔物に追いかけられてたんだよ。あんなところに一人でいた理由としては、他に思いつかないんだよね」
「……なるほどな」
バルザックはしばらく考え、それからタクマへ向き直った。
「お前さん自身は、何が起きたか分からんのか?」
「はい。気づいたら森の中にいました。どうやって来たのか、自分でも分かりません」
「ふむ」
「元いた場所へ帰る方法を探したいと思っています。ただ、すぐに見つかるとは限りませんので、その間の生活費を自分で稼ぎたいんです」
「ほう」
バルザックは少しだけ目を細めた。
「戦えるのか?」
「剣道というものを少し習っていました。ただ、実戦経験はありません」
「魔法は?」
「使ったことがありません」
「なるほどな」
バルザックは机の上で指を組んだ。
「少なくとも、自分に何ができないかは分かっているらしい」
「……はい」
「それは悪いことじゃない。冒険者には、自分の腕を過信して死ぬ奴が山ほどいるからな」
私は思わずうなずいた。
本当に、そのとおりだ。
強い魔物を倒せるようになった途端、自分は何でもできると思い込んでしまう人間は少なくない。そういう人ほど、危険な依頼を無理に引き受けてしまう。
冒険者にとって、自分の限界を知ることはとても大切なのだ。
「それで、リカ」
バルザックが私を見た。
「お前はどうするつもりだ?」
「私?」
「この男を連れてきたんだろう。面倒を見るつもりなのか?」
「うん。しばらくはね」
「……簡単に言うな」
「簡単には言ってないよ」
私は少しむっとした。
確かに、昨日会ったばかりの男だ。何もかも信用しているわけではないし、今後どうなるかも分からない。
でも、だからといって放り出すのも違うと思う。
「少なくとも、私が連れてきたんだから、ある程度は責任を持つつもりだよ」
「ふむ……」
「それに、話してみた感じ、悪い人じゃなさそうだし」
「それだけか?」
「もちろん、それだけじゃないよ。私が見ている間に、何か問題があれば対応するつもり」
バルザックはしばらく考え込んだ。
「……保証人になるということか?」
「必要ならね」
「お前、自分が何を言ってるか分かってるのか?」
「分かってるよ」
私は真面目に答えた。
冒険者ギルドで保証人になるということは、ただ名前を貸すだけではない。登録した人間が問題を起こした場合、保証人にも説明や対応を求められることがある。
場合によっては、自分の信用にも傷がつく。
それくらいは、私だって理解している。
「無条件に信用してるわけじゃない。でも、少なくとも今のところ、私が責任を持って見ていられると思う」
バルザックは私を見つめ、それから小さく息を吐いた。
「……分かった」
「いいの?」
「お前がそこまで言うなら、仮登録は認めよう。ただし、条件付きだ」
タクマが顔を上げた。
「条件、ですか?」
「ああ。まずは新人研修を受けてもらう。研修が終わるまでは依頼を受けられん。研修後も、しばらくはリカの同行か、ギルドが認めた依頼に限る。危険度の高い仕事は受けられんし、何か問題があれば登録を見直す」
「分かりました」
「それから、リカ。お前も責任を忘れるなよ」
「もちろん」
私はうなずいた。
バルザックは書類を取り出し、必要事項を書き込んだ。
「エリナに渡せ。あとは受付で手続きを進めてもらえ」
「ありがとう、バルザック」
「礼を言うのは、問題なく仕事を続けられるようになってからにしろ」
「はいはい」
「返事は一回だ」
「はーい」
バルザックは呆れたようにため息をついた。
私は少し笑い、書類を受け取った。
*
受付へ戻ると、エリナが待っていた。
「どうだった?」
「仮登録、認めてもらえたよ」
「よかったね。じゃあ、手続き進めよっか」
エリナは書類を受け取り、内容を確認した。
「タクマさん、こちらへどうぞ」
「お願いします」
タクマは受付の前へ立った。
エリナは必要事項を確認しながら、冒険者ギルドの仕組みを説明していく。
冒険者には等級があり、最初は一番下の等級から始まること。依頼には危険度や必要な技能が設定されていて、誰でも好きな仕事を受けられるわけではないこと。報酬は依頼の達成後に支払われ、途中で放棄した場合には違約金が発生することもある。
タクマはひとつひとつ確認していた。
「依頼の内容が途中で変わった場合は、どうなるんですか?」
「基本的には、依頼人と冒険者の間で再調整することになります」
「その場合、追加報酬の基準は決まっているんでしょうか?」
「内容によりますね。ギルドが仲介する場合もありますが、現場での判断が必要なこともあります」
「なるほど。では、依頼書に書かれていない作業を頼まれた場合は……」
エリナが少し驚いたように顔を上げた。
「タクマさん、随分細かいところまで気にされるんですね」
「あ、すみません。前の仕事で、そういう確認が大事だったものですから」
「いえ、いいことですよ。むしろ、最初に確認していただいた方が助かります」
エリナは微笑んだ。
私は隣で、少し面白くなってきた。
タクマは昨日も、地図を見ながら街道の管理や税金について質問していた。どうやら彼は、何かを始める前に条件を整理しておきたい性格らしい。
冒険者の中には、依頼書をろくに読まずに仕事を受けてしまう人間もいる。それに比べれば、ずっと慎重だ。
ただ、あまり細かいことばかり気にしていると、仕事が進まなくなることもある。
「タクマ、全部一度に覚えなくても大丈夫だよ」
「分かってる。でも、後から知らなかったって言うのも困るだろ?」
「まあ、それはそうだけど」
「それに、契約の内容を確認するのは大事だからな」
「……本当に仕事の人だねえ」
私は笑った。
タクマも少し照れたように笑っていた。
「それでは、タクマさん」
エリナが書類をまとめた。
「仮登録の手続きはこれで完了です。ただし、依頼を受けられるのは新人研修を終えてからになります」
「新人研修、ですか?」
「はい。冒険者としての基本的な規則や安全知識、それから簡単な実技確認を行います。研修の結果によって、最初に受けられる依頼の範囲も決まります」
「なるほど。ちゃんとしてるんですね」
「そう言っていただけると嬉しいです」
エリナは笑った。
「研修は明日の朝からになります。担当官はハーケンさんです」
「ハーケン?」
私が名前を口にすると、エリナはうなずいた。
「うん。ちょうど明日は担当日なの」
「それなら安心だね」
ハーケンは、もともと冒険者として活動していた男だ。今はギルドの職員になり、新人研修や実技確認を担当している。
現役時代はかなりの実力者だったらしく、戦い方だけでなく、危険な状況での判断にも詳しい。少々厳しいところはあるけれど、初心者を無理に危険へ放り込むような人ではない。
私は何度か仕事で顔を合わせたことがあるし、研修の様子を見かけたこともある。
「ハーケンなら、ちゃんと見てくれると思うよ」
「そうなのか?」
「うん。ちょっと怖い顔してるけど、いい人だから」
「……また怖い顔か」
タクマは苦笑した。
そのとき、受付の奥から低い声がした。
「誰の顔が怖いって?」
振り返ると、大柄な男が立っていた。
短く刈った髪に、日に焼けた顔。肩幅が広く、腕も太い。腰には剣を下げていないけれど、立ち姿だけで長く戦ってきた人間だと分かる。
ハーケンだった。
「あ、ハーケン。ちょうどよかった」
「よかった、じゃない。今、俺の顔がどうとか言ってなかったか?」
「気のせいじゃない?」
「……お前な」
ハーケンは呆れたようにため息をついた。
エリナが笑いながら口を挟む。
「ハーケンさん、明日の研修に新しい方が参加されます。こちらのタクマさんです」
タクマは姿勢を正した。
「初めまして。タクマ・イザワといいます。よろしくお願いします」
「ハーケンだ。新人研修を担当している」
ハーケンはタクマを一度見て、それから私へ視線を向けた。
「リカの知り合いか?」
「うん。昨日、森で拾ったの」
「……拾った?」
「そう」
「お前は何を言ってるんだ」
「みんな同じ反応するね」
「お前の説明が悪いんだろうが」
どうしてみんな、同じことを言うんだろう。
私は少し不満だったけれど、ハーケンは気にした様子もなくタクマへ向き直った。
「剣を握ったことは?」
「少しだけあります。ただ、実戦経験はありません」
「魔法は?」
「使ったことがありません」
「そうか。なら、明日確認する」
ハーケンは短く答えた。
「研修は遊びじゃない。できないことはできないと言え。無理に格好をつける必要はないが、分からないことを分かったふりするな。それだけ覚えておけ」
「分かりました」
「よし。明日の朝、遅れるなよ」
「はい。よろしくお願いします」
タクマは丁寧に頭を下げた。
ハーケンは軽くうなずき、奥へ戻っていった。
「……厳しそうな人だな」
タクマが小声で言った。
「うん。でも、ああいう人の方が安心だよ。新人に甘いことばっかり言って、危ない仕事をさせる人よりずっといいから」
「それはそうだな」
タクマは納得したようにうなずいた。
私は少し嬉しくなった。
冒険者の仕事は、誰でも簡単に始められるものではない。少なくとも、この街のギルドでは、新人が最低限の知識を身につけてから依頼を受ける仕組みになっている。
もちろん、それでも事故は起きる。だからこそ、最初の研修は大切なのだ。
*
手続きが一段落したところで、私はタクマを依頼掲示板へ案内した。
壁一面に、さまざまな依頼書が貼られている。
「ここにあるのが、今受けられる仕事だよ」
「随分多いな」
「そうだね。魔物の討伐もあれば、採集や運搬、護衛の仕事もあるよ」
タクマは依頼書を眺めた。
しばらくすると、困ったように笑った。
「……やっぱり、読めないな」
「ああ、そっか」
「数字みたいなのは何となく分かるけど、文字は全然だ」
「それなら、最初は私が読んであげるよ。文字も少しずつ覚えようね」
「助かる」
私はいくつかの依頼書を指さし、内容を説明した。
近くの森で薬草を採集する仕事。商人の荷物を運ぶ仕事。街の外壁周辺を巡回する仕事。どれも比較的危険度の低い依頼だ。
ただし、危険度が低いからといって、必ず安全とは限らない。
「薬草採集でも、森の奥へ入りすぎると危ないからね。あと、似たような草を間違えて採っちゃう人もいるし」
「なるほど。知識が必要なんだな」
「そういうこと。運搬の仕事だって、荷物の扱いを間違えると弁償になることもあるよ」
「それは日本でも同じだな」
「へえ。そうなんだ」
私は少し嬉しくなった。
昨日から話していると、違うことばかりが目につくけれど、似ているところも意外と多い。人が働いて、お金を稼いで、生活する。魔法があるかどうかは違っても、その辺りはあまり変わらないのかもしれない。
「リカ!」
背後から声がした。
振り返ると、顔なじみの冒険者が手を上げていた。
「この前の護衛依頼、助かったぜ。あの魔物が出たときはどうなるかと思った」
「ああ、あれね。みんな無事だった?」
「おかげさまでな。商人も喜んでたよ」
「それならよかった」
男は笑い、それからタクマを見た。
「お、新しい仲間か?」
「うん。昨日、森で拾ったんだ」
「拾った?」
「そう」
「……お前、相変わらず変なもの見つけてくるな」
「変なものって言わないでよ」
私は少しむっとした。
タクマは隣で苦笑していた。
男が去ったあとも、何人かの冒険者が声をかけてきた。次の依頼の相談をする者もいれば、以前の仕事のお礼を言う者もいる。中には、単に世間話をしたいだけの人間もいた。
私は適当に応じながら、タクマを連れて広間を歩いた。
「……リカって、結構有名なんだな」
タクマがぽつりと言った。
「そう?」
「ああ。さっきから、いろんな人に声をかけられてるじゃないか」
「長く冒険者をやってるからね。知り合いはそれなりにいるよ」
「それだけじゃない気がするけどな」
「何が?」
「いや、みんな普通に頼りにしてる感じがする」
私は少し考えた。
確かに、仕事を頼まれることは多い。魔法が得意だから、討伐や護衛の依頼では声をかけてもらいやすいし、長く続けていれば顔見知りも増える。
でも、それは私だけではない。
冒険者という仕事は、一人ではできないことも多い。誰かに助けてもらうこともあれば、逆に助けることもある。そうやって少しずつ人間関係ができていくものだ。
「まあ、みんな持ちつ持たれつだからね」
「なるほど」
タクマはうなずいた。
「でも、いいことだと思うよ。信用されてるってことだろ?」
「……そうかな」
「そうだと思う」
真面目に言われると、少し照れくさい。
私は話題を変えることにした。
「それじゃ、今日はそろそろ帰ろうか」
「ああ。明日の研修もあるしな」
「うん。朝からだから、今日は早めに休もうね」
「了解」
タクマは仮登録証をもう一度取り出し、眺めた。
「……昨日まで、普通に会社で働いてたんだけどな」
その声には、少しだけ寂しさが混じっていた。
私は何も言わず、隣で待った。
「……まあ、考えても仕方ないか」
タクマは小さく笑い、仮登録証をしまった。
「まずは、こっちで生きていかないとな」
「うん。それがいいと思う」
私はうなずいた。
元の世界へ帰る方法は、まだ分からない。タクマがこの街で何をできるのかも、これから調べていくしかない。
でも、少なくとも今日は、ひとつ前へ進んだ。
彼はこの世界で使える服を手に入れ、自分のお金を持ち、冒険者として仮登録された。昨日、森で魔物に追いかけられていた男が、今日は自分の足で新しい生活を始めようとしている。
私はそんなタクマを見て、少し嬉しくなった。
「リカ、ちょっといい?」
受付の方からエリナの声がした。
振り返ると、彼女が手招きしている。
「何?」
「ちょっと確認したいことがあるから、こっち来て」
私はタクマへ顔を向けた。
「ごめん、ちょっと待っててくれる?」
「ああ。じゃあ、もう少し掲示板を見てるよ」
「うん。すぐ戻るね」
タクマが依頼掲示板へ向かったのを確認してから、私は受付へ戻った。
「それで、何の確認?」
「んー?」
エリナは妙に楽しそうな顔をしていた。
嫌な予感がする。
「タクマさんねぇ〜」
「何?」
「リカの好きそうな顔してるね」
エリナはにやにや笑っていた。
「うるさい」
「えー、何それ。否定しないんだ?」
「うるさいってば」
「だってさあ、リカが男の人を連れてくるなんて珍しいじゃない。しかも、保証人にまでなっちゃって」
「困ってたから助けただけだよ」
「ふうん?」
「何、その顔」
「別にぃ?」
エリナはますます楽しそうに笑った。
私はため息をついた。
この子は昔からそうだ。人の話を聞くのは上手いくせに、こういうことになると途端に遠慮がなくなる。
「それに、昨日会ったばっかりなんだから。そういう話じゃないって」
「でも、顔は好みなんでしょ?」
「……だから、うるさいって」
「ほら、否定しない」
「エリナ!」
私が少し声を上げると、エリナはとうとう吹き出した。
「ごめんごめん。でも、ちょっと面白くて」
「何が面白いのよ」
「だって、リカがそんな顔するの、久しぶりに見たから」
「……どんな顔?」
「内緒」
私はじとっと彼女を睨んだ。
エリナはまったく気にしていない。
そのとき、背後からタクマの声がした。
「リカ、終わったか?」
「うん!」
私は慌てて振り返った。
タクマは不思議そうにこちらを見ている。
「何の話してたんだ?」
「何でもないよ!」
「リカの好きな男の話」
「エリナ!」
エリナは楽しそうに笑った。
タクマは一瞬きょとんとして、それから困ったように笑った。
「……仲いいんだな、二人とも」
「まあね!」
「そこは否定しないんだ」
「うるさい!」
私は思わず言い返した。
エリナはますます笑っている。
まったく、今日はタクマの身分をどうにかするために来たはずなのに、どうして最後に私がからかわれなきゃいけないんだろう。
でも、タクマが少し楽しそうに笑っていたので、まあいいかと思うことにした。
私はエリナに軽く手を振り、タクマと一緒にギルドを出た。
明日は新人研修だ。ハーケンなら、タクマに必要なことをきちんと教えてくれるだろう。魔法の適性についても、どんな結果になるのか少し楽しみだった。
ただ、タクマ本人はまだ、何ができるのかも分かっていない。だから、焦る必要はない。できることをひとつずつ増やしていけばいいのだ。
私は隣を歩くタクマを見上げた。
昨日までは、一人で歩いていた道だった。
今日は、二人だった。




