第33話 実践、魔法剣
久しぶりに冒険者として働いた翌朝、タクマはいつもより少しだけ機嫌がよかった。
朝食の席でも、昨日の出来事を何度も思い返しているらしく、パンを口へ運びながら時折嬉しそうに笑っている。ハーケンに褒められたことが、よほど嬉しかったのだろう。
「……何? さっきから」
「え?」
「何か楽しそうだなって」
私がそう言うと、タクマは少し照れくさそうに笑った。
「いや、昨日さ。ハーケンさんに、もう基礎は卒業してもいいくらいだって言われただろ?」
「うん。言われてたね」
「自分じゃ全然分からなかったからさ。何か、今になって嬉しくなってきちゃって」
そう言って笑うタクマを見ていると、私まで嬉しくなってくる。
剣を握ることすら初めてだった人が、こうして一歩ずつ成長している。もちろん、まだ強い剣士になったわけではないけれど、少なくとも最初の頃とは比べものにならないほど、身体の使い方が上手くなっているのは確かだった。
「じゃあ、今日も頑張らないとね」
「……うん」
タクマは頷いたものの、少しだけ表情を曇らせた。
「……何か、昨日より厳しくなりそうな気がするんだよなあ」
「どうして?」
「いや、ボーマンさんって、できるようになったら次のこと教えてくるじゃん」
私は思わず笑った。
それは、まったくそのとおりだった。
ボーマンは、できないことを無理やりやらせるような人ではない。けれど、できるようになったことを何度も褒めて終わりにする人でもなかった。何か一つ身につけば、必ずその先にある課題を示してくる。
幼い頃の私も、何度その笑顔に騙されたことか。
「……まあ、頑張って」
「リカ、他人事みたいに言うなあ」
「だって、今日は私が教わるわけじゃないし」
「……ひどい」
タクマは苦笑しながら、残りのパンを口へ運んだ。
私はそんな彼を眺めながら、今日もきっと賑やかな一日になるのだろうと思っていた。
◇
ボーマンのログハウスへ到着すると、本人は家の前で薪を整理しているところだった。
建てたばかりの家は、まだ細かな部分が完成していない。ボーマンは修行の合間にも少しずつ手を加えているようで、家の脇には切り揃えられた木材が積まれていた。
「おはようございます、ボーマンさん!」
「おはようございます、タクマ殿。殿下も、おはようございます」
「おはよう、ボーマン」
私たちが挨拶すると、ボーマンは薪を脇へ置き、穏やかに微笑んだ。
「昨日は、いかがでしたかな?」
「楽しかったです! 久しぶりにギルドへ行って、ハーケンさんにも会えましたし、午後からはフリーダたちと依頼にも行ってきました」
「ほう。それは何よりでございます」
ボーマンは満足そうに頷いた。
「ハーケン殿は、お元気でしたか?」
「はい。あ、それと……」
タクマは少し嬉しそうに笑った。
「久しぶりに手合わせしてもらったんですけど、ずいぶん動きが良くなったって褒めてもらえました。普通なら、もう基礎の指導は卒業してもいいくらいだって」
「それは素晴らしいことでございますな」
ボーマンは驚いた様子もなく、穏やかに答えた。
「ハーケン殿は、タクマ殿が剣を握り始めた頃から指導してくださった方と伺っております。その方に成長を認めていただけたのであれば、何よりの励みになりましょう」
「はい!」
「では、実際の依頼ではいかがでしたか?」
タクマは少し考えた。
「グレイウルフを討伐してきたんですけど、前より動きやすかった気がします。最初に飛びかかってきた時は、いつもより小さく避けられて、そのまま剣を構え直せたんです」
「なるほど」
「でも、その後はまだ上手くいかないところもあって。攻撃を受け止めた時なんかは、結構押されちゃいました」
ボーマンは頷いた。
「それでよろしいのです。できたことだけではなく、できなかったことも覚えておく。それが、次の修行につながりますからな」
私は隣で話を聞きながら、少し感心していた。
タクマは昨日、ただ褒められて喜んでいただけではなかったらしい。自分が上手くできた部分と、まだ足りない部分を、ちゃんと覚えている。
ボーマンもそれを感じ取ったのだろう。
「では、少し身体を動かしていただきましょうか」
「はい!」
タクマは元気よく返事をした。
さて、今日はどんなことをするつもりなのかしら。
◇
最初に行われたのは、いつもどおりの木剣を使った訓練だった。
ボーマンはタクマに何度か攻撃をさせ、足の運びや身体の向きを確認していく。時には自分から軽く打ち込み、タクマがどう対応するかを確かめていた。
私は少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
昨日、ハーケンと手合わせした時にも感じたことだけれど、タクマの動きは確かに変わっている。
以前は、一度剣を振ると、その動作を終えることだけで精一杯だった。攻撃を外せば大きく体勢を崩し、次の動きへ移るまでに時間がかかっていたのだ。
けれど今は、少なくとも次に動ける場所へ身体を置こうとしている。もちろん、まだ考えながら動いている部分も多いけれど、それでも十分な進歩だった。
「……よろしい」
しばらくして、ボーマンが木剣を下ろした。
「タクマ殿。随分と良くなりましたな」
「……本当ですか?」
「ええ。まだ改善すべき点は多くございますが、基本的な身体の使い方は、かなり身についてきております」
タクマは嬉しそうに笑った。
けれど、ボーマンはそこで話を終えなかった。
「ふむ。そろそろ、次の段階へ進んでもよろしいでしょう」
「次の段階、ですか?」
「ええ」
ボーマンは穏やかに微笑んだ。
「本日からは、剣術と魔法を組み合わせていただきます」
タクマは目を丸くした。
「……魔法と、剣?」
「左様でございます」
私は思わず身を乗り出した。
ようやく、そこまで進むのね。
剣術と魔法を組み合わせる戦い方は、この世界では珍しいものではない。身体を強化して武器を振るう者もいれば、魔法で相手の動きを妨げながら剣を使う者もいる。
ただし、両方を扱えるからといって、誰でも上手く組み合わせられるわけではない。魔法の発動と身体の動作を同時に行うには、それぞれを別々に使う時とは違った技術が必要になるのだ。
「……魔法剣、ってことですか?」
タクマが尋ねた。
「そのように呼ぶこともございますな」
「おお……」
タクマの目が輝いた。
……何かしら。
妙に嬉しそうだけれど。
「じゃあ、剣に炎をまとわせたりするんですか?」
私は思わず吹き出した。
「……何でそうなるの!」
「え? いや、魔法剣って聞いたら、そういうの想像しない?」
「しないって!」
少なくとも、私はそんなことを考えたことはなかった。
もっとも、剣に炎をまとわせる魔法自体は、理屈の上では可能だろう。実際に使うとなれば、武器の耐久性や熱の制御など、考えなければならないことが山ほどあるけれど。
ボーマンは私たちのやり取りを、楽しそうに眺めていた。
「ふふ。なかなか興味深い発想でございますな」
「……そうですか?」
「ええ。しかし、本日行うのは少々異なります。まずは身体強化魔法を用いて、ご自身の動きを補助していただきましょう」
「身体強化……」
タクマは少し考えた。
「つまり、魔法で速く動いたり、力を強くしたりするってことですか?」
「そのとおりでございます。ただし、速く動けることと、その速度を使いこなせることは別でございます」
ボーマンは木剣を脇へ置き、庭の端にある木の杭を指さした。
「例えば、あちらの杭まで走るといたしましょう。魔法によって脚の力を強めれば、普段より速く到達することはできるかもしれません。しかし、そこで止まれなければどうなりますかな?」
「……通り過ぎちゃいますね」
「ええ。剣を振る場合も同じです。相手より速く動けたとしても、身体を制御できなければ、次の攻撃にも防御にもつながりません」
私は頷いた。
だからこそ、ボーマンは最初に身体の使い方を教えたのだろう。
魔法で動きを強化すること自体は、それほど難しいことではない。けれど、強化した身体を思いどおりに動かすには、普段の動作を理解している必要がある。
タクマも納得したようだった。
「……なるほど。だから、歩き方から教えてくれたんですね」
「ええ。ようやく、その意味を実感していただける頃合いかと」
ボーマンは満足そうに微笑んだ。
私はその横顔を見ながら、昔のことを思い出していた。
幼い頃の私も、身体強化の訓練では随分と苦労したものだ。
もっとも、私の場合は魔法の出力が大きすぎて、身体が思った以上に動いてしまうことが問題だった。少しだけ跳ぼうとしたつもりが、屋敷の庭を飛び越えそうになって、ボーマンに叱られたこともある。
……あれは、今思い出しても恥ずかしい。
タクマは私とは違う。
彼の場合は魔法の出力が小さいため、最初から大きな力を使えるわけではない。けれど、その分、細かな制御を覚えるには向いているかもしれない。
私は少し楽しみになっていた。
◇
「では、まず身体強化魔法の習得から始めましょう」
ボーマンがそう言うと、タクマは私の方を向いた。
「リカ、お願いできる?」
「もちろん」
私は頷いた。
身体強化魔法は、冒険者の間でも広く使われている魔法の一つだ。筋力や瞬発力を一時的に補助するもので、使い方によっては戦闘だけでなく、重い荷物を運ぶ時などにも役立つ。
ただし、強化する範囲や程度を間違えると、身体の動きが不自然になってしまう。特に初心者は、必要以上に力を入れようとして失敗することが多い。
「まずは、術式を覚えてもらうね」
私は家から持ってきた魔法書を取り出した。
身体強化の基本的な術式が記された、初歩的な魔法書だ。タクマはまだ複雑な文字を十分に読めるわけではないけれど、魔法書の術式は通常の文章とは違う。
古代魔法文字で記された魔法書は、内容を理解できなくても、読み進めることで魔核に術式が刻まれる。
初めてその仕組みを教えた時、タクマは随分と不思議がっていた。
まあ、私だって理屈を完全に説明できるわけではないのだけれど。
タクマは魔法書を受け取り、ゆっくりとページをめくった。
しばらくして、顔を上げる。
「……うん。たぶん、覚えられたと思う」
「早いね。じゃあ、まずは発動してみよっか」
「分かった」
タクマは目を閉じ、少しだけ集中した。
私はその様子を見守る。
タクマは、魔法を使う時のイメージを組み立てるのが妙に上手い。
最初に魔法を教えた頃から、そうだった。
火を生み出す時には、燃える様子を。水を生み出す時には、流れや形を。私が説明すると、彼はそれを頭の中で具体的に思い描き、驚くほど早く使い方を理解してしまう。
もちろん、理解できることと、実際に大きな魔法を使えることは別だ。
タクマの魔法は、今でも出力が小さい。火を生み出しても小さな炎にしかならないし、水を出しても大量に生み出せるわけではない。
けれど、魔法そのものの扱い方を覚えるのは、かなり早い方だと思う。
「……よし」
タクマが小さく呟いた。
身体の周囲に、わずかな魔力の動きが生まれる。
私はその変化を感じ取り、頷いた。
「うん。発動できてるよ」
「本当?」
「うん。ちゃんと身体強化の魔法が働いてる」
タクマは嬉しそうに笑った。
「思ったより簡単だったな」
「タクマ、こういうのは本当に覚えるの早いよね」
「そうかな?」
「そうだよ。最初に魔法を教えた時から思ってたけど、イメージするのが上手なんだよね」
タクマは少し考えた。
「……まあ、何となく想像しやすいんだよな。身体強化って聞くと、筋肉がいつもより強く動く感じとか、足で地面を蹴る力が増える感じとか」
「そうそう。そんな感じでいいと思う」
私は頷いた。
魔法は、術式を覚えれば必ず同じように使えるというものではない。術式そのものが働くとしても、どのような効果を求めるのか、どこへ力を向けるのかによって、使い勝手は変わってくる。
タクマは、その部分を理解するのが上手いのだ。
私は少し嬉しくなった。
出力が小さいからといって、魔法が苦手なわけではない。
むしろ、使い方を工夫することについては、なかなか才能があるのかもしれない。
「では、実際に動いていただきましょう」
ボーマンが声をかけた。
「タクマ殿。あちらの杭まで、普段どおりに歩いてみてください」
「はい!」
タクマは頷き、ゆっくりと歩き始めた。
身体強化魔法は発動している。
けれど、歩き方は普段とほとんど変わらない。
杭まで到着すると、タクマは振り返った。
「……あれ? あんまり変わらないですね」
「ええ。今の出力では、大きな違いは感じられないでしょう」
ボーマンは頷いた。
「では、次は少しだけ踏み込みを強くしてみましょう。ただし、速く動こうと意識する必要はございません。普段どおりの動作を、魔法でほんの少し補助するつもりで」
「分かりました」
タクマは再び構えた。
そして、地面を蹴る。
「……おっ?」
身体が、思ったより前へ進んだ。
ほんのわずかな違いだったけれど、タクマは驚いたように足を止めようとした。
ところが、上半身が先に進んでしまい、姿勢が崩れる。
「うわっ!」
タクマは慌てて足を出した。
何とか転ばずに済んだけれど、明らかに不格好な動きだった。
「……あれ?」
私は思わず笑いそうになった。
けれど、ボーマンは真面目な顔で頷いている。
「なるほど。やはり、最初はそのようになりますな」
「……速くなったのに、動けない?」
「速く動けることと、その速度を制御できることは別でございます」
ボーマンは穏やかに答えた。
「先ほども申し上げましたが、身体を前へ進めるだけでは、剣術にはなりません。止まり、向きを変え、次の動作へ移る。そのすべてができて初めて、速さを活かせるのでございます」
タクマは自分の足元を見下ろした。
「……なるほど」
私は隣へ歩み寄った。
「今の、ちょっと力入れすぎたんじゃない?」
「そうなの?」
「うん。身体強化はちゃんとできてたけど、踏み込む時に魔法の力を意識しすぎてたと思う」
タクマは少し考えた。
「……ああ、確かに。いつもより強く蹴ろうとしてたかも」
「でしょ? まずは、普段どおりに動いてみて。魔法で無理やり速くするんじゃなくて、いつもの動きを少しだけ助ける感じ」
「……分かった」
タクマは頷いた。
そして、もう一度構えた。
◇
それからしばらく、タクマは同じ動作を何度も繰り返した。
身体強化魔法を発動し、短い距離を踏み込む。そして、止まる。
ただそれだけの訓練だった。
けれど、これがなかなか難しい。
魔法の出力を少し強めると、身体が思った以上に前へ進んでしまう。逆に弱めすぎると、普段とほとんど変わらない。
さらに、魔法を使うことに意識を向けすぎると、今度は足の動きがおろそかになる。
「……うわっ!」
またしても、タクマが前につんのめった。
ボーマンがすぐに手を伸ばし、肩を支える。
「おっと。大丈夫でございますか?」
「……はい。すみません」
「謝る必要はございません。失敗するための修行でございますからな」
ボーマンは穏やかに笑った。
私はタクマの様子を見ながら、少し考えた。
魔法の発動そのものは、ほとんど問題ない。
出力の調整も、私が説明すればすぐに理解している。
けれど、身体を動かす瞬間になると、どうしても意識が分かれてしまうようだった。
「タクマ、ちょっといい?」
「ん?」
「今、魔法を使う時に何を考えてる?」
タクマは少し考えた。
「……足を強く動かす感じかな。地面を蹴る時に、力が増えるようなイメージ」
「なるほどね」
私は頷いた。
「それなら、ちょっと変えてみよっか」
「変える?」
「うん。足を強く動かすんじゃなくて、普段の一歩を、ほんの少しだけ軽くする感じで考えてみて」
タクマは首を傾げた。
「……軽く?」
「そう。力いっぱい蹴るんじゃなくて、いつもより少ない力で同じ距離を進めるような感じ」
タクマは少し考え込んだ。
やがて、何か思いついたように頷いた。
「……ああ、なるほど」
「分かった?」
「うん。何となく」
タクマは再び構えた。
私は少し離れた場所へ下がり、その様子を見守る。
タクマは目を閉じ、呼吸を整えた。
そして、ゆっくりと一歩を踏み出す。
今度は、先ほどよりも自然な動きだった。
身体がわずかに前へ進む。
けれど、姿勢は崩れない。
タクマはそのまま足を止めた。
「……あ」
私は思わず声を上げた。
ボーマンも、満足そうに頷いている。
「よろしい」
タクマは自分の足元を見下ろした。
「……今の、できた?」
「うん! 今の、ちゃんとできてた!」
「……本当?」
「本当だって!」
私は笑った。
タクマも嬉しそうに笑った。
けれど、ボーマンはそこで終わらせなかった。
「では、もう一度」
「……はい!」
タクマは再び構えた。
今度は少し速く踏み込む。
しかし、止まる時に足がもつれた。
「……あれ?」
「ふむ。まだ安定しておりませんな」
ボーマンは頷いた。
「一度できたからといって、すぐに身につくわけではございません。何度も繰り返し、意識せずともできるようになるまで練習する必要がございます」
タクマは苦笑した。
「……ですよね」
私はその様子を見ながら、少し懐かしくなっていた。
私も昔、同じようなことを何度も言われたものだ。
魔法は得意だった。
けれど、身体を動かすことまで得意だったわけではない。
特に、魔法の出力が大きすぎる私は、少し力を入れただけで身体が思った以上に動いてしまうことがあった。
そのたびに、ボーマンが何度も同じことを教えてくれた。
速く動くことよりも、思いどおりに動くこと。
強い力を使うことよりも、必要な力だけを使うこと。
当時は、何度も同じことを言われるのが嫌だった。
けれど、今なら分かる。
あの時、ボーマンが教えてくれたことは、魔法を使う上でも、戦う上でも、とても大切なことだったのだ。
◇
午後になっても、タクマの訓練は続いた。
途中で休憩を挟みながら、短い距離を踏み込み、止まる。それだけの動作を、何度も繰り返す。
最初の頃は、魔法の出力が安定せず、身体が思った以上に前へ進んでしまうことが多かった。けれど、何度も繰り返しているうちに、少しずつ動きが落ち着いてきた。
私は魔法の発動を確認し、必要に応じて出力の調整を教える。ボーマンは身体の姿勢や足の運びを確認し、無駄な動きを指摘する。
二人で教えていると、タクマの弱点がよく分かった。
魔法そのものは、驚くほど早く理解している。私が少し説明するだけで、すぐにイメージを修正し、次の試行では違う使い方を試してくる。
けれど、身体の動きはそう簡単には変わらない。頭で理解していても、実際に動くと、どうしても以前の癖が出てしまうのだ。
「……くそ、まただ」
タクマが悔しそうに呟いた。
今度は、踏み込む時に上半身が先に動いてしまったらしい。
「焦らなくていいって」
私は声をかけた。
「魔法の使い方は、ちゃんと良くなってるよ」
「……そうかな」
「うん。最初よりずっと自然に発動できてるし」
タクマは少し考えた。
「……でも、身体がついてこないんだよなあ」
「そこは練習するしかないね」
「……だよね」
タクマは苦笑した。
すると、ボーマンが口を開いた。
「タクマ殿。少し、考え方を変えてみましょう」
「考え方、ですか?」
「ええ。今は、魔法を使って速く動こうとしておられますな」
「……はい」
「では、速く動こうとすることを、一度忘れてください」
タクマは目を丸くした。
「……え?」
「普段どおりに一歩を踏み出す。その動作を、魔法でほんの少し補助する。それだけでよろしいのです」
ボーマンは穏やかに続けた。
「速さを求めるのは、身体がその動きに慣れてからでございます。今は、魔法を使っても普段どおりに動けることを目指しましょう」
タクマはしばらく考え込んだ。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……分かりました」
私はその様子を見ながら、少し笑った。
ボーマンの言うことは、いつも同じなのだ。
焦らず、一つずつ。
できることを確実に増やしていく。
それは、幼い頃の私にも、今のタクマにも変わらない。
◇
夕方近くになって、ようやくタクマの動きが安定し始めた。
身体強化魔法を発動し、短い距離を踏み込む。そして、止まる。
何度も繰り返してきた動作だった。
けれど、今度は少し違った。
タクマは地面を蹴る瞬間、魔法の力をほんの少しだけ加えた。
身体が、普段よりわずかに速く前へ進む。
そして、そのまま姿勢を崩さずに止まった。
「……あ」
タクマが、自分の足元を見下ろした。
私は思わず笑顔になった。
「タクマ!」
「……できた?」
「うん! 今の、ちゃんとできてた!」
タクマは嬉しそうに笑った。
「……やった!」
私は思わず拍手してしまった。
速さの違いは、本当にわずかなものだった。普通の人が見れば、少し踏み込みが速くなった程度にしか見えないかもしれない。
けれど、私には分かる。
今の一歩は、ただ速く動いただけではない。魔法の力を使いながら、自分の身体を思いどおりに動かしたのだ。
それは、タクマにとって大きな進歩だった。
「よろしい」
ボーマンも満足そうに頷いた。
「ようやく、最初の一歩でございますな」
「はい!」
タクマは嬉しそうに返事をした。
そして、ふと何かを思い出したように尋ねた。
「……じゃあ、今日はこれで終わりですか?」
ボーマンは穏やかに微笑んだ。
「ええ。本日の修行は、ここまでといたしましょう」
「……よかった」
タクマは心底安心したように息を吐いた。
けれど、ボーマンは続けた。
「では、明日からは、その動きに剣を組み合わせていただきます」
「……え?」
「踏み込んだ後に剣を振る。剣を振った後に、次の動きへ移る。その一連の動作を、魔法の補助を受けながら行っていただきましょう」
タクマは固まった。
「……まだ続くんですか?」
「もちろんでございます」
ボーマンは、何の疑問もないという顔で答えた。
私はとうとう笑いをこらえきれなくなった。
「ふふっ……。よかったじゃん、タクマ。次の段階だって」
「……リカ、楽しそうだなあ」
「うん。とっても」
「……ひどい」
タクマは苦笑した。
けれど、その表情はどこか嬉しそうでもあった。
今日一日、何度も失敗した。それでも、最後にはちゃんと一歩を踏み出せたのだ。
その小さな成功が、次の修行へ向かう自信になっているのだろう。
◇
夕食を終えた後、タクマは椅子に座ったまま、今日のことを振り返っていた。
「……剣と魔法って、別々に使うだけなら何とかなるのに、同時に使うと全然違うんだな」
「そうだね。魔法を使うのと、身体を動かすのって、やっぱり別のことだから」
私は食器を片づけながら答えた。
「でも、今日のタクマは上手だったよ。身体強化の魔法自体は、すぐに覚えちゃったし」
「……そうかな」
「そうだって。最初に魔法を教えた時から思ってたけど、タクマってほんとイメージするの上手だよね」
タクマは少し考えた。
「……何か、頭の中で動きを想像するのは得意なんだよな。実際に身体を動かすのは、全然別だけど」
「ふふっ。そこは練習するしかないね」
私は笑った。
タクマも苦笑した。
「……リカは、最初からできたの?」
「まさか」
私は首を振った。
「私だって、最初は失敗ばっかりだったよ」
「……そうなんだ」
「うん。私の場合は、魔法の出力が大きすぎて、身体が思った以上に動いちゃうことが多かったんだよね」
タクマは興味深そうに身を乗り出した。
「へえ……。例えば?」
「……例えば、ちょっと跳ぼうとしただけなのに、庭の塀を越えそうになったり」
「……え?」
「……何?」
「いや、それは……すごいな」
タクマは驚いたように笑った。
私は少し頬が熱くなるのを感じた。
「……笑わないでよ。あの時は本当に大変だったんだから」
「ごめんごめん。でも、リカにもそんな時期があったんだなって」
「そりゃあるよ。私だって、最初から何でもできたわけじゃないし」
私はそう言いながら、タクマの隣へ座った。
少し考えてから、続ける。
「でもさ、タクマは私とは違うんだよね」
「……違う?」
「うん。魔法の出力はまだ小さいけど、使い方を理解するのはすごく早い。今日だって、私が説明したことをすぐにイメージして、何度もやり方を変えてたでしょ」
タクマは少し照れたように笑った。
「……まあ、いろいろ考えるのは好きだから」
「そういうところ、タクマの強みだと思うよ」
私は頷いた。
魔法は、ただ強い力を出せばいいというものではない。
どんな魔法を、どのように使うか。それを考えることも、大切な技術なのだ。
タクマは、そういうことを考えるのが好きなのだろう。だからこそ、まだ出力が小さくても、いろいろな工夫を試そうとする。
「……いつかさ」
タクマが、ぽつりと言った。
「ん?」
「俺も、自分なりの戦い方を見つけられるかな」
私はタクマを見た。
彼は少し真面目な顔をしていた。
「リカみたいに強い魔法が使えるわけじゃないし、ハーケンさんみたいに剣が上手いわけでもない。でも、何か……自分に合ったやり方があるんじゃないかって」
私は少し考えた。
「……んー、どうだろ」
「そこは見つかるって言ってくれよ」
「だって、まだ分かんないじゃない」
「そりゃそうだけどさ」
私は思わず笑った。
「でも、タクマって変なところで器用だからね。何か面白いこと思いつきそうな気はする」
「……褒めてる?」
「褒めてる褒めてる」
「雑だなあ」
「ふふっ。でも、楽しみにしてるのは本当だよ」
タクマは少し考えた後、嬉しそうに笑った。
「……そっか。ありがとう、リカ」
「どういたしまして」
私は笑い返した。
その後、私たちはしばらく今日の出来事を話しながら、のんびりと過ごした。
ボーマンの修行は厳しい。
けれど、タクマは少しずつ前へ進んでいる。
昨日は、ハーケンや仲間たちに成長を認めてもらった。今日は、初めて魔法を使って身体を動かした。
どちらも、まだ小さな一歩にすぎない。
それでも、こうして一つずつ積み重ねていけば、いつか大きな力になるのだろう。
私はそんな未来を想像しながら、隣に座るタクマを見つめていた。
……もっとも。
「……タクマ?」
「ん?」
「……何してるの?」
タクマは椅子から立ち上がり、部屋の隅で何やら足を動かしていた。
「いや、今日の踏み込み、もう一回だけ確認しようかなって」
私は思わずため息をついた。
「……もう寝る時間でしょ?」
「分かってる。あと一回だけ」
「……その一回が、何回続くのよ」
タクマは少し考えた。
「……三回くらい?」
「増えてるじゃん!」
私がそう言うと、タクマは楽しそうに笑った。
私は呆れながらも、結局一緒に笑ってしまった。
本当に、この人は何かに夢中になると止まらないのだから。
もっとも、それは私も同じなのだけれど。
私はタクマの手を取り、寝室へ引っ張っていった。
「ほら、もう寝るよ。明日も修行なんだから」
「はいはい」
「はいは一回!」
「はい!」
タクマは笑いながら答えた。
私はその手を離さず、寝室の扉を開けた。
明日からは、いよいよ剣と魔法を組み合わせる修行が始まる。
きっと、今日以上に失敗するだろうし、また何度も悩むことになるのだろう。
けれど、私は少し楽しみだった。
タクマがどんな戦い方を見つけるのか。そして、その先にどんな未来が待っているのか。
今はまだ、誰にも分からない。
それでも、こうして一緒に歩いていけるのなら、きっと大丈夫。
私はそう思いながら、タクマの隣で眠りについた。




