第24話 自分の剣で
タクマが商隊護衛から帰ってきて、数日が経った。
あれから私たちは、またいつもの冒険者生活に戻っていた。フリーダやクルシュと一緒に依頼を受け、魔獣を討伐したり、街道沿いの警戒をしたり。迷宮の異変もひとまず収まり、ノヴァグラードのギルドには以前と変わらない日常が戻ってきていた。
もっとも、以前とまったく同じというわけでもない。
タクマは相変わらずハーケンのところへ剣術を習いに通っていたけれど、最近は訓練の内容も少し変わってきたらしい。以前は基本の構えや足運びを繰り返していたのが、今では実戦を想定した打ち合いも増えているという。商隊護衛での経験が、彼なりに何かを変えたのかもしれない。
私たちと一緒に依頼を受けるときも、以前ほど後ろに下がっていることはなくなった。もちろん、危険な相手を無理に任せたりはしないけれど、比較的弱い魔獣なら自分から前に出ようとするし、荷物運びや採集以外の仕事にも積極的に取り組んでいる。
そんなタクマを見ていると、私もつい嬉しくなってしまう。最初の頃は冒険者の仕事を教えるだけで精一杯だったのに、今では一緒に依頼の内容を相談できるようになったのだから。
そして今日も、いつもの四人で仕事をするつもりだった。
朝食を済ませた私たちは、フリーダとクルシュに合流するため、ノヴァグラードの冒険者ギルドへ向かった。
冒険者ギルドの扉を開けると、受付の前に見慣れた背中があった。
クルシュだった。
普段なら隣にいるはずのフリーダの姿はなく、彼は受付のエリナと何やら話し込んでいる。こちらに気づくと、少し困ったように笑いながら片手を上げた。
「おはよう、リカ。タクマも」
「おはよう、クルシュ。今日は一人なの?」
「うん。それが、ちょっとね……」
クルシュは言いにくそうに頬をかいた。隣に立つエリナも、何となく事情を察しているらしく、書類を整理しながら小さくため息をついている。
「フリーダはどうしたの?」
私が尋ねると、クルシュは申し訳なさそうに答えた。
「……昨日、ちょっと飲みすぎちゃって」
「ああ……」
それだけで、だいたい分かってしまった。
「またなの?」
「……うん」
「どれくらい飲んだの?」
「それが、僕も途中からよく覚えてなくて……」
クルシュは苦笑した。どうやら、かなり飲んだらしい。
フリーダは腕のいい槍使いだ。戦闘中の判断も早く、仲間の動きをよく見ている。B級冒険者としては十分な実力があるし、戦うだけならA級に近いところまで来ていると私は思っていた。
ただ、彼女には一つ大きな問題がある。
お酒だ。
飲むこと自体は悪くない。冒険者には酒好きが多いし、私だって宴会は嫌いじゃない。でも、フリーダは飲み始めると加減を忘れることがある。
以前も、大事な依頼の前日に飲みすぎて、翌朝クルシュに担がれてギルドへ来たことがあった。あのときはエリナに散々叱られていたけれど、どうやら反省は長続きしなかったらしい。
「……それで、今日は?」
「まだ寝てる。起こそうとしたら、枕を投げられたよ」
「うわあ……」
タクマが思わず声を漏らした。クルシュは苦笑しながら肩をすくめる。
「たぶん、昼くらいには起きると思うんだけど」
「それ、昼まで寝てるってことだよね」
「……そうなるかな」
エリナが書類から顔を上げた。
「クルシュさん。フリーダさんには、依頼に支障が出ないよう体調管理を徹底していただきたいとお伝えください。今回も正式な受注前だったので問題にはなりませんが、こうしたことが続くと評価にも影響しますので」
「……はい。すみません」
「いえ、クルシュさんが謝ることではありません。ただ、フリーダさんには以前から何度かお伝えしていることですから」
エリナは困ったように笑った。
「実力は十分お持ちなのに、もったいないですよね」
私は内心で同意した。
冒険者の等級は、単純な戦闘能力だけで決まるものではない。依頼の達成率や判断力、信用なども評価される。特にA級ともなれば、ギルドや依頼人から重要な仕事を任されることも増えるため、実力があるだけでは足りない。
フリーダがなかなかA級に上がれないのは、たぶんこういうところなのだろう。
本人に言えば、きっと文句を言うだろうけれど。
「それで、今日はどうするの?」
私が尋ねると、クルシュは依頼掲示板へ視線を向けた。
「一応、三人で依頼を受けようと思ってたんだけど、フリーダがいないとなると、ちょっと厳しいかなって」
彼が見ていたのは、ノヴァグラード北方の農村から出された討伐依頼だった。
畑を荒らす小型魔獣の群れが確認されており、村人たちだけでは対処できないため、冒険者ギルドへ討伐を依頼したらしい。
対象はグレイウルフ。
普通の狼より一回り大きく、灰色の硬い毛皮と鋭い牙を持つ魔獣だ。単体ならそれほど強くないけれど、群れで行動するため、複数に囲まれると危険な相手でもある。
依頼の推奨等級はD級以上。討伐だけでなく、周辺の安全確認も含まれていた。
「これなら、私がいれば大丈夫だと思うけど」
「うん。リカがいるなら危険は少ないと思う。でも、僕は後衛だし、タクマもまだE級だから……」
クルシュは少し言いにくそうにタクマを見た。
「ごめんね。タクマが弱いって言いたいわけじゃないんだ。ただ、前に立てる人がもう一人いると安心なんだけど」
「いや、分かります。俺も、まだ自分が前衛として十分かって言われると……」
タクマは素直にうなずいた。
私は二人の顔を見比べた。
確かに、少し前までならタクマを前衛に数えることはできなかった。けれど、最近の彼はずいぶん成長している。ハーケンのところで剣術の訓練を続けているし、商隊護衛でも実戦を経験した。少なくとも、魔獣一体を相手にするくらいなら、そろそろ任せてもいいと思っている。
とはいえ、群れを相手にする依頼で、いきなり彼を主力として数えるのも危険だろう。
「うーん。前衛かあ……」
私が考えていると、背後から聞き覚えのある声がした。
「でしたら、私が入りましょう」
振り返ると、そこに立っていたのはアルブレヒトだった。
金色の髪をきちんと整え、磨き上げられた鎧を身につけている。腰には装飾の施された剣を下げ、いつものように背筋を伸ばしていた。
「アルブレヒト?」
「おはようございます、リカさん。本日もお美しい」
「……おはよう」
相変わらずだなあ。
アルブレヒト・フォン・ヴァルデック。
ザクセンブルグ王国の公爵家の三男で、C級冒険者。少々、というよりかなり自信家だけれど、剣の腕は確かだった。
彼は私たちの前へ進み出ると、優雅に一礼した。
「前衛が不足しているのでしょう? でしたら、私がお力添えいたします」
「え、でも……」
私は彼の後ろを見た。
少し離れたところには、見覚えのある冒険者たちが立っている。アルブレヒトと普段から行動している、彼のパーティの仲間たちだった。
「今日は自分のパーティで依頼を受けるんじゃないの?」
「いえ。もともと本日は休養日にする予定でしたので」
アルブレヒトは涼しい顔で答えた。
「一日程度なら、彼らにも自由に過ごしてもらえばよいでしょう」
その瞬間、背後から声が上がった。
「アルブレヒト様!?」
振り返ると、彼の仲間たちが目を丸くしていた。
「本日は全員で休むとおっしゃっていたではありませんか!」
「その予定でしたが、事情が変わりました」
「事情って……!」
仲間の一人が私を見た。それから、何かを察したように口を閉じる。別の仲間は諦めたように額へ手を当て、深いため息をついていた。
「……またですか」
「何がまたなのです?」
「いえ、何でもありません……」
どうやら、いつものことらしい。
私は少し申し訳なくなった。
「本当にいいの? せっかくのお休みだったんでしょ?」
「お気遣いなく。私にとって、リカさんのお役に立てること以上に有意義な休日などありませんから」
「……そ、そう」
私は曖昧に笑った。
隣でタクマが小さく息を吐いた。アルブレヒトは、その音を聞き逃さなかったらしい。
「さて、タクマ君」
「……はい?」
彼はタクマへ向き直り、背筋を伸ばした。
「先に申し上げておきますが、私はまだ君を認めていません」
「……はあ」
「商隊護衛で多少の働きをしたことは聞いています。しかし、それだけでリカさんの隣に立つ資格があるとは思わないことです」
アルブレヒトは胸を張った。
「私の方がリカさんにふさわしい。そのことを、本日の依頼で証明してみせましょう!」
周囲の冒険者たちが、何事かとこちらを見た。
タクマは少し困ったような顔をした。
「……はぁ。お手柔らかにお願いします」
「ふん。余裕を見せるのは結構ですが、後悔しないことですね」
アルブレヒトは満足そうにうなずいた。
私は二人を見比べながら、内心で首をかしげていた。
……別に、私の恋人が強い必要はないんだけどなあ。
そもそも、強い人がいいなら自分より強い相手を探さなければならない。でも、そんな人はそうそういないし、別に探したいとも思わない。
タクマが好きなのは、剣が強いからじゃない。
……まあ、アルブレヒトには言わないでおこう。何だか、余計に話が長くなりそうだし。
*
結局、今日の討伐依頼は、私、タクマ、クルシュ、アルブレヒトの四人で受けることになった。
アルブレヒトの仲間たちは、彼を残して先に帰っていった。去り際に一人が「どうか無茶はなさらないでください」と言っていたけれど、本人は「心配無用です」と胸を張っていた。
……心配されているのは、たぶん別のことだと思う。
依頼の手続きを終え、私たちは北門から街を出た。
目的の農村までは徒歩で半日ほど。街道を北へ進み、途中から畑の広がる道へ入る。ノヴァグラードの周辺は比較的治安がよく、街道には商人や旅人の姿も多い。もっとも、街から離れれば魔獣が出ることもあるので、油断は禁物だった。
道中、アルブレヒトはやたらと私へ話しかけてきた。
「リカさん。先日の迷宮討伐では、ずいぶんご活躍されたそうですね」
「うん。みんなのおかげだけどね」
「ご謙遜を。あのような危険な迷宮で中心的な役割を果たされたと聞いております」
「ガルドたちも頑張ってくれたし、私だけの力じゃないよ」
「なるほど。実力者ほど謙虚であるべきということですね」
……そういう意味で言ったんじゃないんだけど。
隣を歩くタクマが、笑いをこらえている。私は軽く肘でつついたけれど、彼は何でもないという顔をして首を振った。
全然、何でもない顔じゃない。
そんな私たちを見て、アルブレヒトが咳払いした。
「タクマ君。随分と余裕があるようですね」
「いや、そんなことないですよ」
「本日の討伐対象について、どの程度理解していますか?」
急に仕事の話になった。
タクマは少し考えてから答える。
「グレイウルフですよね。群れで行動して、単体ならそれほど強くないけど、複数に囲まれると危険だって聞いてます」
「そのとおりです。では、対処する際に最も注意すべきことは?」
「……背後を取られないこと、でしょうか」
「ふむ」
アルブレヒトは小さくうなずいた。
「間違ってはいません。しかし、それだけでは不十分です。群れで狩りをする魔獣は、こちらの隙を待っています。正面の一体に集中しすぎれば、側面から別の個体が飛びかかってくる。重要なのは、敵全体の位置を把握し続けることです」
私は少し感心した。
アルブレヒトは普段こそ大げさな物言いが目立つけれど、戦闘の話になると説明が的確になる。実際、彼の剣の腕はC級の中でも上位に入るだろうし、経験に裏打ちされた言葉には説得力があった。
タクマも真剣に聞いていた。
「なるほど。ありがとうございます」
「……礼を言われるようなことではありません」
アルブレヒトは少し拍子抜けしたようだった。
タクマは素直に教わるし、相手が誰であっても必要以上に張り合おうとしない。たぶん、アルブレヒトにとっては少し調子が狂う相手なのだろう。
クルシュが隣で小さく笑っていた。
*
農村へ到着したのは、昼を少し過ぎた頃だった。
村は小さく、周囲には麦畑や野菜畑が広がっている。家々の間には細い道が通り、少し離れたところには家畜を飼うための柵が見えた。村の北側には森が広がっており、魔獣はそこから現れているらしい。
村長に話を聞くと、魔獣が現れ始めたのは三日ほど前からだという。
「最初は畑の作物が荒らされているだけだったんですが、昨日は羊が一頭やられまして……」
村長は困り果てた様子だった。
「夜になると、森の方から遠吠えが聞こえるんです。村の者も怖がっておりまして」
「目撃した数は?」
アルブレヒトが尋ねる。
「はっきりとは分かりませんが、三、四頭はいたようです」
「なるほど」
アルブレヒトはうなずいた。
私は畑の方へ目を向けた。荒らされた場所は村の北側に集中しているらしい。森から近い畑ほど被害が大きく、村の中心部まではまだ入り込んでいないようだった。
「まずは痕跡を調べようか」
私が言うと、三人もうなずいた。
畑の外れには、獣の足跡がいくつも残っていた。土が柔らかいため、爪の形まではっきりと分かるものもある。
タクマがしゃがみ込み、地面を確認する。
「……これ、同じ方向に向かってますね」
彼が指さした先には、森へ続く獣道があった。
アルブレヒトが隣へしゃがむ。
「ほう。よく気づきましたね」
「護衛のとき、ロイドさんに教わったんです。足跡とか、周りの草の倒れ方を見ろって」
「ロイド・ハーウェルですか。なるほど、あの男なら教えそうですね」
アルブレヒトは少し感心したようだった。
タクマはさらに周囲を見回した。
「でも、これ……何頭分なんでしょう?」
「少なくとも三頭。おそらく四頭以上でしょうね」
アルブレヒトが答える。
私も足跡を確認した。同じ場所を何度も通っているようだけれど、足跡の大きさには微妙な違いがある。重なっているものも多いので正確な数は分からないが、村長が目撃した数より多い可能性は十分にあった。
「そうだね。五頭くらいはいるかもしれない」
クルシュもしゃがみ込んだ。
「森の中なら、僕の魔法も使いやすいと思う。木の根や蔓で動きを止められるから」
「じゃあ、私とアルブレヒトが前に出て、クルシュが支援。タクマは状況を見ながら動いてもらおうか」
私が提案すると、アルブレヒトが口を開いた。
「いえ。最初の一体は、タクマ君に任せてみてはいかがでしょう」
「……え?」
タクマが顔を上げる。
「もちろん、私たちが周囲を警戒します。危険があればすぐに援護できる位置を取ればよいでしょう」
アルブレヒトは私を見た。
「リカさんも、彼の実力を確かめたいのでは?」
私は少し考えた。
確かに、タクマが今どの程度戦えるのか、実戦で見てみたい気持ちはあった。ハーケンのところで訓練している姿は何度も見ているけれど、魔獣を相手にするのはまた別の話だ。
ただし、無理をさせるつもりはない。
「……タクマはどう?」
私は彼に尋ねた。
タクマは少し考えてから、うなずいた。
「やってみたい。もちろん、危なくなったら助けてもらうけど」
「うん。それでいいよ」
私は笑った。
「じゃあ、最初の一体はタクマに任せようか」
*
森の中へ入ると、空気が少しひんやりしていた。
木々が日差しを遮り、地面には落ち葉が厚く積もっている。風が吹くたびに枝葉が擦れ合い、周囲から小さな音が聞こえてきた。
しばらく進んだところで、前方の茂みが揺れた。
続いて、低いうなり声が聞こえる。
私たちは足を止めた。
木々の間から、灰色の獣が姿を現した。
グレイウルフだ。
普通の狼より一回り大きく、肩のあたりまで硬い毛が生えている。口元からは鋭い牙が覗き、黄色い目がこちらを警戒していた。
どうやら、群れから少し離れた個体らしい。
「……一体だけですね」
タクマが小声で言った。
「うん。でも、近くに仲間がいるかもしれないから気をつけて」
私は答えた。
アルブレヒトが剣へ手をかける。
「では、タクマ君。お手並み拝見といきましょう」
「……はい」
タクマは腰の短剣を抜いた。
以前と比べると、構えがずいぶん自然になっている。肩に余計な力が入っていないし、足の位置も安定している。ハーケンのところで繰り返し訓練してきた成果が、こういうところに出ているのだろう。
グレイウルフが低くうなった。
タクマは不用意に近づかず、相手の動きを見ている。魔獣の方も、こちらの人数を警戒しているのか、すぐには飛びかかってこなかった。
しばらく睨み合ったあと、グレイウルフが突然地面を蹴った。
タクマは横へ踏み込み、攻撃をかわす。そのまま剣を振ったけれど、魔獣は素早く身をひねり、刃を避けた。
「……っ!」
タクマはすぐに距離を取った。
グレイウルフが再び向き直る。
私はいつでも魔法を使えるように準備しながら、二人の動きを見守っていた。
タクマは少しずつ位置を変え、魔獣が飛びかかってくる方向を限定しようとしている。木の幹を背にしないよう注意しながら、相手の動きを誘っているらしい。
ただ剣を振るうのではなく、相手の動きを読もうとしている。
グレイウルフが再び飛びかかった。
今度は、タクマが一歩だけ後ろへ下がった。魔獣の前脚が地面についた瞬間、彼は踏み込んで剣を振るう。
刃が魔獣の肩を切り裂いた。
グレイウルフが悲鳴を上げる。
けれど、まだ倒れない。魔獣は怒ったように牙を剥き、再び突進してきた。
タクマは慌てずに構え直した。
今度は相手の勢いを利用するように身をかわし、首元へ剣を突き出す。
刃が深く入った。
グレイウルフは短く鳴き、そのまま地面へ倒れた。
タクマはすぐには剣を下ろさなかった。倒れた魔獣が動かないことを確認し、それから周囲へ視線を走らせる。
しばらくして、ようやく息を吐いた。
「……倒せた」
私は近づいた。
「うん。よくできたね」
タクマは少し照れくさそうに笑った。
「……ありがとう」
アルブレヒトも近づいてきた。
「……悪くありませんね」
タクマが顔を上げる。
「ありがとうございます」
「ですが、二度目の踏み込みが大きすぎます。あれでは別の個体が来たときに対応できません」
「……ああ、確かに」
タクマは自分の足元を見た。
「ちょっと前に出すぎましたね」
「そうです。群れを相手にするなら、常に退路を意識することです。一体を仕留めても、そこで動きが止まってしまっては意味がありません」
アルブレヒトは淡々と指摘した。
私は少し感心していた。
嫌味を言うかと思ったけれど、戦闘に関してはきちんと評価している。しかも、指摘している内容は正しい。タクマが二度目に踏み込んだとき、私も少し前に出すぎたと思っていた。
やっぱり、剣士としては真面目なんだよね。
……普段もこれくらいならいいのに。
*
最初の一体を倒してから、私たちはさらに森の奥へ進んだ。
グレイウルフの群れは、どうやら想定より広い範囲を移動しているらしい。木々の間には複数の足跡が残り、ところどころに獲物を食べた痕跡も見つかった。村の畑へ現れていたのは、群れの一部だったのかもしれない。
「……思ったより数が多そうだね」
クルシュが言った。
「うん。村長さんの話だと三、四頭だったけど、もう少しいるかもしれない」
私は周囲を見回した。
そのとき、前方の茂みが揺れた。
続いて、左右からも低いうなり声が聞こえてくる。
私たちは足を止めた。
グレイウルフが、次々と姿を現した。
一頭、二頭、三頭。
さらに奥にもいる。
「……六頭ですか」
アルブレヒトが剣を抜いた。
私は魔力を練りながら、周囲を確認した。
群れは私たちを囲むように広がっている。こちらが森へ入ってきたことに気づき、待ち伏せしていたらしい。最初に倒した一頭も、群れから離れていたのではなく、私たちの様子を探っていた可能性がある。
「クルシュ、後ろをお願い」
「分かった」
クルシュが杖を構える。
私はタクマへ視線を向けた。
「タクマ、無理しないでね」
「うん。分かってる」
彼は剣を構えた。
アルブレヒトが一歩前へ出る。
「リカさん。正面は私が引き受けます。左右の個体をお願いします」
「分かった」
私はうなずいた。
その直後、グレイウルフたちが一斉に動いた。
正面から二頭が飛びかかってくる。
アルブレヒトは一歩踏み込み、最初の一頭を剣で斬り伏せた。続く一頭の攻撃を盾で受け流し、そのまま返す刃で首元を切り裂く。
動きに無駄がない。
私は横から迫ってきたグレイウルフへ向けて、小さな炎を放った。魔獣は炎を避けようと身をひねるが、その隙にクルシュが地面から蔓を伸ばし、後脚を絡め取った。
「リカ!」
「うん!」
私は動きを封じられた魔獣を仕留めた。
そのときだった。
「アルブレヒトさん、右!」
タクマの声が響いた。
アルブレヒトが振り返る。
木の陰から、別のグレイウルフが飛びかかってきていた。
彼はすぐに剣を構え直そうとしたけれど、先ほど倒した魔獣の体が足元にあり、十分に踏み込めない。盾を上げようにも、相手との距離が近すぎた。
タクマが動いた。
彼は左手を突き出し、小さな火球を放った。
火球はグレイウルフの顔のすぐ前で弾け、短い閃光を放つ。魔獣を倒せるほどの威力はなかったけれど、突然目の前に現れた炎に、グレイウルフは反射的に首を引いた。
その一瞬で十分だった。
アルブレヒトが足を引き、体勢を立て直す。
「……助かりました!」
彼は短く言い、グレイウルフへ斬りかかった。
魔獣は避けようとしたけれど、アルブレヒトの剣がそれを許さなかった。鋭い一撃が首元を捉え、そのまま地面へ倒れる。
私は残る個体へ視線を向けた。
あと二頭。
そのうち一頭が、タクマへ向かって走り出した。
「タクマ!」
「大丈夫!」
彼は剣を構え直した。
グレイウルフが飛びかかってくる。
タクマは一歩横へ動き、攻撃をかわした。けれど、今度は無理に追撃しない。相手の動きを見ながら距離を保ち、次の攻撃に備えている。
私はその様子を見て、少し安心した。
さっきアルブレヒトに指摘されたことを、もう意識しているらしい。
グレイウルフが再び飛びかかろうとした瞬間、地面から蔓が伸びた。
クルシュの魔法だ。
魔獣の後脚が絡め取られ、動きが止まる。
「タクマ、今だよ!」
「はい!」
タクマが踏み込んだ。
剣がグレイウルフの首元を捉え、魔獣はそのまま倒れた。
私は最後の一頭を魔法で仕留めた。
周囲が静かになる。
タクマはすぐには剣を下ろさず、周囲を確認していた。アルブレヒトも同じように木々の間へ目を向け、クルシュは蔓を動かして近くの茂みを探っている。
しばらくして、魔獣の気配がないことを確認すると、ようやく全員が武器を下ろした。
「……終わった、かな」
タクマが息を吐く。
「うん。ひとまずはね」
私はうなずいた。
アルブレヒトは剣を納めると、タクマへ向き直った。
「……タクマ君」
「はい?」
「先ほどの火の魔法ですが」
「……はい」
「あれは、私を助けるために使ったのですか?」
「ええ。間に合いそうになかったので、とりあえず気を逸らそうと思って」
「……なるほど」
アルブレヒトは少し考えてから、うなずいた。
「適切な判断でした」
タクマが少し驚いたような顔をする。
「……ありがとうございます」
「ただし、もう少し早く動ければ、さらによかったでしょう」
「……はい」
アルブレヒトは腕を組んだ。
「ですが、少なくとも周囲を見て動く余裕はあるようですね。自分の相手だけに集中していなかったのは評価できます」
私は思わず笑いそうになった。
どうやら、彼なりにタクマを評価しているらしい。けれど、素直に褒めるのは少し抵抗があるようだった。
「アルブレヒトも、さっきは助かったでしょ?」
私が言うと、彼は少しだけ顔をしかめた。
「……ええ。それは認めます」
そして、タクマへ向き直る。
「先ほどは助かりました。礼を言います」
「いえ。こっちも何度も助けてもらってますから」
タクマは笑った。
アルブレヒトは何とも言えない顔をした。
……本当に、調子が狂うんだろうなあ。
*
討伐を終えた私たちは、村へ戻って報告を済ませた。
村長は何度も頭を下げ、村人たちも安心した様子だった。被害が広がる前に対処できたことを喜んでくれたらしい。
もちろん、これで二度と魔獣が現れないというわけではない。森が近い以上、今後も警戒は必要だろう。それでも、今回の群れを討伐したことで、当面の危険は取り除けたはずだった。
その後、私たちはノヴァグラードへ戻った。
ギルドへ到着した頃には、すっかり夕方になっていた。
受付ではエリナが書類を整理している。私たちに気づくと、いつもの笑顔を向けてくれた。
「あ、お帰り。どうだった?」
「無事に終わったよ」
私が答えると、エリナはうなずいて報告書を取り出した。
「それでは、依頼の報告をお願いします」
アルブレヒトが討伐数や現地の状況を説明し、クルシュが魔獣の痕跡について補足する。
エリナは報告書を確認しながら、何度もうなずいた。
「なるほど。想定より数が多かったのですね」
「ええ。ただ、確認できた個体はすべて討伐しました。周辺も調査しましたが、現時点では追加の群れは確認されていません」
アルブレヒトが答える。
「承知しました。村長からの確認も取れていますので、依頼は完了として処理いたします。皆様、お疲れ様でした」
エリナは丁寧に頭を下げ、報告書へ必要事項を書き込んだ。
それから、ふとタクマへ視線を向ける。
「そういえば、タクマ」
「ん?」
「今回、ちゃんと戦えたんだって?」
急にいつもの口調へ戻ったので、私は少し笑ってしまった。
タクマは照れくさそうに頬をかいた。
「まあ、何とか」
「へえ。すごいじゃない」
エリナは嬉しそうに笑った。
すると、アルブレヒトが口を開いた。
「……剣の腕は、まだ未熟ですがね」
「……はい」
タクマが素直にうなずく。
アルブレヒトは少しだけ眉を寄せた。
「ですが、周囲を見て動く判断力は悪くありません。少なくとも、足手まといになるようなことはありませんでした」
エリナが目を丸くした。
「……そうでしたか」
それから、少しだけ笑みを深くする。
「アルブレヒト様がそう評価されるのであれば、参考になりますね」
「……何か含みがありませんか?」
「いいえ。実際に同行された方の評価は重要ですから」
エリナは涼しい顔で答えた。
私は隣で、思わず口元を押さえた。
アルブレヒトは少し不満そうだったけれど、それ以上は何も言わなかった。
エリナは報告書をまとめると、タクマへ向き直った。
「……そうだ。タクマ、そろそろD級への昇格を考えてもいいかもしれないね」
「……え?」
タクマが目を丸くした。
「もう?」
「うん。護衛の実績もあるし、今回の討伐でもちゃんと戦えてるからね。依頼の達成状況も悪くないし、そろそろ候補に上げてもいいと思う」
エリナは手元の書類を指さした。
「もちろん、私が勝手に決められるわけじゃないけどね。ギルドで審査して、問題がなければ昇格って流れになるよ」
「……なるほど」
「どうする? やる気があるなら、稟議を回しておくけど?」
タクマは少し考えた。
それから、私を見た。
「……リカ、どう思う?」
「いいんじゃない?」
私は笑った。
「せっかくだし、お願いしてみたら?」
「……そうだな」
タクマはうなずいた。
「じゃあ、お願いします」
「了解。申請しておくね」
エリナは笑って書類を取り出した。
「審査には少し時間がかかると思うけど、結果が出たら伝えるよ」
「ありがとう」
タクマは少し照れくさそうに笑った。
私はその横顔を見つめた。
初めてギルドへ来た頃のタクマを思い出す。
冒険者の仕事も、魔法も、この世界の常識も、何も知らなかった。最初は私について歩くだけで精一杯だったのに、今では自分で依頼を受け、剣を振るい、仲間を助けられるようになっている。
もちろん、まだまだ経験は足りないし、危なっかしいところもある。でも、今日の戦いを見て、彼が確実に成長していることは分かった。
「よかったね、タクマ」
私は笑った。
「……うん。ありがとう」
タクマも笑った。
すると、アルブレヒトが咳払いした。
「……タクマ君」
「はい?」
「昇格の審査を受けるのであれば、せいぜい恥をかかないようにしてください」
「……はい。頑張ります」
タクマが素直に答える。
アルブレヒトは少し不満そうに鼻を鳴らした。
「……ふん」
私はその様子を見て、思わず笑ってしまった。
どうやら、二人の関係は少しだけ変わったらしい。
もっとも、アルブレヒトが素直に認めるようになるには、まだ時間がかかりそうだけれど。
……まあ、それはそれで面白いかもしれない。




