第1話 森で拾った男
私は七年前、王女を辞めた。
魔法王国マリアベル。その王家に生まれた私は、十五歳になったある日、城を飛び出した。別に国が滅んだわけでも、王位を追われたわけでもない。ただ、これから先の人生を誰かに決められるのが嫌になったのだ。
もちろん、王女というのは本人が辞めると言ったところで、簡単に辞められるものではないだろう。それくらいは私だって分かっている。けれど、あの日以来、王家から直接連絡が来たことは一度もなかった。迎えの者が現れることも、城へ戻れと命じられることもなく、気づけば七年が過ぎていた。
七年間も音沙汰がないのだから、きっと許されたのだろう。少なくとも、私はそう解釈している。
今の私は、冒険者のリカ。仕事を選ぶのも、住む場所を決めるのも、明日の予定を考えるのも、全部自分の自由だ。危険な仕事もあるし、面倒な依頼人に振り回されることだってある。それでも、誰かが決めた予定に従って暮らすより、ずっと性に合っている。
そんなわけで、今日も私はいつもどおり、冒険者として仕事をしていた。
冒険者になって七年も経つと、魔物の討伐という仕事にも、それなりの慣れが出てくる。
もちろん、慣れたからといって油断していいわけではない。森の中では足場ひとつで命取りになるし、格下の魔物が相手でも、運悪く急所を傷つけられれば死ぬことだってある。実際、そういう最期を迎えた冒険者を私は何人も知っていた。
だから、どれほど簡単な依頼でも準備は怠らないし、戦う前には必ず周囲を確認する。魔物の種類や数、逃げ道の有無、戦闘になった場合に周辺へ及ぼす影響まで考えるのは、もう習慣のようなものだった。
ただ、危険を理解したうえで対処できるようになると、仕事そのものに驚くことは少なくなる。
今日もそうだった。
ノヴァグラードの北に広がる森で、私は討伐対象の牙獣を二頭仕留め、依頼の証拠になる牙を回収していた。体格の割に動きが速く、正面からまともに相手をすれば、腕の立つ剣士でも苦労する魔物だ。
もっとも、私にとってはそれほど厄介な相手ではない。
一頭目は地面から突き出した岩の槍で足を止め、横から回り込んできた二頭目は風の魔法で転倒させた。あとは動けなくなったところへとどめを刺すだけ。周囲の木々を必要以上に傷つけないよう、魔法の威力も控えめにしてある。
討伐証明となる牙を抜き取り、売れそうな素材を選んで袋に収める。牙獣は毛皮にも値がつくが、二頭分を持ち帰るには重すぎた。素材を全部回収しようとして帰り道で魔物に襲われる、なんて間抜けな話もあるので、欲張らないことにしている。
仕事としては上出来だと思う。
ただ、少し物足りない。
「……もうちょっと手応えがあってもよかったかな」
独り言を口にしてから、私は自分で苦笑した。七年前、初めて魔物と戦ったときには、あれほど怖かったというのに。
当時の私は魔法の腕だけは立派だったものの、冒険者としては何も知らない小娘だった。魔物の習性も、森での歩き方も、討伐した獲物の処理方法も、全部誰かに教わったものだ。初めて討伐した魔物の素材をほとんど駄目にしてしまい、同行していた先輩冒険者に呆れられたこともある。
今ではそれなりに名前も知られるようになり、ギルドではAランクの冒険者として扱われている。
Aランクと聞くと、ずいぶん立派なものを想像する人もいるらしい。実際、指名依頼が来ることもあるし、街の人たちから頼られる機会も増えた。ただ、私自身は昔とそれほど変わったつもりはない。できる仕事が増え、失敗する回数が減っただけで、今でも分からないことは山ほどある。
ありがたいことに、生活に困ることはなくなった。
街から少し離れた森の中には自分の家があるし、好きなときに仕事を受けて、好きなものを食べて、気が向けば酒場で友人たちと飲む。面倒な依頼は断れるし、誰かの都合で一日の予定を決められることもない。
昔の私が望んでいた暮らしを、今の私はほとんど手に入れている。
それなのに最近、少し退屈だった。
別に何か不満があるわけじゃない。仕事は楽しいし、街の人たちとの付き合いも悪くない。ただ、依頼を受けて、魔物を倒して、家へ帰って食事を作る。そんな生活を何年も続けていると、時々、何か面白いことでも起きないかなと思う。
もちろん、本当に厄介な事件が起きてほしいわけではない。冒険者の仕事をしていると、退屈な日常がどれだけありがたいものかも、嫌というほど分かるからだ。
「さて、帰ろうかな」
私は回収した素材を袋へ収め、森の中を歩き始めた。
街へ戻る必要はない。今日の依頼は討伐証明さえ持ち帰ればいいので、報告は明日でも間に合う。日が高いうちに帰って、少し手の込んだ夕食でも作ろうと思っていた。
ところが、しばらく歩いたところで、遠くから男の声が聞こえてきた。
「うわっ! ちょっと待て!」
続いて、獣の唸り声と枝が折れる音が響く。私は足を止め、声のした方向へ意識を向けた。
この辺りは魔物の縄張りがいくつも重なっている。冒険者が襲われることも珍しくないが、今の声はどうにも素人くさかった。少なくとも、戦い慣れた人間の声ではない。
「……誰か入り込んだのかな」
私は声のした方向へ走った。
木々の間を抜けると、少し開けた場所で、一人の男が魔物に追い詰められていた。
相手は森に生息する狼型の魔物だった。普通の狼よりひと回り大きく、背中には硬い棘のような突起が並んでいる。群れで狩りをすることが多いが、単独で行動する個体もいて、森に慣れていない旅人が襲われることもある。
その魔物が、見慣れない服装の男に向かって牙を剥いていた。
男は近くに落ちていた枝を握りしめ、必死に距離を取ろうとしている。だが、足元は革靴で、森の中を走るにはまるで向いていない。後ずさりするたびに足を滑らせ、今にも転びそうになっていた。
助けに入るべき状況だと判断するのに、時間はかからなかった。
「伏せて!」
私は声をかけると同時に魔法を発動させた。
男が反射的に身をかがめたところで、地面から岩の塊を突き上げ、魔物の横腹を打つ。不意を突かれた魔物は悲鳴を上げて吹き飛び、近くの木へ身体をぶつけた。
それでも、すぐに立ち上がろうとする。私は風の魔法で足元を払って再び体勢を崩し、逃げる隙を与えずにとどめを刺した。
戦闘はほんの数秒で終わった。
男は枝を握りしめたまま、呆然と立ち尽くしていた。
「……え?」
「怪我はない?」
私が声をかけると、男はゆっくりこちらを向いた。
「……今の、何ですか?」
「魔物を倒したんだけど」
「いや、それは見れば分かるんですけど……」
男は地面に倒れた魔物と、私の顔を交互に見た。状況が飲み込めていないようだったが、こちらとしては、まず怪我の有無を確認したかった。
年齢は二十代半ばくらいだろうか。黒い髪を短く整え、妙に仕立てのいい服を着ている。上着もズボンも見慣れない形で、足元の革靴は泥だらけだった。貴族にしては護衛もいないし、旅人にしては荷物が少なすぎる。何より、腰に武器を下げていない。
「とりあえず、どこか怪我してない? 噛まれたり、引っかかれたりは?」
「あ、はい。大丈夫……だと思います」
「念のため、腕を見せて」
男は言われるままに両腕を差し出した。袖口には泥がついていたものの、血は出ていない。顔色は悪いが、それは恐怖と疲労のせいだろう。足元にも目立った怪我はなさそうだった。
「うん。大丈夫そうだね」
「……助けていただいて、ありがとうございます」
「どういたしまして。でも、こんなところで何してたの?」
「……それが、自分にもよく分からなくて」
私は眉をひそめた。
よく分からないというのは、どういうことだろう。魔物の出る森へ、武器も持たずに入り込んだ理由が分からないというのは、さすがに妙な話だった。
「気づいたら、ここにいたんです」
「気づいたら?」
「はい。さっきまで普通に道を歩いてたはずなんですけど、突然景色が変わって……」
男は困ったように周囲を見回した。
冗談を言っているようには見えない。ただ、だからといって本当のことを話しているとも限らない。
冒険者を七年もやっていると、妙な言い訳をする人間には何度も出会う。自分の失敗を隠すために嘘をつく者もいれば、最初からこちらを騙そうとしてくる者もいる。もちろん、正直に話しているのに信じてもらえず、困り果てている人だっていた。
だから私は、相手の話をすぐに信じることもしないし、頭から嘘だと決めつけることもしない。
まずは、話を聞いてみることにしている。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったね。あなた、名前は?」
「あ、伊沢拓真です」
「イザワタクマ?」
「……あ、いや。こっちの方がいいかも。タクマ・イザワです」
「タクマ・イザワ。なるほど、タクマが名前なのね」
「はい。日本だと名字を先に言うので、つい」
「ニホン?」
「自分の国です」
「……ごめん。聞いたことない」
「そう、ですよね……」
タクマは困ったように頭をかいた。
「ちなみに、ここってどこなんですか?」
「フロンティア大公国。ノヴァグラードって街の北にある森だけど」
「フロンティア大公国……」
タクマは聞き慣れない言葉を確かめるように繰り返した。
「……それ、日本のどの辺ですか?」
「だから、ニホンって国を知らないんだけど」
「……そうですよね」
タクマはしばらく黙り込んだ。
私は彼を観察しながら、どうしたものかと考えていた。服装も持ち物も妙だし、話している内容もよく分からない。ただ、少なくとも魔物に襲われていたのは本当だ。演技であんな危険な状況を作るとも思えない。
それに、彼からはほとんど魔力を感じなかった。
この世界では、魔法を使えない人間でも多少の魔力は持っている。魔力の多い少ないには個人差があるが、まったく持たない人間というのは、少なくとも私は知らない。
ところが、タクマの魔力は極端に弱かった。注意して探らなければ、そこに人間がいることすら魔力からは分からないほどだ。
何か事情があるのは間違いなさそうだった。
「……あの、リカさん」
「何?」
「さっきの、あれって……魔法ですか?」
「うん」
「本当に?」
「そうだけど」
「……マジか」
タクマは頭を抱えた。
「いや、さっきからおかしいとは思ってたんですよ。変な動物に襲われるし、知らない国名は出てくるし……」
「変な動物って、魔物のこと?」
「そう、それです」
「魔物も知らないの?」
「ゲームとか漫画では知ってますけど、本物を見るのは初めてです」
「げーむ? まんが?」
「ああ……そこから説明しないといけないんですね」
タクマは苦笑した。
私は少し考え込んだ。
知らない国から来たというだけなら、まだ理解できる。世界には私の知らない土地だって山ほどあるし、海の向こうの国々については、それほど詳しいわけでもない。
ただ、魔法も魔物も知らないというのは、さすがに妙だった。
魔法は日常生活にも使われている。魔法が得意でない人でも、魔道具を利用することはあるし、魔物についても、危険な地域に住んでいれば子供の頃から教えられるものだ。
それなのにタクマは、魔法を見て本気で驚いている。
彼の話が本当なら、相当に特殊な場所から来たことになる。もちろん、全部が嘘という可能性もあるが、嘘をつくにしては話があまりにも奇妙だった。
「……よく分かんないね」
「自分も分かりません」
「だよね」
二人で顔を見合わせた。
タクマは疲れたように笑った。
「とりあえず、ここが自分の知ってる場所じゃないってことだけは分かりました」
「それは間違いないと思う」
「……ですよね」
私は周囲を見回した。
森の中はまだ明るいが、夕方になれば魔物の活動も増える。こんなところで話し込んでいる場合ではない。
「タクマ。今、何か持ってる?」
「え?」
「荷物とか、お金とか」
「ああ、財布とスマホくらいなら」
タクマはポケットから小さな財布と黒い板のようなものを取り出した。
黒い板には見慣れない文字や絵が浮かんでいる。
「何それ?」
「スマートフォンです。電話とか、いろいろできる機械なんですけど……今は圏外で使えなくて」
「でんわ?」
「遠くの人と話せる道具、ですかね」
「へえ……」
私は黒い板を眺めた。
魔道具の一種だろうか。だとすれば、ずいぶん精巧なものだ。表面は滑らかで、継ぎ目らしいものも見当たらない。魔力を流して動かしている様子もないのに、文字や絵が浮かんでいるのは不思議だった。
ただ、今はそれを詳しく調べている場合ではない。
「お金は?」
「日本のお金ならあるんですけど……」
タクマが財布から紙幣と硬貨を取り出した。
当然、見たことのないものだった。
「……これ、こっちじゃ使えないと思う」
「ですよね……」
タクマは大きく息を吐いた。
「参ったな……」
私は少し迷った。
この男をどうするべきか。
街まで連れていけば、ひとまず安全は確保できる。ギルドに相談すれば、身元不明の旅人として何かしら対応してくれるかもしれない。
ただ、今から街へ向かうには時間が遅い。
それに、タクマの足元を見れば分かる。あの靴では森の中を長時間歩くのは難しいだろう。私一人なら問題ない距離でも、彼を連れてとなれば話は別だ。
もちろん、移動を助ける魔法を使うこともできる。けれど、事情の分からない男をいきなり街へ連れていき、ギルドへ引き渡して終わりというのも、何となく後味が悪かった。
それなら、今日は私の家に泊めて、明日改めて考えるという手もある。
ただし、家に招くとなれば別の問題が出てくる。
私の家は、人目につかないよう結界で隠してある。誰にでも場所を教えていいわけではないし、そもそも初対面の男を自宅へ入れること自体、普通なら避けるべきことだ。
七年間の冒険者生活で、人を見る目はそれなりに養われたつもりだが、それでも失敗したことは何度もある。
ましてや、出身地も分からず、魔法も知らないという男だ。
正直、怪しい。
ただ、このまま森に放置するわけにもいかない。
それに、少なくとも今のタクマに私をどうこうできるとは思えなかった。武器もなく、魔力もほとんどない。もし何か企んでいたとしても、対処する自信はある。
結局、考えれば考えるほど、連れて帰るのが一番簡単な気がしてきた。
「……まあ、仕方ないか」
「え?」
「タクマ。とりあえず、私の家に来る?」
「……いいんですか?」
「ここからなら近いし。今日は泊まって、明日街へ行けばいいと思う」
「いや、でも……初対面ですよね?」
「そうだね」
「それなのに、家に入れて大丈夫なんですか?」
私は少し感心した。
自分のことだけでなく、相手の立場も考えられるらしい。もちろん、そういうことを口にする人間が必ずしも信用できるとは限らないが、少なくとも悪い印象ではなかった。
「大丈夫。私、結構強いから」
「……そういう問題なんですか?」
「少なくとも、私にとってはね」
タクマは困ったように笑った。
しばらく考えたあと、深く頭を下げる。
「……ごめん、リカさん。お世話になります」
「うん。じゃあ行こうか」
私は歩き出した。
タクマは慣れない足元を気にしながら、少し遅れてついてくる。革靴の底が湿った土に滑るたびに足を止めているので、私は歩く速度を落とした。
「そういえば、タクマって歳いくつ?」
「二十五です」
「へえ。私より三つ上だ」
「リカさんは二十二歳なんですね」
「そう。もっと若いと思った?」
「正直、もう少し若いのかと」
「よく言われる」
「嫌じゃないですか?」
「別に。若く見られて困ることもあるけど、得することもあるし」
そう答えると、タクマは納得したようにうなずいた。
この辺りの反応も悪くない。
年齢を聞いて妙に態度を変える男もいるし、若く見えることを理由にこちらを軽く扱う人間もいる。そういう相手には、これまで何度も面倒な思いをさせられてきた。
タクマには今のところ、そういう気配がなかった。
「リカさんは、この辺に住んで長いんですか?」
「何年かになるかな」
「一人暮らしですか?」
「うん。気楽でいいよ」
「それは分かります」
「タクマも?」
「日本では一人暮らしだったので」
「じゃあ家事もできるんだ」
「普通には。料理はそんなに凝ったもの作らないですけど」
「それなら助かるかも」
「……もう家事要員にされてません?」
「まだ決めてないよ」
「まだ、ですか」
タクマが笑い、私もつられて笑った。
変な男だと思う。
いや、正確には、変な状況に置かれている割に、妙に普通の男だった。異国の人間というより、どこか遠い街から来た旅人と話しているような気分になる。
それが少し不思議だった。
やがて、森の中でも特に木々の密集した場所へ着いた。
ここから先は、私の家を守る結界の範囲だ。
「ちょっと待ってて」
「何かあるんですか?」
「うん。家を隠してるから」
「……家を?」
私は結界へ魔力を流した。
周囲の景色がわずかに揺らぎ、それまで何もなかった木々の向こうに、一軒の家が姿を現す。
木造を基調とした二階建ての家だ。大きすぎず、小さすぎず、一人で暮らすには少し贅沢なくらいの広さがある。庭には薬草を育てる小さな畑があり、建物の脇には薪を積んだ屋根付きの物置もある。
七年前、冒険者になりたての頃は安宿を転々としていた私も、今ではこういう家を持つようになった。
もちろん、全部を自分で建てたわけではない。建物は街の職人に頼んだし、結界や魔法陣の整備にはそれなりの時間と金をかけている。
ただ、誰にも指図されず、自分の好きなように作った家だという点では、私にとって特別な場所だった。
タクマは家を見つめたまま、しばらく動かなかった。
「……今、何もないところから家が出てきましたよね?」
「そう見えるようにしてるの」
「いや、すごいな……」
「結界魔法っていうんだ。外からは見えないし、普通の人は近づこうとしても自然に避けるようになってる」
「防犯システムみたいなものですか」
「ぼうはん?」
「泥棒が入らないようにする仕組み、ですね」
「ああ、それなら近いね」
タクマは興味深そうに家の周囲を見回した。
魔法そのものへの驚きもあるようだが、建物の造りにも関心があるらしい。さっき聞いた話では、彼は家を売る仕事をしていたという。そういう仕事なら、建物を見る目もあるのかもしれない。
「これ、誰が建てたんですか?」
「街の職人さん。私がお願いして作ってもらったの」
「へえ……。結構しっかりした造りですね」
「分かる?」
「まあ、多少は」
「じゃあ中も見てみる?」
「ぜひ」
私は玄関の鍵を開けた。
家の中は出かけたときのままだった。居間にはテーブルと椅子があり、奥には台所。二階には寝室と物置代わりに使っている部屋がある。
タクマは玄関で靴を脱ごうとして、私を見た。
「靴、脱いだ方がいいですか?」
「うん。うちは脱ぐことにしてる」
「助かりました。土足だったらどうしようかと思って」
「ニホンでも脱ぐの?」
「はい。普通はそうですね」
「へえ、同じなんだ」
思わぬ共通点だった。
世界が違っても、似たような暮らし方をする人間はいるらしい。
私はタクマを居間へ案内し、水を用意した。彼は礼を言って受け取り、一息に半分ほど飲んだ。よほど喉が渇いていたのだろう。
「ありがとうございます。助かりました」
「どういたしまして」
私は向かいの椅子へ座った。
タクマはしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げた。
「……リカさん。いろいろ聞いてもいいですか?」
「もちろん。でも、その前にひとついい?」
「はい?」
「別に敬語じゃなくていいよ。堅っ苦しいのは私も苦手」
タクマは少し驚いた顔をした。
「いや、でも……」
「私の方が年下だし、そんなに気を遣わなくていいって。さっきからずっと話しづらそうだよ」
「……そう見えた?」
「うん。ちょっとね」
タクマは苦笑した。
「ああ……すまん。じゃあ遠慮なく」
「うん。その方がいい」
「仕事柄、初対面の人には敬語が抜けなくてさ」
「仕事?」
「住宅の営業をやってたんだ。家を建てたい人に説明したり、契約したり、工事の段取りを調整したりする仕事」
「へえ。商人みたいなもの?」
「まあ、近いかな」
「じゃあ、人と話すのは慣れてるんだ」
「嫌になるくらいには」
タクマは少し疲れた顔で笑った。
その表情が妙に自然で、私はまた笑ってしまった。知らない世界へ飛ばされたかもしれないというのに、この男は仕事の愚痴を言っている。
もっとも、そういう人間の方が案外しぶとく生き残るのかもしれない。
「それで、何を聞きたかったの?」
「ああ、そうだった。まず、この世界のこと。それから街のことと、仕事のこと。あと、できれば金の話も聞きたい」
「お金?」
「持ってる金が使えないなら、どうやって生活するか考えないといけないだろ」
私は少し驚いた。
普通、突然知らない世界に来た人間なら、まず元の場所へ帰る方法を聞きたがるものではないだろうか。
もちろん、タクマだって帰りたくないわけではないはずだ。
ただ、彼は今すぐ解決できない問題より、目の前の生活を優先して考えているらしい。
「タクマって、案外たくましいね」
「名前だけにな」
「……それ、自分で言うんだ」
「昔から言われるんだよ」
私は声を出して笑った。
久しぶりに、家の中で誰かとこんなふうに話している気がした。仕事仲間を招くことはあるし、友人と食事をすることもある。でも、見知らぬ男を拾ってきて、その男に世界の仕組みを説明することになるとは思わなかった。
考えてみれば、ずいぶん変わった一日だ。
朝はいつもどおり依頼を受け、昼過ぎには魔物を倒し、帰り道で男を拾った。しかも、その男は自分の知らない国から来たと言い、魔法を初めて見たような顔をしている。
面倒なことになるかもしれない。
それでも、不思議と嫌な気分ではなかった。
「じゃあ、何から話そうか」
「そうだな。まず、この国がどんなところなのか教えてくれ」
「分かった。ちょっと長くなるけど、いい?」
「時間ならあるよ」
「それなら遠慮なく」
私はテーブルの上に紙と筆記具を用意した。
この大公国の成り立ち、周辺の国々、冒険者ギルドの仕組み、魔法のこと。説明したいことはいくらでもある。
タクマも、分からないことがあれば途中で質問してくれるらしい。
話し相手としては、なかなか相性がよさそうだった。
私は紙に簡単な地図を描きながら、まずフロンティア大公国について話し始めた。
今日、森で拾ったこの男が、いつまでここにいるのかは分からない。明日には街へ連れていくつもりだし、その後どうするかは、本人が決めることになるだろう。
ただ、今夜くらいはゆっくり話を聞いてあげてもいいと思った。
何しろ、私も聞いてみたいことが山ほどある。
それに、いつも一人で食べている夕食を二人分用意するというのも、たまには悪くない。




