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脱走王女は自由でありたい  作者: 真部 朝樹
【第2章】脱走王女は恋をする

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第15話 研究熱


 魔法の研究というのは、実に厄介なものだ。


 一度気になることを見つけてしまうと、どうしてもその先を知りたくなる。仮説を立て、術式を組み直し、実際に試してみる。思った通りの結果が出れば嬉しいし、予想と違う結果になれば、それはそれで原因を調べたくなる。そうしているうちに新しい疑問が生まれ、気づけば最初に調べようとしていたこととは、まったく別の問題を考えていたりするのだから、我ながら困ったものだと思う。


 もっとも、困ったものだと思っているだけで、やめるつもりはないのだけれど。


「……リカ、朝ご飯できたよ」


「うん、ありがとう。あとちょっと!」


「その『あとちょっと』、さっきも聞いたぞ」


「今度こそ本当にあとちょっとだから!」


 私は机に向かったまま答えた。


 机の上には、昨日の実験結果を記した紙が何枚も広がっている。木片の大きさ、燃焼時間、魔力の消費量、炎の状態。それぞれの条件を比較しながら、どこに違いが生まれたのかを考えているところだった。


 昨日、タクマから聞いた話は、私にとって思いがけない発見だった。


 燃える物質が空気の中にある酸素という成分と反応し、その過程で熱や光を生み出す。タクマの故郷では、そうした燃焼の仕組みが知られているらしい。


 もちろん、この世界でも火が燃える条件は経験的に理解されている。薪を乾かせば燃えやすくなるし、炉に風を送れば火の勢いが増す。炭と薪では燃え方が違うことも、料理人や鍛冶職人ならよく知っているだろう。


 けれど、魔法の術式を考えるとき、私たちは炎そのものをどう扱うかという方向から考えることが多かった。


 魔力を熱へ変える。炎を生み出す。生み出した炎を維持し、形を変え、必要な場所へ移動させる。


 それはそれで間違っていない。実際、燃えるものが何もない場所へ炎を放つなら、その方法が必要になるし、戦闘で使う火魔法の多くは、そうした考え方を基本としている。


 ただ、燃料がある場合はどうだろう。


 燃料そのものが熱を生み出せるのなら、魔法はその働きを助けるだけでいいのではないか。


 昨日の実験では、その考え方が正しい可能性を確認できた。しかも、条件によっては従来の火魔法よりも明らかに少ない魔力で、同程度の熱を得ることができた。


 そして、問題はここからだった。


「……空気の流れを変えるだけなら、風魔法の術式を組み込めばいい。でも、火魔法の術式と干渉する部分があるから……」


「リカ」


「うん?」


「パンが冷める」


「……あ」


 顔を上げると、タクマが食卓の前に立っていた。


 すでに朝食の準備は終わっている。焼いたパンと卵料理、それに温かいスープ。どれも美味しそうだったけれど、タクマの表情を見る限り、ずいぶん待たせてしまったらしい。


「ごめん!」


「いや、いいけどさ。昨日の続き?」


「うん! ちょっと面白いことを思いついてね!」


 私は立ち上がり、食卓へ向かった。


「火魔法の術式って、基本的には発熱と維持を一つの流れで処理してるんだけど、そこを分離して、風魔法で燃焼を補助するように組み直せば、もっと効率が上がるかもしれないの!」


「へえ、すごいな」


「それでね、発熱部分を独立させると、今度は術式の制御に余裕ができるでしょ? だから、その分を空気の流れの調整に使えば……」


「……リカ」


「何?」


「ごめん。三割くらいしか分からなかった」


 私は思わず目を丸くした。


「三割も分かったの!?」


「そこに驚くの!?」


 タクマが笑った。


 私もつられて笑いながら、ようやく椅子に腰を下ろした。


 食卓には二人分の朝食が並んでいる。少し前までは、一人で適当に食事を済ませることも多かったのに、最近ではタクマが料理を作ってくれることが増えていた。


 しかも、彼は料理を作るだけではない。私が研究に夢中になっていると、こうして食事の時間を教えてくれる。


 ……何だか、ちょっとお母さんみたい。


 そんなことを考えながらパンを口に運ぶと、タクマが不思議そうに私を見た。


「どうした?」


「ううん。何でもない」


 私は笑ってごまかした。


     *


 それから数日間、私はすっかり魔法の研究に夢中になってしまった。


 最初の二日ほどは、タクマにも実験を手伝ってもらっていた。木片や炭を用意してもらい、燃焼時間を測り、結果を記録する。彼は私ほど魔法に詳しくないけれど、実験の条件を揃えることには妙にこだわりがあり、記録の取り方についても色々と助言してくれた。


「リカ、これ、木片の大きさが違わない?」


「少しくらいなら大丈夫じゃない?」


「いや、燃えるものの量が違ったら、比較にならないだろ」


「……それもそうね」


「あと、風が強い日と弱い日でも結果が変わるんじゃないかな」


「うん。だから風魔法で周囲の空気を安定させてるんだけど……」


「だったら、その魔法に使った分は、消費量に入れないの?」


「……あ」


 私は思わず手を止めた。


 確かに、燃焼を補助するための魔力が減っていても、実験環境を整えるために別の魔力を使っているのなら、全体として効率が上がっているとは限らない。


 比較する条件を揃えることは、研究の基本だ。魔法学院でも当然教わっているし、私だってその重要性は理解している。


 それなのに、目の前の術式に夢中になるあまり、肝心なところを見落としていたらしい。


「……タクマ」


「ん?」


「あなた、研究者に向いてるかもしれない」


「いや、俺は単に、条件を揃えないと比較できないと思っただけだよ」


「それが大事なの!」


 私は感心してしまった。


 タクマは魔法の理論をほとんど知らない。けれど、だからこそ、私が当たり前だと思っている部分にも疑問を持つことができるらしい。


 その後も彼は、私が見落としていたことを何度か指摘してくれた。実験に使う木片は同じ種類のものを選び、できるだけ重さを揃える。燃焼時間を測るときには、どこからどこまでを一回の実験とするのか、最初に決めておく。


 どれも言われてみれば当然のことだったけれど、こうして一つずつ条件を整理していくと、実験結果の違いがずっと分かりやすくなった。


 ただ、研究が進むにつれて、次第に術式そのものを組み直す作業が増えていった。


 火魔法と風魔法の制御を分離し、それぞれの魔力の流れを調整する。さらに、燃焼状態の変化に応じて魔法の働きを変える仕組みを加える。


 こうなってくると、さすがにタクマには手伝えることが少ない。


 私が机に向かって術式を書き直している間、彼は剣の手入れをしたり、簡単な魔法の練習をしたりしていたけれど、次第に時間を持て余すようになっていた。


「……リカ」


「うん?」


「俺、明日はハーケンさんのところへ行ってこようかな」


 その日の夕食後、タクマが言った。


「ハーケンのところ?」


「うん。最近、剣の練習が少し減ってたしさ。あと、フリーダさんからも依頼に誘われてるんだ」


「そうなの?」


「リカはしばらく研究を続けるんだろ?」


「……うん」


 私は少し迷った。


 タクマの魔法の練習も、まだ始めたばかりだ。本当なら、私がちゃんと付き合ってあげた方がいいのかもしれない。


 けれど、目の前にある研究も気になって仕方がない。せっかく新しい可能性を見つけたのだから、できれば納得のいくところまで調べてみたかった。


 そんな私の気持ちを察したのか、タクマは笑った。


「大丈夫だよ。俺も自分の練習をしたいし、フリーダさんたちと仕事するのも勉強になるから」


「……そっか」


「だから、リカは研究してていいよ」


 私は少し申し訳なくなった。


「ごめんね。せっかく魔法を教え始めたのに」


「いや、教えてもらった魔法も、少しずつ練習するよ。あの小さい火を出すだけでも、結構面白いし」


 タクマはそう言って笑った。


 私は安心すると同時に、少しだけ寂しい気持ちになった。


 けれど、彼が自分のやりたいことを見つけているのなら、それは喜ぶべきことだろう。


「じゃあ、明日はギルドまで送っていくね」


「ありがとう。帰りはいつもの時間で大丈夫?」


「うん。迎えに行くよ」


 私の家は森の中にあり、結界と転移魔法陣で守られている。


 タクマはまだ、その結界を自分で通ることができない。転移魔法陣も私が操作しなければ使えないので、彼が一人で家へ帰ることはできなかった。


 だから、別々に行動する日も、帰りには私がギルドへ迎えに行くことにしていた。


 少し手間ではあるけれど、不思議と面倒には感じなかった。


     *


 翌朝、私はタクマをギルドへ送り届けると、そのまま家へ戻った。


 彼はハーケンのところで剣の訓練を受けるらしい。午後にはフリーダとクルシュに会って、次の依頼について相談するとも言っていた。


 私はというと、机の上に広げた術式の続きを考えることにした。


 昨日までの実験で、燃焼を補助する魔法については、ある程度の成果が得られている。


 燃料がある場所では、魔力で炎を維持するよりも、燃焼の条件を調整する方が効率的な場合がある。それは何度か実験を繰り返しても変わらなかった。


 ただ、当然ながら限界もある。


 燃料がなければ使えないし、燃料の種類によって効果も変わる。空気を送りすぎれば熱が逃げてしまうこともあるし、燃焼を強めようとするほど、制御が難しくなる場合もあった。


 つまり、従来の火魔法が不要になるわけではない。


 それでも、利用できる場面は多いはずだった。


 例えば、鍛冶場の炉。


 一定の温度を長時間維持する必要がある作業では、魔力の消費を抑えられるかもしれない。家庭の調理器具や、寒い地域で使う暖房設備にも応用できる可能性がある。


 私はそんなことを考えながら、術式をいくつも書き直していた。


 そして、ふと手を止めた。


「……待って」


 燃焼を効率よく維持することばかり考えていたけれど、逆はどうだろう。


 燃料が持つエネルギーを、できるだけ短い時間に集中して解放したら。


 私は紙の上に、新しい術式を書き始めた。


 火魔法には、爆発を起こす術式が存在する。


 ただし、その多くは魔力を瞬間的に放出し、強烈な熱や衝撃を生み出すものだった。大きな威力を得ようとすれば、それだけ大量の魔力が必要になる。


 けれど、燃焼そのものを利用すれば、魔力とは別の力を攻撃へ変えることができるかもしれない。


 もちろん、燃料を魔法で作り出すなら、その分の魔力が必要になる。周囲の空気を制御するにも魔力を使うし、爆発の範囲を制限するための術式も欠かせない。


 何より、爆発という現象は、炎を維持する魔法とは性質が違う。


 発生する熱だけでなく、周囲へ広がる衝撃も考えなければならない。制御を誤れば、術者自身が巻き込まれる危険もある。


 それでも、考えてみる価値はあった。


 私は新しい紙を取り出し、術式の構造を一つずつ組み立て始めた。


     *


 その日の夕方、私は約束どおりギルドへ向かった。


 受付の近くでは、タクマがフリーダとクルシュに何かを説明していた。


「だから、明日は予備の袋を多めに持っていった方がいいと思うんですよ」


「そんなに素材が取れるかねえ」


「取れなかったら使わないだけですし。途中で足りなくなるよりはいいかなって」


「なるほどね」


 フリーダが笑い、クルシュがうなずいた。


 タクマはすっかり二人に馴染んでいるようだった。


「タクマ!」


 私が声をかけると、彼が振り返った。


「おう、リカ。お疲れ」


「そっちもお疲れ様。今日はどうだった?」


「ハーケンさんに、また散々しごかれたよ」


「ははっ、あの爺さん容赦ねえからな!」


 フリーダが笑った。


「でも、タクマは筋がいいらしいぞ。あたしも今度、ちょっと相手してやろうと思ってる」


「それは楽しみだね」


 私は笑った。


 タクマは少し困った顔をしていたけれど、嫌そうではなかった。


「じゃあ、明日はよろしくお願いします」


「おう! 朝、ここで待ち合わせな!」


 タクマがフリーダたちに頭を下げる。


 私は二人に手を振り、タクマと一緒にギルドを出た。


「研究はどうだった?」


 帰り道、タクマが尋ねた。


「すっごく面白いことを思いついた!」


「へえ、どんな?」


「燃焼を効率よく維持するんじゃなくて、短時間に集中させるの!」


「……え?」


「つまりね、燃料の持っているエネルギーを、一気に解放するの。そうすれば、従来の爆発魔法とは違う仕組みで、大きな威力を得られるかもしれない!」


 タクマは少し考えた。


「……それ、危なくない?」


「危ないよ!」


「即答!?」


「だから、ちゃんと安全な場所で実験するつもり!」


「……頼むから、家の近くではやらないでくれよ」


「分かってるってば!」


 私は笑った。


 タクマは少し心配そうだったけれど、私にはすでに、試してみたい術式がいくつも浮かんでいた。


     *


 翌日から、タクマはフリーダたちと依頼に出かけるようになった。


 最初の依頼は、森の中での素材採取だったらしい。フリーダとクルシュにとっては比較的簡単な仕事だったけれど、タクマにとっては、私のいない冒険者としての仕事になる。


 私は少し心配だった。


 フリーダもクルシュも腕の立つ冒険者だし、危険な相手が出れば十分に対処できる。それは分かっている。


 けれど、これまでタクマと一緒に依頼へ出かけるときは、ほとんど私が近くにいた。


 彼が危険な目に遭えば、すぐに魔法で助けられる。怪我をしても、私が治療できる。


 それができない場所へ彼を送り出すのは、思っていたより落ち着かないものだった。


 とはいえ、タクマがいつまでも私と一緒に行動する必要はない。


 彼は冒険者なのだ。


 自分の力で経験を積み、仲間と協力しながら仕事をこなす。それは、彼がこの世界で生きていくために必要なことだった。


 私はそう自分に言い聞かせ、研究へ戻った。


 そして、気がつけば昼になっていた。


「……あれ?」


 私は机から顔を上げた。


 普段なら、そろそろタクマが昼食の準備を始める頃だ。


 けれど、家の中は静まり返っていた。


 当然だ。今日はタクマがいないのだから。


「……そっか」


 私は小さく呟いた。


 自分で送り出したのに、妙な話だった。


 一人で暮らしていた頃は、何時間研究していても気にならなかった。食事を忘れることもあったし、夜遅くまで術式を書き続けることも珍しくなかった。


 それなのに、今は昼食の時間になると、誰かが声をかけてくれることを期待してしまう。


 私は少し考えてから、立ち上がった。


「……お腹空いたな」


 台所へ向かい、簡単な食事を作る。


 食卓に一人で座ると、家の中が妙に広く感じられた。


 私はパンを口に運びながら、机の上に置いた術式のことを考えた。


 今日の実験が上手くいったら、タクマに話してみよう。


 きっと、また色々と質問してくれるだろう。


 そんなことを考えている自分に気づいて、少しだけ笑ってしまった。


 ……研究成果を説明する相手がいないと、張り合いがないのよね。


 私はそう結論づけ、食事を終えると再び机へ向かった。


     *


 その日の夕方、ギルドへ迎えに行くと、フリーダがいつも以上に上機嫌だった。


「おう、リカ! ちょうどいいところに来たな!」


「どうしたの?」


「聞いて驚けよ。今日、タクマが魔獣を一匹仕留めたぞ!」


「……え?」


 私は思わず立ち止まった。


「タクマが?」


「おう!」


 フリーダが笑った。


 タクマは少し照れくさそうに頭を掻いていた。


「いや、そんな大したことじゃないよ」


「大したことあるでしょ!」


 私は思わず彼に近づいた。


「怪我は!? どこか痛いところない!?」


「ないない。大丈夫だよ」


「本当に?」


「本当。フリーダさんたちも近くにいたし」


 私は少し安心した。


 けれど、驚きはまだ収まらなかった。


「……どうやって倒したの?」


 私が尋ねると、フリーダが楽しそうに説明してくれた。


 素材採取を終えて帰る途中、小型の魔獣が一匹、茂みから飛び出してきたらしい。


 最初はフリーダが対処するつもりだったけれど、魔獣はタクマの方へ向かってきたという。


「こいつ、慌てて逃げるかと思ったら、ちゃんと剣を抜いてな。相手の動きを見て、一歩横へずれたんだよ」


「それで?」


「突っ込んできたところを、すれ違いざまに斬った。まあ、一撃で綺麗に決まったわけじゃねえけどな。相手が体勢を崩したところへ、もう一度剣を入れて仕留めたんだ」


 私はタクマを見た。


「……本当に?」


「うん。ハーケンさんに教わった通り、相手の正面に立たないようにしただけだよ」


 タクマはそう言って笑った。


 クルシュもうなずいた。


「落ち着いていましたよ。少なくとも、無闇に剣を振り回すようなことはありませんでした」


「ただなあ」


 フリーダが少し笑った。


「倒したあと、しばらく自分の剣を見つめてたぞ」


 タクマは苦笑した。


「いや、やっぱり、生き物を斬る感触って、ちょっと違うんだなと思って」


 私は少しだけ胸が締めつけられた。


 魔獣を倒すことは、冒険者にとって避けて通れない仕事だ。けれど、初めて自分の手で命を奪うというのは、決して軽い経験ではない。


「……怖くなかった?」


 私は尋ねた。


 タクマは少し考えてから答えた。


「怖いっていうより、必死だったかな。向こうもこっちを襲ってきたわけだし、倒さないと危ないって思ったから」


「……そっか」


「でも、血の臭いとか、剣に伝わる感触とかは、やっぱり慣れないね」


 彼は少しだけ苦笑した。


「まあ、慣れたくもないけどさ」


 私はうなずいた。


 その言葉を聞いて、少し安心した。


 タクマは魔獣を倒したことを、必要以上に誇っているわけではない。けれど、怖がって逃げ出したわけでもない。


 自分がやるべきことを理解して、実際に行動できた。


 それは、確かな成長だった。


「……頑張ったね、タクマ」


 私がそう言うと、彼は少し照れくさそうに笑った。


「ありがとう」


 フリーダが豪快に笑った。


「まあ、まだまだひよっこだけどな! でも、筋は悪くねえぞ!」


「それ、褒めてるんですか?」


「褒めてる褒めてる!」


 私たちは笑った。


 けれど、私は少しだけ不思議な気持ちになっていた。


 タクマが初めて魔獣を倒した。


 それは、彼にとって大きな一歩だったはずだ。


 なのに、私はその場にいなかった。


 もちろん、彼が成長するのは嬉しい。自分の力で冒険者として生きていけるようになることを、私は心から望んでいる。


 それでも、ほんの少しだけ、その瞬間を見てみたかったと思ってしまった。


     *


 その後も、私たちの生活はしばらく同じように続いた。


 朝、タクマをギルドへ送り届ける。


 彼はハーケンのところへ行ったり、フリーダたちと依頼に出かけたりする。私は家へ戻り、術式の研究を続ける。


 時々、タクマが研究を手伝ってくれる日もあった。


 そんなときは、実験結果を記録してもらったり、彼の故郷の知識について質問したりした。


 ただ、私の研究は次第に複雑になっていった。


 燃焼を補助する魔法から、燃焼の状態を制御する魔法へ。そして、燃焼によって生まれる熱や衝撃を、特定の方向へ集中させる術式へ。


 何度も失敗した。


 術式が不安定になり、魔力だけが無駄に消費されることもあった。思ったほど威力が出ないこともあれば、逆に制御が難しくなり、実験を中断したこともある。


 それでも、少しずつ成果は出ていた。


 燃焼の仕組みを利用すれば、従来の爆発魔法とは違う形で威力を生み出せる。


 そして、その威力を一定の範囲へ集中させることができれば。


「……いけるかもしれない」


 私は机の上に広げた術式を見つめた。


 ようやく、一つの形が見えてきた。


     *


 七日目の朝。


 私はタクマをギルドへ送り届けると、街の外れにある山地へ向かった。


 今日試すのは、これまで組み立ててきた新しい爆発魔法だった。


 もちろん、家の近くで試すつもりはない。


 タクマにも散々心配されたし、私自身、この術式の威力がどの程度になるのか、まだ正確には分かっていなかった。


 だから、人里から十分に離れた場所を選んだ。


 周囲には建物もなく、普段は人が近づかない岩場が広がっている。事前に周辺を確認し、魔獣や人がいないことも確かめた。


 私は岩場の中央に立ち、遠くにある大きな岩塊へ目を向けた。


 今回の術式は、従来の爆発魔法とは少し違う。


 魔力を一度に放出して衝撃を生み出すのではなく、燃焼という現象を利用して、その結果として生まれる熱と圧力を攻撃へ変える。


 もちろん、燃焼に必要な条件を整えるためにも魔力は必要だし、爆発を制御するための術式にも大きな負担がかかる。


 決して、少ない魔力で何でも破壊できるような魔法ではない。


 けれど、魔力だけで同じ威力を生み出そうとする場合とは、根本的に仕組みが違っていた。


「……よし」


 私は深呼吸をした。


 魔核へ意識を向け、術式を起動する。


 複数の魔法陣が空中へ展開し、淡い光を放ち始めた。火魔法と風魔法、それぞれの術式が独立した流れを作り、互いに干渉しないよう慎重に制御されていく。


 私は魔力の流れを確認しながら、最後の術式を起動した。


 そして、遠くの岩塊へ向けて魔法を放つ。


 次の瞬間。


 視界の先で、眩い光が弾けた。


 遅れて、凄まじい轟音が山地に響き渡る。


 大地が震え、遠くの岩場から土煙が立ち上った。衝撃が周囲の空気を揺らし、私の髪を大きくなびかせる。


 私は思わず目を見開いた。


「……え?」


 土煙がゆっくりと晴れていく。


 先ほどまで大きな岩塊があった場所には、砕け散った岩の破片が散乱していた。周囲の地面にも亀裂が入り、爆発の中心には大きな窪みができている。


 私はしばらく、その光景を見つめていた。


「……できちゃった」


 思わず呟いた。


 想定していたより、ずっと威力が大きい。


 もちろん、術式の計算上は、この程度の結果になる可能性も考えていた。けれど、実際に目の前で起こった現象は、想像していた以上に迫力があった。


 私は魔力の消費量を確認した。


 かなりの魔力を使っている。普通の魔法使いなら、発動することすら難しいだろう。


 それでも、同程度の威力を従来の爆発魔法で再現しようとすれば、もっと多くの魔力が必要になるはずだった。


「……すごい」


 私は思わず笑ってしまった。


 新しい魔法が完成した。


 それも、今までの術式とは違う考え方から生まれた魔法だ。


 私は興奮を抑えきれず、しばらくその場で術式の構造を確認していた。


 ただ、やがて冷静になると、少しだけ考え込んだ。


「……これ、どこで使うんだろう」


 目の前には、砕け散った岩塊と、大きく抉れた地面がある。


 魔獣との戦いで使うには、明らかに威力が大きすぎる。周囲に味方がいれば巻き込む危険があるし、街の近くで使うなど論外だ。


 戦場であれば、使い道はあるかもしれない。


 けれど、私は軍人ではなく、冒険者だ。


 そもそも、こんな魔法を必要とするような相手とは、できれば戦いたくない。


「……まあ、いいか」


 私は小さく笑った。


 新しい魔法を作ることと、それを実際に使うことは別の話だ。


 研究というのは、そういうものなのだから。


     *


 夕方、私はいつものようにギルドへ向かった。


 受付の近くでは、冒険者たちが何やら騒いでいた。


「だから、山の向こうですげえ音がしたんだって!」


「雷じゃねえのか?」


「いや、空は晴れてたぞ」


「じゃあ、魔獣か?」


「知らねえよ。とにかく、地面が揺れたって話だ」


 私は思わず足を止めた。


 ……あれ?


 嫌な予感がした。


 どうやら、昼間の爆発音が街の方まで届いていたらしい。


 私は少しだけ視線を逸らし、何事もなかったように受付へ向かった。


 すると、タクマがフリーダたちと話しているのが見えた。


「おう、リカ!」


 フリーダが声をかけてきた。


「お疲れ様」


「おう。それより、聞いたか? 山の方ですげえ音がしたらしいぞ」


「……へえ」


「何でも、岩場が吹き飛んだとか何とか」


「……そうなんだ」


 私はできるだけ平静を装った。


 けれど、フリーダはじっと私を見ていた。


「……リカ」


「何?」


「お前、今日何してた?」


「……研究」


「どこで?」


「……山」


 フリーダが目を細めた。


「おい」


「……何?」


「お前だろ」


「……さあ?」


「こっち見ろ!」


 私は思わず笑ってしまった。


 タクマも、少し呆れたように笑っている。


「リカ、まさか本当に爆発させたの?」


「……うん」


「どのくらい?」


「……すごく」


「説明が雑になってない?」


 私は少し頬を膨らませた。


「だって、まだ詳しい検証が終わってないんだもん」


「いや、そういう問題じゃないと思うけど……」


 タクマは苦笑した。


 フリーダは呆れたように頭を掻いた。


「まったく、お前は昔からそういうところがあるよなあ」


「ちゃんと安全な場所でやったもん!」


「安全な場所でやれば、何してもいいってわけじゃねえだろ!」


 私は言い返そうとして、やめた。


 確かに、予想以上の威力が出たのは事実だ。周囲に人がいないことは確認していたけれど、爆発音がここまで届くとは思っていなかった。


 今後は、もっと慎重に試す必要があるだろう。


「……次から気をつけます」


 私がそう言うと、フリーダは大きくため息をついた。


「本当かよ……」


 クルシュはそんな私たちを見ながら、静かに笑っていた。


     *


 ギルドを出る頃には、空が茜色に染まり始めていた。


 タクマと並んで歩きながら、私は今日の研究について話した。


 新しい術式が完成したこと。


 従来の爆発魔法とは違う仕組みで、大きな威力を得られたこと。


 ただし、魔力の消費量は決して少なくなく、実際に使える場面も限られていること。


 タクマは興味深そうに聞いていた。


「へえ……じゃあ、結構すごい魔法ができたんだな」


「うん! すっごく面白かった!」


「それはよかった」


 彼は笑った。


 私は少しだけ申し訳なくなった。


「……でも、ごめんね」


「何が?」


「最近、研究に夢中になっちゃって、タクマのこと、あんまり構ってあげられなかったでしょ?」


 タクマは少し驚いた顔をした。


「いや、別にそんなことないよ」


「そう?」


「うん。俺もハーケンさんのところへ行ったり、フリーダさんたちと仕事したりしてたし。結構充実してたよ」


「……そっか」


「それに、リカが研究してるの、楽しそうだったからさ」


 私は彼を見た。


「……楽しかったよ」


「だろ?」


「うん。すっごく」


 私は笑った。


 タクマも笑った。


 しばらく歩いてから、彼が言った。


「でもさ、帰ったら研究の話、もう少し聞かせてくれよ」


「本当?」


「うん。俺には分からないことも多いけど、リカが何を考えてるのかは知りたいし」


 私は少し嬉しくなった。


「もちろん!」


「ただし、一つお願いがある」


「何?」


「できれば、俺にも分かるところから説明してほしい」


「ええー?」


「最初から専門用語で話されても分からないって!」


 私は笑ってしまった。


 確かに、最近は術式の話になると、つい難しい言葉を使ってしまう。


 でも、タクマに説明するためには、私自身も考えを整理しなければならない。それは研究にとっても、きっと悪いことではないはずだった。


「……分かった。じゃあ、帰ったら最初から説明するね!」


「最初から?」


「うん!」


「……どのくらいかかる?」


「えっと……三時間くらい?」


「長いな!?」


 私は声を出して笑った。


 タクマも呆れたように笑っている。


 その顔を見て、私はふと思った。


 この一週間、私たちは以前ほど一緒に行動していなかった。


 私は家で魔法の研究を続け、タクマは冒険者として依頼をこなし、剣の訓練を受けていた。


 それぞれが別の場所で、別のことをしている。


 けれど、夕方になれば、私はギルドへ彼を迎えに行く。


 そして、一緒に家へ帰る。


 その日の出来事を話し、時には笑い、時には驚く。


 以前は一人で暮らしていた家に、今はもう一人分の生活がある。


 研究に夢中になって、昼食の時間を忘れてしまうことはあるけれど、夕方の約束だけは不思議と忘れなかった。


 タクマがギルドで待っている。


 そう思うと、どれほど研究が面白くても、自然と手を止めることができた。


「……ねえ、タクマ」


「ん?」


「明日は、久しぶりに四人で依頼に行かない?」


 タクマは少し驚いた顔をした。


「研究はいいの?」


「うん。ひとまず一区切りついたから」


「そっか。じゃあ、行こうか」


「うん!」


 私は嬉しくなって、少しだけ歩く速度を上げた。


 タクマも隣を歩いてくれる。


 彼がこの一週間で、どんな経験を積んできたのか。


 どんなことを覚えて、どんなふうに成長したのか。


 私はまだ、そのすべてを知らない。


 けれど、明日になれば、きっと少しは分かるだろう。


 そんなことを考えながら、私たちは夕暮れの道を歩いていった。


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