001 いきなりの婚約破棄
「ルクレツィア、聞いてくれ。おれはとうとう真実の愛を見つけたんだ!」
幼い頃から婚約を結び、ずっと尽くしてきた婚約者のルドガーはどこまでも嬉しそうに私にそう言い放った。
長く後ろで一つ結びにされた薄紫の髪に同色の瞳。
無邪気に喜ぶ彼は、お気に入りのオモチャを手に入れた子どものようにも思える。
だけど問題はその発言の持つ意味だ。
「真実って……」
私は彼の喜びようと引き換えに、頭が痛くなるのを覚える。
こめかみを軽く押さえてはみたものの、これはちょっとやそっとでは治りそうもない。
あとで薬を煎じないとダメそうね。
今すぐにでも目が覚めるほど濃いのを、一気に飲み干してしまいたい気分だわ。
何をどうしたら、こんなことになるのかしら……。
ルドガーはこの国で流行病が蔓延した時に、その病にかかった一人だった。
薬師一族だった我が子爵家は、彼の治療を任され、ルドガーは一命を取り留める。
ただ彼は元から体が弱く、病気の予後の経過も兼ねて、末娘だった私が彼と婚約を結んだ。
そうすれば彼を側でずっと、支えることが出来るから。
本来子爵家である我が家と、侯爵家であるルドガーの家では身分差が顕著ではあったが、この婚約を押したのは彼の両親だった。
あと一年もすれば結婚という時期にきて、真実の愛を見つけたと話すルドガー。
私はこういう時、どんな顔をすべきなのだろう。
泣けばいいのか、怒ればいいのか。
あまりに突拍子もない話に、頭の回転がついていかない。
「本気なの、ルドガー」
「ああ、もちろんさ」
珍しく朝早くから私の部屋を訪ねてきたかと思えば、本当になんなの?
確かにここ一年は、過去の病気など嘘のようにルドガーは元気になっていった。
もう病弱だった過去の面影はない。
色白く細かった体はやや筋肉質になり、肌の色も少し日に焼けている。
ルドガーの父親が亡くなって、爵位を継いでからは仕事も真面目に行うようになっていった。
だから私たちはすれ違いも多くなっていたし、毎朝特製のハーブティーを執務室に運ぶ時くらいしか顔を合わすことはなくなっていたけれど。
だけど真実の愛ってなんなの?
いつの間にというか……なんで。
なんでそんなことに……。
「私がこの家のために、今まで何をしてきたか知っていて、それを言うの?」
「もちろん君にはすごく感謝はしている。おれがこうして元気になれたのも、全部君のおかげさ。だから薬師として働いてきた期間の賃金や慰謝料は、きちんと払うつもりだ」
そこまで言うということは、本気だということなのね。
六歳の時にここへ来てから、私はずっとこの一族のために生きて来た。
実家にだって、ほとんど帰ったことはない。
無償で尽くしてきたのだって、彼が婚約者であったからなのに……。
お金、か。
正直、そんなものに興味はない。
だけどこの先一人で生きて行くなら、必要なものよね。
なぜだろう。
どこまでも空しさが胸を締め付ける。
それでも泣くことだけはしたくはなかった。
泣けば、自分だけが惨めになるのは分かっていたから。
ルドガーは、ほんの少しも私のことを好きではなかったのね。
私一人でずっとこの人のことを思っていたなんて、馬鹿みたいだわ。
「そこまでしてでも、私との婚約を破棄したいのね」
「すまない、ルクレツィア。だがおれは、フィオナを愛しているんだ」
「そう……」
「フィオナはどこまでも情熱的で、いつもおれを笑わせてくれる。彼女が微笑むだけで、幸せな気分になれる。こんな気持ちになったのは初めてなんだ」
思い出すように瞳を輝かせながら話し出すルドガーに、かける言葉はない。
そんなことを力説されたところで、私にどうしろというの。
こんな人だったなんて、私は今までこの人の何を見て来たのかしら。
最早呆れ果てて話半分しか聞いていなかった私も、次の言葉を聞いた瞬間、思わず開いた口が塞がらなかった。
「君も彼女に会えばすぐにわかるさ。いかに彼女が女神のような存在なのかを。さ、フィオナ入っておいで」
ルドガーはドアの向こうにそう声をかけた。
すると呼ばれたフィオナという女性が、ゆっくりと私の部屋に入ってくる。
歳は私より少し上だろうか。
健康的な褐色の肌に、大きな胸。
こげ茶色の長い髪は肩から胸側に流すように、ゆるく三つ編みされている。
そして大きな同色の瞳は、ややうるうるとしていて、確かに私などよりずっと美人だ。
あまりこの国の貴族っぽくはないけれど、彼が結婚したいというくらいだから、どこかの貴族令嬢なのだろう。
だけど気になるところはそこではない。
やや不自然なまでに大きく膨らんだ、そのお腹。
あれって、もしかして……。
「あなたがルクレツィア嬢です?」
「え、ええ」
「初めましてアタシはサレク男爵家のフィオナですわ」
サレク家。聞いたことはないけれど、男爵というのだから格はうちよりも上か。
わざわざ強調する辺りがなんともだけれど、フィオナはどこまでも勝ち誇った笑みを浮かべていた。
ルドガーはそんな彼女を愛おしい目で見つめながら、その横にピタリとくっついて立っている。
「ルドガー、もしかして彼女は」
「ああ。妊娠しているんだ、おれの子を」
「……そう」
ああ。ルドガーが婚約破棄を急ぐ理由はそこなのね。
子どもが生まれてしまってからの結婚では、体裁が悪いものね。
お金を払ってでも、私を追い出したいわけか。
「ルドガー、彼女は婚約破棄に納得してくれた?」
甘えたような声を上げれば、ルドガーは嬉しそうに頷く。
「ああ、もちろんだ。分かってくれるよね、ルクレツィア」
「そうね……。まずは、今すぐ誓約書を書いてくれるかしら」
「もちろんだとも!」
あらかじめ用意していたのだろう。
ルドガーはすぐさま懐から紙を取り出す。
婚約破棄の慰謝料及び薬師としての今までの労働費は、貴族間での平均的なものから算出し、そこに一割ほど上乗せして一括で現金払いするとのことだった。
そこに私は文を書き加える。
今後お互いに二度と干渉しないこと。何があっても文句を言わないこと。許可なく不要に近づくことはないこと。
私が書いた文がよほど嬉しかったのか、ルドガーは私がサインをしたあとにすぐにサインをしてくれた。
そして私はそれを受け取る。
この部屋の中にあるもので、特に必要なものはない。
お金もたんまり入ることだし、思い出ごと全部置いていこう。
引きずるのも面倒くさいし、それに今はとっととここを出てしまいたいから。
だけどただ一つだけ。
そう、一つだけ。
お土産を残していくくらいは、きっと許されるだろう。
だって十年以上もの間、彼のためだけに生きてきたのだから。
「喜んでいるところ悪いんだけど、一つ聞いてもいい?」
「なんだい、ルクレツィア」
イチャイチャと手を取り合い私に見せびらかすように甘える彼らに、私はどこまでも意地悪い笑みを浮かべて尋ねた。
「で、そのお腹の子は誰の子なの?」




