5 それってどういう意味で? (1)
――フローリア家から招待状を貰って、一か月。まさか、夜会の準備がこんなにも大変なものだとは思ってもみなかった。
ユーリはパートナーとして参加することを快く承諾してくれたけれど、一大事だったのはそこからだ。
なにしろマナーもダンスもそしてドレスの準備も、私は何ひとつできていないのである。
一応子爵家の生まれとはいえ、私の実情はほぼ一般人。夜会なんて一度も参加したことがないし、なんならユーリ以外の他領の貴族との交流すらしたことがない。貴族らしい経験なんて、皆無と言って良いだろう。
それでも付け焼き刃なのは承知の上で、右も左もわからないながら準備を進めていく。
学ぶべきことは山ほどあるのに、残された時間は少ない。ハーベストがそんな私のためにマナー教師を手配してくれたけれど、残念なことに私は座学が大の苦手だ。敏腕教師による容赦ない詰め込み教育に、正直溺死寸前となっていた。
とはいえ、実のところパーティ自体はめっちゃ楽しみなのだ。だって、王都で催される夜のパーティだよ!?
田舎者にとっては叶うはずがないと諦めていた夢の舞台。期待しないわけがないだろう。
「本当に、何回見ても綺麗なドレス!」
――そうして迎えた、夜会当日。
ユーリの迎えを待ちながら、鏡に目をやった私はもう何度目になるかもわからない感嘆を口にしたのだった。
夏の夜空のような紺色を基調としたドレスは、ユーリが用意してくれたものだ。
ドレスにはあまり詳しくないけれど、すっきりとしたラインは私の身体にぴったりとフィットしていて心地よく、デザインも華美過ぎないところが気に入っている。
最近の王都は肩出しや身体のラインを浮き上がらせる形の色気を重視したドレスが流行っているらしいけれど……うん、私には到底似合いそうにない。ユーリのセンスが私と近くて良かった。
そして、このドレスの存在感に負けない大ぶりの若草色のイヤリングと、デコルテを飾る同色のネックレスもユーリからのプレゼントなのであった。
意外にもユーリは私の夜会の準備に極めて積極的で、ドレスをはじめとするトータルコーディネートを張り切ってチョイスしてくれたのである。しかも、めっちゃ楽しそうに。
田舎者なので詳しいことはわからないが、コレはかなりお金が掛かっているんじゃないだろうか……ユーリに直接言ったら、「パートナーの衣装を用意するのは当然だ。費用のことなど気にするな」と一蹴されてしまったけれど。
でも、ハーベストに相談しても「そこはユーリウス様に甘えなさい」との回答だったから、これが王都の貴族の常識なのだろう。……うーん、王都ってコワイ。
ただ、ハーベストは「ここまで自分色に染めておきながら肝心なところは行動を起こしていないなんて……ユーリウス様ってもしかしてヘタレ……?」と呟いていたのが気になるところではある。
もしかしたら、王都の中でもユーリは特殊なのかもしれない。ヘタレという表現が何のことを言っているのかはわからなかったけれど。
まぁ彼女の中でユーリの評価がどんどん下がっていることだけは、しっかりと伝わってきた。
――そう。そんなやり取りからもわかる通り、私とハーベストは今や大の仲良しになっているのだ。僅かひと月で十年来の友人のような気の置けない関係にまでなったのだから、きっと相性が良かったのだろう。
それぞれの得意分野が違うのが却って良かったようで、彼女との会話は新鮮で時間を忘れていつまででも続けられる。ハーベストの方もどうやら同じことを思ってくれているようで、私も嬉しい。
そして、二人の会話の中心は――女子会ということもあり当然――恋バナが中心となっていた。
最近彼女はディートスと新規事業に取り組みはじめたらしく、それに伴って二人の仲も急接近しているとのことだ。先日はライバル店の偵察を言い訳に二人きりでデートをしてきたのだと、得意そうな顔で語っていた。
どうやら恋というのは、人に幸せを振り撒きたくなるものらしい。おかげさまで彼女とのお茶会は、基本的にディートスとの進展具合を聞かされる会となっていた。
きっと、当人たちを除いて二人の恋模様に一番詳しいのは私になっているだろう。二人の初々しい幸福に満ちた日常は、聞いているだけで私の心を満たしていく。
しかし一方で、彼女は私の恋バナが聞けないことに不満を覚えているらしく……。
「良いこと、アレクサンドリア! 今回の夜会を機に、アナタも次のお茶会で話せる恋のネタを一つや二つ作ってきなさい! たまには私だって、アナタの幸せな話を聞いて胸をキュンキュンさせたいわ!」
とまぁそんな無茶を言って、今回の夜会にあたって全面的なバックアップをしてくれたのであった。
「おかげで恰好だけは何とかなってるけれど……」
今日の身支度は、ハーベストが手配してくれた侍女がととのえてくれた。当然、私にこんな繊細な衣装の着付けやお化粧なんてできるわけもない。すべてお任せしたけれど、そのデキにはつい他人事のような目線で舌を巻いてしまう。
流石はハーベストの選んだ侍女。腕前がすごい。
髪型だって私の髪はあまりにまっすぐでクセがつかないために普段はポニーテールしかできないというのに、どこをどうやったのか、綺麗にウェーブを作って編み込みを入れながらアップにまとめ上げてくれた。今度会ったら、是非ともコツを聞いてみたい。
彼女には大感謝だ。ただ、気になるのは……。
「このお化粧、詐欺じゃないかなぁ……」
何重にも塗りたくられた白粉やら口紅やらの成果を前に、私はついそんな不安をこぼしてしまった。
白粉によって演出された肌は透き通るほどに白く、伏し目がちに縁どられた瞳は内気で大人しそう。いくつもの色を塗り分けたためだろうか、なんか目の形も顔の輪郭もいつもと違って華奢で儚げな雰囲気を醸し出している。
――そう、つまりは。
本人とまるっきり違う令嬢が鏡の前に映っているのである。
「なんか……すっごく緊張してきた……」
今更になって、 この姿でユーリの前に出ることに不安を覚えはじめる。しかし、あまりに遅すぎる後悔はただ私を不安に陥れただけで、約束の刻限は容赦なく訪れたのであった――。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
「まぁ、ユーリウス様だわ! 正装されているお姿もやっぱり素敵……」
「滅多に夜会に出られないと聞いたけれど、珍しいわね。またとないチャンスよ、後でダンスに誘わなくては」
会場に着くなり、予想通り令嬢たちの視線が一斉にユーリに注がれた。私の良すぎる耳は、そんな彼女たちの囁き声をしっかりと拾い上げてしまう。
反射的にピンと伸ばしていたはずの背筋を縮めたくなった。ユーリの話が終わったら、次は自分の番だと察せられたからだ。しかもそれが良い内容でないことぐらい、簡単に予想がつく。
――けれど。
「それにしても、お連れの方はどなたなのかしら? 悔しいけれど、お似合いのお二人だわ」
「ええ、本当に。あれだけご自身の色でパートナーを染め上げるなんて、随分とあの方は愛されていらっしゃるのね」
「ユーリウス様は職場の女騎士と懇意にされてると聞いたけれど……あの様子を見るに、噂話ってアテにならないものね」
「ええ、ええ。あんな野蛮な女騎士よりも銀髪の乙女を選んでくださった方が、私たちの恋心も報われるというもの……!
え、と思わずその発言主の方向に顔を向けそうになって、慌てて押しとどめた。
ハーベストから言い渡された『夜会を楽しむ三原則』のことを思い出したのだ。「余計なことはせず」「必要なとき以外喋らず」「常に微笑みを浮かべて」――周囲の輪を乱しさえしなければ、経験がなくとも夜会は十分楽しめる、というのが彼女の教えだった。
つまり、彼女たちが私の正体に気がついていない現状、余計なことはせず放っておくのが最適ということ。――しかし理性はそんな結論を出すものの、居心地は悪い。
まさか、普段からお化粧の効果を知っているはずの彼女たちすら、私が誰か見抜くことができないとは……。
「聞こえたか、アレク。彼女たちの目はどうやら相当な節穴のようだ」
ユーリの笑いを含んだ声が頭上から降ってきた。
そっと身をかがめて私の耳に囁きかけるその様子は、はたから見ればまるで恋人たちの睦言のように見えるころだろう。きゃあ、という黄色い悲鳴が人混みから上がるのが聞こえる。
そんな反応をわかっていてやっているユーリを上目遣いで睨んだが、彼はどこ吹く風だ。
「それだけ私の見た目が劇的に変わってるってことだよ。私自身、この見た目は詐欺だって思うもん」
「そうか? もちろんアレクのドレス姿は新鮮だし、俺の選んだコーディネートはその魅力を引き立てていると思っているが……ただ、飾らない普段のアレクだって、同じくらい魅力的だし綺麗だ。そこは別に、変わらないだろうに」
「……! ユーリは、本っ当にもう……っ」
なんの衒いもなく私の目を見てそう口にするユーリに、私の方が耐えきれず俯いてしまった。そんな私の反応に目を細めながら、ユーリは優雅な動作で手を差し延べる。
「ほら、今夜を楽しみにしていたんだろう? まずは一曲、一緒に踊ろうじゃないか」




