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86.ハルカ

「さて、どこから話をしようか……」


 みなが落ち着いてきた頃に呟くように、それでいてはっきりと告げる。

 すぐには話し出さず、ゆっくりと考え込む。アガト自身、どう伝えるべきかいまだ心が固まっていないのだ。


「……そう、だな」


 ぐるりと視線を巡らせるとアガトは呟く。目に入ったのはハルカの姿だ。ハルカのことを、そして、なぜハルカのことを隠していたのかを話さなければならない。

 やがて、アガトはぽつりと口を開く。


「誤解を承知で言うが、私も、そしてクロノも、君たちのことを仲間だと思ってはいない」

「……なっ!」


 一同は絶句する。その言葉の意味がわからないからだ。クロノやアガトが自分たちに悪意を持っていたとは思えない。ずっと自分たちのことを大切に扱ってくれていた。

 だからこそわからないのだ。

 ただ、カイやメロなどにはなんとなくその意味がわかっていた。


「ゼフィ、ここにいる全員を見て気付くことはあるかな?」

「気付くことって言われても……」


 ゼフィはぐるりと視線を巡らせる。

 それが気にならなかったと言えば嘘になる。ここにいる者たちはどういった基準で選ばれたのか。もちろん、ただの偶然だと言ってしまうことは簡単だろう。実際、個人的な性質を見るならば共通点があるようにも見えない。

 だけど、全く区分できないかと言えばそうでもない。

 その中で、今この場でアガトに求められている答えを考える。


「……たとえば、みんな若いってこととか?」

「そのとおりだ。やはり気付いていたか」


 この中で一番若いのはミューだ。この世界に来て一年が経っているが、それでもまだ子供と言って差し支えない年齢だ。ミューがこの世界に来たときは中学生だったが、それはミューだけの話ではない。例えばカイ、そしてゼフィも同様に中学生だった。

 高校生だった者もいた。マイアや、メロのことだ。


「ここにいる者はみなここに来るまで学生だった。……大学生だった私も含めてね。その理由はわからないが、おそらくはそういった若者が選ばれているのだろう」


 それはアガトにもわからない。いくつか推測できないわけではないが、結局のところ何か根拠があるわけでもない。ただ、そういう仕組みになっているのだろう。


「だが、彼だけは、クロノだけは少し違った。知っている者もいるかな。彼は教師だった」


 クロノがこの世界に来る前、彼は新任の教師として働いていた。ここで過ごしていたときと同じく、面倒見のいい性格で、それなりに生徒にも好かれる良い教師だったと言える。その滑り出しは順調だった。

 だが、それも長くは続かなかった。彼の学校に問題が起きたのだ。それはよくあるいじめ問題だった。ある生徒がいじめを受けて学校に来なくなってしまったのだ。

 その若さもあり、クロノはそれを解決しようと精力的に行動した。その被害者に寄り添い、その生徒が一日でも早く学校に復帰できるようにと手を尽くしていた。

 その行動が正しかったのかはわからない。だが結果としてそれはうまく進んでいた。少なくとも親身になってくれているクロノにその生徒は心を開きかけていたし、いずれはまた学校に来ることができそうだというところまできていた。

 そんなときだった。気が付いたときにはクロノはここにいたのだ。もちろん最初は動転した。何が起こっているのかはわからなかったし、一刻も早く戻る必要があったからだ。

 それでも、自身の体に起こる異変、尋常ならざる事態に巻き込まれたことはわかったが、元の世界に戻る方法は一向にわからなかった。

 やがて、彷徨い歩いた末にクロノは同類に出会った。彼らはクロノと同じ日本人だった。境遇も自分とは変わらず、いつのまにかこの世界に迷い込み、この世界でなんとか生き延びている。

 クロノは自分よりも長くこの世界にいる彼らに様々なことを教わった。ここがどういう世界かということを。

 彼らはこの世界で生きていくために、自分のような仲間を探しているという話だった。つまり、初めはこの出会いは偶然だと思っていたが、実は彼らがクロノの存在を見つけ出したということだ。

 それにはクロノも賛成だった。もちろん仲間の数が多くなれば考え方の違いだってあるだろうし、喧嘩だって起こるだろう。自由だって効かなくなる。いいことばかりではない。しかし、それを差し引いても仲間がいる心強さは何物にも代えがたい。

 だから、クロノも彼らと行動を共にすることにした。一先ずはこの世界で生き延びるために、そして、帰る方法を見つけるために。彼らも、元の世界に戻りたいという思いは同じだったから。

 そうしてクロノたちは同胞を探した。メロを見つけ、アガトを見つけ、次第に仲間は増えていった。だけど、帰る方法は見つからなかった。そうして過ごしていくうちにクロノは気が付いた。あれからもうしばらくの時間が流れていってしまっていることに。

 クロノの体感時間として、それは決して長い時間ではなかった。もちろん、短い時間ではなかったが、それでもここに来た当初と変わらぬ思いを抱いていた。だけど、学生の時間は違う。

 ある日、クロノは気が付いた。あのときの生徒は、もう卒業してしまっていると。クロノは間に合わなかったのだ。その生徒がどうなったのかはわからない。無事に解決したのか、あるいは、どうにもならなかったのか。それでも事実は一つ、クロノは何もできなかったのだ。

 その生徒がどんな気持ちだったのかもわからない。突然に姿を消したクロノのことをどう思ったのか。事情を知っていれば、クロノに何か起こったのかと心配したかもしれない。何も知らず、ただどうでもいいと気にしなかったかもしれない。それならばいい。だけど、見捨てられたと思ったかもしれない。

 ただ、その事実にクロノは絶望した。


「そう、だったんだ……」


 そう言葉を発したのはミューだった。そう言われればなんとなく腑に落ちることもある。だけど、困惑もある。クロノのことを知れたのは嬉しいことだった。ただ、この話で何を伝えたかったのかはわからなかった。

 そう考えていることが伝わったのか、アガトは頷くと答える。


「悪く言ってしまえば、君たちは代わりだよ。彼の生徒たちの」

「……だからクロノさんはあんなにも私たちに優しくしてくれたんだね」

「そのとおりだ。つまり、彼からすれば君たちは対等な仲間ではなく、守るべき子供たち、というわけだ」


 そういうことか、と一同は納得する。仲間ではないというのはつまり保護者と被保護者であると言いたかったのだ。だからクロノはずっと自分たちを守ってくれていた。自分たちのことを考えてくれていた。


「だけど、だからこそ君たちに言えなかったこともある」


 それが隠していたことだ。

 みんなを悲しませたくなかった。自分がみんなを悲しませるようなことを言えなかった。それをクロノは自分の甘さであり弱さだと思っていた。

 仲間であれば、対等の関係であれば言えたはずのことが言えなかった。

 どう伝えるべきか考えるうちに、先延ばしにしていくうちにこうなってしまった。

 そして、それはアガトも同じだった。クロノと同じくまだ早いと、そう先送りにしてしまっていた。だから、これは二人の責任だ。


「さて、続きだ。みなが気になっているであろう、彼女のことについてだ」


 そう言ってアガトはハルカに視線を送る。

 一同の視線もハルカに向くと、ハルカはどうすればいいか目のやり場がわからず、ゼフィに助けを求める。

 ゼフィは大丈夫だと、安心するように僅かに笑みを浮かべて頷く。


「もう聞いているかもしれないが、彼女はハルカ。ゼフィが探していた、ゼフィの妹だ」


 薄々は気付いていた。ゼフィから直接聞いたわけではないが、イリスが情報を集めるために何人かには話を聞いていたからだ。そこで出たハルカという名前。この世界でありえない名前だとは言わないが、あまりにも日本人らしすぎる名前だ。

 そして、ゼフィのこと。なんとなく彼がただの人間ではないかもしれないということに気付いている者も多かった。それを言わない理由はわからないが、言いたくないことであれば無理に聞き出そうとも思えなかったため、誰もそれを尋ねる者はいなかった。

 もしかすると、その姿が人間そのものであったことが理由なのかもしれない。


「そう、君たちの考えているとおりだ。ゼフィ?」


 アガトから話を振られたゼフィは頷くと、ぐるりと顔を見回す。


「……みんなも気付いているかもしれないが、俺も同じく日本人だよ。それに、ハルカも。魔人っていうのがどういうものかわからなくて、最初に言い出せなかったからそのまま言い出す時期を見逃してしまった」


 その言葉にほとんどの者は頷く。ごく一部の者はゼフィのことに気付いていなかったらしく、そのゼフィの告白に驚いていた。


「……なんとなく、そうだろうとは思ってたけど。でも、ゼフィさんはどうして人間の姿のままなの?」

「言わなかったのはそれがわからなかったっていうのもあるかな。俺も同じく魔人ってものだと思うんだけど、微妙に違いがあってね。……たとえば、魔法が使えないとか」

「あっ」


 ミューの疑問にゼフィは答える。

 この世界に来たときのこと、いつの間にか自分はこの世界にきており、記憶を失ったまま養父であるアストラ・フェイヴァーに拾われてそこで養子となりその後騎士になったこと。

 そして、記憶が戻った今になってもこの世界にきたときのことは思い出せないということ。だから、魔人という話で考えると、いまだに自分が何なのかわからないままであるということを話した。


「だから、ゼフィさんは黙っていたんだね」

「ああ、どう説明したものかいまいちわからなくてね」


 そのゼフィの話に納得したのか、それ以上の質問はなかった。


「そして、本題はゼフィの妹である彼女、ハルカの話だ」


 改めてアガトはそう切り出す。


「みなもう理解しているとは思うが私たちは彼女の存在を君たちに隠してきた。もちろんそれには理由がある。そして、それ以外の隠してきたことも。だから今それを全て話そう」


 話は数年前、アガトがこの世界を訪れたときに遡る。

 突如この世界に放り出され一人彷徨っていたアガトであるが、まずはなんとかして元の世界に帰還する方法はないかと探していた。それは当たり前のことではあったが、それでもアガトにできることは何もなかった。とにかく、すべきことは今を生き延びることだけだった。

 それから数日、アガトは自分の姿が変質しているのを感じた。鏡を見て確かめたわけではないが、明らかにその自分の姿から人間ではなくなったと理解していたのだ。

 そうして途方に暮れているときにクロノたちに出会った。クロノとメロ、それからもう二人の四人組だった。

 どうやらクロノたちはアガトの存在に気付いて探しに来ていたらしい。彼らの説明を聞いて、この世界について、そして自分たちについてなんとなくを理解した。もちろん、それでもわからないことだらけではあったが。

 そのままアガトはクロノたちと合流することにした。クロノからもそう提案されたし、アガトもその方がいいと考えたからだ。幸いにも、クロノたちは気さくで好意的であり、共に行くことになんら障害はなかった。

 それから少しの時が経ち、アガトもなんとかこの世界に馴染んできた頃のことだった。遠くに巨大な魔獣の気配を感じたのは。

 それが幻獣というものだということは話には聞いていた。そして、クロノたちが出会ったことがあるというのも。それはやはり強大な力を持っていたようだが、四人で戦えばなんとかなる程度の強さだったという。その気配を感じてアガトも納得する。

 ここにいる五人で戦えば難なく対処できると。

 それが一体であったのならば。

 その気配は二つあった。それも極めて近くに。そしてその二つはさらに近づいていった。だから様子を見ることにした。そこから逃げるという判断もないではなかったが、このよくわからない状況を放っておくことがあまり良いとも思えなかった。

 やがて、その二体の幻獣は戦い始めた。その戦いの決着はすぐについた。

 それは遠くからでもはっきりとわかった。その負けた方が喰われていることを理解できた。実際に目で見たわけではないから物理的に直接食べられているのかどうかまではわからなかったが、それでもその表現がまさに正しいと感じていた。

 逃げた方がいいかもしれない、そんな気がする。そう言ったのはメロだった。空間に歪みが生じたのはそれからすぐにだった。誰もが肌で感じた。異常事態だと。その歪みが大きくなっていくに比例して、その幻獣の力も強大になっていくことも感じていた。

 だけど、アガトだけは本能的にそれを理解していた。その歪みによって門が開くと。道が繋がると。それは、自分たちが居た世界、日本と繋がっていると。

 アガトがそう言うと誰もそこから逃げられなくなった。元の世界に帰るための手がかり、それを前にして引き下がることはできなかったのだ。

 それでもいつでも逃げられるようにと、細心の注意を払いながら五人は少しずつ近づいていった。そして、目視できる距離にまで近づくと、息をひそめて事態を見守った。

 その光景に驚愕した。その空間の歪みから多数の人間が現れたのだ。おそらくは二、三十ほどの数。それがどんな者たちかというところまではわからなかった。ただ、遠目に見た彼らの装いはアガトたちが知る日本人そのもののように見えた。

 一瞬の困惑。その次の瞬間にはそこは地獄に変わった。

 突如血しぶきが舞い上がったからだ。

 幻獣はその日本人の一団に襲いかかった。状況を何も理解していない彼らになすすべはなかった。ただ悲鳴を上げ恐慌状態に陥るだけだった。

 最初に飛び出したのはクロノだった。なんとかそれを止めなければならないと。ただそれだけを考えて飛び出したのだ。その後ろに続きながら、アガトはこの距離では間に合わないと感じていた。誰も助からないだろうと。

 だからそれはアガトにとって奇跡だった。

 彼らは強かった。全員がというわけではなかったし、肉体的には脆いただの人間にすぎない。だけど彼らは幻獣に立ちはだかったのだ。少しでも子供たちを守るために、自分より年若い者を守るために、そのために幻獣から守る盾になった。

 だから、たった一人の少女が生き残った。

 そこからは全員が必死だった。想像を遥かに上回るほどの力を持った幻獣に五人で立ち向かった。あるいは正気ではなかったのかもしれない。それは恐怖だったかもしれないし、憤怒だったかもしれない。ただ、この幻獣を倒さなければいけないという思いに突き動かされて戦った。

 結果として生き残ったのは四人だけだった。クロノとアガトとメロ、そしてたった一人だけ助けられた少女、ハルカの四人だ。アガトたちは二人の仲間を失った。

 最初はアガトもそれに気付かなかった。その少女が自分の知り合いだということに。彼女が震える声で自分の名を名乗ったときにやっとその事実に気付いたのだ。目の前の少女が妹の可愛がっていた少女だということに。

 そして同時に聞かされた。その妹、優に守ってもらったということを。だからわかってしまった。その血の海のどこかに自分の愛する妹がいることを。

 それからどうしたのか、アガトはほとんど覚えていない。おそらくはその死体を埋葬したはずだが、そのときの記憶はない。

 その後、四人は近くにあった多少見た目の良い廃屋にしばらく身を隠すことにした。そこで、状況の整理と今後の方針を決めるためだ。

 そこは住居とすべく当たりをつけていたものではなく、この森のなかでたまたま見つけたものだ。

 そのまま数日の時が経った。恐慌状態にあったハルカがなんとか話ができるようになったのがその頃だったのだ。

 アガトたちにとっても彼女は異質な存在だと気付いた。一日経っても二日経っても、ハルカはこの世界の言葉を理解することはなかった。そして、その体を変質させることも。

 その時になってようやく理解した。彼女は自分たちとは全く違う存在なのだと。

 まずはハルカにこの世界のことを伝えた。ここは日本ではなくどこか別の世界に迷い込んだのだと。初めは戸惑っていたハルカだったが、幼いながらもこれが明らかに異常だということは理解していたので、その説明には素直に頷いた。

 そこで、アガトのことも理解した。姿かたちは変わってしまっているが、それがユウの兄であることを。そして、ユウのことを思い出すと、ハルカはまたしばらく泣き続けた。

 ハルカの知っていることの全ての聞き取りを終えると、改めてどうするかを話し合うことにした。

 目下のすべきことは二つ。この世界に紛れ込んだ同胞を見つけ出して確保すること。そして、ハルカたちのような人間が巻き込まれないよう幻獣が門を開くことを阻止すること。

 ただ、それにはいくらかの問題点もある。

 たとえばハルカの身体能力だ。アガトたちとは違い、ハルカは何の力もないただの日本人にすぎない。この世界を彷徨い歩くのはあまりにもか弱く、あまりにも危険すぎる。そして、だからハルカをここで一人きりにもできない。

 それから、自分たちの住処でともに暮らすというのにも問題がある。これから集める仲間たちにも必然ハルカのことを説明しなくてはならなくなるため、その場合、もう元の世界に帰れない可能性が高いとも説明しなければならなくなる。

 その理由は主に二つ。一つはハルカの存在。つまり人間であるハルカと人間ではなくなってしまった自分たち。それはもう元には戻れないのではないかと思わせるには十分だからだ。

 そしてもう一つは魔石。自分たちが死んだとき、その体が消え去りただの魔石になってしまうこと、つまり魔獣と似たような存在になってしまっていること。これも同じく人間ではなくなったことを強く示してしまう。

 他にも理由はあるが、この二つについては隠さなければと決めた。この世界に放り出されてすぐに、もう帰ることはできない、戻ることはないと伝えるのはあまりにも残酷すぎるからだ。

 いつかは伝えなければならないことだとしても。

 一先ずハルカのことはしばらくはメロが世話をすることになり、その間にアガトとクロノは仲間を集めることにした。

 それがハルカという隠された存在のいきさつだった。


ここまで読んでいただいてありがとうございました。

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