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85.クロノ

 クロノたちが屋敷に戻ってきたとき、すでにゼフィはハルカを屋敷まで連れてきていた。

 全員というわけではないが、ゼフィがハルカという妹を探していること、そして、自分たちと同じ魔人であるということはなんとなく察していたため、ハルカが来たことについてそれほど動揺はなかった。

 ただ、それでもいくつか疑問に思うところはあり、それについて尋ねたが、それはクロノたちが帰ってきてからにしようと保留していた。

 アガトは、心配そうな視線を向けるハルカとゼフィに目を合わせると僅かに頷く。そして、寝台にクロノをゆっくりと横たえる。

 そのクロノを囲むように、全員が集まる。


「ぐっ、なんとか……間に合った、か」


 苦しそうな声でクロノは呟く。ここまでの道中、クロノは自身の能力を使い、ここまで自分の体を保たせてきた。それは苦痛を生んだが、それでもここに帰ってくるまで死ぬことはできないと、その決意のもとその痛みに耐え続けていたのだ。


「お前たち、に、伝えておかなければならない、ことが、ある」


 絞り出すように、クロノは話し出す。

 それは体の苦しさだけでなく、これまで隠し続けてきたことへの罪悪感、そして、本当に話していいのかという不安も含まれていた。


「気付いていた、だろうが、お前たちには多くの隠し事を、してきた」


 そう言ってクロノが視線をぐるりと巡らせると、その言葉のとおり、多くの者はそれを承知していたのか、ゆっくりと頷く。

 みんなそれには気付いていた。気付いていてそれを尋ねなかったのだ。それはクロノへの信頼、きっと自分たちのためだろうということもわかっていたからだ。


「本当は、俺の口から全てを話したいところだ、が、どうにも、時間がなさそうだ……。詳しいことは、アガトに任せる」

「了解した」

「……済まなかったな。お前、にはここまで付き合わせてしまった」

「謝る必要はない。君の言ったとおり、これは私が決めたことだ。君と共にこの道を進むと」

「そう、だったな……。ああ、そうだ。だからこれからは、好きに、やるといい」

「そうさせてもらおう」


 そう言葉を交わすと二人は笑い合う。

 そして、クロノはゆっくりと首を回し、全員と目を合わせる。


「……お前たちがいてくれたおかげで、俺は、こうして生きることができた。こんな世界で、それでも、俺は幸せ、だったんだと思う」

「クロノ……」

「それから、ミュー」

「うん」

「お前はここに来てまだ浅い。これからだ、全ては。何があるか。それでも……仲間と、友と、お前ならきっと前に進める」

「うん」


 次に、クロノはハルカへと視線を移す。


「済まなかったな、ハルカ。ずっと、お前を閉じ込めて」

「……ううん、クロノさんは悪くない。みんないつも私のことを考えてくれた。私を助けてくれた」

「お前にも、選択のときが、来る。後悔のないように、な」

「……うん、ありがとう、クロノさん」


 最後にハルカは寂しそうに微笑みを浮かべる。

 ずっとあの小さな家にハルカを閉じ込めていた。みんなから隠して一人きり、寂しい暮らしをさせてきた。それをクロノはずっと悔やんでいた。何を優先すべきか、いつ行動に移すべきか、いろいろと迷いはあった。何が正しいのかはわからなかった。ここにいる者たちのためにハルカを犠牲にしてきた。

 それでも、自分で考え選んだ答えだ。ただ、もう少し早い判断をすべきだったかもしれないと思うところもある。

 だけど、最後にハルカが笑ってくれたならそれで良かったのだと思えた。


「カイ」

「ああ」

「これからは、俺の代わりにお前がみんなをまとめるんだ。お前なりのやり方でいい。だけど、みんなを、頼む」

「……」


 その言葉にさすがにカイも言葉に詰まる。首を動かさず視線だけをアガトに向ける。クロノの跡を継ぐのはアガトであるべきではないかと。自分の性格を考えても誰かの上に立つようなことが向いているようにも思えない。

 それにアガトは視線で答える。お前でいい、と。お前だからこそできると。


「いいや、お前にはできる。アガトではなく、お前だからこそだ。やりたくない、と言うならば強制はしたくないがな。……だが、頼む」

「……ああ、任せろ」


 今度は頷く。

 そうまで言われれば応えない理由はない。ぐるりと視線を巡らせると、仲間たちもそれでいいと答えてくれる。


「……メロ、泣くな」

「―――だって!」


 最後に、クロノはメロにそうささやく。

 メロはここに来てから、クロノの言葉を聞きながらずっと涙を流していた。もう、そのときが来るとわかっているのだ。

 クロノは申し訳なさそうに口元を歪めて笑う。

 ずっとわかっていたのだ。メロにとってこれが何よりも恐れていた事態であると。こうなるのが嫌で、ずっと戦うことから目を逸らしていたのだと。

 なのに、こうなってしまった。


「済まないな。これは全部俺のせいだ」

「なんで! ……クロノが、謝ることなんかない!」


 そんなことはない。そうクロノは思う。

 これは自分の行動の結果だ。もしも、もう少しだけ判断を早めていたらこうはならなかったかもしれない。あの強大な幻獣、あれが現れる前に話を進めることもできたかもしれない。

 でも、できなかった。それは自分の甘さ、そして弱さゆえだ。


「わかっていたんだ。こんなことになるかも、と。だけどできなかった。みんなを悲しませたく、いや、悲しませるようなことが、言えなかった。俺の自業自得だ。そして、その結果がこれだ」


 ハルカのこともそうだ。それを隠していたのはみんなにまだ教えたくないことがあったからだ。それを伝えてしまえばみんなが悲しむのはわかっていたから。

 だから先延ばしにしていた。いつかは、と思いながらもまだ早いとまだそのときではないと自分に言い聞かせて。

 そのとき、など待っているだけで来るはずもないのに。


「お前が死を忌避しているのはわかっている。わかっていた。なのに、こうなってしまったことを、俺は謝ることしかできない」

「―――違う!」


 メロは声を荒らげる。

 それにはクロノも目を丸くする。


「私が、私が弱いのは私のせい! クロノは悪くなんかない! クロノは、クロノは……」

「……そうか。なら、だったら、強くなれ」

「うん」

「俺がいなくてもやれるな? これからは、今までどおりにはいかないかもしれない」

「うん、わかってる」

「ああ、頑張れ」


 優しく諭すようにクロノがそう告げると、メロも涙を拭い、力強く頷く。

 それを見て、クロノも安心したように笑みを浮かべる。


「……うまくは、いかなかった。だけど、俺は俺なりに、やれたかな。……ああ、悪く、なかった、はずだ」


 自分に言い聞かせるようにクロノは呟く。

 こんな世界に来てわからないことだらけだった。うまくいかないことだらけだった。みんなのためを思っていろいろと考えてきたつもりだ。だけど、それが正しかったのかすらわからない。自分にできたことなどなかったのかもしれない。

 でも、自分なりにやり遂げた。そう思える。


「ゼフィ、イリス」

「ああ」

「はい」

「みんなのことを、頼―――」


 そう言い掛けてクロノは目を閉じる。


「クロノ!」


 みなが声を上げる。ただ呼び掛ける。

 クロノに別れを告げるように。


「―――え?」


 だが、それはすぐに戸惑いに変わる。

 クロノはここに帰るまで死ぬことはできなかった。それは、こうしてみなに別れを告げたかったということもあるが、それだけが理由ではない。

 説明するだけでは、言葉で聞くだけでは納得できないこともある。だから、クロノはこれを見せたかったのだ。

 実感として感じてもらうために。


「……これが、真実だ」


 アガトは静かな声でそう告げる。クロノの居た場所、クロノが消えた場所、そこから一つの魔石を拾い上げながら。


「黄金の、魔石?」

「ああ、そういうことだ」


 ゼフィが尋ねると、アガトは頷く。


「誰が付けた名前だろう。死して魔石を残す獣を魔獣と呼ぶ。そして、死して魔石を残す人間を魔人と呼ぶ。―――ああ、実に的確な名前だ」


 この場でそれを知っていたのはアガトとメロの二人だけだ。

 クロノが死ぬと、その姿は消え去った。カイもマイアもその光景をただ目を丸くして見ることしかできなかったが、その現象をはっきりと理解していた。

 それは魔獣と戦ったときと全く同じ景色だったのだから。


「……どういう、こと?」


 マイアはそう尋ねる。あるいはそれは質問ですらなかったかもしれない。ただ、口に出さずにはいられなかっただけだ。

 当たり前のことを思い出す。自分がここに、この世界に来てからのことを。

 あれから数年、今になって思い返してみればクロノもアガトも戦うことに慎重だった。それについて深く考えたことはなかった。そういう性格なのだろうと。

 だけど、それは違う。きっと、誰も死なないように必死だったのだろう。

 それはもちろん、単に誰も死なせたくないということもあったのだろうが、もしも誰かが死んでしまえばこの事実を突きつけることになってしまうからだ。

 死ねば魔石になる。魔獣と同じく。

 それはつまり、自分たちはもはや人間ではないということだ。

 確かに姿かたちは変わってしまった。人間とはかけ離れているかもしれない。だけど、それでも自分たちは人間だ。人間のはずだと言い聞かせて生きてきた。

 心のどこかでは、違うのかもしれないと思いながら、そこから目を逸らして。

 だけど、この魔石は残酷な事実を突きつける。人間ではない、どころの話ではない。自分たちは本当に生きているのか。もしかすると生物ですらないのかもしれない。

 マイアは戦ってきた魔獣たちを思い出す。あれは何なのだろうか、そして、自分たちは一体何なのだろうか。

 体が震えるのを感じる。

 もしも、自分たちが人間でもなく、生き物ですらない、得体の知れない何かだとすれば、今までやってきたことは何だったのか、何のためだったのか。


「……これを、ずっと、隠してきたの……?」


 クロノたちが何かを隠していたことは知っている。マイアだけでなく、他の者たちも同じだ。だけど、それが自分たちのためであろうことはわかっていたので、それを聞き出そうとすることはなかった。

 確かに、こんなことは言えないのかもしれない。クロノは最後に言った。悲しませたくなかった、言えなかったと。

 そのとおりだ。

 この事実を知っただけでこんなにも自分は取り乱している。それに、これを知らせたからといって何もいいことなどないのだから。

 隠している、という言葉にもう一つ思い当たることがある。

 あの日、ゼフィがここに帰ってきた日、アガトは自分に同行を許さなかった。ゼフィが妹であるハルカに会いに行くというときに、自分だけがついて行くことができなかった。

 それは、ハルカという存在も隠すべきものだということだ。自分には知らせてはならないもの。

 マイアはその視線を密かにハルカに送る。そして、気付かれないようにその姿を観察する。だけど、わからない。彼女に何が隠されているのか。

 どれだけ観察しても彼女はただの人間にしか見えない。ゼフィと同じく、ただの人間の姿だ。

 ただ、ゼフィとは決定的に違うことがある。

 マイアはしばらくの間ゼフィとともに旅をしてきた。そして多くの者たちに出会った。その誰もが言っていた。ゼフィは強そうに見えない、と。それにはマイアも同意する。クロノやカイのようないかにも強者というような雰囲気を纏っていないのだ。

 では弱く見えるのかというとそういうわけでもない。不思議なことに弱くも見えないのだ。そういう意味ではアガトのような得体の知れなさを備えていると言ってもいい。

 だが、ハルカは違う。

 こうして見ると何の力もないただの少女にしか見えないのだ。それはまるで、本当にただの人間のようで―――。


「ただの、人間……?」


 自分で呟いてぞっとする。それは自分が人間ではないと認める言葉そのものだったからだ。

 そのときに気付いた。アガトが珍しく心配そうな視線を向けていることに。

 いつかは、とずっと思っていた。いつかはあの世界に、日本に、自分の家に帰るのだと。だから考えないようにしていた。仮に、帰ることができたとして本当に昔と同じ生活が送れるのか。人間ではなくなったこの姿で。

 もう、自分は取り返しのつかないところまで来てしまったのではないかという不安、恐怖が胸の裡を染め上げる。

 それはただ一つの事実を示している。


「……もう、帰れないの?」


 だから、クロノはアガトはずっとハルカのことを隠していたのだ。この事実を伝えることができなくて。

 アガトは寂しそうに口元を歪めて微笑する。


「―――ああ、全てを話そう。私の知る全てを」


ここまで読んでいただいてありがとうございました。

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