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73.王都

 しばらくの間、フローリスとイリスはハルカへの教育の期間を設けることとなった。聞いている話のとおりであるならば、ゼフィと同じようにこの世界の常識について知らないことが多いだろうと想像できるからだ。

 だが、フローリスが思っていたよりも、ハルカはいろんなことをすでに学んでいるようであった。

 数年前、ゼフィがこの家に来たときのこと、当たり前のことではあるが、今にして思えばゼフィはこの世界のことについて何も知らなかったのを思い出す。その当時は記憶喪失ということもあり、違和感はあったもののフローリスはそういうものなのかと自分を納得させていた。

 そして、事実を知った今はそういうことだったのかと納得している。

 だが、こうしてハルカにいろいろと教えていくうちに、ゼフィとはまた違うことに気付いた。想定していたよりもハルカに知識があるのだ。特にこの世界、そしてこの国の歴史や文化について何一つ知らなかったゼフィとは違い、ハルカはそれらについて基本的なことをおおよそ把握していた。

 以前に兄に教えたことを同じように教えればいいと思っていたフローリスはいい意味で困惑した。

 理由を聞いてみると、文字や言葉を学ぶ際に教材として歴史の本などにも目を通していたということらしい。だが、それを聞いてフローリスにはさらに疑問が浮かぶ。確かに兄はこの世界について何も知らなかったが、フローリスの知る限り最初から言葉を理解していたし、読み書きもすることができた。

 そのはずなのに、その妹のハルカがそれをできない理由がわからないのだ。

 ハルカが言うにはこの世界に来るまでの過程が違うのではないかということだが、ハルカ自身もアガトにそう言われただけで詳しくはわかっていない。

 ハルカもフローリスもそれ以上のことはわからなかったが、イリスには少し思うところがあった。もちろん、その過程というものについては何もわからないが、その結果の違いについて気になるところがあったからだ。ただ、それも推測にすぎないため、それについて話すことはしなかった。

 ただ、これからここで共に過ごす者として、フローリスには注意事項として伝えなければならないことがあったため、その事実については話しておくことにした。ハルカが魔力を持たず、魔法を使えないことはすでにゼフィが説明しているが、それについてフローリスはあまり実感していないように思えたため、もう一度念を押しておいたのだ。


「それにしても、魔人の方々はとても優しいのね。……言い方は悪いけど、ハルカは完全に足手まといだったのでは?」

「そうだね」


 ハルカは苦笑する。思い出してみても、みんなの世話になっていたことしか思い出せないからだ。それもハルカのことを隠しておかなければならないにもかかわらず、面倒な手間をかけていろいろと世話をしてくれた。

 それに対してハルカが返せたものは何もない。


「本当にみんな優しい。なんにもできない私の衣食住の世話をしてくれただけじゃなくて、私が言葉を話せるようになるまで辛抱強く付き合ってくれた。いろんなことを教えてくれた」

「……少し、印象が変わるわ」


 ゼフィやイリスからある程度話には聞いていたが、フローリスが直接会ったことのある魔人はマイアだけだ。もちろん、マイアは悪人ではなかったし、むしろ善人と言ってよかっただろう。だけど、どこかしら底知れなさとでも言うべきか、油断できない存在であるとも感じていた。

 だからゼフィとイリスが彼らのもとを訪れると聞いて、信用していたつもりではあるが、心のどこかに不安があったのも事実だ。


「運が良かったのもあるかも。たまたまお兄さんに見つけてもらえたから」

「……そのお兄さん、というのは?」

「え? ああ、そうだね。説明してなかった」


 ハルカはユウについて説明する。兄と自分の知り合いであり、向こうの世界にいたときからとても仲良くしてもらっていたこと。そして、彼女の家を訪れたときにユウの兄であるアガトに出会ったこと。だからそのユウの兄としてお兄さんと呼んでいるということ。

 そのアガトが魔人としてこの世界に来ており、そしてたまたま出会い、それからずっと世話になっているのだと説明した。


「本当に、とても優しい方なのね」

「……うん、そうだね。お兄さんは、本当に優しい」


 そのハルカの言には多少の含みがあったが、フローリスもイリスもそれには気付くことはなかった。

 ただ、イリスは違う意味で密かにハルカへ疑念の目を向ける。ハルカが今言ったことに嘘はないし、間違いはないだろう。ただ、正確ではないように思うのだ。

 それなりの時間付き合ってきて、アガトはああ見えて情に厚く優しいというのは理解している。それ自体に疑いはない。だがそれだけの男ではない。愛情と冷酷さを同時に持ち合わせているような、どこか掴みどころのない不気味さを感じている。

 だから、アガトには彼女を保護したことに何か理由があったのではないかと考えている。もちろん、その根底に情があることは否定しないが、それとは別に彼女を何かに利用しようという意図があったのではないかとイリスは疑っているのだ。

 ただ、仮にそうだとしてもハルカに対してそれほど悪辣なことはしないだろうという程度にはアガトのことは信頼している。だから、イリスはそれについて追求しようとは思わない。わざわざ事を荒立てるようなことはしたくないからだ。

 それから少しの時が流れたある日のこと、イリス、フローリス、そしてハルカの三人は街に出ることとした。とりあえずの知識としてそれくらいは問題ないだろうとフローリスが判断して、これ以上のことはまず実際に街に出て肌で感じてみるのがいいのではないかと提案したのだ。

 ハルカもアルトミーの街には何度も出たことがあったが、この王都がどのようなものなのかは興味があったので、すぐにそれに賛同した。

 イリスのことは抜きにしても、貴族たちの集まるような中心部に赴くことは難しいが、それでも大都市の雰囲気を味わうには十分だろうと三人は出発した。

 ゼフィにも声を掛けたが、仕事があるということで三人で行ってくるといいと勧められた。ただ、それはどちらかというと言い訳のようなもので、どこか遠慮しているようにも感じられた。

 三人はしばらく散策を楽しんだ。ときに目についた店などに入り、ハルカが気になった商品などをフローリスが解説したりする傍らで、実はよくわからなかったイリスも密かに聞き耳を立てたりしていた。

 中でも、服飾の店には特にハルカも興味を抱いていた。以前にメロから聞いた話で、イリスも自分の服選びに協力してくれたのは知っていたので、そのときの話をしたり、アルトミーの街との違いを話したりもした。


「―――おや、まさかこんなところで会うとは思っていなかったよ」


 そんな折、道を歩いていると突然一人の男に声を掛けられる。

 二人はそれが誰なのか知らなかったが、すぐに気付いたイリスは頭を下げて挨拶をする。


「お久しぶりです」

「ああ、久しぶりだね。あーっと、アイ、だったかな」

「はい」


 イリスはもう一度頭を下げる。

 アイという名前については、この王都ではそういう偽名で通しているということはハルカにも予め説明していたため、特に混乱することはなかった。ただ、そもそもその名前を知っている者が数えるほどしかいないとも聞いていたため、その名を呼ばれたことについては驚きがあった。

 一方のフローリスは違う意味で驚いていた。失礼な話ではあるが、この王都においてイリスに知人がいるとは思っていなかったからだ。あるいは、フローリスが知らないような上級の貴族であれば以前からの知り合いである可能性はあるが、だとすればアイという名を知っているとは思えない。

 どういうことだろうかとフローリスが考えていると、男が探るような目でフローリスの目を覗き込んでいることに気が付き、わずかに身構える。男は次に同じようにハルカの目を覗き込む。

 そして目を細めると僅かに首を傾げる。


「……ふむ、どちらかな?」

「どちらも、です」


 男の呟きの意味はフローリスにはわからなかったが、イリスはすぐに理解したようでそう返事をした。

 そのイリスの言葉に男は困惑したように眉を顰める。それがどういう意味なのか理解できないというようにしばらく考え込むと、やがてはっと顔を上げる。


「―――そういうことか! ……ゼフィが探していたのは、妹か」

「仰るとおりです」


 そのイリスの返答に納得したように頷くと、男は改めてというように一つ咳払いをする。


「挨拶が遅れてすまないね。僕はユーロ・ヴァルタン。君たちの兄であるゼフィ・フェイヴァーの友人さ」


 その名を聞いてはっとすると、フローリスは即座に一歩前に出て頭を下げる。


「申し訳ありません、伯爵様。私はフローリス・フェイヴァーと申します。兄がいつもお世話になっております。また、私も妹君には良くしていただいております」


 その横でハルカは、伯爵、と呟きながら首を傾げている。フローリスに視線で促されると、フローリスに倣い、同じように頭を下げる。


「えっと、ハルカ、です。兄がお世話になっております?」


 フローリスは一瞬だけハルカに咎めるような視線を送るが、すぐにそれも仕方ないと思い直し、もう一度ユーロに頭を下げる。


「申し訳ありません。出自のこともあり、彼女はそういった作法に明るくないため。無礼をお許しください」


 すぐにハルカをかばうフローリスにユーロは逆に鼻白む。そして、ゼフィと話した記憶から、そういえば彼女だけが貴族として教育を受けていたのだったのだと思い出す。


「気にすることはない。別に友人の妹に礼儀など求めないさ。それに無礼だのなんだの言うならゼフィの方がよっぽどだよ」

「っ! 申し訳ありません」


 その言葉にフローリスは三度頭を下げる。

 ユーロはどうしたものかと肩を竦めると、助けを求めるようにイリスに視線を投げる。

 イリスは苦笑を浮かべると諭すように話す。


「大丈夫だよ。伯爵様とゼフィは本当にただの友人だから。そういう礼儀がどうこうじゃなくてもっと親しい仲だったよ」

「……そうなの?」

「うん」

「だから友人だと言っているし、友人の妹にそんなものは求めない。楽にしてくれていいさ」

「ありがとうございます」


 そう言うとユーロはイリスに視線を向ける。ゼフィの二人の妹、もちろんそちらに興味がないわけではないが、今直面している問題は魔人についてだ。

 せっかくの機会だから、ユーロはそれについて改めてイリスに話を聞きたいと考えている。

 しばらく考え込んだユーロは提案する。


「ふむ、少し話を聞きたいのだが、いいかな? 近くに僕の知人がやっている小さな店があるらしいのだが、そこで食事を御馳走しよう」

「……それは、バ、いえ、セプト様のお店でしょうか?」


 ユーロの知り合いと聞いて、ゼフィとの共通の友人であるバリスのことが思い浮かんだ。イリスは危うくその名前を呼びかけたが、自分と同じく偽名を名乗っていたことを思い出してすぐに修正する。


「おや、すでに知って……ああ、ゼフィに聞いていたのか。実のところ僕はまだ行ったことがなくてね。一度顔を出しておかないといけないと思っていたところなんだ。良ければ案内してもらえないかな」

「それは、かまいませんけど」


 そう言ってイリスはフローリスの方に視線を送る。案内と言われても正直そこまでの道のりを正確に把握しているわけではない。一方、この辺りの地理についてフローリスは熟知しているため、そちらに任せることにした。

 フローリスはイリスに小さく首肯を返すと、すぐにユーロに頭を下げてかしこまりましたと告げる。

 そしてフローリスが先導して歩き出すと、その後ろを所在なさげにハルカがついていく。状況自体はなんとなく把握できているが、突然現れた貴族に対してどう対応していいのかわからないのだ。

 兄の友人だということは話を聞いていてわかっているが、それがどの程度の距離感なのかもわからないため、気軽に話をして余計なことを言ってしまうかもしれないのだ。

 それを取り繕うようにイリスはユーロの隣に並び話しかける。それからしばらく他愛のない話などをして進むと、やがて、以前に訪れた店が目に入る。


「いらっしゃいませー。あっ、フローリスさん。それと、アイさんも」


 店に入ると迎えてくれたのは以前にもいた店員、オリシアだった。

 オリシアは意外な客に笑顔を浮かべて迎え入れる。だが、そのイリスと共に入ってきた男性が、それなりの身分のある貴族であることに気付くとすぐに頭を下げる。

 ユーロは店に入ると、店長のところまで歩を進める。そして、バリスと目が合い一瞬だけ笑みを浮かべると、すぐに表情を消し、傲慢そうな声を作ると店長に命令する。


「おい、店主、個室を用意しろ」

「ねえよ」


 バリスはその言葉にあっさりと返す。

 貴族へのその雑な対応に、オリシアは凍りつく。この男性がどの程度の身分かはわからないが、それでもかなり高位と思われる貴族に対してこのようなことを言ってしまえばどんな目に合わされるかわからない。

 慌てたオリシアは申し訳ありませんと何度も頭を下げる。

 そんなオリシアを見てバリスは大きくため息をつく。


「またお前がしょうもないことするからうちの店員が困ってるだろうが」

「え? 僕のせい? 君が普通に対応するだけで良かったでしょ?」

「なんで俺が付き合わないといけないんだよ。その癖は直せって何回言われりゃわかるんだよ」

「そういえばこの間ゼフィにも同じこと言われたね」


 明らかに雰囲気の変わった二人の状況が理解できず、オリシアはぽかんと口を開けて立ち尽くす。イリスはそんなオリシアの傍に近寄ると、小さく耳元で気にしなくていいよと告げる。


「……えっと、店長? どういうことなんですか?」

「ん? ああ、こいつは昔からの友人だよ。いや、そんなに昔じゃなかったわ。まぁ性格はちょっとあれだけど悪いやつじゃないから」

「まぁ、僕は君と違って貴族様だからね」

「うるさいよ」


 そのやりとりから、おそらくそういった軽口を叩けるほどに仲はいいのだろうとオリシアも頷く。それでもなんとなく疎外感を感じて不服そうに口を尖らせる。

 それを見てバリスはごめんごめんと軽く謝る。


「で、真面目な話、あまり他人に聞かれたくない話をするんだが」

「ああ、今客は二組だけど、そろそろ出ると思うからそれで貸し切りだ」

「そうか、なら少し待って食事でもしながら話すとしよう」

「オリシア、席に案内して」

「え? は、はい。こちらへどうぞ」


 四人は通されると他の客から離れた席に着く。

 そして料理を注文すると、しばらくは他愛のない話、共通の話題であるゼフィとの出会いについてユーロは話すことにした。それはいまだ緊張しているのかあるいは警戒しているのか、距離を感じるハルカに気を許してもらうためだった。

 やがて、残っていた客の食事が終わり、店を出た頃に、バリスとオリシアが四人の前に皿を運んできた。


「ん? これは頼んでないけど」

「ああ、試しに作ってみたやつだから気にするな。ゼフィの評判は良かったぞ」

「そうか、なら遠慮なく」


 ユーロはそう言ったが、すぐには手を付けなかった。それは別に警戒していたという意味ではないが、それを見たハルカの反応に気になるところがあったからだ。

 やがて、ハルカはゆっくりとそれを口に運ぶと驚いたように、ほうと息をつく。


「これ……味噌汁?」

「みそしる?」


 イリスは聞き返す。聞いたことのない言葉だったからだ。

 その反応を見てバリスはにやりと笑う。


「ゼフィに聞いて作ってみたんだが、ゼフィも同じこと言ってたな」


 それについてどのような料理かは簡単にはゼフィから説明を受けていた。ただ、ゼフィは食材や調理法について知識があるわけでもなく、なんとなくでの話ではあるが。

 バリスはそれを聞いて驚いた。確かにこの国でこの料理は出回っていないが、昔に文献で遥か西の国に似たよう料理があることを読んだことがあったからだ。その頃は食材の関係もありわざわざ作ろうと思ったことはなかったが、ゼフィに聞いたことで改めて挑戦してみようと思ったのだ。


「味はどうだい?」

「美味しいです。思っていたのとは少しだけ違いましたけど」

「あーやっぱ? それもゼフィは言ってたよ」


 おそらくは食材や調理法が微妙に違うのだろう。紛れもなく味噌汁ではあるものの、昔に食べていた味とは少し違うとハルカは感じていた。ただ、それはどちらが美味しいという話ではなく、単に違うというだけの話だ。

 以前にも、この世界で似たようなものを食べたことがある。ハルカが住んでいた場所にメロが持ってきてくれたのだ。やはり彼女たちとしては日本の食べ物が恋しいということもあり、再現できないかいろいろと試していたらしい。特に、レアという仲間がそういうことに熱心に取り組んでいたという話を聞いた覚えがある。

 そのとき飲んだ味噌汁はこれに比べると少し遠かったが、それでも懐かしくて感動したことを覚えている。


「……忠告だが、君らは聞かない方がいいぞ」


 本題に入ろうというところで、バリスとオリシアにそう告げる。

 ユーロとしては彼らに聞かれたところで何も困りはしないが、聞いた方はそれで済まないかもしれない。もちろん、これからどういう話が出てくるかにもよるのだが。


「そんなに危ない話をするのか?」

「さて、それは聞いてみないとわからないが。ただ、場合によってはこの国の王ですら知らない話が出てくる可能性もあると思うよ」

「うーん、面白そう。興味あるな」


 バリスのそんな気楽な返事にユーロはため息をつく。さすがにオリシアはその深刻さに気付いているのか、どうしたものかと迷っているようだった。


「でも、ゼフィの話なんだろ?」

「まぁ、彼は大いに関係しているだろうね。確かに、ゼフィが中心の話かもしれない」

「だったら知っておきたいな。友人として」


 ユーロはもう一度ため息をつくと、わかったと頷く。

 そして、ハルカに向かい合うと、言いづらそうに切り出す。


「それで、まずは、なんだが。ゼフィが探していたのは君でいいのかな? ゼフィの妹ということらしいが」

「えっと、はい。そうです。ハルカと言います。兄がお世話になっています」

「なるほど」


 それ自体は何もおかしくない。ユーロも当然知っているが、ゼフィはフェイヴァーの家に拾われたとき記憶喪失だったらしい。であればそれ以前にも家族がいたというのは当然のことであり、妹を探していたというのは道理に適う。そして、親の話が出ないというのはおそらくそういうことなのだろうとも思う。

 ただ、だとしたら気になることもある。ユーロの目から見てハルカは異質だ。フローリスは礼儀を知らないと言って誤魔化していたが、それだけでは済ませられない違和感がある。

 ユーロは諦めたように大きく息をつくと、再び尋ねる。


「単刀直入に聞く。―――君は魔人かな?」


ここまで読んでいただいてありがとうございました。

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