アルルーナ、隣国へ行く
朝、いつもどおりの時間に目が覚めると、書籍館の中はてんやわんやだった。
「何。どうしたの皆」
私の問いかけに、カンナが答える。
「あっ、ルルおじょーさまおはようございます!大変なんですよ、王様が来てるんです!」
これまでに陛下が書籍館に来たことはない。
もてなし方もわからないので、とりあえず一番きれいな相談室に通しているらしいが、それじゃ不敬だ派と書籍館の客に貴賤はない派とでいざこざが起きているらしい。
私は後者なので、関わらないことにした。
カンナに身支度を整えてもらいながら、館の騒ぎに耳をそばだてる。
「お父様かお祖母様が対応されているのかしら?」
「いえ、ゼノン様です。館長も旦那様も『追返せ』っていうもんで、ゼノン様がなだめていました」
「お祖父様には婚約を受けた責任を取ってもらわないといけないから、ちょうどいいわね」
お祖父様は陛下の元教育係のひとりで、先代国王のときからこの国に務める官僚である。
何でも陛下は私が生まれたときから「王子の婚約者に」とお祖父様に申し込み続けていて、最初はまだ子供だからとお祖父様も断っていたのだが、
「書籍館との縁をより強固にしたい」「不自由はさせないと約束する」
などと言われ、王からの申込みを断るほどの理由もないので結局受けてしまっていた。
普通は陛下の求めなんて断ることすらできないのだから、お祖父様を責める気はないけれど。
この騒動の後始末はなんとかつけてもらわないと困る。
「お嬢様、入ってもよろしいですか」
「ええ、もういいわ」
レイザンが旅支度をした格好で、部屋に入ってきた。
「お早うレイザン。準備が早いわね」
「旦那様より、陛下に気づかれないように出立しろとの命令です」
「……朝食もまだなのだけど?随分急かすわね。どうしたの」
「どうも、陛下は猫をかぶるのをやめたご様子で」
レイザンが見たことのないくらい不機嫌な顔をしている。
そんな顔も素敵だわ。
なんでも、陛下は昨日の刺客を引き取りたいと言っているらしい。
口では王族の不祥事として処理するからと言うそうだが、そんなわけがあるか。
今回の件、メイサン侯爵家と元王子の画策かと思いきや、陛下も一枚噛んでいたとは。
私が一度拝謁したときは、優しそうなおじさんだったのだが。
「でもどうせ近衛兵が館を取り囲んでるのでしょう?どうやって気づかれずに出ろっていうの」
「館長から秘密の抜け道を聞いて参りましたので、それを使います」
「そんなのがあるの??わたしは知らないのだけど」
「本来館長のみに伝えられる知識だそうです。少し長い道のりを歩くことになりますが、お体の調子はいかがですか?」
「体は問題ないわ。でも、まだ持っていく本を取ってきてなくて……」
昨日選んだ本は書庫に置いてきた。こればかりはあきらめられない。
「ここにお持ちしております。あとこれは、お嬢様用の鞄です」
レイザンの荷物からは本がたくさん覗いていた。あんなに入ってるなら、レイザン自身の荷物はどれだけ少ないのか。
そして、私用の鞄とはなんだろうか?
見た感じ、革でできた肩掛けの小さな鞄だが……。
「レイ兄、ルルおじょーさまに鞄てどういうこと?」
「お嬢様がご自分で本を持ちたいとおっしゃっていたからな」
「おじょーさまに荷物なんて持たせちゃだめだよ!何考えてんのー!?」
「レイザン、これはどうしたの?」
こんな可愛らしい鞄、レイザンのものとは考えられない。
「先程、少し無理を言って鞄屋に売ってもらいました」
「そこまでして、なんで」
「お嬢様は、いざというとき本を捨てていくことはできないでしょう?」
それは違いない。
なるほど、護衛をするのに本が邪魔だからというわけか。
この贈り物は断るわけにはいかない。
「ありがとうレイザン。大事に使うわね」
「急いで買ったので、旅先で良いものがあれば買い直しましょう」
「いえ、これがいいわ」
焦げ茶の革鞄を下げ、今読んでいる途中の本をしまってみた。
鞄なんか持ったことはほとんどないけれど、これはしっくりくる気がする。
本鞄にほくほくとしていると、カンナが手早く出立の準備をして、私に何かを被せた。
「念のためカツラかぶっていただきます。おじょーさまの髪は目立ちますんで」
「こんなので隠れる?」
カンナがぎゅうぎゅうと黄色い巻髪をカツラの中に押し込んでいる。これじゃすごく頭の大きい人になっちゃうわ。
鏡を見たらやっぱり夜会の盛り髪かってくらい頭の大きい令嬢がいた。
「うーん。まあいっか。遠目でわからなければいいんだし」
「適当ね……まあいいけれど」
「お嬢様、ちゃんと叱ってくださいコイツを」
「楽しそうね。3人とも準備は済んだの?」
いつの間にか、祖母が部屋に入ってきていた。
レイザンは気づいていたみたいだが、私とカンナはびっくりしてしまった。
「お祖母様、おはようございます」
「早く出たほうが良いわアルルーナ。陛下はおかしくなっている」
いつになく真剣な顔をした祖母を見て、気持ちを引き締めることができた。
「我々書籍館が、他の家臣のように陛下に傅かないことに大層ご立腹なの。急な心変わりの原因はわからないけれど、早くこの国を離れたほうがいいわ」
「それでは、お祖母様達も危ないのでは?」
「アルルーナ、できるだけ早くリトゲニアにこの事を伝えて頂戴。彼らとは契約をしているから、この手紙を渡せば分かるわ」
祖母から、書籍館の印で封をされた手紙を預かり、なんとなく自分の鞄に入れた。
それを見て祖母は少し驚いたような顔をしたが、その後いつもの様に微笑んで、私を抱きしめてくれた。
「貴方は賢い子です。戻ってくるべき時まで、世界を見ていらっしゃい」
祖母以外とは別れの挨拶をできなかった。
父はさぞかし寂しがるだろう。また枕が髪だらけにならないといいが。
しかし陛下の様子はどういうことだろう?早く落ち着けるところへ行って、情報を整理したい。
今、私はレイザンとカンナに伴われて隠し通路を進んでいる。
一瞬地下道を通ったあと、隣の職員寮の隙間を抜け、街の小路へ出た。
リトゲニア王国までは馬車で行こうと思っていたのだが、駅馬車に乗っては足がつく。
この街は隣国との国境の街とはいえ、リトゲニア王都までは歩く距離ではない。
「こっちです」
しかしレイザンには当てがあるようで、迷うことなく行き先を示してくれる。どこへ行くのか訪ねようかと思ったが、レイザンの足が早く追いつくのがやっとだった。
たどり着いたのは、よく見知った場所だった。
「昨日ぶりね、アルル」
「ユナ、もう聞いたのね?」
そこはマツリカ男爵邸で、私達が門番に声をかける前に向こうから声をかけられた。
門を入ると、二頭立ての馬車がすでに用意されている。
「国境までは私もついて行くわ」
「国境まで?」
「国境にリトゲニア軍が待っているから」
言葉少なにユナはそう言うと、私達を馬車に押し込めた。
ユナの家の馬車はすぐに出発し、リトゲニアとの国境に向けて早足で進んでいく。
馬車の席は座り心地よく、また親友の存在から、張っていた緊張の糸を少し緩めることができた。
そして頭を締め付けていた茶色のカツラを取り、カンナの鞄に押し込んだ。
「レイザンはどうやってユナと連絡をとったの?」
「連絡は取っていません。マツリカ様なら助けていただけると思いましたので。まさか馬車を既に用意されているとは」
いきあたりばったりだったのか。自信満々に見えたのに……。
「じゃあユナはどうして私達が来ると思ったの?」
「お抱えの占い師が未来予知を伝えてきたのよ」
何だそれは。急に胡散臭い。
ユナは占いとか信じるタイプではなかったと思うが、しかもお抱えの?
「私、占いは信じていないけど、その占い師は当たることしか言わないから」
「イスミト教の星見占い?」
「いいえ、カイセン教徒よ」
ユナは馬車を操る自分の従者を一瞥し、すぐ目線を戻した。
「こちらから占いを訊くことはないわ。必要な神託だけ教えてくれる。今回は、『アルルーナ令嬢一行が助けを求めてくるから、国境まで送り届けろ。国境でリトゲニア軍と落合え』ということだったわ」
「随分細かい神託なのね」
「こっちのことはもういいわ。書籍館で何があったの?陛下の馬車がそちらに向かったとは聞いていたけど」
「実は……」
馬車に揺られながら、ユナに昨日の晩から今朝にかけて起きたことを伝えた。
刺客が現れた話をしたら驚き怒っていたが、それをなだめて陛下のことを話すと。
「ああ、陛下は昔から書籍館を疎んでらっしゃったものね」
「え?いいえ、陛下はずっと良くしてくださってたわ」
寄付もたくさんくれたし、書籍館を他の貴族と同等に扱ってくれていた。
「それはあなた達が相手の見せたい面を見てあげるお人好しだからでしょ。陛下は自身を『書籍館を重んじていた先代のような王』に見せたかっただけよ」
お人好しと言われてグッと詰まってしまうが、言い返す言葉がない。
「私達のような、相手が見せないようにしている面を探るタイプの人間はね、陛下を『尊敬されていた先代王のように、民や貴族に敬われ、崇められたい凡人』だと思ってるわ」
「凡人……」
「そうよ。だから先代と同じように書籍館を貴族として扱うけど、それを疑問に思っているから定例の王城パーティーにも呼ばないし、セレモニーにも席を用意しないでしょう」
「でも私達、ああいった公務が無くなってとっても快適だったから、好意でやめてくださったんだと思っていたわ」
本を読む時間を減らしてまで、パーティーやらセレモニーやらに出るのは苦痛だったと祖母や父は言っていた。
「加えてメイサン侯爵達に担ぎあげられて気分良くなっちゃってるところに、貴方の婚約破棄があって遂に不満が爆発しちゃったって所かしらね」
なんと、書籍館はそんなギリギリの立場に居たのか。
思えば父たちはなんとなく分かっていたのかもしれない。だから私を貴族と結婚させたがったし、王子との縁談を断りきれなかった。
昨日祖母が陛下に婚約破棄を告げた際に、陛下は惜しんでいたと祖母は言っていたが、あれは私に嘘をついたのではないだろうか。
だから、私に国外に出ろと言ったのか。
王子ではなく、王が危ないから。
なんとなく、自分の味方だと思っていた大人が敵だったと知って悲しく思う。
私や書籍館が嫌いなら、普段からそう言ってくれればいいのに。ユリス博士みたいに。
表で仲良くしておいて、裏では憎く思うなんて、性格の悪いおじさんだわ。
「そうね。ユナの言うとおり陛下は凡人ね。王子もアレだし」
そういう風に考え直すと、何だかスッキリした。
「それに、陛下へ書籍館の重要性をもっと伝えて、価値を認識してもらう努力を怠った私達にも一応非があるわ。過去にアガート王家にはそれをわかってもらえたから油断していたけど、頭が変われば理解も変わるわよね」
「相変わらず切り替えが早いわね。アルルは落ち込んだりしないの?」
「あら、私を人形かなにかだと思ってるの?そりゃ落ち込んだわよ。一瞬ね。でも落ち込んでも何も変わらないじゃない。どうしたら事態が好転するか考えたほうが建設的よ」
「その合理的なところが好きなのよね」
そう言ってユナは漆黒の瞳を細めて笑った。彼女のお眼鏡に叶うとは光栄だ。
我々が今飛び出してきた街は「書籍館の街」と呼ばれており、アガート王都の郊外にある。そして、リトゲニア国境まではすぐだ。
王都がこんな端っこにあるのは、まず書籍館があって、その近くに街ができて王都になったからだ。
そしてリトゲニア王都もすぐそこである。この両国は一つの国だったこともあったり、もっと細かく分かれていたこともある。
一番古い記録では、アガート王都は『工芸の町』、リトゲニア王都は『武具の町』と呼ばれていたそうだ。
元々工芸職人や武具職人が集まってできた町だったようだが、現在は職人の街といえば大陸中央のテザネスの街を指す。
アガート王国にはもうほとんど工芸職人はいない。
リトゲニア王国には武具職人がまだいるみたいだが。
あそこは武の国であるし、武具にはうるさいからだろう。
「もうすぐ国境よ。アルル、カツラをかぶりなさいな」
「これ、締め付けられていやなのよね……」
またぎゅうぎゅうに髪を押し込まれて、頭でっかちなアルルーナが完成した。
国境には兵が配置されているが、それほど数は多くない。
リトゲニアとアガートはもう長いこと戦争をしていない。
隣国だというのに珍しいが、それはリトゲニアが別の方角の隣国とずっと戦争をしているからだ。
一応友好国として手を結んでいるアガート王国には攻め込まない。今は。
「私はここまでよ。アルル、無事でいてね。絶対手紙を頂戴ね」
「ありがとう、ユナ。助かったわ。いつかこの借りは返すから」
「あら、親友に貸し借りなんて野暮よ?黙って貰っておきなさい」
そうして、私は最高の親友に見送られて旅立つ。
マツリカ家の馬車で国境を越えたら後でユナが罰せられるかもしれないので、国境近くの建物の影で馬車を降り、マツリカ家のコハクが用意した荷馬車に乗りかえる。
あの人はこの短時間でなんでここまでできるのか不思議だ。
「お嬢さん、ケツが痛いかもしれんがいっときの辛抱だ」
荷馬車の御者台にいる太めのおじさんは、顔の雰囲気からおそらくカイセン教徒だ。
荷馬車に幌はなく、我々3人の他にはいくつか荷物が積まれている。
「大丈夫なのかしら?こんな感じで通れるのかしら」
「駄目なら無理やり突破するんで」
レイザンが剣に手をかける。が、できれば物理的交渉は避けたい。
門兵にはおじさんが我々を親戚の子供とその友達と説明しているが、そんなの通るのだろうか。
そんな私の心配をよそに、門兵が声をかけてきた。
「アルルーナ様、アメリア様からの伝言がございます」
「お母様から?」
というかバレバレじゃないか!このカツラの意味は何だったのか?
「はい。『私は逃げるから気にするな』とのことです。あと、私は何も見なかったことにするようにと言われております」
「……ありがとう。でも、貴方に危害が及ぶようだったら、それは守らなくて良いから」
そう言うと、門兵は笑って答える。
「アメリア軍師が逃げてしまったなら、この国に勝ち目はないので私も逃げます」
「まるで戦争になるような言い方ね……」
そう言いかけて門兵を見ると、私よりも遠くを見ていた。
そこには、藍と銀糸の旗がはためく500騎程の軍勢が国境近くに押し寄せてきていた。
リトゲニア王国軍の旗だ。
狭い国境門広場に騎馬の軍隊がひしめき、その中から大きな男が出てくる。
そしてひときわ大きな声で叫んだ。
「書籍館のアルルーナ様はおられるか!」
こっそり国境を越えようとしていた私の努力はなんだったのか?
脱いだカツラを荷台に放り投げ、荷馬車を降りる。
放り投げたカツラはカンナが回収していた。まだ使う気なのかそれを。
「おじさま、少しの間だったけどありがとう」
「いや……こんなはずじゃなかったんだがなぁ。すまんなお嬢さん」
おじさんも聞いていた話と違うらしい。
どうやらリトゲニア王国に何かしらの思惑がありそうだ。
おじさんは餞別にと小さな包みをくれた。何かは分からなかったが、後で確認することとして礼を言って鞄にしまった。
「私が書籍館のアルルーナです」
レイザンとカンナを伴い、大男の前に歩み出る。
ここはもうリトゲニア王国領だ。
生まれて初めての国境越えは感動を覚える暇もなかった。
「おお!そなたか!私はリトゲニア王国第四王子のシドだ!歓迎するぞ!」
とってもうるさい。
ユリス博士の10倍うるさい。肺活量がすごい。
というか王子がなぜわざわざ私を迎えに?父の知り合いは王子の教育係だと言っていたが、この人の教育係なのだろうか。
「そなたを迎えに行くと言う騎馬を見つけてな!せっかくだから鍛錬場で暇していた兵を連れてきたのだ!驚いたか?」
リトゲニア王国の何らかの考えでの出兵かと思ったが、何も考えていなかったらしい。
大丈夫なのかこの国に逃げて?
「お嬢様、大丈夫なんですかこの国」
レイザン、気が合うわね。




