10 私とあなたと、これから
長い口づけを交わし、唇をゆっくりと離すと彼女の瞼が震えていた。
はっとして彼女を抱き寄せていた手を緩めると、彼女は顔を俯かせた。
「…ティナ…私は赦されないことを君にした。君を裏切った。身も心も傷つけた。君を……手にかけた」
「……」
彼女は俯いたまま動かない。
「こうして貴女に触れているのも本来なら赦されない。……赦されてはいけない。わかっているよ。わかっているんだ。貴女にこうして触れる資格もない。貴女と言葉を交わす権利もない」
「……」
「…それでも君を愛している。赦されないとわかっていても貴女を愛してしまった。赦してほしいとは言わない。言えるはずがない。…だけど、ティナ……」
俯いた彼女がどのような表情を浮かべているのかわからない。彼女に拒絶されるのが怖い。紡がれた音は震えていた。
「傷つけてごめん…幸せにすると誓ったのに、誓いも守れなくてごめんね……愛してしまってごめん。君を離せなくてごめん。赦されなくても君を手放したくないんだ。ティナごめん。本当にごめんね……」
しばらくの間沈黙が続き、私はきつく目を閉じた。
「…赦せませんわ」
彼女の言葉にびくりと身体が揺れる。
俯いていた彼女は、顔を上げて真っ直ぐに私を見つめていた。
「ランス様、私はあなたを恨んでなどおりません。私はあなたと共に生きることができて幸せでした。愛していただいて、大切にしてくださって私はとても幸せだったのです。それなのに、愛を否定するのは…私との愛を否定するのは赦せませんわ。ルイ様、愛しています。これからは私との未来を歩んでくださいませ」
彼女の真っ直ぐな言葉が、私の心を、世界を一変させる。どこまでも続く深淵の闇を照らすように。
そして彼女は真っ直ぐ見つめていた瞳を和らげて儚げに微笑み、私の頬にハンカチを当てた。
「ランス様泣かないでください…。私も泣いてしまいそうになりますわ…」
その言葉に、私は涙が頬を濡らしていたことに気づく。
「ティナ…」
情けない姿をこれ以上見せたくなくて、彼女の肩に顔をうずめる。彼女はいつものように私の髪に優しく触れていた。
愛してる。愛してる。
声が震えていても、嗚咽が混じっても、何度も彼女に愛を囁いた。
彼女は何時でも、私の震えた身体を包み込こんでいた。
◇◇◇
ーーー2年後。
ヴィオレットとの結婚前日。
私は自室でヴィンセントと晩酌をしていた。
楽しく晩酌をしていたのだが…。
円卓には片手では足りない空き瓶が転がっている。
ヴィンセントが次々と酒瓶を空にしていくのだ。
元々艶麗な顔立ちをしたヴィンセントは酒が入るととろりとした瞳になる。その色香は計り知れないほどだ。
ああ、またヴィンセントが新たな蓋を開けてしまった。
「ヴィンス…そろそろやめた方がいい。それ以上飲むと明日に響く」
そこまで酒に強くない男が大丈夫なのだろうか。
私はいま正に蓋を開けた酒瓶をヴィンスの手から取り上げ、冷水をコップに注いだ。
「まだ飲み足りない…」
「もう酒はだめだ。はい、これ飲んで」
ずいっと水を差し出すと、にこりと微笑んだヴィンセントはぐいっと一気飲みする。
そして、飲み干すと不貞腐れた顔をした。
「酒じゃない…」
「当たり前だよ」
一つ溜息をついたヴィンセントは円卓に顔を伏せた。
「……僕はね、ルイみたいな男がヴィーを幸せにしてくれることを望んでいたし、いっそのことルイが僕のヴィーを幸せにしてくれって思ってたけど……まさか本当にルイがヴィーと結婚することになるとは思いもしなかったよ」
「それは初耳だね」
「僕だって初めて言ったさ。僕だけのヴィーだったんだよ。可愛い僕の天使。誰が他の男に渡すものか。そう思ってたんだ。言うはずがないだろう」
「実際そう言っていたしね」
「でも実際そうすることもできないし、僕も侯爵家を継いで後継ぎを作る義務もある。なにより、ヴィーには幸せになってほしいんだよ。それに、ルイは気の知れた友人だ。お前のような男なら僕も安心してヴィーを預けることができる」
「………」
重度のシスコン兄であるヴィンセントの口からその言葉が出てくるとは思わなかったからか、開いた口が塞がらない。
「…そう評価してもらえるとは思ってもみなかったよ」
そう返せば、ヴィンセントはジト目で私を見つめていた。
「僕をなんだと思ってるの」
シスコン。腹黒。
「まあ、いいよ。…2年前のあの出来事で考えを改めたという理由もある。僕はあの時ヴィーを守れなかった。何からも守ってみせると誓っていたのに。お前がヴィーを……命をかけて守ってくれた。ボロボロになったヴィーがお前の胸の中にいるのが見えた時、僕は気づいたよ。ヴィーを守れるのは僕じゃない。…もう僕じゃ守れないんだと」
「ヴィンス…」
「この僕が認めたんだ。だからノア殿下に僕のヴィーを掻っ攫われないようにね。油断するな。もしものことがあったら許さないよ」
「それは分かっている……」
実際あの男は油断できない。
私は思わず苦虫を噛み潰したような顔をした。
ヴィオレットに惚れ込んだノアは、ヴィオレットが私の婚約者になっても尚、情熱的に口説いていた男だ。
あの出来事が発覚した時、ヴィンセントとノアは怒り狂い、あの女を抹消するべくあらゆる手を使っていた。時には汚い手を使ったとしても。
その面では感謝しているが、愛するヴィオレットを渡すわけにはいかない。
感謝しているにしても、夜会のたび婚約者を口説き落とそうとするのは別の話だ。
「必ずヴィオレットを幸せにすると誓うよ」
真っ直ぐヴィンセントの瞳を見つめる。
ヴィンセントはふと顔を上げ、彼女に似た双眸を私に向けた。
その瞳には寂しさが浮かんでいる。
そして儚く微笑んだ。
「……当たり前だよ」
◇◇◇
パイプオルガンの幻想的な音色。
ルミニーク侯爵に導かれて新郎のもとへ向かう花嫁。
祭壇の前で待つ新郎は愛しそうに目を細めて花嫁を見つめている。
祭壇の前で並ぶ美しい新郎新婦は大主教に誓いを立てた。
「汝を妻とし、今日より如何なる時も共にあることを誓います」
「幸せな時も、辛い時も、富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、死がふたりを別つまで愛し、慈しみ、貞操を守ることを新郎に誓います」
宣誓書にサインをして、誓いのキスを交わす。
その瞬間、新郎新婦に祝福の声が上がる。
新郎新婦は互いを見つめ、幸せそうに微笑んでいた。
幾つかルートを挙げていたのですが、ルイが長々と苦しむことになるので、1番幸せな形を選びました。
最後まで御拝読して頂きありがとうございます!




