38 【和葉】 届けなかったもの
――真名?
行きがけにトビアスから大体の事情を説明されていた和葉は戸惑った。
それ、大事なものじゃないの?
そんな和葉にキリクは笑いかける。
「ああ、カズハさんはやっぱり。この見た目は偽りだったんですね」
人体模型の手をとったキリクの小さな手は、震えもしていなかった。混乱した和葉は尋ねる。
「……何で?」
「カズハさんが見えているものが、僕にも見えますから」
キリクの目はアベルと同じ青だったが、光の具合か少し緑がかって見えた。
「だからカズハさんがちゃんと人間の女の子だということも見えますし、兄上がもうすぐここに来るのも見えます。トビアス様は近衛兵を撒こうとしてうっかり城裏の湖に落ちましたね」
尋ねたいのはそれではなかったが、疑問の一つは消えた。あとトビアスちょっと頼りになると思っていたが撤回しよう。
「そうじゃない、なんでアベルに、あんたの真名を渡すの?」
「兄上に持っていて欲しいのです。いつか僕が兄上を恨んで憎んでしまったときに、僕を殺せるように」
和葉は更に困った。ソランジュのことは聞いていたが、弟キリクのことは全然話に出なかった。素直にそれを伝えたとして、アベルはこの年若い弟を殺せるだろうか。
「僕は生まれてほぼ隔離されて育ちましたから、兄上は僕のことを何とも思っておられないと思います。大丈夫ですよ」
慰めるように言われるが、そんなことを言われても困るのである。
「あと、伯父上……サムリ伯父上は、母様を倒さなければこちらの世界には入れませんよ。真名で伯父上に接触した物全てを拒んでいますから」
ふわりと幼い顔が笑う。
「あなたも多分伯父上と接触したのでしょう? その上で無理矢理こちらに来ようとしたから、そんな姿になってしまったのではないでしょうか」
「……」
次々と聞く少年からの言葉に、和葉はただ聞き入っていた。嘘だと言うのは簡単だったが、少年の目の色は落ち着いていて、話す言葉もすらすらと淀みなかった。
「あんた、本当に四歳?」
「一応、生まれてからは四歳です。母の腹の中で長い時を過ごしていましたけれど」
もしかして本当にラスボスなのかも知れないと警戒する和葉だったが、少年は扉の鍵をさっさとあけると、周囲を見回した。
「今しばらくは誰も来ません。落ちたトビアス様が周囲を引きつけておられるようです。まっすぐ行って左に二つ折れたところの階段を上がって突き当たりが、兄上の部屋です。どうぞ行って下さい。すぐに兄上も来るでしょう」
「ちょ、なんであんたは行かないの? むしろ自分で真名を伝えたらいいんじゃないの?」
「魔女が魔女に真名を渡すのは交換じゃないといけませんから」
「なんなのそのややこしい常識!」
和葉は頭を抱えた。
「だからあなたにお願いしたかったのです。運命の女神に託したいという気持ち、多分伯父上も同じだと思いますよ」
「いや、ちょ、待っ」
もっと詳しく、と言おうにもさっさと追い出されて扉に鍵を閉められる。和葉は途方に暮れた。周囲を見回しても誰も来ない。トビアスを追いかけているらしいのだが……。
仕方なく和葉は言われたように階段を登ると、突き当たりの部屋の扉をあけた。
* * * * * * * * * *
そこにはちょうど隠し扉から出てきたらしきアベルがいた。
「うっわぁ!! ……なんだカズハか、本気で魔法を放つところだった」
アベルは右手に集まっていた光を慌てて消した。今消し飛ぶところだった。恐ろしい。
不満げな目の和葉にアベルは再度謝る。いつの間に人体模型の顔色をうかがうところまでレベルアップしたのだろうと思ったが、もしかしたらレベルダウンかも知れない。この能力はおそらく今後必要のない能力だ。
「悪かった。ここは既に敵地だからな。ソランジュが事前にカズハみたいな恐怖の産物を生み出していてもおかしくないだろう」
「おかしくはないかもしれないけど、恐怖の産物って何よ」
失礼である。動く人体模型のどこが怖いんだと言おうとして和葉は思いとどまった。自分では見えないので全然怖くはないのだが、傍目から見たらどうだろうか。
和葉は今までの周囲の反応を思い返した。あの姿は見たことがある。廃業した総合病院に出るお化けに追いかけ回されている人達があんな表情をしていた。
この王城の名称が戦慄迷宮にならないことを祈るのみである。
「周囲の様子はどうだ?」
「殆ど全員覚醒したと思うよ。今正気に戻った近衛兵にトビアスが追いかけられているところらしいわ」
「まあ、トビアスなら放っておくか」
哀れなトビアスである。和葉はあっさり同意した。
「うん、何とかするよねきっと。で、アベルさ。キリクって知ってる?」
「ん? キリク? 弟の?」
口の中で小さくアベルは本当に弟かどうかは知らないが、と呟いた。
「キリクってどんな子?」
「全然話したことがないから分からない。公式行事の時もじっと大人しくソランジュの腕に収まっている記憶くらいしかないな」
うーむ、と和葉は腕を組んだ。伝えるべきか、伝えざるべきか。
「どうかしたのか?」
アベルに尋ねられるが首を振った。少年の瞳は大人のように穏やかで、そして何か悲しかった。
「ううん、さっき会ったんだ」
するとアベルは唖然として言った。
「……死んでないか?」
「死んでないわよっ」
ショック死は今のところ誰もいない、はずである。うん多分。
その時、喧噪が近づいてくるような物音がした。
瞬間的に和葉は思い出す。
――君と一緒の所を見つかったら、アベルが。
慌てて和葉はその部屋の中をぐるりと見回すも、隠れられそうな場所がろくにない。ベッド、暖炉、キャビネット、本棚。ベッドは足が短すぎて下に潜れそうにない。
「王子ならもっと内装を豪華にすべきだと思う!」
突然の和葉の文句にぱちぱちと目を瞬かせるアベルだったが、文句もそこそこに和葉がいきなりアベルの部屋のキャビネットを開けた。
そして中にあった小物を取り出すのを見て驚いた。
「お、おい。いきなり何を」
「邪魔なものを取り出して……あれ?」
その手が急に止まった。キャビネットの一番下の段の燭台や箱を横にどけていたのだ。
どかそうとした紙の中から、チャリ、という金属音がした。よく見てみると見覚えのある三本の短剣と、それをくるむかのように周りを包んでいる紙があった。開いてみて和葉は叫んだ。
「――なんでこんなもんが!」
和葉の数学のテスト用紙であった。ちなみに赤点である。
「何だその真っ赤な紙」
「うるさい黙れ」
和葉は一言で言い切ると、それごと全てアベルに押しつけた。目を白黒させているアベルににっこりと笑うと、ごそごそとキャビネットに入る。狭くてきついが入れなくもない。
扉の外では、アベルの部屋の扉を叩く大きな音が聞こえてきた。
和葉はどうもアベルと一緒にいるのを見つかるとまずいようなので、仕方がない。
「隠れてるから、終わったらよろしく! あと」
小さな男の子の姿が脳裏に浮かぶ。
「弟くんとしっかり話した方がいいよ!」
そう言ってばたんと和葉はキャビネットの扉を閉めた。




