30 【アベル】 4人の魔女
目の前の変な生き物――カズハというらしい――は鏡を見て絶叫した。ぎょろりと丸い目で鏡を見つめている。
「え、ええ!? ボビーくん? 私!?」
身近で自分の顔を見て叫ぶあたり、死んだことに気付いていなかったのだろうか。
「うっわぁ、びっくりした! 自分だと思って鏡見て人体模型、って心臓止まるかと思ったよ!」
むしろ心臓が動いているのか聞きたい。カズハが鏡を見ながらうーんと唸っていると、急に部屋の扉があいた。
「アベル、うるさいよぉ。目が覚めちゃったじゃん」
幾度となく叫んだり怒鳴ったりしたせいか、トビアスが寝ぼけ眼で文句を言いに来た。
その視線が左に向くと同時に、トビアスの時が止まった。
「……」
「……」
へらり、とカズハは愛想笑いをしたらしい。
「っぎゃああああああああ」
そりゃあ叫ぶよなぁ、とアベルは思った。
* * * * * * * * * *
「もう、信じられない! 僕アベルがどんな残虐魔女になっちゃったかと思ったじゃん!」
半分涙目で睨んでくるトビアスだが、とんだ濡れ衣である。
「俺はソランジュの刺客か悪夢かと思った」
カズハもうんうんと頷いて言う。
「私は荒ぶる神様に呼ばれたのかなぁと思った」
カズハの言うことはよく分からない事が多い。だが多分スルーして良さそうな感じだと思う。
三人で台所で朝ご飯である。狭い空間ではあったが、カズハは「食事はできないみたい」と遠慮して少し離れた椅子に座っている。正直ありがたい。視界に入ったら怖くて食欲が沸かない。
カズハはニホンという異世界から来たらしいが、何故ここにいるのかはよく分からないと首を振っていた。助けて貰っておいて申し訳ないが、カズハのような人(なのか?)が沢山いるなんて、ニホンとはどんな恐怖の国なのかと少々怯えた。異世界怖い。
「そうだアベル、見つけたよ古書。僕の部屋のほうにあった」
「見つかったのか! ありがとう」
食事を終えたトビアスが古書の元となるべきものを渡してきた。受け取ってすぐにそれを開くアベルは、「なにそれ」とカズハが肩越しに覗き込んできて思わず腰が引けた。カズハは残念そうに呟いた。
「……読めない」
「古代文字だからな」
アベルが返事をするとカズハは大人しく椅子の方へ戻って行った。止めていた息を吐いて、アベルは古書をめくった。
最初から最後までトビアスが書き写した通りである。特に何の違いもない。願わくばソランジュの真名でも載っていないかと、目を皿のようにして探したがどこにもなかった。
唯一の違いは、最後の頁に四人の似顔絵が載っていることだった。魔女で最後に残った四人の、著者である男とその妹、そしてある夫婦の絵。
何てことのない様子でトビアスは笑って言った。
「絵はさすがに描き写せなかったみたいだね、僕も」
だがその言葉は、殆どアベルには聞こえてなかった。絵を凝視したまま固まっていた。
何故なら四人中三人が彼が知っている人達であったのだ。
アベルが見たその四人。
まず知らない男とその妻。これは魔女の森にあった廃墟の絵でも見た二人だ。ソランジュと恐らくその夫だろう。壊れてしまった似顔絵よりも時が経っているのか、ソランジュの顔は少しだけ大人びていた。その顔は確かに、アベルの母に似ている。
残ったもう二人。著者とその妹の隣にはそれぞれ名前と関係が書かれている。著者の隣に描かれた絵はアベルの師匠であり、その妹にはこう書いてあった。
――エリス(次女)と。
アベルの実母であり、十年以上前に死んだはずの母であった。
「……馬鹿な」
絵の中で優しく微笑んでいる母は若いが、それでも自分の母だ。見間違えるはずがない。
更に衝撃なことにソランジュの隣にも書いてあったものがある。
ソランジュ(長女)。
ばさり、と古書が床に落ちた。
アベルは言葉も出なかった。彼が想像しては打ち消していたことよりも、現実の方がより悪かった。彼自身が魔女の血を継いでいる。さらに言えば、あんなにも否定した相手と繋がりがある。母の姉であるというのならば、自分にとってソランジュは伯母だということだ。
呻くようにアベルは言葉を絞り出した。
「……俺も、母も魔女なのか」
思い出した。ソランジュの言葉は正しかった。アベルこそが魔女だと。あんな魔女と血が繋がっていただなんて。師匠も魔女だなんて。
師匠の横には著者(長兄)と、他はソランジュ(長女)、エリス(次女)、レオ(義弟)と書いてあるため、義理の兄妹であるという希望もなかった。
天秤の痣は魔女の証。握り潰すかのように自分の左腕をきつく掴むアベルに、トビアスはのほほんと言った。
「師匠もアベルも、魔女っていうよりは魔男だよね。男の名称ってなんで魔女なんだろうね?」
何でお前が気になるところはそこなんだ。苦々しく口を開きかけて、気付いた。
「……お前もしかして、知って」
トビアスはへらりと笑って何も言わなかった。子供の頃に書き写したもの。その時は気付かなかったにしても、再度読めば気付くだろう。そして曲がりなりにも幼なじみ。何度か水遊びや風呂でアベルの左腕を見たことがある。
「僕が最初に言っても、アベル信じなかったでしょ?」
「……そうだな」
今なら分かる。トビアスは既にあの古書を読み返したのだろう。だからアベルを縛り上げた。もしも彼が本当に世界に仇をなす魔女ならば、縛った程度じゃ止められない。トビアスさえも手にかけるだろうと。だがアベルはトビアスに反撃をしなかった。逃げ出すことも。
そうしてトビアスはアベルを魔女の森に連れて行き、トビアスには入れない魔女の集落に易々と入ったアベルを見てこの古書を差し出してきた。
「古書も、お前が隠していたのか?」
「うん」
段階を踏んでゆっくりとアベルが自身の出生を受け入れられるように、トビアスは計らった。
最初にこれを見せられたら、ソランジュと実母の関係を知ってしまったらアベルは現実を受け入れがたく思っただろう。分からないのは、何故トビアスがそこまでしたのかということだ。
「ユアールにとって魔女は忌むべき存在だろう?」
お前にとってもそうじゃないのか、と疑わしげに聞くアベルの言葉に、彼はへらりと笑う。
「まあ、僕の国ではそうだろうね。僕も魔女は怖いし」
トビアスは今までとなんら変わりがないような飄々とした笑顔だ。混乱したかのようにアベルの思考が空回る。
「なら何で、トビアス」
「決まってるでしょ? アベル」
トビアスは爽やかに微笑んだ。
「僕はアベルのためなら何でもするよ」
「……ああ、嘘か」
一瞬感動しかけて損をした。アベルはトビアスの爽やかな笑顔を見た瞬間に自分の声の調子ががくっと落ちたのを感じた。そういえばこいつは嘘つくときに良くそういう顔をしていたなぁと思う。
爽やかな微笑みを一瞬で不満そうに崩して、トビアスは唇を尖らせた。
「え、ちょっと。ばれるの早いんだけどアベル」
取繕う気はないらしい。
「うるさい黙れ」
深いため息をついて椅子に座り直すアベル。不満そうなトビアスの視線は黙殺した。
「まあ、半分は嘘。師匠に頼まれてたんだよね。何かあったらアベルを頼むって」
「師匠が?」
思わず落とした古書を見ようとしたらいつのまに忍び寄っていたのか、カズハが足元で古書の絵を見ていた。驚いて飛び退くところだった。
「ねぇ」
カズハは困ったような顔をしていた。片面なのによく分かったなと自分でも思うアベルだったが、続けて言うカズハの言葉に目を丸くした。
「この人、なんだけどさ」
カズハが指さしたのはアベルの師匠だった。金髪碧眼の彼だが、墨絵なので色は分からないだろう。微笑むような優しい顔でこちらを見ている。まだ師匠の若かった頃のようで皺もない。
「すっごく知り合いに似ているんだけど、名前なんて言うの?」
戸惑ったようにアベルが答える。
「師匠……サムリ・レテルカだが、知り合いって?」




