21 【アベル】 天秤型の痣
びく、と目が覚めた。なにやら悲鳴のようなものが聞こえた気がした。どうやら椅子に座って考えていたら半分眠りかけてしまっていたようだ。
アベルは手元にあった剣を握りしめると、ゆっくりと椅子から立ち上がって左右を見回す。特に何か変わった物もない。
部屋の中には古びた小さめなベッドやテーブルと椅子、燭台やクローゼットがあるくらいである。夢でも見たのかと首を振ると、椅子に座り直した。
トビアスがいないだけで、やけに一人の空間が寒々しく静かである。自然と思い出すのは、やはり自分のいないセリドの国の人々。
残された国で残された人々はどうなっているのだろう。ソランジュは、父は、親しき騎士達は。
焦燥が胸をぎゅうと締め付けた。先ほどまでもずっと考えていたが、どうやって現状を切り抜ければいいのか。魔力ではソランジュに勝てず、権力は奪われ、味方とは連絡がとれず。
「たっだいまー!」
そこに気楽な様子でトビアスが戻ってきた。気が抜けるほど軽い鼻歌を歌いながら、扉を開けて入ってくる音が聞こえた。
予想以上に早い帰還に驚いて彼を見ると、両手になにやら抱えている。
「トビアス? 早くないか? ユアール国王には会えたのか?」
「ううん、父上寝てたし、付け届けだけして帰ってきた」
会ったら多分捕まっちゃうし、と笑うトビアス。付け届けとは恐らくインクが無くとも使える不思議なペンのことだろう。あれで国王の機嫌が直るのか心配ではあったが、いつものことなので国王もいい加減諦めている気もする。
どさどさと両手に抱えた束をテーブルに載せると、トビアスは勝手にベッドに横になった。
「おみやげ、アベル!」
置かれた紙の束を見てアベルは目を見張った。紙には文字がびっちりと並んでいる。
「いやー、めずらしく僕は急いで来たよ! 偉いよね、僕」
ベッドに片肘立てて横たわりつつ「褒めてくれてもいいんだよ?」的なトビアスの言いぐさに条件反射でイラッとしながらも、アベルは尋ねた。
「トビアス、これは何だ?」
「ユアール国秘蔵図書」
驚いてアベルが手に取ったそれは、古代文字で書かれた古書の類だった。魔女がいなくなる前と後でユアール国及び大陸の共通文字が新しくなったため、読める者は学者や一部の王族くらいで多くはない。アベルは母から古代文字を教わっていたため一応読める。
題名は主に「魔女と厄災」「魔女の集会」「ユアールの悲劇」など魔女に関するものばかりだ。一体どうやってこれを、と目を丸くしてトビアスを見ると、彼はにっこりと微笑んだ。
「どう? アベルの読みたいやつってそれ?」
「あ、ああ。……どうしたんだこれは?」
よもや秘蔵図書を勝手に持って来たんじゃあるまいな、こいつはいずれ排斥されるのではないだろうか、と心配そうにトビアスを見るアベルに、大きなあくびをしてトビアスは手を左右に振った。
「だいじょぶ、だいじょぶ。それ写しだから」
「え?」
見てみるとたしかに、どこかで見たような字……これは、トビアスのか?
紙の束は全部トビアスの字で記されていた。この短時間に書き写す余裕などないはずだし、もちろんこんな時間に国立図書館に入れるはずもない。
トビアスは束を一つ取ると、自分の顔を仰ぐようにぱたぱたと揺らした。
「僕さ、よく正座で書写ってさせられててさ」
主に悪戯の代償である。子供の頃だけじゃなく現在もさせられているはずだ。
「古代文字も学ぶように言われてたのもあって、古書とかかたっぱしから書き写しさせられてたの。その中にこれがあったのを思い出してさ」
「しかし、いいのか? これ」
少なくとも写しとはいえ秘蔵図書である。隣国の王子、しかも今では王子の身分を取り上げられているような人間に見せたことが知られたら――。
アベルにとってはありがたいことではあるのだが、ユアール国王の怒り再燃は間違いない。いや、それだけで済むのかも怪しい。
「いいわけないじゃん」
あっさり言ってへらっと笑うトビアス。
「ばれなきゃいいんだって、ばれなきゃ」
「……お前、本当にそのうち王子じゃなくなるぞ」
「あっはは、それはそれで。うちは優秀な弟がいるしね」
アベルの警告をへらりとした笑顔で返すと、トビアスは紙の束をテーブルに戻して上掛けに頭まで潜った。
「じゃあ、僕寝るから。朝くらいには魔力回復してるから起こしてね」
あくび混じりにそう言ってからトビアスはすぐ眠ってしまったようだ。聞こえる寝息にアベルははっとした。
ユアール王城とここは遠くはないとはいえ、これだけの短時間で戻るとなると相当な速度を出したはずだ。それだけの魔力を消費してまでトビアスは急いでアベルに古書を届けてくれたのだ。
「……すまん、トビアス。ありがとう」
例え聞こえていたとしても確実に茶化してくるだろうトビアスだったが、眠っているその耳には届かなかったのかも知れない。静かな寝息が聞こえるのみだ。
物音を立てないようにそっと燭台を引き寄せて、アベルはその束を読み出した。
アベルが求めていたこと、知りたいことは、ただ一つ。
――どうやってユアール国は力勝る魔女を倒したのか、ということだった。
『魔女と厄災
魔女というものは、とある一族のことを指す。魔力強き彼らは、奥深き森にいたが、人を導いてやろうとユアール国へ来た。
人間は魔女を学ぶうちに魔法を使えるようになった。魔女達の飽和した魔力は大陸に溢れ、大樹に花が咲き乱れた。
そのうちに魔女達はユアール国を力尽くで制圧し、乗っ取ろうとした。
ユアール国は全力で戦ったが、力の差はどうしようもなかった。多くの魔女を滅ぼしたが、残った魔女達の中に凶悪な魔女が一人いた。
その魔女は暴れ、大陸は半壊し、生まれたばかりの赤子すら死を覚悟するような争いが起こった。
その戦いの末。ユアール国の王が封印の魔法を使った。凶悪な魔女は力を封じられそしてやっと戦いは終わったのだ。
それ以降魔女の姿を見ることはなかった』
何冊か読んでもほとんどがこれくらいの内容しか書いていなかった。どうやって封じたのか、そもそも力を封じられるのならば魔女達が乗っ取ろうとしてきたときに王が魔法を使えばいいのではないのか。凶悪な魔女以外に残った魔女はいたのか、どうなったのか。
そんなことがろくに書いていない。
アベルは燭台の明かりに浮かび上がる文字を斜めに読みながら次々と束を重ねていった。
手に取ったその中の一冊だけ、異色なものがあった。題も筆者もなにも書いていない。もしかしたら書いてあったのかも知れないがトビアスが書き写し損ねたのかもしれない。
それはこの筆者の体験記のような話であった。
『深い森に住んでいた魔女達は、願われるままにユアール国の人間達に魔法を教えた。
私も皆と一緒にユアール国へ来た。そしてユアール国は大陸に巨大な国を作り、魔力は大陸を巡って、魔法を使える人間が続々と増えていった。
しかし人々は魔法を持つと共に、魔女達を疎みだした。自分たちよりも強力な魔力を持つものがいる恐怖。不安。私達が国を乗っ取ろうとしているとでも考えていたのだろうか。
ユアール国王は思慮深く優しい男だった。争いを避け、深い森に去るという魔女達を止めなかった。
しかし魔女の力が他国へ渡ることを恐れた大臣が、魔女達を襲った。ユアール国北東の森にあった魔女の里は人との交流のために結界を緩めていた。
それが災いしたのだ。
突然の襲撃に、魔女達の殆どが死んだ。偶然その地を出ていた私と妹を含むたった四人だけを残して。
残った一人の男は激怒した。与えた力で仇をなすのならば全て奪ってしまおうと、溢れた魔力の殆どを彼が吸収してしまった。それ故に彼は強かった。
ユアール国を半壊させて尚、彼は止まらなかった。
力に力を返すことは間違っていると私と妹、そして彼の妻は止めた。必死で止めた。
「人を全て滅ぼしたら私達は彼らと同じになる」
彼は妻の言葉を受け入れて暴れることをやめた。今度こそ深い森でひっそりと暮らそうと彼らは言った。
ところがその時、ユアール国王は暴れ回る親友に悩み苦しみ何度も説得を重ねていたが、受け入れられることはなかった。そして国王は彼から知らされていた「魔女の真名」を使って彼の魔力を全て封印してしまったのだ。
彼は夜中に国王へ会いに行って「二度と人間と関わらない」と伝えたところを捕まって殺されてしまった。
再び同じ事が起こると悟った私は、彼の妻を小さな森に眠りにつかせた。私は彼女の「真名」を知っているからだ。
眠る彼女を癒せるようにと、私は妹を共に眠りにつかせた。何千年眠ってもいい、いつか彼女の悲しみと憎しみが癒える日がくることを祈って』
「――真名」
アベルはぽつりと呟いた。
魔女の、真実の名前。それを知ることが出来れば力を封印することができると。
ユアール国の過去に起こった厄災の理由も、他の本と異なるものであった。この著者は魔女の一人なのだろうか。ユアール国立図書館にこんな本が紛れ込んでいたとは、今まで聞いたこともなかった。
しかし、真名を探すにはどうすればいいのか、とページをめくると次のページにトビアスの幼い字で一言書いてあった。
『魔女は身体のどこかに天秤形の痣がある』
「――え?」
呆けたような声が漏れる。アベルは思わず自分の左腕を押さえた。
――そこにある天秤の形をした痣を、確かめるかのように。




