13 【和葉】 西園先生と目覚まし時計
睡眠は幸せだ。
人間の三大欲求であるのも頷ける。それほどに和葉は睡眠を愛していた。
そして毎日和葉の眠りを妨げる、憎らしい目覚まし時計の青い鳥は今日は鳴かなかった。
――不幸なことに。
プルルルルル!
家の電話の着信音が響き、和葉はぼんやりと目を開けた。
電話……電話? 鳴ってる、取らないと……。
和葉は寝たままベッドからもぞもぞと手を伸ばしてベッド脇のチェストにある子機を取った。
「……はぃ?」
和葉の声はいかにも眠っていましたとばかりにぼんやりとしていて、電話の相手は不審そうな声を出した。
「菅原?」
「……はい」
今にも寝そうな和葉の声に苛立ったのか、彼は低い声で問いかけた。
「九時半だぞ、菅原」
「……」
その声が寝起きの和葉の脳に浸透するには少し時間がかかった。
くじはん? くじはんって何だっけ、くじ……九時半!?
飛び起きた。和葉は目を見開いて左右を見回し、壁時計を見た。何度見直しても短針は九の数字を指している。母はパートに出かけてしまっているようだ。
「寝過ごした!」
あまりに正直に叫ぶ和葉の声に、電話の向こう側で担任の野田先生がため息をついた。
「……SHRは終わっているから、さっさと来い。一限目はお前が唯一寝ない世界史の授業だろうが。遅刻だから生徒指導室に寄って反省文書いてから行けよ」
数学の担任の先生からは嫌みのおまけ付きであった。反論の余地はなかったため、和葉は「すみません!」と叫んで一気に服を着替え、鞄と袋を手にダッシュで学校まで行くことになった。
鞄と一緒に引っ掴んだため、袋の重みには気付かなかった。
少なくとも中に目覚まし時計がないのは確定なため、まずは学校へと走ることを優先した和葉だったが、もしも時間があるのならば袋は家へ置いてくるかそれとも持って行くかを迷っただろう。
家に置いて母に変に弄られるのも悩みものだが、かといって学校へ持って行くべきかどうか。そんな判断をする時間もなかったので、彼女は学校まで走りながら途中で袋の中を確認して「げ! 何これ!?」と叫ぶことになったのだ。
* * * * * * * * * *
「菅原、おはよう」
生徒指導室で遅刻届に「寝過ごしました」と和葉が書いていると、そこに声をかけてきたのが世界史の先生だった。去年の和葉の担任でもあり、現在は一年生の担任をしている西園先生だ。細い目をさらに細めて和葉に笑いかけてきた。彼は一人でいることが多い和葉を心配して、時々声をかけてくるのだ。
「おはようございます」
ああ、結局一限には間に合わなかった、と和葉は残念そうにため息をついた。去年の担任でもあり、西園の授業は面白かったので真面目に受けていたのに。そんな和葉に西園は手に持った資料を棚に戻しつつ言った。
「あ、菅原は今日のSHR来なかったみたいだけど、所持品検査があったからついでに菅原のを確認しといてくれって野田先生に頼まれてるんだが」
「えええぇえ!?」
思わず手に持った袋をばっと後ろに隠す和葉。
二人しかいない生徒指導室に沈黙が降りた。
「……菅原、その反応……」
「何でもないです、何でもないですって」
やばい、何てタイミングだ。この銃刀法違反な諸々をどこに隠そう、と冷や汗を流しながら和葉が考えていると、西園は不審げに「その袋をちょっと見せてくれ」と言う。警察官がいたら一発で職務質問をされるレベルの不審な行動をとったせいであるが、和葉はふるふると首を振った。
「見せられるものじゃないんで、ちょっと出直してきます」
「待て待て、見せられないものを探すための所持品検査だろうが」
「どうしても見せろというなら私の屍を乗り越えて行って下さい」
「意味がわからん!」
お前はどこの四天王だと突っ込みたい西園だったが、じりじりと後じさる和葉に半眼で言う。
「俺が見ない場合、多分、野田先生が確認するぞ」
「……」
引きつった表情で和葉は固まった。袋の中にはどう見ても「ちょっと今から人を殺して来ます」と言わんばかりのギザギザした短刀が編み目状の鞘に入っていたり、湾曲した鞘付きの小さめな剣、そして飛び出し型ナイフのようなものが入っている。おかしい、目覚まし時計として使うには危険すぎる。
言い訳が思いつかないが、担任の野田先生にこれらを見られた場合、家族呼び出しの上に緊急職員会議であることは間違いない。
冷や汗をかきつつ和葉は西園を見上げた。残念なことに入り口は西園の後ろで、走って逃げることも出来ない。彼は人の良さそうな顔に困った表情を浮かべている。和葉は後ろ手に持った袋をぎゅっと握りしめた。
「先生、鞄は差し出しますからこれは見なかった事に!」
「あのな菅原、学校に必要ない物を持って来てはいけないのは分かってるだろ? さすがにお前が煙草とか持って来てるとは思わないから、黙ってその音楽プレイヤーかゲームソフトを出せばちゃんと放課後には返すから」
いや、煙草どころの話ではないのだ。そして音楽プレイヤーとゲームソフトは鞄の中である。
絶対絶命のピンチであった。こういうときこそ袋の中の物は消えるべきだろうと思う。
さあ、と差し出された手に渋々と袋を差し出すと和葉は祈った。目を瞑って、両手をぎゅっと握る。
――とりあえず、何でもいいから今すぐにその危険物が消えてくれますように!
和葉にもしも何かの力があり、それによって袋の品が消えているというのであれば。
今こそその力が目覚めるべきだと彼女は思った。
差し出された袋を受け取って、西園は一度だけためらった。
あそこまで言うほどに見られたくないものとは何だろうか。煙草や覚醒剤? もしもそんなものが入っていたら……。いや、彼女はそんな生徒じゃないはずだ。
覚悟を決めて、西園は袋を開くと驚きに目を丸くした。
確かに煙草や覚醒剤ではない。しかし、音楽プレイヤーやゲームソフトでもない。
彼は袋の中身と和葉を交互に見た。じっとそれを見つめ返す和葉。そして西園は掠れた声で尋ねた。
「……菅原、これは一体……」
彼が袋の中から手に取ったものはどう見ても「ちょっと今から人を殺してきます」的なナイフであった。当然消えていない。
ここは消えるべきところでしょうが、と袋をばっさばっさと揺さぶりたかった和葉であったが、残念ながら袋は西園の手元である。
和葉はため息をついて首を振ると、正直に答えた。
「……目覚まし時計です」
それは無理がありすぎるだろう、と思わず突っ込んだ西園だった。




