10 【アベル】 鋸壁を越えるため
隣国との境界線の近くまで、森の中を歩いてきた。街道沿いは関所があり、恐らく義母の手はそこに伸びているだろう。その私兵が多く配置されているだろう関所から外に出るのはなかなかに厳しい。
ピピピ……と小鳥の声が聞こえる。周囲に人の気配はない。
ゆっくりとアベルが歩みを止めると、そこには国境の境を示す高い壁があった。そそり立つその鋸壁は素手で登ることなど出来ない高さだ。凹みもない平坦な壁なので、手足をかける場所もない。
アベルが使える魔法は攻撃魔法、防御魔法と封印魔法くらいであった。空は飛べない。人によって得意な魔法が違うため、空を飛ぶことの出来る魔法の使い手ももちろんいる。アベルの知っている限りでは自分の師匠と、隣国の王子が確か飛べたはずだ。
だが空を飛べないアベルには、目の前の壁をどうにかするしかなかった。
「……俺にこれが破壊出来るだろうか」
セリドでは抜きんでて魔力の強いアベルだったが、この壁が吹き飛ぶ程の爆発を起こせるかどうかは少々怪しいところがあった。それでも関所で兵士達を相手にするよりはまだ光明がある。
マントと果物を地面に置いてアベルは壁を触ってみた。土壁の上を漆喰で固められたその薄汚れた白い壁は、叩くと結構な厚みがある。
上を見上げると青い空と太陽が見える。くらりと一瞬の目眩を堪えるように、アベルは目を細めた。
何にしても、日が昇っている間に事を起こすつもりはない。夜まで眠りつつ体力を温存し、時機を待つべきだろう。
置いたマントと果物を持ち上げると、その下に置いたはずのない何かあった。
「……ふ」
ついアベルは吹き出した。マントと地面の間に挟まれたその場所には白く長いロープの束があった。
「……登れ、ということか」
女神がどこかで見ているのではないかと思うほどに、折良い恵みである。つい周囲を見回すが、やはりそこには誰も居なかった。
ロープを持ち上げるとその周囲にころりと転がる物があった。四角い小さな箱のようなものと、丸く細長い棒のようなもの。何だかよく分からない。食べ物ではないようではあるが。
「信じていいのか、悪いのか」
アベルは苦笑したが、その場に座ると拾い上げたロープにいくつかの結び目を作った。ロープにそのまま腕の力だけで登るより、手がかりや足がかりになるものがあったほうがいいだろう。
結び終えて立ち上がると、見上げた鋸壁の凸部分に、輪にしたロープを投げる。何度か失敗しつつも、そのロープは壁に引っかかり、力一杯引いても落ちて来なくなった。
「どちらにしても決行は、夜だな」
垂れ下がったロープは背後の壁に紛れるような白のため、遠目から見るだけでは分からないはずだ。
無駄に爆発音をさせて追っ手をここに集中させるよりは、いい手段だと思う。
先ほど拾い上げたもう二つの物は、何に使うか分からなかった。
女神の恵みであるならばまた使うこともあるだろう。その二つは懐に入れ、果物の残りを食べ水を飲むと、夜まで眠ることにした。
目指すはこの森を超えた隣国ユアールの、小さな小屋。
この壁を越えてすぐにあるその小屋は「認められた者以外入れない」魔法がかかっている。
入れるのはアベルと他の数名だけだ。
そこで体勢を整えて……出来うるものならすぐにでもとって返して義母ソランジュを倒し父や仲間達を救出したい。
だが今回の手痛い失敗はアベルにそれを許さなかった。
もし魔女の証拠を揃えたとしても、ソランジュによる実力行使で負けてしまっては何もならない。予想以上にあの女の潜在能力は底知れない。
「魔女を抑える手段が、いる」
呟いて、アベルは眠りについた。




