悪女
翔は、美空と話したあのカフェの日から、ずっと同じことを考え続けていた。
母親が、もしまた現れたら、その時、自分はどうするのか。
最初の接触で、あの女の弱みを見抜けるだろうか。
そもそも、弱みなんてものがあるのかさえ分からない。
翔が母親と会ったのは、中学一年の時に一度きりだった。
「これからは、定期的に会って……最後は、一緒に暮らせたらいいわね」
そんな言葉をかけられた。
けれど、あれは心からの言葉じゃなかったと、翔は今でも思っている。
誰かに言われて仕方なく来た、そうとしか思えない、よそよそしい表情をしていた。
そう感じたからこそ、翔と遥香はその場で「会うのはこれきり」と断った。
もう新しい家族がいる、自分たちは孤児院で出会った三人で家族だから、あなたはいらないと。
そして帰り道、二人で決めたのだ。このことは、ひかりには内緒にしようと。ただ、傷つけるだけの真実は2人の胸のうちにしまった。
それくらいしか、正直あの女の記憶はない。
そんな相手の弱みを、一瞬で見つけられるのだろうか。
遥香に、何をしたのかを問い詰めて。
もし、想像している通りに追い詰めていたのなら、その場で遥香のところへ送ってやったほうがいいのではないだろうか。
そんな考えが、ふと頭をよぎることもある。
けれど、同時に湧き上がる感情もあった。
追い詰めて。逃げ場をなくして。同じだけ、いやそれ以上に、苦しませたい。
どうするかは、会ってから決めればいい。
そう思いながら、翔は激務の日々をこなしていた。
⸻
今日は、緑地公園でCD特典用のミニフォトブックの撮影だ。
ひかりは、先に別のメンバーの仕事を終えてから合流する予定になっている。
翔はミスなく、淡々と撮影を進めた。何をどうすればいいのか自然にわかってしまう。彼は天性のアイドルの素質があった。
社交性もほどほどに持ち合わせているので、カメラマンやメイクスタッフと談笑しながら、現場は終始和やかな雰囲気。
(ひかりが来るまでに終わるかもな)
そんなことを思っていたが、撮影が中盤に差しかかったところで、機材トラブルが起きた。
復旧まで、一時間の休憩。
久しぶりのまとまった落ち着いた時間。激務で疲れが出ている翔は、スタッフさんに勧められて気分転換に緑地公園を少し散歩することにした。
木々の間を抜け、風の通る場所へ出る。大きな木の下で、翔は腕を上げて伸びをした。
その時だった。
「……翔?」
誰かが名前を呼んだ。
翔は、まとわりつくような声に反応して、ゆっくり振り返った。
緑地公園の木々の隙間から、午後の光が差し込んでいる。
穏やかで、のどかな場所だ。
だからこそ、現実感がなかった。
少し離れたところに立つ女性。年齢は三十代後半だろうか。
落ち着いた服装、整えられた髪、柔らかい笑み。
記憶にない女性なのに。
目元だけが、はっきりと知っている。
(……似てる)
遥香に。
いや、違う。
遥香が似ていたのだ。
「……翔よね」
確信を含んだ声だった。
逃げたいとか、驚いたとか、そういう感情より先に、頭の中が異様なほど冷えていく。
(……来た)
考えていたはずの瞬間。何度も想像したはずの再会。
ああしてやろうこうしてやろうとシミュレーションは何度もしていた。はずなのに、準備していた言葉はひとつも出てこなかった。
「……っ」
口を開くが言葉が出てこない。
心臓がやけに音を立てて胃から全てが出そうになる。
女性は一歩、距離を詰めた。慎重で、壊れ物が歩くような繊細な歩き方。
「久しぶりね」
その一言で、記憶が引きずり出される。
中学一年の、冬。教室よりも寒かった、あの面会室。母親ですと紹介された女の、ぎこちない笑顔。
「……何の用ですか」
翔の声は、自分でも驚くほど低かった。
感情はぐちゃぐちゃで、自分でも整理できない。ただ、込み上げる吐き気だけがはっきりしていた。
口を開け。目の前のこの女が、何を言いに来たのか確認しろ。
自分を鼓舞するように脳内で声を出すが、翔は身動き一つ取れない。
女性は、少し困ったように笑った。
「急にごめんなさいね。ただ……」
一瞬、言葉を選ぶように間を置く。
「テレビで見て。もしかして、って思って」
(嘘だ)
翔は即座にそう思った。
もしかしてなんて顔じゃない。確信を得ている。翔がここにいることを知っていて探し当てた人間の目だ。
「立派になったわね」
褒め言葉のはずなのに、翔の中で、はっきりと嫌悪感が形を持った。
「遥香もよろこぶわ。弟がこんなに頑張ってるって知ったら。あのね、あの子、わたしにお金を渡してくれてたの。産んでくれた恩返しにって。それを翔が引き継いだらきっと喜ぶと思う」
まるで遥香が好意でやっていたかのような言い方だった。そして、それを引き継ぐのも当たり前だろうと言いたそうな瞳。
翔は吐き気が止まらない。実子が自分のせいで亡くなったかもしれないのに、悪魔の様な言葉を紡ぐこの女に嫌悪感が止まらない。
「お前が……追い詰めたのか」
「え?」
「お前が遥香を追い詰めたのかって聞いてんだよ!」
翔は溢れる怒りを抑えきれずにさくらの襟首を掴んで怒鳴った。
「翔やめて……!」
さくらは抵抗せず、ただ困ったように眉を下げた。
その表情が、行動が逆に翔の神経を逆なでした。
「遥香を追い詰めたなんて誤解よ」
「誤解で人が死ぬかよ」
低く吐き捨てると、翔はさらに力を込めた。
首元に伝わる体温が、生々しくて気持ち悪い。
「遥香は、あんたに壊されたんだ」
その言葉に、さくらの瞳が一瞬だけ揺れた。
ほんの一瞬。
けれど、すぐに柔らかな笑みが戻る。
「……わたしのせいで死ぬわけないでしょ? 母親なのよ? なにもしてないわ」
その言葉で、翔の中で何かが完全に切れた。
この女は罪悪感も、後悔も、最初からなかった。
ゆるさない。
翔は自分の手の中で悪びれもせず笑う女を睨みつけたのだった。
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