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閑話1 サイレス



 最初は驚きよりも、恐怖の方が強かった。



 ──魔王グラムヴァーダ。

 その名を知らぬ者はいない。



 原初の魔王にして『災厄』を全世界に知らしめた絶対支配者。


 300年前。勇者が魔王との激闘の末に討ち取ったと伝承に残っているが、まさか俺の新たな主人『シェラローズ・ノーツ・アトラフィード』がその生まれ変わりだとは、夢にも思わないだろう。


 驚きが少なかったのは、単に信じられなかったというのも一つの理由だ。


「我が名はグラムヴァーダ。

 原初の王にして、頂点に君臨する絶対の支配者。魔王グラムヴァーダである!」


 だから、それを聞いた時、驚きよりも先に恐怖したのだ。






          ◆◇◆






 心臓を鷲掴むような圧迫感と、触れるだけで吐き気を催すほど濃厚な魔力。


 意識を強く保っていなければ、簡単に連れて行かれそうになると悟った俺は、下を強く噛んで無理矢理にでも正気を保とうと、自分自身との激闘を己の内で繰り広げていた。


「貴様ら、王の帰還だ──祝福せよ」


 彼女が指を鳴らしただけで出現した『椅子』と称するには些か語弊があるそれは、恐怖を具現化した者が座るに相応しい王座であった。


 亡霊の嘆きと、頭蓋の喝采。


 悍ましいという言葉では説明しきれないほどの『災厄』を目の前にした俺は、すぐにでもこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。意思に反して体が動こうとしている。それは初めてのことで、混乱するのは当然のことであった。


 背丈の何倍もある背もたれにどっかりと腰を下ろした彼女は、ゆったりとした動作で足を組み、頬杖をつくその姿は──人の形となって顕現した災厄そのものだと、本能が理解を示す。



 そして──


「ようやく私は、我の力を取り戻したのだ!」


 ラヴェットと名乗った男から取り上げた漆黒の『宝玉』は、まるで水のように形を崩し、彼女の中に吸い込まれ──ドクンッと、心臓の鼓動が俺の耳に届いた。


 大地が目覚めたのだと勘違いするほど大きな脈動。

 その力は彼女を中心に吹き荒れ、やがて彼女の体内に収束していく。





「喝采せよ。恐怖せよ!」


 彼女は両手を広げ、天を見上げて高笑いをする。


 亡霊が歌い、王座から生み出された骸骨達が手を叩く。

 負のオーラが全てを包み、建物は再び激しい音を立てて揺れ始める。




 この世に再び──魔王が再臨した瞬間であった。






          ◆◇◆






 それからは、一瞬の出来事のように感じた。

 俺の理解が追いつかないせいで、時が経つことが余計に早く感じたというのもあるのだろう。


 気付いた時には、不死者(ラヴェット)は魔王の手によって塵も残らず死に絶え、静寂が部屋を包み込んでいた。



「んーーーーーー! 終わったぁ! はぁ、疲れた……」


 魔王は気の抜けた声を発しながら背伸びをし、緊張の糸が切れたのかズルズルと背もたれに沈んだ。


 息をするのも苦痛だった緊張感は、何一つ感じられない。

 俺が勝手に錯覚していたのかと疑うくらい、部屋の雰囲気は緩み切っていた。



「はぁーーーーーーぁ……」


 異様に長い溜め息の後、彼女はくるりと俺に顔を向ける。


「なぁサイレス? 私の代わりに令嬢やってくれないか?」


「何を言い出すかと思えば、急になんだ」


 いつも通りに受け答え出来たことに、俺は内心ホッとした。


「……面倒」


「休めばいいだろう」


「そう簡単にいかないのが貴族社会というものなのだ……」




 彼女は再び溜め息を吐き出し、頬杖をついた。


 その動作からは『魔王』の迫力は感じられず、動く気力を失っている時のシェラローズその人であった。



 だからなのだろう。


 先程まで感じていた緊張感を忘れ、俺は彼女のことを()()()()()()()



「シェラローズ」


「ん? なんだ?」


「楽しんでいるところ悪いが、そろそろ帰らないとバレるぞ」


「──げっ」


 俺の言葉でシェラローズは、バッと体ごと窓を振り向き、見る見るうちに彼女の顔から血の気が引いていく。


 相当焦っていたのだろう。召喚した王座の上で慌ただしく手足を動かし、立って座ってを繰り返して、最終的に何もかもを悟った表情になった。


 やがて彼女から飛び出した言葉は、シンプルに助けてほしいという感情だった。魔王のくせに自分に仕えているメイドを恐れるのかと、俺は笑いを堪えるのに必死で……でも、これがシェラローズらしいなと、不思議と懐かしさを覚えた。


 返り血によって真っ赤に染まってしまった服の代わりを、俺の部下に待って来てもらう待ち時間。俺達は血溜まりのない部屋の隅っこで三角座りをしていた。



「…………前に、聞いたな。お前は何者なんだ、と。あの時は適当にはぐらかされた」


 今度は適当にはぐらかさず正直に答えて欲しかった。


 俺の意思が届いたのか、彼女も真剣な表情になり、立ち上がって胸に手を当て静かに口を開き、彼女はシェラローズであり魔王グラムヴァーダだと名乗った。


 生前、死ぬ寸前だった魔王は最後の足掻きに『輪廻転生』の魔法を唱えた。そして公爵令嬢に生まれ変わり、彼女の中には二つの魂が混ざり合っているらしい。



 普通は信じられないことだ。

 魔王と貴族の少女が魂を共有しているなんて、誰に言っても信じないだろう。




 だが、俺は納得した。


 シェラローズは、前から6歳の少女にしては異様だった。暗殺者である俺達を真正面から完封しただけではなく、この国の裏社会を支配しているベッケンまでもを「私生活の邪魔だ」という理由で壊滅させたのだ。



 俺は納得すると同時に、怖くなった。


 シェラローズが魔王であるのならば、人間に敵対するのは当たり前だ。魔王グラムヴァーダは魔族の始祖であり、魔族を導く王だ。

 彼女の選択で人の未来が決まる。300年前の悪夢が再び繰り返されるのならば、俺がこの場で彼女を止めなければいけない。それが、たとえ無謀であっても。



 だから俺は問いかける。


「お前は、魔王は何がしたい? この時代で何をするつもりだ?」


 その言葉を聞いたシェラローズを見て、驚いたのは俺の方だった。


 なぜなら、彼女がとても幸せそうな柔らかい笑みを浮かべていたからだ。


 遠くを見つめながら懐かしそうに目を細め、口元を軽く釣り上げて「ふふっ」と息を漏らす。その姿からは魔王としての威厳は感じられず、初めて見る少女らしい笑みに、俺は彼女から視線を外せないでいた。




 ──平和に過ごしたい。



 ふにゃりと表情を崩したシェラローズの言葉が嘘ではないと、信じたくなった。


 俺は興味が湧いた。


 彼女が今後どのような道を歩むのか。

 最後まで人間として過ごすのか、魔王として過ごすのか。


 ──だから、これからも俺はシェラローズの部下として動こう。

 ──彼女が本当に『平和』を望み続けるというのであれば、俺も彼女の力となろう。


「ねぇサイレス? あなたも、私と共に歩んでくれるかしら?」


 差し出されたその手を握り、俺はそう誓った。




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