第15話 街へ
翌日、私はコンコッドとエルシアを連れて城下町に来ていた。
生まれて初めての屋敷の外ということで、私もシェラローズも最高潮に興奮しており、建ち並ぶ様々な店を右に左にと交互に眺めている。
きっとこの時の私は、目がキラキラと輝いていたのだろう。
コンコッドとエルシアの視線は、いつも以上に優しかった。
「……でも、あの旦那様がよく許可を出しましたね」
「それには私もびっくりしました。お嬢様には甘々ですが、危険な場所には絶対に行かせないと言っていましたから。……今回も、どうせ突っぱねられるだけだと思っていたのに」
コンコッドが意外そうに呟き、エルシアが同意する。
二人して、私が父親から許可を得たことに驚いている様子だった。
「一体、なんとお願いしたのです?」
コンコッドからしたら、本当に予想外のことだったのだろう。興味本位で問いかける彼に、私は薄い微笑みを返す。
「ただちょっと……お話をしただけよ。詳しく聞きたい?」
「…………いえ、遠慮します」
コンコッドは口元をヒクつかせながら、それを断った。
何を想像したのか彼の表情はどこか青くなっていて、屋敷の方を眺めながら「妙に落ち込んでいたのは、このせいだったか」と小さく呟いた。
「そ、それで、教科書はどこで買うのですか?」
そんな様子を見て、エルシアも聞くのが怖くなったのだろう。
変な雰囲気を終わらせるための急な話題転換だと思ったが、彼女の勇気に免じてここは話に乗っておく。
「私もどこに売っているのかわからないのだけれど……ここから近いの?」
「ここから少し歩いたところに、大きな書店があります。今日はそこに行く予定です」
「まぁ、書店! ということは、様々な本があるのよね?」
「え、ええ……」
──素晴らしい!
もしかしたら屋敷に置いていない本があるかもしれない。
望むのは勿論、魔道書だ。なるべく沢山の魔法の知恵が記されているものが欲しい。分厚くなればなるだけ値段は張るだろうが、現代の知識を得られると考えれば安いものだ。
私が今持っているお小遣いで買えるかはわからないが、もし買えなかったとしてもちょっと中身を覗くくらいなら、本屋の店主も許してくれるだろう。
「早く、早く行きましょう! 本が私を待っているわ!」
「お嬢様、急に走らないでください! もうっ、危険ですってば!」
私は興奮を抑えきれずに走り出し、エルシアが声を荒げて追いかける。
おそらく彼女は私が転ぶことを危惧しているのだろう。今までのシェラローズの行動を見ていれば、そう思うのは当然のことだ。
しかし私は違う。
そんなヘマはしな────
「あっ……やばっ」
石畳みの間にできた隙間に足をつまづき、私は走った勢いのまま前につんのめった。
途端に目に映る映像がゆっくりとなり始め、流れる時間が異様に遅く感じる。
なのに体は動かず、私はただ、迫る地面を見つめるだけだった。
「シエラお嬢様!」
「お嬢様!」
二人はほぼ同時に駆け出し、手を伸ばす。
だがそれは間に合わないのだろうなと、私は他人事のようにそう思っていた。
「──、──っ、くっ」
もはや地面との衝突は避けられない。
ならば、少しでも衝撃を和らげようと両手を前に出して防御の型を取るが、こんな弱い体では無意味な抵抗だろう。
──もうダメだ。
早々に諦めた私は、ぎゅっと目を瞑った。
「……! ……、…………?」
しかし、想像していた衝撃はいつまで経っても感じられず、その代わりに感じたのは──私を包み込むような柔らかさだった。
「あ、れ……?」
私の体は、地面に衝突するギリギリのところで停止していた。
何が起こったのかを理解しようと目を開けながら首を回し、顔を上にあげたところで私は固まった。
「大丈夫ですか? お嬢さん」
私のすぐ近くには、優しげな笑みを浮かべた見知らぬ者の顔があった。
中性的な顔つきだ。声も……少し聞いただけでは判別の付かないような声帯をしている。
凛とした双眸は私を一点に見つめ、朱色の髪がパサリと落ちて私の頬に触れた。
桃のような甘い匂いは私のものではなく、肌が密着するほど近くにいるその人から香っているのだろう。
一瞬の静止した時間の中で、私はその人の全てに魅了されていた。
「怪我はしていない?」
「──っ、す、すいません!」
こちらを心配したような柔らかい声に、ハッと我に返る。
慌ててその人から離れ、乱れた髪とドレスを軽く払い、静かに大きく深呼吸。
「……助けていただき、感謝します」
私はドレスの両端を摘み、頭を下げながら感謝の言葉を口にした。
今更取り繕っても遅いのだが、それでも私はこの人のおかげで助かったのだ。心から感謝を述べなければ失礼だろう。
「私の不注意でお手を煩わせてしまったこと……お礼を申し上げると共に、深く謝罪いたします。騎士様」
こうして距離を取ったことで、その者の全身を見ることが出来た。
彼女……いや、おそらく彼だろう。
彼の格好は、王国騎士団の鎧と同じものだった。
だが、一般の騎士が纏うようなそれとは異なり、彼の格好はそれ以上に立派に見えた。
きっと騎士の中でもそれなりに地位のある者であると、私は判断した。
ここで、これ以上無様な姿を晒すのは色々と問題がある。
私の精神的な問題もあるが、私の価値が下がるということはアトラフィード家にとってマイナスとなるだろう。
最初からそれを気を付けていればと、過去の失態を悔いる。
どうやら私は、まだ公爵家の者だという自覚が足りていなかったようだ。
だから今は必死に取り繕った。
……とは言っても、6歳の子供程度が頑張ったところで無意味だろうか?
「……驚いたな」
私の言葉に騎士は呆けた表情を隠せないでいた。
だが、それは本当に一瞬だけで、すぐに先程見せてくれたような柔和な微笑みに変わった。
「失礼。こんなに小さなお嬢さんが、ここまで礼儀正しいとは思わなかったもので」
「そんな……みっともない姿を見せてしまって、お恥ずかしい……」
いつもなら「やってしまったな」ぐらいの案件なのに、今日はどうしてかとても恥ずかしい。その証拠に顔が熱くなるのを感じて、またそれが恥ずかしくて両手で顔を覆い隠したくなる。
……今日は調子が悪いのか?
「恥ずかしいだなんて、そんなことはありませんよ」
騎士は目を閉じ、静かに首を振る。
「でも、本当に良かった。貴女のような可愛らしいレディが目の前で傷付くのは、見ていられませんから」
「──っ、〜〜〜〜!!」
騎士がそう言うと同時に、私はボンッと音が鳴りそうな位に沸騰した。
顔だけではなく、耳にまで熱を感じる。きっと今の私は、茹でダコ以上に赤く染まっていることだろう。
人の言葉にいちいち狼狽えるなど魔王として情けないと、そう思って心を引き締めるが……それでも体は正直だった。
熱くなる体は更に熱を帯び、きつく結んだ口元は油断したら崩れてしまいそうだ。私の意思に反して変に反応する体に、私は訳がわからなくなって混乱する。
──本当にどうしてしまったのだろうか。
騎士が笑っただけなのに、どうして私の心臓は早く鳴るのだろうか。
どうしてこんなにも、私の目は彼を見つめてしまうのだろうか。
「おーい、団長〜!」
「──っ!」
遠くの方から聞こえた男性の声に、私の意識は現実へと戻る。
「もう団長、いつの間にか居なくなったと思ったら、こんなところで何をしているんですか。ほら、早く城に戻りますよ」
「ああ、すまない。少し街をぶらつきたくなってな。……では、お嬢さん。私はこれで」
騎士は新たにやって来た騎士と話しながら背を向け、王城の方向へと歩いていく。
彼の背中を見つめて、私の口は勝手に動いていた。
「ま、待って……!」
懇願するようなその声に、騎士は立ち止まってこちらを振り向く。
何を引き止めているのだと自分自身を叱咤する気持ちと、もう一度彼の顔を見ることが出来て良かったという気持ちが、私の中でごちゃごちゃに混ざり合った。
だが、やってしまったからには中途半端に止まれない。
「私は、シェラローズと申します! 騎士様っ、どうか、貴方のお名前を、教えていただけませんか……!」
微かに声が震えた。
ドレスをギュッと握りしめ、恥ずかしさに顔を俯かせる。
騎士は唐突な問いかけに目を丸くさせ、私を一点に見つめた。
「私はシルヴィア。王国騎士第二師団団長、シルヴィア・アークハイドです」
──シルヴィア・アークハイド。
それが、私を助けてくれた騎士の名前。
「また会えることを楽しみにしていますよ、シェラローズ様」
シルヴィアは柔和な笑みを零し、私の胸はより一層強く脈打つのだった。




