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全員が小屋に入るとナシェは入口の扉に中から鍵をかけた。小屋の中は意外に綺麗に整頓されており、少し埃を払うだけでそれなりに快適に過ごせそうである。部屋の床には地下収納の扉もあり、おそらく日持ちのする食料が保存してあるものと思われた。
とは言え、さすがに4人が座れる数の椅子はない。あるのは簡単な木の椅子が2つと木箱が1つ、そして土の詰まった布袋が1つ。椅子にはネビが座り、ルヴァは木箱に腰掛ける。理乃は土袋に座ろうとしたが、ナシェがそれを止めた。
「椅子、使えばいいだろう」
「いえ、こっちでいいです」
「遠慮するな」
ナシェはそう言って理乃の手を引くと、半ば強引に椅子へと座らせてしまう。そして自分はためらいなく土袋に腰掛けると、さて、と言って話を始めた。
「改めて自己紹介するか。アイ・クーフ王国第12代国王ヤシェ=アスト=ランダ=ラルニュイスの息子、ナシェ=ザップ=アレス=ラルニュイスだ」
「王族の名前ってやっぱり長いですね……」
理乃が感心した様子で言い、そういう場合ではないとルヴァにたしなめられる。ナシェはそんなやり取りは意に介さずに話を先へ進める。
「ター家の庭番は知ってるが、一応みんなの名前を聞いておきたい。多少厄介な話だからな」
「厄介なことなら、友人を巻き込まないでもらいたいんですがね」
ルヴァはそう言ってナシェを見るが、ナシェは小さく首を振った。
「今更引き返せないだろ」
「俺のせいですか」
「別にあんた個人はどうでもいいが、庭番は国王に近すぎる」
「つまり王子の問題には今の国王が絡んでいる、ってことですよね?」
そう横槍を入れたのはネビだった。ナシェは僅かに肩をすくめて苦笑する。
「いきなり核心を突くなよ」
「時間をかけて説明していられる場合じゃないんでしょう? ……あ、申し遅れましたけど俺、バドゲット商会のネビ=ファス=バドゲットです」
「あ! 私は“伝説屋”の理乃=シェヌアです」
理乃は自己紹介すらしていなかったことに今更気付いて名乗りを上げた。ナシェはネビと理乃の顔を一度見比べて、それからふぅんと小さく唸る。
「バドゲット商会は知ってるが、“伝説屋”?」
「あー……深く気にしないでください、ただの屋号なんで」
「それで宝冠の盗難疑惑を掛けられたのか」
「そうかも知れないです……」
理乃はなんだかいたたまれなくなってうなだれ、ナシェはナシェで「“伝説屋”ねぇ……」と何やらひとりごちて小屋の窓から外を見ている。窓の隙間から風が入り、ルヴァとネビは何となくナシェの視線を追った。まだ色の浅い緑が城下町の方角まで続いている。
「じゃあ、俺の話を始めよう」
そう言ってナシェは少しだけ遠い目をしたのだった。
2年前の春のことだった。ナシェは当時の国王でもあった父親、ヤシェと共に国の西方にある山岳地帯を視察に訪れていた。冬には美しい銀世界を売り物として観光が盛んになるその地方は、暖かくなるにつれて訪れる人の数が減り、静かな山里へと変わる。しかしそれは同時に村の収入が減ることも意味しており、夏場の産業をどう発展させていくかが今後の課題となっていた。そこで国王は自ら村に赴き、地域の有力者と対話を行って今後の方針を詰めることにしたのだ。王子であるナシェも勉強を兼ねて旅に同行し、村での会合はそれなりに実りあるものだった。
ところがその帰り、急峻な峠を越える途中で2人を乗せた馬車が立ち往生してしまった。出発前の点検では車体に異常などなく、馬も朝から元気そのものだった。天候も落ち着いており気温もその時期にしては比較的暖かく、問題が起きるはずなどない道のりだったのだ。
しかし、どういうわけか馬はその場から1歩も動けなかった。そしてその時突然頭上から轟音が聞こえたかと思うと、土を巻き込み黒々とした雪の波が押し寄せてあっという間に馬車を飲み込んだのだった。
それからしばらくの間、ナシェは自分がどこでどうしていたのか分からなかった。気が付いたときには城の一室に監禁されており、そこで父王が亡くなり政権の交代がなされたことを知ったのだった。
「じゃあもしかして、今朝爆発のあった東棟の部屋っていうのは」
ルヴァの気付きに、ナシェはああと頷く。
「俺が監禁されてた部屋だ。爆発も俺だよ。逃げるために、ちょっとな」
「……さっきの拳銃といい、お1人じゃないんですね」
「そういうことだ、俺には協力者がいる。そいつに動いてもらってこの2年、情報を集めながら機会を窺っていたんだ」
「……知らなかった」
城に勤めていたルヴァとしては、自分の身近でそのような事態が起きていたことに気付けず悔しい思いがあるのだろう。一方、城のことなどほとんど何も知らずに過ごしてきた理乃としてはもう少し詳しい話を聞かないことには何も分からないというのが本音だった。
「あの、じゃあその馬車の事故って何か仕組まれたものだった……ってことですか?」
「そうだ。“協力者”に調べてもらって、その黒幕が分かった」
言って、ナシェはちらりとネビを見やる。ネビは納得顔で頷きながらその名を口にした。
「ハース=エルバ=ランダ=ラルニュイス、先代の国王の年子の弟。アイ・クーフ王国第13代国王にしてあなたの叔父上、ですね」
「……うわぁ……」
理乃が小さく呻いて顔を歪める。ルヴァは口元に手を当てて眉根を寄せ、国王の名を口にしたネビ自身も苦い顔でナシェを見た。ナシェはそんな3人の反応に少し考える素振りを見せ、やがて「そうだ」と頷く。
「それ以上の詳しい話はしないでおく。信じるかどうかはお前たちに任せるし、たとえ信じなくてもそれでお前達をどうこうする気はない。帰りたいなら帰ってくれ」
「帰ろうとしたら後ろから撃ったり、とかは?」
「しない」
ネビの問い掛けにナシェは苦笑で答えた。厳しい顔つきが緩むと一転、どこか幼い様子になる。あるいは彼はまだ理乃達とそう変わらない年齢なのかも知れない。
「王子が生きていたことを、国王陛下が隠していた。それは事実だろうな」
ぼそり、とルヴァが言い、理乃はその横顔を見る。付き合いの長い理乃でも滅多に見たことのない険しい表情は苦く、真実を見極めようと必死になっているように思えた。黙ってしまったルヴァの代わりに今度はネビが口を開く。
「だったらどうして国王はあなたを生かしておいたんでしょうね。嫌な言い方かも知れないですけど」
ナシェはそうだな、と頷いてどこか他人事のような口調でで言う。
「それは想像するしかないが。……きっとハースも分かっていたんだろう。自分が王として認められる器じゃないってことを。だから俺を利用しようとした」
「ナシェさんが今の王様の方につくって、そんなことあるわけないのに」
「……どうだろうな。1人だったらそうなっていたかも知れない」
訝る理乃に答え、ナシェは苦く笑ってみせる。城の中とはいえ1つの部屋に閉じ込められた毎日は想像以上に応えるものらしい。周りを見ても壁ばかり、見える景色は小さな窓からのそれだけ、話し相手すらも限られる。それは長く静かな拷問だった。
「でも“協力者”がいたから耐えられた、と。そういうことですか」
興味深そうにネビが言う。ナシェは頷き、「そういうわけだから、友達は大切にしろよ」とやや焦点のずれた訓示をくれた。ただ理乃としてはその言葉に感じ入るものもある。
ルヴァとネビが追いかけてきてくれたことは嬉しく、そして何より彼らが今ここにいることが心強い。そうでなければきっと今すぐ逃げ出したい気持ちでいっぱいだっただろう。2人がいるから、この理不尽でとんでもない状況でもまだ耐えられる気がした。
執筆日2011/05/19