⑸ また訳の解らないことを!
私と碧を乗せたタクシーは10分ほど走り、ホテルに着いた。
「ここならゆっくり飲めると思います」
碧はそう言ってフロントへ行った。
私と碧はこことは別のホテルの浴衣と、その上に着た羽織の恰好である。
ここのホテルマンからの視線を感じる。
碧が戻ってきた。
「スイートルーム、取れました」
「スイート?」
「スイートしか、空いてなかったもので」
私と碧は部屋へ案内された。
部屋へ入るなり、私は碧に言った。
「飲みに行きませんか? という話でしたよね」
「ええ、ですからここで飲みましょう」
……ホテルに連れ込んで、私が襲ったらどうするつもりだろう。
チェックインの手続をしたのは碧。
なにかあっても合意と見なされる事、わかっているのだろうか?
碧は明るく聞いて来た。
「主任は、何飲まれます? ウイスキー、ワイン、清酒、ビールがありますね」
「……では、ビールで」
碧は受話器を取り、フロントへ電話した。
「ルームサービスお願いします。ビール…4本と何か軽食……ああ、それでお願いします」
碧は電話を切って私に話しかけた。
「ここなら周りを気にせず、飲み明かせると思いまして」
私もソファーに腰を下ろした。
この大胆さはいかがなものか、私が聞いていた碧の噂と掛け離れているように感じる。
しばらくすると部屋のチャイムが鳴った。
「ルームサービス、お持ちしました」
部屋を開けるとメイドさんのような恰好をした女性が、オーダーしたお酒やグラス、軽食等を乗せたワゴンを運んできた。
「ありがとう」
運んできた女性は会釈して部屋から出て行った。
私はグラスにビールを注ぎ、碧に渡した。
「ありがとうございます」
そして、もう一つのグラスにビールを注いだ。
「では、みなさんが憧れる碧さんに……カンパイ」
碧も笑みを浮かべた。
「乾杯」
一杯目のビールを飲み干すと碧が話かけてきた。
「主任は、私の……どのような噂を聞かれているのですか?」
「そりゃもう、容姿端麗、頭脳明晰、品行方正、三拍子揃った完璧な女性だと」
碧は斜め下を向いて暗い表情で笑っている。
「数多の強者どもを蹴散らして……いえ、お断りして、誰一人として、お付き合いに辿り着いた者はいないと」
「……私は、モンスターですね」
「ああ、それで第1研では、ラスボスって呼ばれているのですか」
「……ラスボスって何ですか?」
「最後に出てくる最強のモンスターです」
「それは私、知りませんでした」
「噂なんて、本人の知らない所で広がっていくものですから」
碧は自分の持つグラスに目を落としながらつぶやいた。
「ラスボスかー」
「私は、頓挫していたプロジェクトを入社1年で立て直した偉業から、怪物、化け物と称されて、ラスボスって呼ばれていると思っていましたが」
「……プロジェクトの部長が、この問題は解決出来ないので、プロジェクトを白紙に戻したいといった報告書を所長に提出した時、会社の仕組みを知らない新人の私が解決してしまったもので、部長の立場を潰してしまったんです」
「……そんな事があったんですか」
「だから……実は私、第1研で孤立してるんです」
……そうか、部長がその結論をまとめたという事は、そのプロジェクトを担当した研究員すべての結論だったのだろう。
「碧さんは、私がこの社員旅行に不参加だった事、ご存じでしたよね」
碧は顔を上げた。
「はい」
「碧さんは、私にやっと会えたと言ってました」
「はい、私はあなたを追って、この会社に入りました」
「ええ? 私は貴女を知らない」
「はい、ですのでこのような所で、主任とゆっくりお話ししたかったのです」
「……はい」
「……私の大学の、後期論文での研究で、様々な方法を試みたのですが、目的とした結果を出す事が出来ませんでした」
「後期論文というと、博士論文ですね」
「はい。その時、私の研究に近い研究の論文を見つけました。主任が2年前、国際会議で行われた研究発表と提出された論文です」
私は瞬時、真顔に返った。
「私の論文を……読まれたのですか」
「はい……整然としていて……美しさのあまり、涙が溢れました」
「いやーあの論文の査読評価は、担当された方、2人ともアベレージでしたよ」
「あの論文、十分な理解、されていないと思います」
「いやーそんな事、無いと思います」
「私は、主任の論文から研究方法を改め、成果を出す事が出来ました。そしてドクタータイトルを頂く事が出来ました」
「それは良かったです。私としても嬉しいです」
「私は、あの論文を発表した会社と研究者を調べ、ここへ入社しました。そして主任の目に留まりたくて、この1年間、必死に成果を出してきました。しかし、社内での主任の評価は、あまり期待されていないようで……私は主任が担当されている研究内容を社内ネットで調べました」
「……調べたんですか」
「最初の印象は、それほど難しい内容でも無いように感じました。なのに1年以上かけて何の成果も出せていない。もしかしたら、あの論文は別の方が書いたものを、主任が自分の名前で発表したのではないかとさえ思い、そうであれば、色々と思う所がありました」
「……ですよね」
「私は仕事の合間をみて、主任が担当されている問題を検討しました。その問題を解決して、それを主任にお送りして、私は会社を辞めるつもりでした」
「……いや」
「そして、それに取り組んで1ヵ月ぐらいして、初めてこの問題の難しさに気付かされました。これ……解が無い」
「……気付かれましたか」
「その後、その問題が解決した報告を社内ネットで知りました。その報告書を読んで、私はあの論文を書かれた方は、間違いなく主任であると確信しました」
「……まあ、私の中でも、色々ありましたから」
「会社は主任の能力を推し測れていません」
「いゃあ、そんな事ないですよ」
「来年、私は第3研へ異動願いを出しますので、主任の下で仕事させて下さい」
「また訳の解らないことを!」
すると、碧は上目遣いで言った。
「ダメで……しょうか?」
うっ、この破壊力……私の全てを持っていかれる!
「さあ、今は碧さんと2人きりです。飲もう飲もう」
「はいっ」
ヤバかったー水瀬碧……恐るべし!
その後、明け方まで碧と飲み明かした。
そしてソファーに座ったまま、うたた寝してしまった。
目を覚ますと、碧は私の右側で、私に寄りかかって眠っている。
浴衣の胸元の奥に見える、控えめな胸の境界。
いきなり私の私自身が反応した。
これは……いかん!
こんなところを碧に見られたら、取り返しが付かない!
私は碧を起こさないようにソファーから離れ、冷蔵庫から冷たいジュースを取り出して飲んだ。
よーし大丈夫だ。
私の私自身がおさまって来た。
しばらくすると、碧も目を覚ました。
「おはよう」
「あっ、おはようございます」
「昨日は、飲んだね」
「はい、本当に楽しかったです」
私はここのホテル代を払うから、後で領収書を見せてほしいと伝えると、私が誘って勝手に注文したものですから、気にしないで下さいと言ってきた。
いや、そういう訳にはいかないと伝えると、では折半にしましょう。という事になり、領収書の写真をメールで送りますのでプライベートメールアドレスを教えて下さいと言われた。
私のメアドを送ると、碧は嬉しそうに受け取った。
碧は、私の前で両腕を上に曲げ、大きく体を伸ばした。
「えいっ」
そして私に飛び付いてきた。
「告白です」
私は慌てて言い訳をした。
「ハグ、ハグ、ハグ」
その後、チェックアウトを済ませ、タクシーに乗って社員旅行のホテルへ向かった。
部屋に着くと他の連中は朝食に行ったようで、顔を合わせる事は無かった。
私は朝食を取る気分でもなく、荷物をまとめてロビーへ行った。
みんな勝手に解散しているようで、私もホテルを後にした。
新幹線に乗って自宅マンションへ向かう。
この2日間、なんだったのだろう。
碧といい……綾乃といい……
明里さんが渡したナフタリンの結界。
しかしラスボスは、易々と侵入してきました。
明里さん。もっと強力なお守りを持たせるべきでした。
おじさんが好きな、白の……
次回:適当な話しを




