⑶ ラスボス
私の右後ろに人の気配を感じた。
その人影はスッと私の右隣に座った。
桃色の浴衣が目に入る。
女性である事は解るが、私にはこの会社に親しい女性はいない。
「昇進、おめでとうございます」
私はその女性を見て、固まった。
第1研究所のエース、水瀬碧女史。
顔は知っているが話した事はない。
博士号を持ち、入社後1年でとてつもない業績を上げた才女。
ここの研究所で博士号を持つ研究員は別に珍しくないが、彼女ほど入社早々活躍している人はいない。
5年前、第1研究所は大きなプロジェクトを起ち上げた。
しかし、いくつかの問題が解決出来ないで暗礁に乗り上げていた時、彼女が入社。
1年で問題を解決し、プロジェクトを立て直した。
彼女の事を、会社の上層部は救世主と呼び、第1研究所では、陰でラスボスと呼んでいるらしい。
そして、今ではほとんどの研究員が、いちもく置いている。
入社2年目という事で役職は付いていないが、10年後には第1研の所長と噂されている。
「あ……ありがとうございます……水瀬さんにお声掛け頂いて光栄です」
「わぁー私の名前……ご存じ頂けて、こちらこそ光栄です」
彼女は私に日本酒を注いでくれた。
私はそれを飲みながら言葉を返した。
「いゃあ、貴女は第3研でも有名ですから」
私は、飲んだグラスを御膳の上に置いた。
先ほどの新人女子が隣に座った時は、ひやかしの目で見ていた同僚も、相手が水瀬女史となると失礼な目で見ては大変と思い、一人一人軽く会釈して席を立っていった。
とは言っても驚きは隠せないようで、遠くからこちらを気にしている。
そのぐらい、彼女は特別な人なのだ。
プライベートに男性と接している所を見た者はいない。
容姿端麗、頭脳明晰、品行方正、まさに3拍子揃った女性。
身長は明里より少し高いくらいか、落ち着いた大人の女性だ。
今まで、何人もの実力者が真剣に交際を申し込んだものの、誰一人、お付き合いに辿り着いた者はいないとの噂。
私は社内の噂には疎い方だが、そんな私にも届くほどである。
「水瀬さんも、飲みませんか?」
「では、頂いてよろしいでしょうか」
彼女は徳利を置いて私のグラスを両手で持った。
えっ……。
体が固まった。
宴会場が一瞬静まり返った。
いや、単に鼓膜まわりの血圧が上がり、鼓膜を圧迫しただけだ。
冷静を装い、彼女のグラスに日本酒を注いだ。
彼女は一気に飲み干した。
「私『お酒好き』なんです」
「なんで、私に?」
「私、主任に興味あります」
「いやー男性をからかう趣味、あまり感心しませんよー」
「ようやくお会いする事が出来ました。昨年、この宴会に参加されませんでしたよね」
……ちょっとまて、私をマークしていた?
「私に、どういったご用向きでしょう?」
「主任と一晩、飲み明かしたいです」
「……ちょっと失礼」
私は席を立って宴会場から外へ出た。
がやがやした宴会場から1歩出ると、気持ちのいい夜風が吹いている。
頭を冷やして宴会場へ戻ると、私の席の隣に彼女はいなかった。
少し失礼な対応をしてしまったか……
私は食べ残した料理に箸を進めた。
やがて、専務取締役から締めの挨拶。
最後に一本締めをして、宴会はお開きとなった。
次回:はい、なんなりと




