逃走か、闘争か
クロキらは石壁から出ずに息を殺す。
ヘザーは石壁に右腕を向けると目を瞑った。
「1……」
ヘザーが数を数え始める。
「2……」
海底を囲む海の壁から微かに水音が響く空間で、少し高めのヘザーの声は意外にも良くとおり、そのカウントはクロキらにも聞こえていた。
「3……」
カウントの意味は分からないが、直感的に不吉なものを感じ、クロキはゴードンを引っ張って石壁の陰から飛び出した。
「ゴードン殿……!」
マックスが思わず出した声を聞いて、ヘザーが目を開けた。
「まだ、いるでしょ?」
ヘザーの表情と声にクロキの背筋が凍る。先ほどのカウントはこちらの人数を探っていたのか。で、あれば、「3」で飛び出したのは正解であった。
クロキはリタに出てくるよう促し、リタが緊張の面持ちでゴードンの後ろに立った。
三人をよく見ようと、銀髪の女騎士が一歩歩み出る。
「マックスさん、彼らは?」
そして細い眼鏡を手で直しながら、マックスに聞いた。
マックスは、チラリとその女騎士とヘザーを見て、
「彼らは私の護衛です、シアラ殿」
と言うと、銀髪眼鏡の女騎士――シアラが訝しみながらマックスを横目で見た。
実際のところ、マックスはクロキとは初対面であった。だが、この場を円満に納めるためには、そう言うしかなかった。
マックスは続ける。
「あまり部外者を近づけるのも良くないと思い、そこで待っているように言っていたものです。もし、支障があれば、下まで――」
「『これ』を知った者は、生かして返さない」
マックスの言葉を遮り、ヘザーは右腕から漆黒の球を打ち出した。
クロキは咄嗟にリタを蹴り飛ばし、ゴードンの頭を上から押さえつけ、ともに身を屈めた。
漆黒の球はクロキの背後の石柱に当たると、当たった部分から石柱を捩じ折る。
クロキは破壊された石柱を見て、
「退くぞ!」
と叫び、ゴードンとリタとともに階段を駆け下りようとした。が、階段の下には遺跡の調査から戻って来たメソジック帝国兵が階段を上り始めていた。
そして、その中に、メソジック帝国兵の白い鎧やローブとは違う色の装備をした者の姿があった。
「え……お、おい、え? あんた、何でこんなとこに……」
青いローブを纏った男の魔術師がクロキの姿を見て驚く。その男は、ダニ・マウンテンでディックとともにいた魔術師フェルナンドであった。その後ろには同じくディックの仲間の女騎士モニカの姿もあった。
ゴードンがクロキの前に出ると、
「あなたはアトリスの……あなたも捕まったのですか?」
と、フェルナンドに向かって叫んだ。
「あはは、そう……そう来るか」
モニカが苦笑していると、フェルナンドはクロキらの背後からシアラの銀色の髪が見えることに気付き、
「悪いけど、そういうわけじゃないんだよ!」
と、杖をゴードンに向け、水の鞭――ウォーター・ウィップ・テイルを杖の先から作り出して振り回した。
ゴードンは鞘に納めたままクレイモアで水の鞭を防御し、クロキは咄嗟に振り向いて、階上のシアラの足元を蹴る。
シアラが後方に飛びのいてクロキの蹴りをかわすと、クロキはそのままシアラとの距離を詰め、拳で顔面を狙い、シアラが身体を傾けてそれをかわすと、今度は腹を蹴ってシアラを後方へ吹っ飛ばした。
そして、リタとゴードンに合図を送り、二人を狭い階段から最上段に上がらせる。
その間にシアラとヘザーに気付かれないようにさりげなくケヴィンの姿を探したが、ケヴィンは見当たらない。一人で逃げたのか、それとも隠れているのかは分からない。しかし、今はケヴィンを気にしている余裕はない。とにかくこの状況を打開しなければならない。
クロキは、時間を稼ぐため、メソジック帝国兵が階段を駆け上がってこようとしたところを階上から蹴落として階段を渋滞させる。
この間にシアラとヘザーを倒すことができれば、逃げることもできる。
ふと、ヘザーがボソッと呟いた。
「あなたは行かないの?」
マックスはそれが自分に向けられたものであると即座に理解した。
マックスは眼を閉じて、大きく鼻で息を吸った。そして、ヘザーに手の平を向け、
「何か武器を」
と言うと、近くいた兵士が槍を手渡した。
シアラは細身の剣を使い、身軽に跳び回り、ヒットアンドアウェイを得意としていた。剣技は冴え、まさに蝶のように舞う。
だが、ヒットアンドアウェイはクロキも得意とするところであり、刀で剣と打ち合い、シエラが飛び跳ねてクロキから間合いを取ったところで、クロキは急に身を屈めながら滑るように距離を詰める。
そして、刀の柄の先端を握って間合いを伸ばし、シアラが着地したところを狙って脛を薙ぎ払おうとしたとき、槍を持ったマックスがリタに襲い掛かろうとしているのが視界に入った。
ゴードンの位置からでは間に合わない。クロキも動きを止めることができない。
「くっ……」
クロキは唇を噛み、結末を覚悟した。
クロキの刀が振り切られ、シアラは転倒し、血の流れる脚を押さえてうずくまる。革のレガースに阻まれ、切断まではいかなかったが骨には達した感触があった。
だが、そんなことよりもリタは—―
クロキの眼に映ったのは、黒いマントをたなびかせた鎧の男。その胸にはアトリス共和国の金の紋章。男は腕の中でリタを庇いながら、マックスの槍を剣で受け止めていた。
「ディック!」
クロキが思わず叫んだ。
ディックはリタを腕から放すと、マックスの槍の間合いに入って剣の切っ先を突き付けた。
「ディック……こんなところまで追って来たのか」
マックスは顎を上げて、見下ろすようディックを見つめた。
ディックは、ヘザーの持つ書簡のようなものに気付き、マックスを睨む。
「貴様……やはりメソジックと……」
剣の切っ先が震えた。
マックスはすかさず槍の柄で剣を弾くと、槍を手の中で滑らせて短く持ち、ディックを突いた。ディックは鎧の肩でそれを受けると、そのまま肩でマックスにタックルしたが、巨漢のマックスは岩のように動かない。
「マックス、あの女が持っている物は何だ」
「今の貴様に言うことはない!」
マックスはそう言うと、ディックの腕と鎧の首元を掴み、背負い投げをした。
ディックはマックスの腕を振り切り、マックスと距離を置いて着地する。
「「ディック!」」
階段を駆けあがって来たフェルナンドとモニカがディックの名を呼ぶ。ディックが二人を振り向き、切れ長の目を見開いた。
「お前ら……なぜここに」
「お前と一緒に遺跡調査をしていたろ、調査を手伝わされてんだよ」
フェルナンドがそう答えると。横でモニカが小さくうなずく。
「おい、どういうことだ」
クロキが二人の会話に割って入った。
「ディック、お前の目的は一体何なんだ。それに、何でアトリスの者がメソジックに同行している」
ついにクロキは疑問をぶつけた。
ディックが口を開こうとしたとき、先にマックスが口を開いた。
「ふん、話してやれば良いだろう、お前の選んだ道を、私情に任せた愚かな道を」
ディックが激高する。
「俺の騎士道を侮辱するか! 貴様のような逆賊がっ」
「逆賊だと? それは恩ある祖国を出奔し、不義理を何とも思わん貴様のことであろう」
出奔。クロキはディックの置かれた状況を何となく察した。
「ふざけるな! 恩ある将軍を暗殺したのはどこの誰だ、さあ、言ってみろ! それを逆賊と言わず何という!」
「これからの世界でアトリス共和国が存続するためだ」
「存続だと? だからそれを話せと言っている! 我が騎士道に不義という言葉はないぞ」
ここまでの二人の会話でクロキは粗方理解した。
後は、なぜマックスとフェルナンド、モニカがメソジック帝国と行動をともにしているかというかということだが――