~フリーター時代~
~フリーター時代~
すべてが順調だったわけじゃない。でも、私は公世のためにできることをいっぱいしてきた。だから、私の世界は公世を中心に動いていた。
そう、あの日が来るまでは。
あの日は公世がトップチームに入り、ベンチ入りもある程度安定してきた後だ。そう、U―18にも選ばれて、優等生なコメントを残した日の出来事だ。
その日はお祝いをしようと話していた。「外食する?」って聞いたら「みさきの手料理が一番だ」と言われたのでうれしかった。
なので、私は栄養価を考えながら献立を考えていた。量が多すぎてはダメ。無駄な贅肉をつけたら動きが遅くなる。公世はスピード重視なのだ。だから無駄なものをつけないようにしている。
でも、吹き飛ばされたらダメだからそのために体幹を鍛えている。徐々にわかってきたこと。こんなに食事って大事だと知ったのだ。面白い。もっとちゃんと学べばよかった。そう言ったら「落ち着いたら専門学校にでも行けばいい。でも今のままでも十分だ」と言われた。公世がそう言ってくれるのならそれだけでいい。
だから仕事が終わって、スーパーで買い物をして家に帰ろうとした。その時変な予感がしたんだ。だって、まだこんな時間に公世が家に来ることはない。古くて狭い所。それでも公世は何も言わなかった。そんなところに人が待っているのだ。私の家の前に。
近づくと誰かわかった。会いたくない人。そう、あの真っ赤な車に乗っている女だ。
「あら、意外と早かったわね。ちょっとあなたとお話しがしたいと思っていたのよ」
近くで見ると美人なのがわかる。雰囲気が怖い。
「なんでしょうか。これから私は料理を作らないといけないんです」
負けたくない。この人にだけは。昔から見てきている。公世とこの女の人との関係はわからない。けれど、私は公世の彼女だ。
「ええ、これからここに公世も来るのでしょう。だったらすぐにキャンセルさせて。公世は今日ここに来ない。それが一番なの。それを言いに来たわ。これはあなたのためでもあるのよ」
私は社会に出て知ったことがある。「あたなのため」というセリフは絶対に私のためではない。言い放った人のためになることは合っても私のためになったことはない。そういうものだ。
「どうしてですか?理由がわからない限り承服しかねます」
そういうこういう切り返し方も社会に出て学んだことだ。相手の要望にただ応じるだけがすべてじゃない。戦わないといけない時は戦うのだ。
「危険だからよ」
「私が危険ということですか?私は公世に危害なんて与えません。というか、あなたは公世の何ですか?ずっとあなたを見てきましたがあなたという存在が私にはよくわかりません」
私はずっと思っていた疑問をぶつけた。今までこの人を見かける時は公世が居たからこんな質問は出来なかった。私はこの人だけが怖かった。他の誰かは怖くない。特別でないその他だから。でも、この女の人。あの時あの真っ赤な車を見た時から感じていた嫌な思い。ここで払拭したい。
「関係ないわ。あなたには」
冷たく言い放たれる。
「関係ない人に何を言われても私にも関係ありません。ここは私の家です。用事がないなら帰ってください」
私はそう言って扉に鍵をかける。おかしい。鍵はかけたはずなのに鍵が開いている。
「中を確認させてもらっただけよ。気にしないで」
「気にするに決まっているでしょう。あなたはどういう権限があってここを開けたのですか?あなたは一体」
最後まで言い切れなかった。ものすごい勢いで吹き飛ばされた。いや、部屋の中に押し込められたのだ。
「遅かったか」
女の人の声が聞こえた。体が痛い。顔を上げると目の前に、扉の前に見たことない中年の男性が立っている。手には一升瓶を持っている。鍵をかちゃりと掛けた音がした。
「おお、久しぶりやないか。智子。元気しとったようやな」
離れているのにすごい酒臭かった。
「あなたにだけは会いたくなかったですね。こんなになるなんて思っていたら」
「なんや、結婚したなかったか。でもな、すべてを狂わしたのはあいつや。公世や。子が親を大事にするのは当たり前やろうが」
そう言ってキッチンをまさぐっている。
「やめて、ここは私の家よ」
私は叫んだ。高校時代は叫べなかったけど今なら声が出せる。それだけ修羅場をくぐったのだ。
職場の人にセクハラされそうになってもするりとかわせる。晩御飯に誘われてもちゃんと断る。食べたとしてもその後まで追いかけさせない。怖いときは公世に助けてもらう。ちゃんと計算をしていた。
このアパートは古い。壁も薄い。騒げば誰か来てくれる。
「なあ、嬢ちゃん。言っといたるわ。叫んで困るのは公世やろうな。俺という存在が知られる方が困るはずや。ばくち打ちの親父がいるなんて知ったらな」
「もう離婚してます。あなたは他人です」
女の人がそう言う。
「はあ、誰が書類に判押した。俺は認めてないやろう。お前らが勝手にやったことや。出るとこ出てもえんやで。俺は別にメディアの前に出て何話したって困ることはないんやからな」
そう言いながら冷蔵庫を漁り、勝手に食べ始める。手に大きな一升瓶。そして、キッチンから包丁を取り出してこっちに向けてくる。
「だったら黙っとけ。俺は公世にちょっと用事があって、ちょっと小遣いでももらおうかなって思っているだけや。後はそやな、ビジネスの話しがしたいな。オリンピックなんか掛け金いいからな」
私は一気に理解した。この人があの公世が言っていた父親。ということはこの横にいる人は公世の母親だったのか。なんで、こんなに若いのだろう。
「ごめんなさいね。あなたを巻き込みたくなかったの。でも、公世がいる寮は規制が多い。ここならと思っていたみたい。特に今日のニュースを見てやってきたの。今まで何度か私が対応していたのだけれど、もう無理だったわ」
「そうだったんですね。すみません」
小声でそう話し合う。
「おい、お前ら。暇やのう。ちょっと服でも脱いで盛り上げろ。まあ、嫌なら別にいいんやで。ちょっと一人のサッカー選手の人生が終わるくらいや。まあ、人生終わったと思っても意外となんとかなるもんや。智子。そやろう。俺にまた金恵んでくれよ。
前みたいにな。それとも、あんたらをどっかに売りとばした方がいいんかな。どっちがええ?俺は金がいるんや。今回のことを先掛けで勝負したんや。ちょっとついて無くてな。負けこんでもうたんや。だからな、ちょっと金いるんよ。別に公世じゃなくてもええんや。お前ら二人売りとばしたらそこそこ金になるやろう。品定めしたろ。脱げ。そっちの若い方や。脱げ」
そう言って、近づいてきて包丁を私の首あたりから下に力いっぱい降ろされた。
服がびりびり破ける。ちゃんと魚をさばけるように包丁を研いでいたのがあだになった。
「あ~、ちょっと傷ついてもうたか。でも、肌も白いし良い感じやな」
そう言って胸をわしづかみにされる。
「まあ、胸もそこそこありおるしこれは上玉や。おい、騒ぐなよ。まちがえてもうてつい包丁ささってまうかもしれんからな」
包丁の冷たさがひだを伝わってくる。ブラも切られた。何か所か刺さって血が出ている。
「やめてあげて。その子は公世の彼女なのよ。あなたはそれでも親ですか?」
「ああ、親や。子は親を支えるためやろう」
「だからめぐみをあんな目にあわせたのですか?」
めぐみ。そういえば公世には妹がいると聞いていた。だが、公世から家族の話しはこっちにきてから全然聞いていない。
「ああ、めぐみはよかったな。あいつは金になった。公世とは別の意味で役に立ったな。この嬢ちゃんも同じや。金になる。大丈夫。安心せえ。こわない。なんやったらここで相手したろか」
その時、扉が開いた。そこに公世が立っていた。公世の顔色が一気に変わる。
「おい、お前何している?その手を離せ」
「おいおい、それが父親に言うセリフか?まあ、この子が傷だらけになってもかまわんかったらそのままいきりたっとけや。ちょっと俺金がいるんや。金、金、金。ちょっと500万くらいや。すぐやろ。お前やったら。はした金やろう。な。だから、穏便に済ますつもりがあるんなら払ってくれんか」
私のほっぺたに包丁をあてながら話してくる。怖い。でも、公世にこんなことさせたくない。
「・・・ぶ、・・・公世、私大丈夫だから」
私は泣きながらそう言った。怖いけど、公世には助かってほしい。公世はこう言った。
「金を用意したらいいのか。だが今はない」
「今すぐや。お前が用意でけへんかったらこの嬢ちゃんはもらっていく。売りとばして金にする。500万くらいすぐにこの子やったら稼げるやろう」
私は膝ががくがく震えた。どうしたらいい。どうすればいい。公世。私どうしたらいい。強くなったはず。なのに声が出ない。そうか、わかった。
「公世、私は大丈夫。だって、傷物にされない。ここで私が傷つけば私は売りとばされない。だから、助けて」
公世はにじり寄ってきた。その時公世のお母さん、あの女が転がっていた一升瓶を手に持ってお父さんの頭を殴りつけた。
「ああ、痛いやないか。智子。何してくれとんねん」
そう言って包丁をまっすぐ女の首に突き刺した。あたりが真っ赤に染まる。むせ返る血の臭い。
「きゃぁぁぁぁぁ」
私は叫んだ。うつろな女性の顔が私の目の前にある。血が私にもかなり降りかかっている。
「俺は本気や。今日金を持って帰らな俺はもう終わりなんや。お前と違って終わりなんや。わかったか。金をよこせ。じゃなきゃこいつを持ってかえる。今すぐ金ないならおろしてこいや」
ダメ。こんな要求を聞いたらずっと続く。
「公世、聞いちゃダメ。私は大丈夫だから、大丈夫、だから、から、ら」
自分に言い聞かせる。公世のため。私ならできるはず。私は立ち上がって歩いていく。
「いいわ、私が行けば公世が自由になるならそれで」
「頭のいい嬢ちゃんでよかったわ。でもまあ、これからもちょくちょく公世には会いにくるけれどな。なんせ親子やから、な」
それだと意味がない。
「それはやめて。私が稼ぐから。だから公世には、やめてほしい。公世は、公世にだけは」
私は懇願した。公世の父親にしがみついた。
「やかましいわ」
弾き飛ばされた。目の前では包丁を振り回している大男がいる。でも私は畏れない。はずだった。でも手でやっぱり顔を隠してしまう。腕が熱い。痛いじゃない。熱いんだ。切り刻まれている。でも、公世は守らなきゃ。
「やめろ」
そう言って公世がタックルをする。ダメ。公世に怪我はさせられない。でも、二人は狭い部屋の中をもみ合っている。動きが止まった。公世が立ち上がる。
「出て行け。お前なんか知らない」
そういう公世の手には包丁が握られていた。だが、公世もあの父親も真っ赤だ。血だらけだ。包丁も。
「あきらめんからな。俺は。また来る」
そう言って出て行った。
私は公世に近づく。
「大丈夫だったか、ならいい」
公世はそう言いながら私に倒れて来た。血が流れている。大量に。公世のお腹から。
「すぐに救急車呼ぶから」
病院に搬送されるまでもなく公世は息を引き取った。最後に言われたセリフは
「わらってくれ。笑顔を見ておきたい」だった。
病院では私の腕も胸にも傷があったので治療を受けた。
翌日のニュースは公世で埋め尽くされた。血だらけの公世とその母親。スキャンダルが大好きなワイドショーは好き放題取り上げていく。
学生時代の友人ということであのおでこ会長が写っていた。
「ああ、結構学生時代から評判わるかったですよ。女の子とっかえひっかえして。今回のニュースを聞いても自業自得だと思いました」
公世がどんどん悪者になっていく。賭博や不正にかかわっていたのではとの話しも出た。死んでしまったのに公世は悪く言われるだけ。私はもうつらかった。
住まいには戻れなかった。ニュースで取り上げられた場所。その場所に私は戻れない。
そう、私の時はあの時に止まったのだ。




