第十二話 ネーベルモート帝国
魔女が生きているのだと確信するに至ったきっかけは、とある兵士の証言だった。
曰く、戦場にて黒きものの奇跡を見た、と。
ネーベル王国上空を滑空する、一匹の黒き兵器を見たという。そう証言したものは決して一人ではなく、その時付近の戦場に立っていた兵士皆が口そろえてそう言っていた。
ネーベル王国は、魔女が死んだと偽って反撃の機会を狙っていたのだと気が付いた。そして、国々は魔女を躍起になって自分たちの味方に引き込もうとしたのである。
しかし、隠密部隊にネーベル王国を探させても魔女の陰すらつかめなかった。魔法を使って、姿を隠しているのだろうか。それならば、と国々はネーベル王国内へ届くように声明を出した。その国にいるより、こちらの国へ来るならば、今よりもっと良い生活をさせてやると、どこにいるとも知れぬ魔女へ向かって口をそろえて言い募った。
魔女は来なかった。
どれほどの好条件を示しても、魔女は見向きもしなかった。
そして、再び、あの希望が今度は確かな悪夢となって降り注いだ。
誰もが予想していた、しかし、決して怒らないでくれと願っていた。しかし、無情にも黒い悪夢は、国々を襲ったのだ。
ネーベルモート帝国は、大陸一の巨大国家である。
とはいってもこの国が建国されたのはごく最近であり、国としてはまだ年若い。しかし、それを感じさせない力強く力を増している国だ。
国主であるモルト帝は城の自室でワイングラスを傾けていた。
今宵は冷える。この底冷えするような寒さが、モルトには心地が良かった。自分の人生の大きな分岐点、それもこれ以上ない程の幸福への分岐点を思い起こさせてくれるからだ。
かつて、とある国で大臣を務めていた日々を思い出し、くつくつと一人笑いをしてしまう。あれは、なかなかに愉快な時間だった。自分よりも明らかに弱いものに使えるというのは、めったにできない経験だったと思う。自分に訪れた好機を何の疑いもせずに受け入れる様子も滑稽だった。力なきものとは、ああも無知になれるものなのかと笑いをこらえるのが大変だった。
傍らに置いてあるベルをからんと一つならせば、黒い影に包まれてワインの瓶が飛んでくる。何のためらいもなくそれを受け取ったモルトは、再びワインを楽しみ始める。
彼は、この帝国で絶対の地位についている。それは、決して脅かされることがない。彼の持つ力は、この世の何よりも強大なもので、逆らおうとする者はいなかった。第一、逆らわなければ彼は立派な指導者であったし、国民も何不自由ない生活が出来ているため逆らうものはいなかった。
帝国の名を、ネーベルモート帝国。かつて男が仕えていた王の国の名を貰ってつけられた。鉱山地帯を取り囲むような形をとるこの帝国は、大陸最大ともいわれ他国から決して侵略されない強国であった。というのも、この国にはとある不穏な噂があるのである。
《かの帝王は、怪しげな魔術で黒い魔物を操るとか。それはかつて栄華を誇ったグランツ王国を滅ぼしたものであり、人間の作り出す兵器では傷つけることはできないという》
その黒い魔物というのは、正しくは彼が生み出して使役しているため、魔物という呼び方は適切ではない。しかし、そういった方面に詳しくない者たちに言い聞かせても恐らく理解できないし、しようともしないだろう。
モルトは笑う。
我が一族の悲願は果たされたのだ。
法螺を吹く愚か者たちだと蔑まれたあの日々を、モルトは一生忘れることはないだろう。そして、それと同時に自分の手に踊らされて滅んだ国々のことを思い出し、少し心を落ち着かせるのだ。
これは、一つの国の物語。
誰よりも国を愛した愚かな王の物語。
国の危機と信じて立ち上がった無知な国民の物語。
現状を打破するためと一歩踏み出した王の物語。
全てを見据えて操った、一人の男の物語。




