第1話 三年二組 村上美沙①
異世界転移なんて非現実的なことが起きたとき。
言い訳じゃないけど、私はすっごくお腹がすいていたのだ。
***
「皆さん! 窓の外を見てください! ほら、桜の花びらが散っていますね! これが『無常観』なのです! ああ、『無情』ではないですよ。『常、ならず』ね!」
黒板の前で、永倉先生が口から唾を飛ばす勢いで力説していた。
私は、窓の外……運動場のほうに、ちらと視線を流す。
桜の花びらが、これでもかっ! という勢いで、春の強い風に吹き飛ばされて、盛大に、バサバサバサ~っと、舞っては落ちていた。
……うわー、すっごい。花吹雪にも程があるわ~。
運動場の隅にもっさりと寄っている大量の花びら。キレイというよりは、まるでゴミのようだ。
まあ、でも……、今の私には桜の花びらの末路などどうでもいい。
今……、そう、四時限目。
つまり、昼休み前。
私はお腹がすいているのである……。
「はい、視線を教科書に戻してね! 『三代の栄耀一睡のうちにして』ここで言う『三代』は『奥州藤原氏の三代』ですよ! 長い栄華も一瞬の夢のように過ぎ去っていく! 常ならず、であって……」
永倉先生は力説を続けるけど……ううう。お腹が鳴りそう……。女子中学生、授業中の教室で、お腹が鳴ったら、恥ずかしい。
古文の文章通りに『栄耀』が『一睡のうちに』って感じで、瞬時に時が過ぎるのならば、四時限目の授業時間もさっさと終了になってほしい。
ぐっとお腹をへっこませたり、唾液を飲み込んだりしてみたけど。……も、もう、お腹が、鳴りそう……ううううう。
ちらと、黒板の上の時計を見る。
……まだ、十一時五十九分。
時間よ、さっさと進め!
無理なのはわかっているけどさ!
四時限目の終了は、十二時十分。
あと約十分間。
耐えるのよ、私……。
時計を睨む。
秒針は動いている。
あと数秒で十二時ちょうど。
ううう……、待つ時間は長い。
……と、ため息を吐いた途端に、私のお腹が「ぐぐぐぐぐー」っと音を立てた。
ぎゃああああ! クラスのみんなから笑われる! かも!
青ざめかけたところで、どういうわけか「リンゴーン!」と、教会の鐘のような音が、教室内に鳴り響いた。
何?
何の音?
校内放送とか?
クラス内がざわざわとして、永倉先生が「みんな、静かに!」なんて声を荒げて。
私は……、ああ助かった、私のお腹の音が、クラスのみんなに聞かれずに済んだー……なんて、息を吐いたんだけど。
いきなり、誰かが叫び声を上げた。
「ああああああああああああああああああ!」
彼女は……ええと、保健委員の渡辺さんだ。渡辺さんは立ち上がって、窓際の前のほうを指さした。
「き、消えた! 相川君が……!」
消えたって、何?
渡辺さんの声につられて、みんなが相川君の席……窓際の一番前の席を見る。
誰もいない……けど、って……あれ?
相川君って、今日、欠席だったけ?
それとも、気が付かないうちに、教室の外にでも出ていたのかな……?
私は呆けて。
きょとんと首を傾げたけど。
渡辺さんは、パニック状態で、「消えた、消えたの!」と繰り返している。
永倉先生がおろおろと「渡辺さん、落ち着いて……」って言っているけど。
そうしている間に、また「リンゴーン!」と教会の鐘みたいな音が鳴り響いた。
「あ……、えええええ⁉」
今度は堀田さんが叫んだ。
「い、井上君がっ!」
相川君の隣の席……井上君の席を見る。
……いない。
「さっきまで、席に座ってたのに! い、いきなり……、き、消えて……」
また「リンゴーン!」と鐘の音がした。
そして、私も見た。
ろうそくの火が消えるみたいに、ふっと、上野さんの姿が消えたのを。
えっと……、人間って、いきなり消えるモノだったっけ?
呆然としている間にまた「リンゴーン!」と鐘の音が響く。
次に消えたのが遠藤さん。
「リンゴーン!」
奥田君が消えた。
「リンゴーン!」
加藤さんが消えた。
「リンゴーン!」
木下君が消えた……。
鐘の音が鳴ると、一人消える……みたい。 何だろう、これ……。何が起こっているんだろう?
「また消えた!」
「何なのよ! いったい何なのこれ!」
「お、オレも消えるのか⁉」
「いやああああああ!」
叫ぶクラスメイト達。
「落ち着いて、落ち着いて! み、みなさん、落ち着いて!」
永倉先生が繰り返すけど、多分、先生もパニックだ。
「リンゴーン!」
また、一人消えて……。
鐘の音は、四時限目の授業の終わりを知らせる「キーンコーンカーンコーン」という間の抜けたチャイムの音が響くまで、繰り返された。
私は時計を確認する。……十二時十分。
クラス委員長の広崎さんがいきなり立ち上がって、教室の外に走って行った。
堀田さんと本田さんが、お互いの手を握り合ってガタガタと震えていた。
松本君は「嘘だろ何なんだよ」とぶつぶつ言いながら、教室内をきょろきょろと見回している。
永倉先生は教卓の横でへたり込んでいた。
私はといえば……、非現実的な光景を目にしても、お腹は鳴るんだな……なんて考えていた。
現実逃避しているだけ……かもしれないけれど。
だって、今見た光景が信じられない。
「まさか、これ、異世界転移か……?」
隣の席の緑川君が、言った。
メガネをくいっと持ち上げて、しげしげと教室内を見ている……まるで観察しているみたいな顔。少しだけ、嬉しそうな顔……にも見えるけど。ええと?
「緑川君……。異世界転移って、何……?」
とりあえず聞いてみたのは、パニック状態の教室内でたった一人、緑川君は冷静のように見えたから。
「ああ、村上さんってラノベとか読まない人だっけ?」
「えっと……」
「ライトノベル。マンガでもアニメでもいいけど」
「あ……んまり、読まない……かな?」
私には二歳年上の兄が一人いて、高校ではマンガ研究会とかに所属して。だから、我が家のリビングで、流行りのアニメを兄が見ていることはよくあるし、そのアニメについて、兄が鬱陶しく語って来ることもあるけど……。
自分から、好んで読んだりはしない。
うっかり読んだりしたら、兄の鬱陶しい解説だの感想だの魔法の呪文だのを延々と聞かされるから……。
「ラノベやマンガの世界ではよくあるんだよ。僕たちが住む日本とは異なる世界がある。魔法やスキルなんてものがあって、魔王を倒すとか、ダンジョンを攻略するとか」
「えっと、ファンタジーの世界の……お話、だよね」
「うん、そう」
目をキラキラと輝かせている緑川君。
クラスメイトが消えたというのに、この目の輝きは……ええと。
「異世界に魔法使いが居てさ。その魔法使いが、僕らの世界から勇者とか聖女とかを召喚して、異世界のほうで活躍させるってパターンの物語がたくさんあるんだよ!」
言いながら、緑川君はごそごそと鞄の中から、何冊かの本を取り出した。
「今日図書館に返そうと思っていた本なんだけどさ。異世界転生とか異世界転移とかの本」
緑川君は、机の上の古典の教科書やノートをさっと机の中に仕舞って、今取り出した本を並べた。
私はその本の表紙を見てみた。
「えっと『異世界転生したのにチートなし⁉』『ブラック企業で疲れた私は世界転移を希望する』『異世界で魔法騎士になりました!』」
あ、ああ……。兄も読んでいたかも。本の表紙のイラストに見覚えがある……。
つまり、緑川君は私の兄と、同類……。
親近感というよりは……、ウザい。
ウザいけど。
クラスメイトが目の前で消えるなんて非現実な出来事があった後では……、このウザさに……、なんとなく安心感を覚えてしまう……。
「えっと、つまり、緑川君は、消えたみんなは、異世界という場所に呼ばれたって考えているのね?」
「うん、そう!」
もう一度、クラス内を見る。
何度見まわしても、消えたクラスメイトは消えたまま。
頬をつねってみても、消えたまま。
つまり、異世界かどうかは分からない。けど、クラスメイトが消えたという事実は変わらない。
どうしよう……と、思ったところで、また、私のお腹が「ぐぐぐぐぐー」と鳴った。
……私って、図太い神経の持ち主かな。
それとも……、それだけお腹がすき過ぎているのかな?
緑川君のおかげで落ち着いたのかもしれない。
分析はともかく。
私は通学用の鞄を開けた。
今日の弁当はおにぎりだった。朝、母が「シャケおにぎりと昆布のおにぎり、どっちがいい?」って聞いてきて、私は「両方」と答えたのだ。
とりあえず、昆布のおにぎりを取り出す。
巻いてあるラップをはがして、大きな口を開けて、がぶっとおにぎりに食らいつく。
「えっと、村上さん……?」
緑川君が呆れたみたいな口調で私を呼んだ。
モグモグと咀嚼をして、ごっくんと飲み込んでから、私は緑川君に言った。
「本当に異世界転移とやらが起こっているのか、私には分からないけれど」
「うん」
「四時間目終了のチャイムは鳴った。もう昼休み。授業は終わりで、お弁当を食べる時間」
「う、うん」
「この状態をなんとかするのは教師の仕事であって、生徒の私の仕事じゃない」
「そ、そう……かな?」
「パニックを起こしたり、呆然としたりもアリだけど、私はお腹がすいているの」
緑川君の口元がひくりと動く。多分「マジか⁉」とか、そんな感じで。
「それに、目の前の光景が、空腹による妄想だとしたら、まずはお腹を満たさないと」
「えええええー⁉ そーくるの? 妄想じゃないでしょう! 現にクラスメイトの半数くらいが消えているんだよ⁉」
「現実だとしたら、他の先生とか警察の人とかに説明を求められるかもしれない。お腹がすいたまま、事情聴取なんて、体がもたない。今の私にできることは、冷静さを保つことと、事情聴取を乗り切れる体力と気力を維持すること。したがって、空腹は敵」
「そーだけどさあ……」
呆れ顔の緑川君は無視して、今度はシャケおにぎりを取り出した。
パクリと一口。
もぐもぐもぐ。
水筒を取り出して、麦茶も飲む。
「……村上さん、心臓強いねー」
強くは、ない……と思う。
緑川君が落ち着いていたから、私もつられただけだよきっと。
もしくは怖さを凌駕するほどに空腹なのかも。なんて。
「まあ、でも。僕も食べておくか。腹が減っては戦はできないしね!」
緑川君はサンドイッチを食べだした。
私と緑川君が食べ終わった頃、バタバタバタと、複数人が廊下を走る音が聞こえてきた。
広崎さん。クラス担任の近藤先生。学年主任の沖田先生。
へたり込んだままの永倉先生じゃ、どうにもならないのかと、対応可能な先生たちを呼びに行ったのか。
広崎さんすごい。偉い。さすがクラス委員長。
近藤先生が、教卓に寄り掛かってへたり込んでいる永倉先生の肩を揺する。
「何があったんですか! 大丈夫ですか⁉」
「あ、あ、あ……」
永倉先生は、まともに返事もできていない。
沖田先生は、最初に、一番ひどいパニック状態で泣いている堀田さんと本田さんの頭をポンポンと撫でた。
「大丈夫だからな、落ち着いて。ゆっくり息をしろ」
「せ、せんせい……」
「いいから、大丈夫だ。な? ハンカチあるか? 涙、拭けよ」
「は、はい……」
堀田さんと本田さんが震えながら、それでも沖田先生に言われたとおりにスカートのポケットからハンカチを取り出して、顔を拭った。
「うんうん、偉いぞ」
沖田先生は、もう一度堀田さんと本田さんの頭を撫でて。
それから、クラス中に響く声で、言った。
「とにかく大丈夫だからな! まずはみんな落ち着いて! 深呼吸だ! ほら、吸って~、吐いて~」
沖田先生の大きな声につられるように、私も緑川君も、他のクラスのみんなも、深呼吸を繰り返した。
「よしよし、落ち着いたな。大丈夫だ。落ち着いていれば、何とかなる!」
沖田先生は力強くにっかりと笑うけど。
なんとかなる……とは思えないんだよね。
だって、いきなりクラスメイトが消えたんだもの。
私は右手を上げた。おにぎりを食べたから、ちょっとだけ思考もまともに動きそう。
「沖田先生」
「お、何だ?」
「この教室で、今、私たちの身に起こったことは、実に非現実的なことなのですが。まとめて言えば、クラスの約半数が、鐘の音と一緒に消えました」
「は?」
「とりあえず、私と緑川君は冷静です。先生方を呼びに行った広崎さんも、きっと判断力に優れています。だから、この三人で事情は説明できます」
広崎さんを見る。
パニックを起こして、廊下に飛び出したのではなく、この場を収める行動を、さっさと起こしたさすがのクラス委員長だ。きっと大丈夫。
広崎さんも私を見て頷いた。
「パニックを起こしている永倉先生や堀田さんや本田さんたちは保健室へ連れて行ったほうが良いと思います」
「あ、ああ、そうだな」
パニック寸前の相手から聞き取り調査をするのは大変だろうし。
私と緑川君と広瀬さん。三人いれば、今起こった非現実的な出来事を説明くらいはできるはず。
沖田先生は頷いて「近藤先生! 永倉先生たちを保健室に連れて行ってもらえますか?」と言った。
近藤先生が「はい、わかりました」と頷く。
「ええっと……、おまえさんは……」
「私は村上です。村上美沙」
クラス担任ならともかく、学年主任の先生じゃ、生徒全員を個別に認識はしていないよね……と思って名乗ってみた。
「じゃあ村上と緑川と広崎は学年主任室に来てくれ」
「はい」
「わかりました」
「残りの生徒は近藤先生と一緒に保健室に行け! 保健の原田先生にあったかいお茶でも飲ませてもらえ!」
沖田先生の大声に、私と緑川君と広崎さん以外のクラスメイト達が、近藤先生と共に廊下に出る。
「じゃ、行こうか」
「はい」
私たちは沖田先生と共に、学年主任室に向かった。廊下に出てから、教室内を振りかえって見てみた。
いきなりクラスメイトの半数が消えるなんて、非現実的なことが起こったとは思えない、いつも通り、机と椅子の並んでいる、ただ生徒がいないだけの教室が、そこにはあった……。
■新連載です。よろしくお願いします。
キリがいいところまでガッと投稿して、書き溜めた後、次の視点者での話を投稿という形をとっていきます。
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『「お姉様はずるい」と奪うのなら、対価は払ってもらいます~不遇令嬢は二度目の人生を復讐と人外からの愛に生きる~』マンガボックス様にてコミカライズ、連載中。
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