強大な力
残暑の熱に蒸される感覚で自分の輪郭を思い出した。
ざわざわと人の声が聞こえてくる。
忙しない足音や気だるげな自動車のエンジン音。
遠くで5時のチャイムが鳴り、一気に目の前の景色が明瞭になった。
「ここはどこでしょうか」
葉月さんが辺りを見回している横で、私は呆然と呟いた。
「帰ってきたんだ……」
そこは見慣れた街中だった。
ご丁寧にも人目のつかない路地に転送してくれたらしい。
細い道の先で、人や車が横切っていくのが見える。
「ここ大学から一駅行ったところの、良く通っていたカフェがある通りです」
「なるほど。それでは神崎家の近くというわけではないのですね」
「はい、家までは電車で10分くらいかかります」
はて。私たちは顔を見合わせた。
神様の話では家の前に送られる予定になっていたはずだ。
「神様、転送場所を間違えたんですかね」
「それはあり得ません。でも、そうですね、なにか予期せぬことが起こっているのは確かかと」
私と葉月さんは口を引き結んだ。
自分や周囲に異常がないか確認し、首を傾げる。
とくに目に見えて変わったことはない。
あるとすれば葉月さんが人間の見た目になっていることくらいだ。
これもおそらく神様の手によるものだろう。
「……とりあえず家に向かいましょうか」
「ですね。ここに居てもなにも始まらないですし」
葉月さんの提案に頷きながら、嫌な緊張感に胸が焼きつく心地がした。
この感覚は、自分の存在がこの世界で歓迎されていないような、そんな居心地の悪さに似ている。
転送の最中に変えられた服装のせいかとも思ったが、私も葉月さんも一般的な現世の服を身にまとっているので関係ないだろう。
(ていうか、これは多分……)
私は大通りと路地の境に立ち、目の前の景色を視界に入れた。
目的地に急ぐ人々は、急に現れた私たちのことなど気にも留めず、それぞれの道を歩んでいく。
きっとここに知り合いの誰かが通りかかっても、同じように素通りするだろう。
麗も明日香も翔月も、泰智も拓真も、宮川さんも。
この世界に私を覚えている人は誰一人としていない。
それを覚悟の上で媒介となったのだが、やはり実際に現世に降り立ってみると辛いものがあった。
居心地の悪さの正体はこれだろう。
(クヨクヨしてても仕方ない。皆が無事ならそれでいいじゃん……って思おう)
私と葉月さんは往来の途切れ目を見つけて路地から抜け出した。
駅のある方向に足を踏み出す。
すると5メートル先にカフェ・エトランジェの看板が見えた。
レトロお洒落な外観で、アンティーク調のドアには金のベルが取り付けられている。
ふと、そのドアベルが大きく揺れた。
カランコロンと小気味よい音を立てて扉が開く。
出てきた人物たちの横顔に見覚えがあり過ぎて、私は思わず立ち止まった。
隣で葉月さんも同じように足を止め息を呑む。
「みんな……」
待ちゆく人々が邪魔だと言わんばかりの一瞥を寄越しながら、私たちを避けて歩いていく。
けれど私たちに周りを気遣う余裕はなかった。
なんの因果か、エトランジェから出てきたのは、あの北海道旅行に集った5人だった。
「いやぁ、相変わらずヤバイ味してたわ」
「翔月お前、そう言っておいて実は少しハマってるだろ」
「あ、やっぱ泰智もそう思う?」
カラカラと笑っていた明日香が、私たちの視線に気づいた様子でこちらに目を向けた。
つい顔を伏せそうになるのを堪え、無駄だと思いつつ見つめ返してみる。
けれど案の定、明日香は気にすることなく視線を戻した。
街の喧騒が大きくなり、人の動きが速くなって、ようやく自分が動揺していることに気づく。
「結奈さん、行きましょう」
感情の押し殺した声が上から降ってきた。
じんわりと汗の滲んだ手がすくい上げられて、手を引かれる。
陰りのある金の瞳は鋭く眇められ、世界という強大な敵から私を守ろうとしてくれているように見えた。
私は手を握り返し、なるべく平静を装って彼らの横を通り過ぎる。そのとき。
「あっ」
翔月が小さく声を上げた。
いつもしっかりしている彼らしくない、少し抜けた反応だ。
次の瞬間、麗と明日香の手が私の腕に届いた。
「結奈っ!!」
ふたりの声が戸惑いを滲ませながら自分の名を呼んだ。呼んでくれた。
驚いて振り返ると、同じように驚愕し目を見開く友人2人と目が合った、
「なん……で……」
気の利いたセリフのひとつも言えず、ただ、ひたすら困惑した。
道の真ん中で立ち尽くす私たちを、葉月さんがやんわりと端の方に誘導する。
男性陣が合流したところで、躊躇いがちに明日香が口を開いた。
「なんでだろ。私、今の今まで結奈のこと忘れてた。ごめん、いま私、結奈のこと無視しちゃったよね」
「私も急に思い出した。結奈が世界を救うために別の世界に行ったことも、自分が……一度死んだことも……」
「いやほんと、なんだこれ。なんでこんな大事なことを忘れてんだ、俺」
明日香に続く形で、麗と翔月が頭を抱えている。
私はその様子を見て冷静さを取り戻した。
それと同時に、また皆と言葉を交わすことができたという事実に喜びが湧き上がる。
けれどそれを素直に表情に表すことはできなかった。
軽くパニックに陥っている友人たちを落ち着かせるため、私はすぐに気持ちを切り替えて説明を始めた。
現世が一度崩壊し、修復され、その過程で自分の存在が現世から消えてしまったこと。
現世の存在を確実なものにするべく、媒介として現世に戻ってきたこと。
私のことを忘れていたのは普通のことで、むしろ思い出してしまったことの方が異常事態であること。
拙い私の説明に、たまに葉月さんが補足を入れてくれて、なんとか皆の理解を得ることができた。
そして話は「なぜ思い出せたのか」という話題に移った。
「私は以前、世界の理に反して皆さんに本当の姿を見せました。そのとき私と皆さんとの間に、特異的な縁が結ばれたのです。此度のことは、その稀有な縁が要因でしょう」
葉月さんの見解を聞いて、明日香がパッと顔を明るくした。
「それってつまりさ、神様の力よりも私たちの友情が勝ったってことだよね!」
「いや違うだろ。神様が葉月くんと俺たちの間に結ばれた縁を切らなかったから、いま例外的にその縁が繋がって、俺たちは思い出せたんだろ」
拓真が冷静にツッコミを入れる。
それを聞いて、麗が「でも」と思案顔で口を開いた。
「巡り巡って私たちの起こした奇跡よね、これ。だって神様は感知していなかったんでしょう?」
「ええ。私が本来の姿に戻ってみせたとき、神様はかなり弱っておられましたから。全知全能なはずの神様が”知らない"のは前代未聞な事態です。何が起こったとしても不思議ではありません」
私たちは恐れとも興奮とも言えぬ、妙な気の高ぶりを胸に抱き沈黙した。
今この世界で、ここにいる7人だけが正しい記憶を持っている。
その事実をどう受け止めるべきか、各々が自問していた。
私も、そして恐らく葉月さんも、皆と言葉を交わせる喜びを感じているが、死の記憶を思い出させてしまった罪悪感でまったく口角が上がらない。
そして麗たちもまた、再会を喜んではくれたものの、複雑な気持ちを抱えているだろう。
長い沈黙ののち、麗がなにか思い当たった様子で顔を上げた。
艷やかな黒髪をかきあげた彼女は、私と葉月さんにしっかりと目を合わせて口を開いた。
「変な気分だし、気持ちの整理はまだ全然ついていないんだけど、でもこれだけは言っておくね」
一度言葉を切って、麗ははっきりとした口調で言った。
「私はまた結奈に会えて凄く嬉しいし、あのとき誤魔化さずに真実を打ち明けてくれた葉月さんに感謝してる」
「麗……」
私は感極まって言葉に詰まった。
それに追い打ちをかける勢いで、明日香がハイハイと挙手をする。
「私も! 私も結奈のことを思い出せて嬉しい!」
泰智と拓真も頷いて同意してくれる。
いよいよ半泣き状態になって感謝の言葉を繰り返す私に、翔月がニカッと眩しい笑顔を向けた。
「俺も神埼と葉月くんの記憶を失わなくてよかったって思うよ。あと結婚のことも、めちゃくちゃお祝いする。強がりとかじゃなくて、心から。神崎が幸せなら俺は本当にそれでいいからさ」
泰智と拓真が「おぉー!」と声を合わせ、翔月の頭をぐしゃぐしゃ掻き回す。
「おい止めろ! 悪ノリすんな!」
「ありがとう、翔月。すごく嬉しい」
私の言葉を聞いて、再び拓真たちが盛り上がる。
それに形だけ嫌がりながら、翔月は照れ笑いを浮かべた。




